これまでのあらすじ
第8話 恋愛論
もしもあなたが、寂しさを感じたり、つらくてどうしようもなかったり、悲しくて泣きそうなときは、僕があなたをささえてあげたい。 こんなクサイ台詞を素で言える人に畏敬の念を抱かざるを得ない今日この頃。 ありきたりではあるが、恋愛というものは難しい。 自分では無い人と時間を共有しようとするのであるから、当然と言えば当然である。 友達というスタンスでさえ障害はあるものであるし、恋人同士ということになればなおさらである。
第2話にも書いたが、僕の恋愛経験は多いほうでは無い。 25歳にもなって恋愛とかこっぱずかしいこと書いてんじゃねぇよ、というツッコミが聞こえてきそうだがシカトする。 ツッコムなよ。流せよ。頼むから。 総勢5人(微妙)。多いのか少ないのかはその人の判断によるものだと思うが、僕が感じる限りは少ないのでは無いかと思う。 結婚してるわけでもないし。 通常であれば、付き合った女の子はどこかしら似ている個所があってもおかしくは無いと思うのだが、全く以って違うタイプである。 K菜さんはヤバイぐらいかわいかった。変だった。半年後にふられた。 S織さんは歌が上手かった。けっこうな勢いで変だった。トータルで考えると2年半ぐらいでふられた。 T子さんは2週間という最短ふられ記録をつくってくれた。なんだかちょっと変だった。 N子さんはおりこうさんだった。でもやっぱり変だった。トータルで考えると3年ぐらいでふられた。 M来さんはスタイルがよかった。輪をかけてひときわ変だった。トータルで考えると2年ぐらいでふられた。 どうやら「変」な点が共通しているようだ。 その点に関しては似たタイプなのかもしれない。 ひとつだけ付け加えるとすれば、「変」とはいってもギャルギャルしてる心底バカではなく、俗に言う「おかしい」ということである。 僕は、おかしな女に惚れる趣向があるのだろうか? まぁ、人は自分に無いものを相手に求めると言うし、僕が真っ当な人間だからしょうがないのかもしれない。 と、自惚れっぽく言ってはみたものの、やっぱり嘘はいけないことだと気づき、訂正しようと思う。 実は僕も変です。閻魔さまごめんなさい。舌は抜かないでください。 というわけで、今回はそんな最初の彼女、K奈さんの話をしようかと思う。 そんなヨタ話聞きたくないって人はブラウザを閉じてくださいね。 ・・・長い前置きだなぁ。
あれは僕が中学3年生の頃であった。 何を血迷ったか僕は文化祭の実行委員などというものをやっていた。 僕が行っていた学校は中学高校とエスカレーター式だったので、文化祭は高校生と同じ日に行う。 男子校だったので女の子がたくさん来るのはこの日しかないというのに、全然遊ぶことができない実行委員。 バカまっしぐらである。人生の半分ぐらいを損しかねない勢いだ。 でも、なったからには仕方ないので一応マジメにこなしていた。 文化祭も終わりに近づき、校庭でのキャンプファイヤーなるものが行われてる頃、僕はせこせこと後片付けに追われていた。 来客用スリッパは高校の校舎に返さなければいけなかったので、スリッパが山積みになったダンボールを抱えて高校校舎までのスロープを行ったり来たりしていた。 3往復目のときであろうか、壁に寄りかかっていた女の子がいきなり声をかけてきた。 「大変そうねぇ。」 見ればわかるだろって感じはしたが、礼儀正しい僕としては一応丁寧に返事をした。 断じて、芸能人じゃないんですか?ってぐらいかなりの勢いでかわいかったからというわけではない。 飽くまで礼儀正しいからだ。 「はぁ。そうですね。」 「まだかかりそう?」 「はぁ。」 何が言いたいんだろう、この女。 とち狂って手伝いたいとかぬかすのだろうか、それはそれでラッキーだな。 なんて思ったりした。すると、彼女は信じられない言葉を放った。 「あのね、友達と一緒に来てたんだけど、その友達がフィーリングカップルでくっついちゃってヒマなの。一緒に遊ばない?」 僕は自分の耳を疑った。