「久遠に白き鮮血」のその後の展開
-13-
「船に戻る」とゾロには言ったものの、サンジは燻った気持ちを抱えたまま繁華街をうろつき、適当に目に入った飲み屋に入る。
そこで酒を浴びるように飲みだす。
ゾロの前では必死に冷静さを保った風に話をしていたサンジだったが、その内心は、焦燥と怒りと罪悪感と、何か訳のわからないぐるぐるとした感情に埋め尽くされていた。
「くそっ!」
思わず吐き捨てて、グラスを乱暴に置く。
ゴン、と大きな音がして、カウンターの中のバーテンが微かに眉を顰めた。
だがサンジはバーテンになど意識をやろうともしなかった。
ただひたすらに、己の中の激情を持て余していた。
─────惚れてる…惚れてる…だと?
ゾロがサンジに言った、「惚れてる」の一言が忌々しくてならなかった。
─────クソ…っ! あの馬鹿が…。馬鹿が!
何度も心の中で毒づく。
くそ、と、馬鹿が、を何度も繰り返し口の中で呟きながら、酒を呷る。
そうして不意に、サンジは、酷く傷ついている自分に気がついた。
─────何だ、この、裏切られたような気分は。
何を傷つくことがある。
ゾロを振ったのは俺の方だ。
なのにどうして俺がこんなにうちのめされなきゃならねえ。
─────ゾロを、振った…か。
サンジの口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。
─────じゃ何か。ゾロは俺に振られた男か。
ははは、傑作だ。
……………………ちくしょう………………
サンジは唇を噛み締め、目を硬く硬くつぶる。
そうしていないと、涙がこぼれてしまいそうな気がした。
そして考える。
あの時…、快楽の渦に巻き込まれて何もわからなくなった時、サンジを正気の淵にとどまらせたのはゾロの目だった。
貫くような、真剣で一途な目。
あの目がずっとサンジを見ていたから、サンジは狂気に自我が飲み込まれずにすんだのだ。
犯されることなど何一つ怖くはなかった。
ゾロに軽蔑されるのが一番怖かった。
けれどゾロは軽蔑せず、それどころかすがりつくサンジを抱いてくれさえした。
すごい男だと思った。
尊敬すらした。
─────なのに、なのに、惚れていた、だと?
─────惚れてるってのは何だ。
あいつは俺をエスコートでもして歩きたいとでも言うのか?
あいつにとって俺は庇護して守ってやらなけりゃならない対象か? そうだったのか?
自分の見てくれが軽薄に見えるのは知っている。
そういう手合いの好む容姿をしているのもよく知っている。
バラティエの客に誘われた事だってある。
慣れてる。
だけど。
ゾロには。
ゾロにだけは。
そういう目で見られたくなかったのに。
─────ゾロはそういう風には俺を見ないと思っていたのに。
一方、ゾロは、なし崩しに告白してしまったことを後悔していた。
サンジが、自分とはもう寝ない、と言ったことに対して動揺と焦燥を覚えてもいた。
ゾロの中で、告白をなかったことにしてもいいからサンジを抱きたい、という気持ちが強くなっている。
自分がそんなことを考えていることに気がついて、ゾロは愕然とする。
相手の気持ちをないがしろにして自分の勝手を強いる行為は卑怯だ、と言ったサンジの言葉に含まれたものを、サンジがあのピアノ弾きの店でどんな目にあったかをつぶさにこの目で見たゾロは、克明に理解した。
その上で、サンジがゾロの告白を茶化すことなく真摯に受け止め、正直な思いを吐露してくれたことに対して、感じ入るものもある。
にもかかわらず、ゾロが今一番惜しいと思っているのは、自分の想いが否定されることではなく、サンジの体が抱けなくなることであることに、ゾロは衝撃を受けていた。
自分が、自分の想いよりも、肉欲を取ろうとしている事に。
事ここに至って、ゾロは、自分のサンジへの想いが、純度の高い恋などではなく、体の交わりを含む欲の色合いが強いことに気づく。
サンジを抱きたいと思う。強く。
だがそれが、サンジを愛しているからなのか、サンジの体に溺れているからなのか、ついにゾロは見失う。
夜が明け、ゾロとサンジはそれぞれに船に戻る。
だが、二人の視線は合わない。
ギクシャクした空気を残したまま、航海は続く。
サンジは再び、どこかイラついたような雰囲気を発するようになり、今度はゾロまでもが澱んだオーラを纏うようになる。
やがて、ゾロの心の迷いは、剣の迷いとなって現れる。
今まで斬れていたものが斬れない。
ゾロは焦り、それをクルーに隠そうとするが、そもそも戦闘の多い麦わら海賊団のこと、それはすぐに仲間の知るところとなる。
ゾロの不調を知っても、それはゾロの事、と見守る姿勢を見せる仲間達に比べ、サンジだけは、もしかしたらゾロの刀が斬れなくなったのは自分のせいかもしれない、と思う。
自分が振ったから? 振られたくらいで斬れなくなるか? ゾロが? だってゾロだぞ?
じゃあ何でだ? やれなくなったからか? 欲求不満? ありえねェ!
