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ナミは夢を見ていた。
それは過ぎ去った悪夢だった。
悪夢は、ひたひたと忍び寄って、容赦なく、ナミの心を犯していた。
「や…めて…っ」
冷たくぬめる感触が、まだ幼さの残るナミの肌を這いまわる。
「何で嫌がるんだ? ナミ。お前は俺達の仲間だろう? ああ、大切な仲間だ。分かってるさ。だからこうして可愛がってやろうってんじゃねェか。」
まだ固い乳房を、魚人の手が鷲掴みにする。
「…っ…」
声を上げそうになって、ナミは必死で唇を噛んだ。
みっともなく声を上げて、これ以上相手を喜ばせたくなかった。
けれどその様子をも、魚人は楽しそうに眺めていた。
「全くおめェって奴は退屈しねェ、ナミ…。」
魚人の目が、狡猾そうに光っていた。
楽しくて楽しくてたまらない。そういう目だった。
全身が、総毛立つ。
ぺろり、と、魚人の舌がナミの乳房を舐めた。
ナミの全身がびくりと震える。
「まだまだ青臭ェ味だ。」
魚人の目が、値踏みするような色になる。
────さて、どうするか。この幼い体を途轍もない快楽に狂わせるか、破瓜の激痛に喘ぐ様を見て楽しむか。
そんな魚人の企みが、ナミには透けて見えた。
怖くて惨めで逃げ出したくて。
それを、奥歯が砕けんばかりに噛み締めて、耐える。
「お前を女にしてやるよ、ナミ。」
笑いながら、魚人は下半身の前を寛げて、禍々しく屹立した醜怪なペニスを取り出した。
ナミは、生まれて初めて見るその大きさに、心底恐怖を覚えた。
逃れようと後ずさる。
が、一瞬早く、ナミの体は魚人に組み敷かれる。
動きを封じられる。
「やっ… いや…っ。」
力任せに両足を割り開かれた。
「…ひっ…」
その部分に、固い物が押し付けられる感触。
魚人は、いきなり挿入に及ぼうとしていた。
ナミが泣き叫ぶ様を楽しむ事にしたらしい。
「やだぁっ…!」
耐えられず、喉がしゃくりあげる。
「いやぁぁぁぁッ!」
魚人がナミへと体重をかける。
めり、と躰が軋んだような気が、した。
ナミが目を見開く。
もう声は出なかった。
かわりに、喉から、ひゅっと息が漏れる。
痛い、なんてもんじゃなかった。
体が真っ二つに裂かれるような。
内臓に抉りこむような、痛み。熱。
血の匂い。
「良かったなあ、ナミ。女になれてよ。」
わずかに残った意識の中に、魚人の声が響く。
魚人が抽迭を開始する。
────助けて、と口走りそうになり、奥歯を食いしばる。
誰も、助けになんか、来ない。
見開いた目から涙が零れる。
「ふん… 人間にしとくには惜しい女だ。」
魚人の呟きが耳に届いた。
刹那、ナミの中に沸きあがったのは、激しい怒り。
悔しい。悔しい。憎い。
目も眩むほどの殺意。
体を裂かれる痛みも忘れて、ナミは、組み敷かれた体の下から、相手を見据える。
ありったけの憎悪を込めて。
とたんに、相手はシャハハハハ!と嘲笑いだした。
「いい目だ! 俺を殺したいか? ああ?」
シャハハハハハ!!!!
シャーハハハハハ!!!!!
