le BELLE et la BETE


【第四夜】

 

「───んで───こんな────よ、───ロ!」

誰かの叫ぶ声がして、サンジの意識はゆっくりと浮上した。

 

「こんな…こんな、ひどい…! なんでっ…!」

しゃくりあげる声。

 

─────チョッパー…? 何で泣いてんだ…?

 

朦朧とした意識の中で、サンジはそう思う。

 

「…………うるせぇ。」

低い、感情を押し殺した声。

 

─────ゾロ…。なに、チョッパー泣かしてんだよ、てめェ…

 

「時間が、ねぇんだ、俺には。」

「だからって!!! こんな、こんなの! レイプじゃないか!!!」

 

レイプ、というどきりとするような単語に、サンジの意識は一気に覚醒した。

ほぼ同時に、ここがどこか、自分の身に何が起きたか、思い出す。

 

ああ、そうか…。俺は…魔獣ゾロに…

 

「ゾロ、こんな事をしても、サンジの心は手に入らないよ…ッ…」

チョッパーの声はもう涙声になっていた。

しばしのあと、ゾロは小さく呟いた。

 

「…分かっている…。」

 

それはどこか悲痛な響きに、サンジには聞こえた。

魔獣の足音が、ゆっくりと去っていく。

ドアが開き、ぱたりと締まる音を聞いてから、サンジはゆっくりと目を開けた。

目の前には、大粒の涙を流しながら、サンジの体を拭き清めているチョッパーの姿。

「…チョッパー…。」

自分でも驚くほど、声が嗄れていた。

「サンジ!」

体を起こそうとして、全身を襲う痛みに、呻く。

「動いちゃダメだ!」

「何でもねぇよ…これくらい…。」

軋む体を、強引に起き上げる。

「ごめん… ごめんね、サンジ…。」

チョッパーがぽろぽろと涙を流す。

「んで、てめェが謝んだ…? ん?」

掠れた声でサンジが優しく囁いて、チョッパーの頭をぽんぽんと叩いた。

するとチョッパーはますます激しく泣き出した。

「だってこんな…。ゾロがこんなことするなんて…。ひどいよ…許せない…。」

サンジが困ったように笑う。

「もう泣きやめ。…な?」

ぽんぽん、とサンジの手が優しく頭を叩く。

 

それからサンジは少し目を伏せて、

「あと、ゾロの事もあんま責めんな。」

と言った。

 

他でもない陵辱された側のサンジにそう言われて、チョッパーが、信じられない、という風に目を剥く。

「サンジ! だって…!!!」

 

「俺も悪い。挑発したなァ俺だ。」

静かに静かにサンジにそう言われ、チョッパーはそれ以上言葉が継げなくなった。

 

だってサンジは気がついてしまった。

 

魔獣は、ゾロだ。

 

この世界がサンジの見ている夢であろうとなかろうと。

魔獣がサンジの記憶の中のゾロの再現であろうとなかろうと。

 

魔獣はゾロだ。

 

魔獣と戦った時、魔獣と肌を合わせた時、サンジは悟ってしまった。

 

いつもいつも、ゾロはいつでも、サンジのあらゆる感情を、共鳴させて、跳ね返してきた。

 

同い年で野郎同志、という事以外、生き方も夢のありようも考え方も生い立ちも、ほんの少しも似たところも接点も共通点もなかったのに、まるで合わせ鏡のような二人だった。

 

サンジが挑発すると、ゾロは必ず乗ってくる。

サンジが足を振り上げると、ゾロは抜刀する。

サンジが苛立つと、ゾロも苛々とした様子を見せる。

サンジが穏やかでいると、ゾロも落ち着いている。

サンジが笑うと、ゾロも笑う。

 

ゾロはサンジの感情をいつもそのまま反響させて返す。

 

どんなに冷静なようでいても、どんなに仲間達の前では落ち着いていても、サンジに対してだけは、ゾロはいつもそうだった。

サンジの前では。

サンジの前だけでは。

 

だからサンジも、いつでもゾロにだけは自分の感情を隠さなかった。

不安も、怒りも、全部ぶつけていた。

そうしてゾロからも感情をぶつけ返されて、そうして、サンジは自分を安定させてきた。いつだって。

 

だから、サンジが怒りを魔獣にぶつけた時、魔獣から正しく怒りが返ってきた時に、サンジには分かってしまった。

 

魔獣はゾロだ。

魔獣はゾロじゃないけれどゾロだ。

 

サンジが焦がれてやまない、ゾロそのものだ。

 

 

拒めるはずがない。

 