サンジは、自分の事を考えるのも忘れて、ゾロの事ばかり考えるようになる。
そうなってみて、初めて、ゾロの強さを自分がどれだけ信頼していたか気づく。
信頼していたからこそ自分も曝け出せたし、信頼していたからこそゾロからの告白がショックだったことに。
ゾロは今まで自分の信頼に充分こたえていてくれていた。
ならば今度は自分がゾロに信頼される番ではないのか、とサンジは思い至る。
それから数日。
麦わら海賊団のいつもの日常。いつもの航海。
ナミは、そういえばいつの間にかサンジ君が元のサンジ君に戻っているな、とふと思う。
何があったのかは知らないけれど、少し前までやたらぴりぴりして苛々していた。
なのに、今のサンジ君は元の通り、明るくでお調子者で、自分達に甘く、男達に厳しいいつものサンジ君だ。
サンジが元通りになって、ナミは、サンジの存在がどれだけ仲間達の癒しになっていたか、改めて思う。
ご飯を作る人がいらいらしてたんじゃ、どんなに味がいいご飯でも、ちっとも美味しくない。
やっぱりサンジ君はいつものサンジ君がいい。
ご飯が美味しいって言うのは、日々の中で一番大切なことだわ。
ご飯が美味しいと、みんなが明るくなる。
ご飯が美味しいと、みんなが元気になる。
…ゾロも早く元気になればいいのに。
そのゾロは、サンジの様子が変わったのには当然気がついていた。
あの島での一件などなかったかのような、サンジの穏やかな空気。
すっかり立ち直ったかのようなサンジの態度に、ゾロは、もう自分の手は必要ないのか、と落胆する。
落胆するが、安堵もまたしていた。
やっぱりコックはアホ面してた方がいい。
心なしか仲間達も弾んでいるような気がする。
自分では仲間達の身の安全は守れても、心の安寧は守れない。
仲間達の心を守るのは、やはりコックでないとダメだ。
そう思いながら見張り台にいるゾロの元へ、サンジが食事を運んでくる。
ふてぶてしい態度で、乱暴に「飯だ。」と言ってくるくせに、食事をおく手つきは丁寧だ。
いかにも残り物を持ってきたと言わんばかりなのに、目の前に並べられたのはゾロ好みの和風の膳と米の酒だ。
サンジの持ってきた食事を口にする。
ああ、サンジは本当に立ち直ったのだな、とゾロは思う。
思うのと同時に、慣れ親しんだサンジの態度に、ふっと安心感を覚える。
安心感を覚えた瞬間、急に、自分の足がようやく地に付いたような思いがした。
だしぬけに、いきなり目が覚めたような気持ちになって、瞠目するゾロ。
ただ、サンジの飯を食っただけで、何故か急に目の前の霧が晴れたような気がした。
ゾロの脳裏に、自分があのオーナーへ言い放った言葉がよみがえる。
─────あいつを語るなら一度でもあいつの飯を食ってからにしろ。
─────俺が一番美しいと思うあいつは、野郎にぶち込まれてアヘってる顔じゃねえ。
─────へらへら笑いながら仲間に飯作ってるときの顔だ。
─────あいつの飯を食ったこともねェ奴が、あいつを知った風に語るな。
なんだ。自分は既に答えを得ていたではないか、と思うゾロ。
最初から自分は、この飯に惚れていたではないか、と。
おかしくて笑い出すゾロを、サンジが訝しげに見る。
「てめぇはコックだ。」
不意に言い出すゾロに、「当たり前だ」と答えるサンジ。
「俺はコックだ。」
サンジはゾロをひたと見据えたまま言う。
「俺はコックだ。それ以上でもそれ以下でもねェ。
男娼でもねェ。
男にケツ掘られたからって、俺は何も変わっちゃいねェ。
俺の両手は怪我一つ負っちゃいねぇ。
俺の両手は料理を作れる。
俺はコックだ。
料理を作ることが俺の存在意義だ。
俺が料理を作れる限り、俺は何一つ損なわれちゃいねぇ。」
その目に誇りを滲ませて言い切るサンジに、ゾロは思わず口元に笑みを浮かべる。
「あァ…そうだ…。そのとおりだ。」
答えながら顔を上げたゾロの目に、サンジが目を見張る。
サンジがゾロを振ったあとの腑抜けた目ではなく、剣豪としてのぎらぎらとした強い目に戻っている。
「コック。」
呼ばれた瞬間、サンジの手が強く引かれる。
「うわっ!」
目の前の料理を踏まないようよけたせいで、サンジの体はそのままゾロの腕に抱きこまれる。
ゾロの男のにおいに、一瞬くらっとするが、サンジは理性でそれを押さえつけ、ゾロの腕から逃れようとする。
その体を抱きこんだまま、ゾロは「悪いがてめェを諦める気はねェ。」と告げる。
「いいかげんにしろ!」と怒鳴るサンジに、「こんな飯を作るてめェが悪い。」と答えるゾロ。
「てめぇのケツに未練がないといや嘘になるが、それよりもコックであるてめェが好きだ。
てめェの作る飯が好きだ。
てめェの飯が食えて、てめェと旅が続けられるなら、もうてめぇとやれなくてもいい。
だがてめェを諦めるつもりはない。」
「俺はレディじゃねぇぞ。」
「てめェを女だと思ったことはない。女のように扱うつもりもない。」
サンジが拘っていた部分をあっさりと否定され、サンジは拍子抜ける。
怒りが収まってしまうと、あとに残るのは困惑だけだ。
「恋愛はレディとするもんだ。」
「ならてめェは女くどいてりゃいい。だが俺はてめェが好きだ。」
「…俺はてめェなんか好きじゃねぇよ。」
「いつか惚れさせてみせる。」
「…なにその自信。惚れねぇよ。」
「そんならそれでもいい。俺が惚れてるから。」
「わけわかんねぇ。」
口では拒否しながらも、ゾロの腕の中から出て行こうとしないサンジ。
とりあえず居心地いいし。
悔しいけどいいにおいだし。
あったかいし。
それをいいことにいつまでもサンジの抱き心地を堪能するゾロだった。
END.
2012/07/12