この年で幻聴か・・・短い人生だったな、と今までの思い出が走馬灯のように甦ってきた。 「聞いてる?」 ハッと気が付いた。どうやら夢では無いらしい。その証拠にダンボール箱は重い。 「へ?僕がですか?」 「・・・嫌ならいいけど。」 困ったことになった。 僕は文化祭の実行委員である。片づけが終わらないうちに遊ぶわけにはいかない。これからが実行委員下っ端のヤマ場である。 僕は残念な気持ちでいっぱいになった。だが、やるべきことはやらねばならない。 何が自分にとって大事なことか考えた。でもやはり、自分自身の職務ぐらい果たさねば人間として失格である。 一瞬の沈黙の後、僕は重い口を開いて答えを返した。 「是が非でも遊びませう!!」 どうやらそのときの僕はK菜さんと遊ぶことに重きをおいたようだ。 そして、世に言うところの仮病を使い片づけをバックレたようだ。 制服だったので、Yシャツを脱ぎTシャツ姿になって「和食れすとらん 天狗」で二人でお食事をした。 そんな出会いであった。
それからお互いに電話をするようになり、4日後にはお付き合いという関係がはじまった。 K菜さんは僕よりひとつ年上で、某女子校に通っていた。 女子校もなかなかに笑えるらしい。 何もかもが新鮮で、楽しかった。 残念ながら僕は非常にませた子供だったので、初チューは幼稚園の頃に済ませてあったらしい。 でも初えっちはいただきました。K奈さんごちそうさまでした。
しばらくの時が経ち、忘れもしない翌年の2月10日、さっくりとふられた。 理由も告げず、突然の別れの言葉。 チョコレート食いたかったのに・・・・。 その頃の僕は今よりも男らしかったので、別にいいよ勝手にしろって感じだった。 でも、今と同じでやはり情けない自分も心の中に同居していたので、しばらくしてから電話をしてみた。 「現在使われておりません」 そんな、電話番号まで変えるかぁ?っざけんなよ、もう知らねぇ。 そんな感じで荒れまくっていた。 あの頃からしばらく女の子に対し悪い子だったと思う。 反省。
2月後ぐらいに一通のエアメールがきた。 K奈さんからであった。 別れの理由はお父さんの転勤によって引っ越すことになったからだそうだ。 なんてドラマの見すぎな女なんだろうと思った。 別に別れる必要性が見当たらなかったのだ。
しかし今、思い返してみて、K奈さんの選択は正しかったと思う。 やはり、青臭いほどの若さでは、遠く離れてしまうことによる感情の変化はおきてしまう。 それが浮気という形であらわれるのか、愛情の喪失という形であらわれるのかは人それぞれだろう。 「愛は永遠である」なんて言葉を良く聞くが永遠であるものなど一つも無いはずだ。 少なくとも僕は25年間生きてきて中では永遠なものなど見つけることができていない。 ましてや愛が何かすら判っていないあの頃の若い僕らには絶対に続けることはできなかったであろう。 今でも愛が何なのかはよくわからないし。 おそらく「愛が永遠」なのは、お互いに愛情を与えあってこその言葉であると思う。 一度ダメになった関係は、完全に修復することは不可能である。 これは僕の経験から来る考えだが、その話は恋愛論の続きで書くことになるだろう。 人は永遠の愛を求めて生き続けているのかもしれない、というクサイ言葉で締めくくることにする。
余談ではあるが、その3年後ぐらいにY永ともうひとりと池袋で飲んだ帰り、K奈さんにバッタリ会った。 向こうもこっちに気づいたようだったが、友人もいた手前僕はなんとなく気恥ずかしくってシカトしてしまった。 シカトしたことに関する抗議の手紙が、その後送られてきて、どうやらK奈さんは東京に戻ってきたらしかった。 今度ヒマなときにでも連絡ください、的な内容の手紙だったのだが、無くしてしまって連絡は取れない。 失敗したことこの上ない。 ちゃんとだいじにとっておけよと、そのときの自分に言ってやりたい。
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