【7】
神殿への道を、ゾロはただひたすらに走っていた。
祭で島中の人間が大通りを埋め尽くすのを掻き分けるようにして、ゾロは神殿への道を走った。
途中、何度も何度も、行き交う島民達に神殿に行くのを止められた。
それを振り切って、ゾロは走った。
迷いそうになると、肩から生えた口が、すかさず方向を指示する。
ロビンの声も焦っているように聞こえ、ゾロは一層走る足に力を込めた。
頭の中がぐるぐると回っていた。
こめかみのところでがんがんと脈打つ音が聞こえる。
心臓の音がどくどくと煩い。
鼓動のたびに、きりきりと痛みが走る。
それでもゾロは足を緩めなかった。
ただひたすらに、走る。
神殿目指して。
本当は、まだ島を練り歩いているだろう神輿を追いかけたかった。
追いかけて、神輿ごと担ぎ手を斬り殺したかった。
そうして、あのコックを神輿から引き摺り下ろして、力任せにぶん殴りたいと、本気でそう思った。
だがそれはロビンに止められた。
構わずに神輿を追おうとしたゾロの体は、無数に生えた“手”にがっしりと掴まれて動けなくなった。
ゾロはそれを振りほどこうともがいた。
「だめよ、剣士さん。この事でみんな苦しんだの。苦しんで、それでもこれしか方法がなかったの。」
「放せ、ロビン。」
「だめよ。」
「放せ。」
「だめ。」
それでもゾロはもがいた。
ロビンの腕をぶった斬ってやろうとすら思った。
けれど、ロビンの次の一言がゾロを止めた。
「コックさんを巫女にする事は、ルフィが決めたのよ。」
鈍器で頭をガツンと殴られたような衝撃があった。
「航海士さんの身代わりになると言ったのはコックさんよ。でも、ルフィもそれを許したの。」
「な…ん、だと……………?」
自分のものとも思えない、老人のようなしゃがれた声が、ゾロの喉から出た。
サンジがナミの身代わりになろうとするのはわかる。
あれはそういう男だ。
自分の身など顧みないで、平気で自分の身を犠牲にして、誰かを助ける男だ。
ゾロの事ですら庇おうとした男だ。
好きなナミの為なら、その場で腹を掻っ捌けと言われても躊躇わないでそれをやるだろう。
へらへら笑いながら。
だが何故ルフィがそれを容認する。
サンジのそういうところを、一番厭うていたのはルフィではなかったのか。
サンジのそういうところを、それでも丸抱えにして、大切にしてきたのはルフィではなかったのか。
サンジを、ナミを、仲間達を、誰よりも誰よりも大切にしてきたのは、ルフィではなかったのか。
そのルフィが何故。
目の前が真っ暗になった。
誰よりも信じていたルフィ。
ゾロの唯一無二の船長。
何にも変えがたい至高の存在。
そのルフィが、サンジを犯すなんてそんな馬鹿げた事に、同意した。
「………………………嘘だ。」
呆然と、呟いた。
「ルフィは船長として、最善を尽くしたわ。」
ロビンが静かに言った。
「どこがだ! 仲間のケツを敵に差し出して詫びるのが最善か!!!」
たまらず怒鳴った。
怒鳴りながら、自分が何を怒鳴っているのかよくわからなかった。
「島の人々は敵じゃないわ。ルフィは船長として、最善を尽くした。」
ロビンは決して声を荒げず、繰り返す。
「今も、最善を尽くそうと、必死であがいている。」
「神殿に来て、剣士さん。ルフィとコックさんを救ってあげて。」
だからゾロは、神殿に向かって走り出した。
焦燥と、怒りと、動揺と、あと何か、もっとどす黒くてどろどろした何かが、ゾロの中で渦巻いていた。
ゾロの脳裏に蘇るのは、さっき見たサンジの惜しげもなく晒された白い肌。
ぎり…、とゾロは歯を食いしばる。
全裸の白い肌を無数の装飾品で飾ったサンジは、ゾロの頭の中で、見も知らぬ屈強な男に圧し掛かられていた。
想像の中の映像に、心臓が一掴みにされたような衝撃を覚える。
祭で見た、あの戦神の面をつけた男が、サンジの肌を嬲る。弄ぶ。蹂躙する。
そして、あの線の細い白い体を割り開いて、猛った性器を捻じ込む。
コックは悲鳴を上げるだろうか。