あんな想いを力任せにぶつけられて。

 

魔獣はサンジを好きなわけじゃない。

魔獣はサンジでなくてもよかった。

 

けれど、魔獣が抱いたのは、サンジだ。

 

あの、熱い想いの奔流を受け止めたのは、サンジだ。

 

 

拒めるはずが、なかった。

 

 

サンジは魔獣に一方的に陵辱されたわけではない。

 

サンジもまた、魔獣を受け入れてしまっていたのだ。あの瞬間。

 

だから、魔獣だけを、責められなかった。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

翌日の食卓に、魔獣は現れなかった。

無理もねぇかな、と思う一方で、例によってまた迷子になってるだけかも、とも思う。

いずれにせよ、あんな事があった翌日に、どんな顔をして魔獣に会えばいいのかわからなかったサンジは、魔獣が姿を見せない事に、ほんの少しホッとしていた。

まだ、体のあちこちが痛い。

体の中も痛い。

正直、歩くのも億劫だった。

そのサンジの周りを、チョッパーが気遣わしげにちょこまかと動き回る。

何か言いたいけど何も言えない、というように。

この心優しい魔獣の従者は、己の主人がしでかしたことの罪の大きさに、すっかり打ちのめされている。

気にしていない、というサンジに、チョッパーは号泣しながら何度も何度も謝った。

たぶん、サンジの知らないところでは、魔獣を責めもしたろう。

その気遣いが、サンジには嬉しかった。

 

「あの、な、あのな、サンジ。そのドレス、すっごく綺麗だぞ。似合ってる。」

チョッパーが必死に言葉を紡いでいる。

「んー、サンキュ。」

今日のサンジは、初めて、魔獣から贈られたドレスに袖を通していた。

別に犯されて魔獣に絆されたからではなく、サンジの着てきた一張羅は、昨夜、魔獣にずたずたに引き裂かれてしまったからだ。

クローゼットの中にずらりと並んだドレスは、どれもこれも、これでもかというほどフリフリヒラヒラとしていて、それらに袖を通さなければならない自分が哀れで、サンジはちょっと泣けた。

裾はふんだんに生地が使ってあって、レースやらフリルやらやたらとついているのに、胸元は情けないほど布が少ない。

ぶっちゃけ、胸元ががばっと開いているのだ。

ナミさんかロビンちゃんくらいおっぱいおっきかったらこんなのも似合うだろうけどさ…と、サンジは益々泣けてくる。

サンジのぺったんこの胸では、そんなドレスは情けないことこのうえない。

おまけに、今サンジの胸元の辺りは、魔獣が噛んだり舐めたり吸い付いたりした痕が、無数についていた。

いくら城内にはサンジの他にはチョッパーと魔獣しかいないと言ったって、こんなものを堂々と晒して歩けるほど、サンジも恥を知らないわけではない。

さんざん迷って、サンジは一番装飾の少ない、一番動きやすそうな、シンプルな黒いドレスを選んだ。

それでもサンジが今まで着ていた粗末なエプロンドレスに比べたら格段に贅沢なシロモノだった。

胸元が黒のレースで首まで隠れていて、首の後ろで紐を結ぶようになっている奴。

背中は丸出しになるが、まあ、胸元丸出しに比べたらどうという事もない。

実際のところ、背中も魔獣がつけた痕だらけだったのだが、サンジはそれには気がついていなかった。

 

朝食の準備がすっかりできあがってもまだ、魔獣は姿をあらわさなかった。

サンジはため息一つ。

 

しかたねぇなあ…。

 

チョッパーに、「ちょっと待ってろ。待ちきれなかったら食ってろ」と言い置いて、サンジは、小さく、

「光る花のレディ達?」

と呼んだ。

テーブルの上に、ぽんぽんぽんと花が次々に咲き、片手に乗るほどの小さな花畑を作る。

「あー…。レディ達、ゾロのいるとこ、案内できるかい?」

頭をかきながらそう言うと、花達はふるふると揺れ始める。

伝わってくる波動は、“戸惑い”。

「ゾロ、どこにいるかわかんないか?」

サンジが尚もそう聞くと、不意にチョッパーが、

「…サンジ、そうじゃなくて…。」

と口を挟み、言いにくそうに俯いた。

それで、あァ花達も昨日ゾロがサンジに何をしたか知っているのか、と思い至った。

気を遣ってくれてるのか。

「ケンカなんかしないよ。飯呼びにいくだけだ。案内してくれる?」

静かに言うと、花達は、一瞬躊躇するように曖昧に光を明滅させてから、やがて、テーブルの上から姿を消すと、サンジの足元から廊下に向って次々に咲き始めた。

 

