A-10


気持ち良い、って感覚は、どうして皆に存在するの?
そんな感覚さえ無かったら、ねえ、
こんなに切なくなかったかもしれないのに。
 
人の温もりは心地よくて、
抱き合うだけで心地よくて、
気持ちなんか繋がっていなくても、
まるで総てが一つになれるみたいで、
ねえ、
なんて酷い
なんて、
なんて寂しい、
感覚。
 
キモチイイって思わなければ、
抱く事も抱かれる事も無かったのにね。
そしたら俺達はずっと独りで、
ずっと独りのままで居られたのにね。
 
でも、ああ、
凄く、
 
…キモチイイよ…。
 
 
 
 
 
ずっと、雨が降っている。
それを俺は、只聞いている。
腕には温かい、人の温もり。
優しく柔らかく吐息を紡ぐ、愛しい………
「……アンジーさん」
「………」
アンジーはその声に少し驚き、それでも微笑して腕に眠っていたヤム・クーの方に顔を寄せた。
ふわりとした金色の髪が鼻先をくすぐる。
「起きたのか」
目蓋に、優しく口付けをする。
ヤム・クーはそれを受け乍ら、アンジーの首に腕を回した。
「…どうした」
縋ってくるヤム・クーの背を優しく撫でてやり乍ら、アンジーはふ、と目を細める。
夢、を見たのだろう。
あの男の。
長い前髪から覗く睫が濡れている。
「…ヤム・クー」
胸に鉛を押し込められた様な思いになり、アンジーは乱暴にヤム・クーをベッドに押し込めた。
その華奢とも云える体に覆い被さる様にして、唇を奪う。
「んっ……ん、ぅ……」
ヤム・クーは少したじろいだが、それでも拒む事はせず、大人しくアンジーの舌に嬲られるままになっていた。
そっと唇を離すと、ヤム・クーの潤んだそれと目が合って、アンジーはキュッと眉を寄せた。
「………」
ゆっくりと、白い首筋を吸い上げる。
「あっ……駄目ッ……」
その感覚に、ヤム・クーが身じろいだ。
アンジーは構わず、その鎖骨に、胸に、唇をつけていく。
薄く色付いた突起に舌を添わすと、ヤム・クーは恥ずかしそうに小さな声をあげた。
アンジーは少し微笑み、ゆっくりと唇を下腹部に移していく。
やがてヤム・クーの中心に行き着くと、アンジーはそこに優しく唇を押し当てた。
「あッ……あぁ……」
ヤム・クーが微かに体を揺らす。
細い頼り無気な声は、それでも先を促す様に熱を帯びていた。
アンジーはそれに答えるかの様に、静かにそれを口内に銜え込んでいく。
「はぁ……ん……」
ヤム・クーのそこは次第に熱く、硬く、アンジーの中で変化を遂げる。
とろけそうな巧みなそれに、ヤム・クーは堪らず甘い声をあげた。
その声が酷く辛そうに耳に響いて、アンジーは最初の夜のヤム・クーの、囈言の様に云った言葉を思い出した。
「…ヤム・クー」
トロリと蜜を吐き出し始めたそれを口から抜き出し、そっと腰を進める。
「悪い…入れて、いいか?」
尋ねると、ヤム・クーは少し吃驚した様な顔をしたが、それでもウン、と頷いた。
アンジーは微かに笑い、それでも出来るだけそっと、痛くない様に気を付けて、ヤム・クーの内に自身を埋め込んでいく。
「アッ……あ、ぁ……んっ」
ひくん、と、ヤム・クーの体が仰け反った。
何も準備されていないそこは、けれど先程迄の情交の所為か、比較的すんなりとアンジーのものを迎え入れてくれる。
「ヤム・クー……ッ」
根元まで差し入れたまま、ギュッとヤム・クーの体を抱き締める。
ヤム・クーの中はしっとりと潤んで温かく、酷く気持ちが良かった。
 
   …本当は、
   誰にこうして貰いたい、ヤム・クー?
 