耳障りな笑い声の中、ナミは何度も何度も犯された。
何度も何度も、凶器はナミの体を貫いた。
「───────ッ!」
目が覚めた。
がばっと跳ね起きたつもりが、体は痺れたように、指一本動かなかった。
「あ………」
全身が汗びっしょりだった。
夢、と気づき、大きく、息をついた。
ようやく動くようになった体を、ゆっくりと起き上げる。
手が、がたがたと震えていた。
「………大丈夫?」
突然声をかけられ、ナミはびくりとした。
横を向くと、隣に寝ていたロビンがこちらを見ていた。
「ごめん、なさい、…起、こしちゃった…?」
努めて平静に返そうとしたが、喉が震えて、おかしな喋り方になった。
そんなナミを、ロビンは黙って見ている。
もともとロビンはあまり感情を外に出さないが、その目には心配そうな色が滲んでいる。
「何でも…ないの。夢を…。ちょっと夢を見て。」
そう。夢だ。
ただの夢だ。
もうあれは終わった事。
アーロンはもういない。
「あたし、何か、言ってた…?」
恐る恐るロビンに聞く。
一瞬、間があって、
「…何も。」
と、ロビンが静かに答えた。
その目からは何も読み取れない。
たとえ何か聞いていたとしても、この考古学者はそれを聞かなかった事にしたのだろう、と悟り、ナミはそっとベッドを出た。
室内のバーカウンターに座り、手近のボトルをグラスにあける。
琥珀色の液体を、一気に呷る。
グラスを置いて、大きく息をつく。
まだ心臓がどきどきしていた。
手の震えも治まっていない。
それでも、夢だった、という事に、ほっとする。
もう終わった事。
アーロンはもういない。
もう終わった。
あれは過去の事。
アーロンはもういない。
アーロンはもういない。
アーロンはもういない。
アーロンはもういない。
何度も何度も心の中で反芻する。
「私に何か、してあげられる事はある?」
ベッドの中から静かな声が聞こえた。
今度こそナミは完璧に平静に、
「大丈夫。起こしちゃってごめんなさい。」
と笑顔で返してみせた。
ロビンは、そう、と答えると、ナミから顔が見えないように、布団を目深に被った。
そのまま眠ってしまったかのように、気配を消す。
たぶん、眠ってはいないのだろうが、ナミは、ロビンの、こういう、必要以上には決して踏み込んでこないところがとてもありがたかった。
ビビがいた頃もナミは時折悪夢にうなされる事があったが、ビビは優しすぎるくらい優しい子だったので、いつもとてもナミを心配してくれた。
ビビのそんな気持ちはとても嬉しかったのだが、ほんの少し煩わしさを感じる事があるのもまた事実だった。
アーロンの夢を見た後は、いつも心に余裕がなくなる。
ビビの気遣いすらも思いやってやれなくて当り散らしそうになった事もある。
決まってその後、やりきれなくなるほどの自己嫌悪に襲われる事も少なくなかったので、今、ロビンがこんな風にほっといてくれる事に、ナミは心底感謝した。
たぶん、ロビンの方が年齢を重ねた分だけ、そういう風に気を回す事ができるのだろう。
ナミは、水でも飲むような速さで、何杯も酒をあおった。
息をつくたび、甘い香りが室内に広がる。
どうして…いつまでも忘れられないのだろう。
もう忘れた、と思っていると、それを許さないかのごとく、きまってアーロンが夢に現れる。
繰り返し、繰り返し。
まるで、忘れるなと言っているかのように。
忘れるな。
お前は魚人に汚された女だ。
魚人の精を胎内にぶちまけられた女だ。
8年もの間、魚人の慰み者になっていた女だ。
「……………っ…………」
知らぬ間に、ナミは右手で左肩を掴んでいた。
もうそこに、アーロンの所有物の証である刺青はない。
ナミが、自分で、切り裂いた。ナイフで。
何度も何度も切り裂いた。
痛みなんか感じなかった。
心の方がずっとずっと痛かった。
そこに、無意識に爪を立てる。
もうそこにはない、烙印へ。
大丈夫。落ち着いて。
アーロンはもういない。
ここにあたしを傷つける者はいない。
大丈夫。
荒い呼吸を、必死でなだめる。
水のように立て続けに酒を呑んだ。
ボトルはすぐに空になった。
忌々しそうに酒ビンを置き、ナミは、別の酒を取ろうと、何本か並んだ酒ビンに手をのばし、ふと、カウンターの端に置かれた小さなクーラーボックスに気づいた。
夕飯の後、サンジがこっそりくれた、「ナミさんにプレゼントv」。