それを辿って、サンジは食堂を出る。

 

階段を上がり、廊下を進んでいくと、日当たりのいい中屋上があって、そこに魔獣は座った姿勢で、身をかがめるようにして居眠りをしていた。

その姿が、ゴーイングメリー号の甲板で昼寝をする、ゾロの姿と被る。

 

ほんとに…ゾロなんだなあ…。とサンジは思わず泣きそうな顔で笑った。

 

花達は、魔獣が怖いのか、遠巻きにして咲いたまま、それ以上近づこうとしない。

サンジは気配を消して魔獣に近づき、足を振り上げた。

些かの迷いもなく、寝こける魔獣の脳天にかかとを振り下ろす。

けれどその足は、魔獣の頭上すれすれで抑えられた。

魔獣の手によって。

「…何をする。」

魔獣が、サンジの足を掴んだまま顔を上げる。

すぐにその目が、うろたえたように伏せられ、魔獣はサンジの足を放り投げるようにして離した。

「…お、お前はまたっ…!」

また?とサンジは一瞬首をかしげ、腿までまくれ上がったドレスを見て、あ、そっか、と足を下ろした。

「パンツ見えたくらいでいちいちおたつくんじゃねぇ。飯の時間にはちゃんと来い、つったろ。」

タバコをくわえながらそう言うと、魔獣はびくっと、顔を上げた。

 

「…なぜ、いる。」

魔獣の言葉に、サンジは眉を上げた。

「あァ?」

「…城から…逃げたかと思った。」

「あ? 出んなっつったのはてめェだろうが。」

ぶっきらぼうに言いつつ、魔獣の瞳に、たった一晩で濃い憔悴の色があるのを見て取って、サンジは内心でため息をつく。

「…あほかてめェは。」

思わず口をついて出た。

魔獣の琥珀色の瞳が、サンジをじっと見つめる。

「てめェのしでかした事にてめェで傷ついてちゃ、しょーがねぇだろうが。」

サンジよりもはるかにでかい図体の獣が、サンジの一挙手一投足にびくついている。

「…悪かった。…許されるとは…思っていないが。」

大きな体躯に似合わない小さな声で、魔獣が言った。

「…だが…あんな…事をするつもりでは…。自分でも、何故あんなに我を忘れたのか…。」

俺は身も心も本物の獣に近づいているのかもしれない、と、魔獣は虚ろに呟いた。

その妙な言い回しに、サンジは不意に、魔獣は元から魔獣ではないのかもしれない、と思った。

けれどそれには触れず、

「アホか。ありゃ俺の挑発にてめェがまんまと乗っちまったってだけじゃねぇか。修行がたんねぇんだよ、修行が。ダンベル1万回くらい振り回して修行しやがれ。」

と言った。

魔獣が目を見張ってサンジを見る。

その目を真正面から捉えて、サンジは、

「おら、とっとと立て。俺様のクソウメェ朝飯喰らいやがれ。」

と、尊大に言い放ってやった。

すると魔獣が、呆然としたように言った。

「お前は…変わった娘だな…。」

だからサンジは、思い切りチンピラの顔で凄んでやった。

「あァ?」

そしてすぐに相好を崩すと、

「…ま、俺はレディじゃないかんな。」

にやり、と笑って、くるりと魔獣に背を向けて、歩き出した。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

サンジの後をついてくればすぐに食堂に辿り着けたはずの魔獣は、何をやっていたのかまた迷っていたのか、サンジが食堂に戻ってからたっぷり小一時間後に食堂に姿を現した。

そしてサンジにどつかれながら遅い朝食をとりはじめたのだが、その挙動は明らかに不審だった。

まず、いつもなら意外なほど綺麗なテーブルマナーで食事をしていたはずの魔獣が、食べ物をぼろぼろと零しまくっていた。

サンジが指摘すると、うろたえたようにテーブルに向き直るが、心ここにあらずなのか、食べ物は落とすわ茶は零すわ、といったありさまだった。

それでも舐めるように綺麗に食べ切ると、今度はサンジを何か言いたげな様子でじっと見つめてくる。

昨日の事ならもういいぜ?とサンジが言っても、まだ何か口をパクパクさせている。

しばらく酸欠の金魚のように口を開けたり閉めたりしていた魔獣は、やがて諦めて、ため息とともに食堂を去っていった。

 

その姿を見送るサンジの頭には、巨大な「?」が浮かんでいた。

 