アンジーはヤム・クーの体を腕に抱いたまま、心中で呟いた。
微かに腰を揺らすと、それに反応して洩れるヤム・クーの声が耳元に届く。
 
タイ・ホーは、今日も居ない。
 
今日も、帰って来ない。
 
「ヤム・クー…ヤム・クーッ…」
何度も名前を呼ぶ。
突き入れたそこが熱い。
 
気持ちが良い。
 
 
 
 
 
セックスがしたいと、俺は云った。
ヤム・クーは頷いた。
だから抱いた。
それが始まり。
 
ヤム・クーは、抱かれ乍ら泣いていた。
辛いのでは無く、哀しいのでも無く、
只気持ちが良くて泣いていた。
 
何度も何度も囈言の様に、ヤム・クーは気持ちが良いと云う。
そうしていつも、大粒の涙を零すのだ。
悦楽のそれを。
 
 
 
 
 
「ヤム・クー」
そっと、アンジーはヤム・クーの頬に口付けた。
快感に上気した頬。
「…アンジー…さん」
ヤム・クーは微かに笑い、ギュッとアンジーの背に回した腕に力を込めた。
 
 
 
 
 
   気持ち良い、って感覚は、どうして皆に存在するの?
最初の夜に、ヤム・クーはそう云った。
達した体をアンジーに預けたまま、まるで独り言の様に。
   そんな感覚さえ無かったら、ねえ、
   こんなに切なくなかったかもしれないのに。
アンジーは、静かにその目を細めてヤム・クーの体を抱き寄せた。
 
例えばすれ違った心のままでも、
体が触れ合えばそれだけで気持ちが良くて、
思わず、錯覚してしまいそうになる。
こうして、俺がヤム・クーを抱き締めている。
もしかしたら、それが本当なんじゃないのか、と。
 
そんな事、ある筈も無いのに。
 
   キモチイイって思わなければ、
  
   抱く事も抱かれる事も無かったのにね。
   
   そしたら俺達はずっと独りで、
   
   ずっと独りのままで居られたのにね。
 
ヤム・クーの声が酷く近くで聞こえた。
アンジーは、そうだな、と呟く様に答える。
それだとどんなに良かっただろう、とも。
 
けれど、抱いた。
けれど、抱かれた。
そうして、気持ちが良かった。
それだけで、
 
癒されている様な気持ちになった。
 
本当は深く酷く、弾劾されている事を知っているのに。
 
 
 
 
 
「…このまま」
ふ、と、アンジーが口を開いた。
ヤム・クーはその腕の中で、ジッと温もりを感じていた。
「このまま、俺の所に居る気は無いか…?」
そう云えたのは何故だろう。
今になって、アンジーはそう思う。
けれどその時は、確かにアンジーはそう口にした。
云ってはならない事だったのかもしれない。
二人にとって。
けれど、アンジーはそう云った。
ヤム・クーは、黙っていた。
静かに、アンジーを見上げる。
涙は、無かった。
只微笑を浮かべて。
 
静かに、アンジーも笑った。
そうしたければ、この場でヤム・クーの喉を貫けば良い。
鋭い刃で。
方法はそれしか無い事を、二人共知っていた。
 
黙って、唇を合わせる。
まじないの様に。
契約の様に。
 
辛くなければいけない筈なのに、
寂しくなければいけない筈なのに、
その口付けは酷く気持ちが良くて。
 
二人は顔を見合わせて、静かに微笑み合った。
 
 
 
 
 
雨は未だ降っていた。
アンジーはヤム・クーの柔らかい髪に手を入れ乍ら、そっと目を閉じた。
このまま永劫に平行線を辿るであろう、ヤム・クーと自身の想い。
きっと一生交わる事が無いであろう、ヤム・クーと自身の視線。
けれど決して途切れる事はなく。
決して断罪される事もなく。
 
気持ちが溶け合って初めて、気持ち良いと云う感覚が生まれるのなら。
それならどれだけ良かっただろう。
そうすれば、
 
   そしたら俺達はずっと独りで、
   
そう、何も判らずに、
 
   ずっと独りのままで居られたのにね。
 
何にも気付かずに、
そこに存在していけただろうに。
 
微かに、ヤム・クーがアンジーの腕の中で身を捩った。
アンジーは笑い、そっとヤム・クーを抱き締めた。
鼓動が溶ける。
体温が交わる。
 
   でも、ああ、
   凄く、
 
「…ヤム・クー」
名を呼ぶ。
愛しい名を。
生涯向かい合う事がないであろう、
愛しい者の名を。
 
 
 
   凄く、
  
 
 
   …キモチイイよ…。
 
 
 
2000.5.24.小峰和也







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