それとも、わななく唇を噛み締めるだろうか。
あの高いプライドを傷つけられる屈辱に、顔を歪めるだろうか。
或いは、悲鳴一つ上げず、むしろ嘲笑を湛えて犯されるだろうか。
いや、もしかしたらコックの体は歓ぶかもしれない。
組み敷かれ、貫かれて、コックは喘ぐかもしれない。
あさましくよがり、腰を振って応えるかもしれない。
そうして勃ち上がった性器から、快楽を迸らせるかもしれない。
サンジを犯す男も、サンジの体の中にたっぷりと射精するのだろう。
そしてその男は、サンジの尻を割り、犯したばかりの後孔に指を捻じ込み、それを掻き出して満座の観衆に見せ付けるのだ。
全身の血が、煮えたぎるかと思った。
頭ががんがんして、目が眩む。
肺の中に何か大きな塊があって、うまく息が吸えない。
なのに、足だけは急いたように全速力で駈けていた。
日が沈み始め、次第に薄暗くなっていく人けのない森の道を、ゾロは一心不乱に走る。
行く手に注連縄が張られていたが、それを一刀両断して先を急いだ。
注連縄を越えると山道になる。
道は細く、傾斜もきつくなってくる。
それでもゾロの足は止まらなかった。
獣道のような細長い道を、ゾロは駆け上がった。
この頃にはもう、ゾロの心ははっきりと固まっていた。
サンジを汚すのなら、儀式も、島の歴史も、全て、────────俺が斬る。
訪れる者を拒むような、細い細い山の参道をどこまでもどこまでも登って行くと、突然開けた場所に出た。
物々しい祭壇と、その奥には荘厳な神殿。
そして、境内では数人が集まって小競り合いをしていた。
ゾロの目は、その中に、ルフィとロビンの姿を認める。
「だから! 戦士は俺がやる! 俺は船長だ。サンジだけに全部おっかぶせるつもりはねぇ!!」
悲鳴のような、ルフィの声がした。
「麦わらのまろうどよ、少しお待ちを…。」
神官らしき島民が、困惑したようにそれを宥めている。
「確かに戦神の寄坐は、悪魔の実の能力者でもなることができます。純潔を求められる月神の巫女とは違い、戦神の寄坐は島で一番強くありさえすればよい。ですが、私共はあなたがこの島の誰よりも強いと判断できぬのです。」
「だったら、戦士役をつれてこいよ!! 昨日のあいつか? ぶっ飛ばしてやるから連れて来い!!」
「それが、あちらでも今、少々揉めておりまして……。」
「揉めてんなら俺にやらせろよ!!」
ルフィが神官に取りすがった時、二人を取り巻いていた数人の若者達の一人が、言葉を発した。
「誰が強いか、この場で戦って決めればよいのではないか?」
すぐにその場の若者達が全員それに同調する。
若者達は皆一様に、華美な甲冑を纏っていて、彼らが神輿行列で剣舞を披露した者達であると知れる。
「そうだ。俺達も誰が一番島で強いのか、今一度はっきりさせたい。」
「ここにいる誰もが、戦神の寄坐となれる資質を持っている。」
「聞けば昨日の戦士は、そのまろうど方に地に這わされたというではないか。」
「戦士を決める武闘会では鍛冶屋のあいつが勝って戦士となったが、もともと実力は伯仲。今戦えば我らが勝つ!」
「鍛冶屋がまろうどによって地に這わされたと聞けば尚更だ。」
若者達が口々に神官に訴える。
「それに、あのように美しいおかんなぎ様。戦って手に入れるほどの価値は余りある。」
若者の誰かの一言に、ルフィがいきり立った。
「てめぇら!サンジをそんな目で見んのは許さねェぞ!!」
「静まれ、若人達よ。」
不意に声がして、神殿の奥から太守が姿を現した。
「お前達の話は聞こえた。たった今、鍛冶屋の息子が戦士を辞退したところだ。」
「なんですと!?」
神官が仰天する。
「あれはそもそも、巫女が選ばれた時から彼女への求婚の意思を込めて戦神の寄坐に志願した者。巫女が穢され、自らも地に這わされては、とても戦士の面目が立たぬと、私に言ってきた。」
「では太守!!我らに再びチャンスを!!」
「まぁ待て、若人達。」
はやる若者達を、太守がなだめる。