その日の夜、部屋に戻ったサンジは、クローゼットの中の変化にすぐ気がついた。

ドレスが全て、入れ替えられている。

それが、胸元の開いたひらひらぴらぴらから、胸元の隠れたシンプルで動きやすいものに変わっているのを見て、サンジは胸中に悦びが湧き上がるのを禁じえなかった。

チョッパーが気をきかせてくれたのか、魔獣の指示か知らないが、これは全てサンジのために用意されたものだ。

ピンクや赤、といったドレスが姿を消して、白や黒やブルーといった色味が増えた事からもそれがわかる。

つか、やっぱりレディ扱いなのか、俺ァ、という事はとりあえずおいといて、これらのドレスは、「レディ」の為に用意されたものではない。「サンジ」の為に用意されたものだ。

魔獣がやっと、サンジをサンジとして見てくれたような気がして、サンジは素直に嬉しかった。

 

 

 

その夜のことだった。

既にベッドに入って眠っていたサンジは、なにかの気配に目を覚ました。

「あ? …ゾロ…?」

まだ半分眠っている頭が、ベッドサイドに立ってこちらを見ているのが魔獣だと判断する。

魔獣からは殺気も何も伝わってこない。

もし魔獣が、殺気か、或いは邪な欲望をもってそこに立っていたのなら、どれだけ疲れて寝入っていたとしても、サンジは飛び起きただろう。

けれど魔獣は、どこか所在なげにサンジを見つめたまま、ただ立ち尽くしている。

まるで迷子のガキだ、とサンジは寝ぼけた頭で思った。

「どした? ゾロ。怖い夢でも見たのか?」

だからサンジにそんな言葉を紡がせた。

昨夜同じ男にさんざん陵辱されたというのに、その時のサンジには警戒心も何もなかった。

それほど、魔獣の瞳は心細いような、遠く茫洋とした、絶望にも似た何かを湛えていた。

木枯らしの中で震えている子供のような。

雨の中で立ち尽くす仔犬のような。

寝ぼけたサンジの頭は、その瞳を、ああ、寒いんだな、と判断した。

寝ぼけたまま、サンジは布団を持ち上げた。

「寒いんなら入ってこい。」

そう言うと、魔獣の瞳に驚愕が走った。

「早く。」

持ち上げた布団の隙間から夜の冷気が入ってきて、サンジはふるっと震えた。

すると、魔獣は、一瞬迷いを見せてから、布団の中に入ってきた。

「ん…冷た…。てめ、どんだけ外にいたんだよ…。」

魔獣の毛は冷気に晒されて冷たくなっていた。

サンジは魔獣の頭に腕を回し、無意識の内に胸に抱え込む。

寝ぼけているサンジにしてみればそれは、ぬいぐるみっぽいものが隣に来たので抱き込んだ、くらいのものだった。

魔獣が驚いて身じろぎをしたが、サンジは魔獣の体を離さなかった。

密集した毛の塊は、夜具の中で瞬く間に熱を持つ。

「あったけぇ…。」

うっとりした声でサンジは呟いた。

途端に、魔獣が息を呑むのが聞こえた。

気にもせず、サンジはほこほこになった魔獣の毛に、顔を埋めた。

城の羽根布団は、分厚いくせに軽くて通気がいいが、その分やや心もとなくて、毛布が一枚余計に欲しいかもと思っていたところだったので、魔獣の暖かさは嬉しかった。

サンジの意識は、とろとろと急激に眠りに吸い込まれる。

「お、前…は…。」

魔獣のうろたえたような声がした。

「誰にでも、そうなのか…? そんな風に…?」

「んん…?」

「こんな…無防備に…? 俺が…、昨日、俺は…お前に…、なのに…。」

「…何…言って…のか…わからねぇ……。」

はあ…と、耳元で魔獣のため息が聞こえた。

「お前は…俺が恐ろしくはないのか…? この、姿が…。」

「…なんで…俺が…てめ…を…怖が…なきゃなんね…だよ…。」 

「お前は変わった娘だ…。」

「…娘…じゃ…ね…て…言っ…だろ…。サンジ…て呼ん…みろ…クソゾロ……。」

「…サンジ…。」

「ん…。」

「…サンジ…? 眠ったのか…?」

「……………………。」

 

意識が眠りの底に堕ちていく寸前、サンジは、抱きしめていたぬいぐるみから、逆に抱きしめられたような、気がした。

 

2004/11/14

 

 


魔獣の毛は、それほど柔らかくない感じの設定で。
えーと、外飼いの長毛種の犬さんみたいな感じの毛質で。


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