「きんっきんに冷やしてあるから、ぬるくならないうちに飲んでください♪」
サンジの笑顔を思い出して、ナミの口元が、思わず緩む。
サンジはいつもいつも、ナミを際限なく甘やかす。
まさかナミが今夜悪夢にうなされる事を予見したはずもないが、その優しさは、いつもなんだかタイミングがいい。
さっきまでの焦燥にも似た心の喧騒が、ゆっくりと凪いでいく。
天性の、与える者、なのだろうと思う。
クーラーボックスを手元に引き寄せる。
ちょうど酒のボトルが一本だけ入るくらいの大きさのそれを開ける。
現れたボトルを見て、ナミは息を呑んだ。
綺麗…。
鮮やかに美しい、透明なサファイヤブルーのボトル。
どこかの女王と思しき肖像のラベルが貼られた、そのボトルの美しい青い色に、ナミは、しばし魅入った。
まるでサンジくんの瞳の色みたい、と、ナミは思った。
当然、あのコックはそれを意識してこのボトルを選んだのだろう。
女性を口説く事にかけては労を厭わないコックを思い出して、ナミはくすりと笑った。
毎日毎日、あのコックは暇も惜しまず、変わる事なく、ナミを褒め称える事に心血を注いでいる。
────本当は、サンジ君が言ってくれるほど、キレイでもステキでも女神でも…ないけれど。
アーロンは、自分一人がナミを陵辱するのに飽きたらず、座興に同胞達の前でナミを犯し、欲情した同胞達の前にその体を放り投げた。
大勢の魚人達の手が体をまさぐる感触は、それこそ忘れようったって忘れられやしない。
初めてアーロンに犯されたとき、ナミはまだ初潮も迎えていなかった。
さんざん陵辱され、汚れきった躰。
この躰の中で犯されてないところなど、ただの一つもない。
それでも、コックはナミをお姫様のように扱う。
嬉しくないはずがない。
あの軽口に、ナミがどれだけ救われているか…。
ゆっくりと、ブルーボトルの封を切った。
ビンに触れる指先が痛いほど冷たいそれを、優しく傾けて、グラスに注ぐ。
冷凍庫にでも入れてあったのだろう。
酒が、とろりとするほど凍らせてある。
水と見紛うほどの、どこまでも透き通った無色の酒。
華やかに上品な芳香が立ちのぼる。
乱暴に飲み干してしまうのは、もったいない気がした。
そっと口をつける。
はっとするほど、きりりとした味が、喉を滑る。
度数もかなり高い。
へぇ…と、素直に感心した。
サンジ君が選んでくれたお酒だから、もっと女性向に甘いのかと思っていた。
けれどこの酒は、潔いほどにドライだった。
ふわりと口腔に広がる独特の味と芳香。
今見た悪夢を払拭してくれるかのような…。だけど…。
ナミは、グラスを置いて首をかしげた。
これは本当にナミのために買われた物なのだろうか?
澄み切っていて、迷いがない。
きん、と冷えて、静けささえ漂うその佇まいは、誰かを思い出させる。
「サンジ君、これ…。ゾロに買ったんじゃないの?」
思わず独り言が口をつく。
緑の髪の剣士。
あの女好きのコックが…何を間違ったか真剣な思いを寄せてしまった相手。
顔を付き合わせるとケンカばっかりしてる相手。
二人がいつの間にか恋人同士になっていたと知った時、ナミは本当に驚いた。
その一方で、これで二人のケンカもなくなるだろうとホッとしていたのだが。
なにしろ、この船の中でも先陣を切るほどの戦闘能力を持つ二人のケンカゆえ、ひとたびそれが始まると船が半壊するほどの被害をもたらすので。
とはいえ、女相手にはあんなにも歯が浮くようなセリフを言いまくるくせに、ゾロ相手だと何故か憎まれ口しか叩けないサンジと、心の中で思ってる事の半分も口にしないゾロとでは、行き違いが起こることも少なくなく、ケンカの量が増えこそすれ、減るはずもなく。
そういえば、今朝もケンカしていたような気もする。
なにしろ、それがあまりにも日常茶飯事で、しかも犬も食わない、となれば、いちいち真剣に取り合ってやるのもバカらしいときたもんだ。
ろくに注意を払いもしなかった。
ケンカは今朝の事だ。もう仲直りしているだろう。となれば、このお酒はサンジ君に返してあげた方がいいかもしれない。今ならまだサンジ君はキッチンで起きているだろう。
そう思いながら、ナミは立ち上がった。
全くあの二人はしょうがないわね、等とひとりごちながら。
その口元を、ほんのちょっと綻ばせて。
もう、いつものナミの仮面を被って。
2003/11/02