「鍛冶屋の息子にしてみれば、己を倒したまろうどが戦士として立てば、あれの栄誉も守られようが、いかんせん、昨日、戦士を地に這わせたまろうどは、今、巫女様として神輿に乗っておられる。」
太守の言葉に、若者達の間に驚きが走る。
「なんと…、あのたおやかな金のおかんなぎ様が戦士を倒したと言われるのか。」
「ならば尚の事、その強きおかんなぎ様を賜り、戦神の多大なる加護を!」
「てめぇら、いいかげんにしろおおお!!!」
ルフィがわめいた。
「戦士は俺がやるっつってんだろうが!!!!」
「──────いや、俺がやる。」
だしぬけに聞こえた声に、全員がぎょっとして振り向いた。
「…ゾロ。」
そこに、全身から異様とも言えるオーラを発したゾロが、立っていた。
ゾロ、ともう一度名を呼ぼうとして、ルフィは硬直した。
ただ静かに立っているように見えるゾロの、全身に纏いつく負の瘴気が尋常ではない。
何がゾロをそうさせているのか、ルフィは瞬時に悟っていた。
不意にゾロの上体がゆらりとぶれた。
次の瞬間、ルフィの体は大きく吹っ飛んでいた。
「まろうど!」
「ルフィ!」
ルフィの体が、勢いよく神殿を取り囲む大木に叩きつけられる。
バウンドして地面にどさりと落ちる。
うろたえる島民達を尻目に、ルフィはゆっくりと立ち上がり、口内に溜まった血を吐き捨てた。
ゴムゴムの能力でダメージを軽減することも出来たが、ルフィはあえてそうしなかった。
ルフィの立っていた場所には、ゾロの姿がある。
拳を握りこんで大きく突き出したその体勢で、ゾロがルフィを殴りつけたのだと知れる。
咄嗟に割って入ろうとした太守が、ゾロの中に何かを見たのか、ぎくりと立ち止まる。
ゾロの目はルフィだけを凝視している。
ルフィもまた、ゾロから視線を放さない。
ルフィが殴られた弾みで脱げた麦わら帽子を、ゆっくりと目深にかぶり直す。
その手が、ひゅ、と後ろに引かれた、と見えた刹那、ルフィが大きく一歩踏み込んだ。
鈍い音と共にゾロの体がもんどりうって倒れる。
ゾロの見るからに重い体躯を、拳一つでいとも簡単に吹っ飛ばすルフィに、島民達が唖然とする。
けれどゾロは、さしたるダメージもないかのように、ゆらりと立ち上がった。
ゾロの視線は、ひたとルフィに据えられたまま、動かない。
その手がゆっくりと、三本の刀を抜く。
「待たれよ!!!!」
さすがに太守が声を荒げた。
「ここは神殿の境内。私闘は禁じられている!! しばしお待ちいただきたい! まろうど方!!」
「“
太守の言葉を受けて、ロビンが即座に100本の手を咲かせた。
それぞれ50本ずつがゾロとルフィの体を拘束する。
ルフィはおとなしく拘束された。
だがゾロはもがいている。
50本の腕で縛り上げても尚、ゾロは動こうと抗った。
ロビンの顔が苦痛に歪む。
「………三刀流───」
拘束されたまま、ゾロは技を繰り出そうとする。
「ゾロ!!??」
そのまま技など出せば、ロビンだって無事ではすまない。
仲間を傷つける事にすら躊躇いを見せないゾロの行動に、ルフィは顔色を変えた。
「ゾロ、お前……そんなに……」
その時だった。
「巫女様御参入されます。」
その場の雰囲気を払拭して余りあるほどに晴れやかな、鈴を転がすような女性の声がした。
神輿に巫女と一緒に乗っていた女官の娘達が、神輿に先立って神殿に到着したものだった。
その声がしたとたん、その場にいた島民達が、一斉に地面に膝をついて頭を下げた。
ロビンも皆に習って跪き、ゾロとルフィを100本の腕で力任せに地面に伏せる。
暮れかけた細い山道を、ゆっくりゆっくり、銀白の神輿が登ってくる。
木々の間から差し込む夕日が、真っ白な神輿をオレンジ色に染め上げる。
光を受けて、箔押しされた銀がきらきらと輝く。
神輿の上にはサンジ。
その金の髪も陽に透けてきらきらと柔らかく温かな光を放つ。
白く透き通るような肌を柔らかく覆う、純白のベール。
大きなムーンストーンのついた美しい装飾の天冠。
巫女、というのは、“神の花嫁”なのだと、ゾロはその瞬間、はっきりと悟った。