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案の定、ラウンジには灯りがついていた。
サンジはいつも、夜遅くまで翌日の食事の仕込みをしていて、朝は誰よりも早く起きる。
コックとしての職業意識なのだろうが、全く頭が下がる。
その上最近は、体力バカの剣士の夜のお相手も勤めているらしい。
さすがのナミも、サンジの体調が気になったりもする。
ラウンジまで来て、何の気なしに窓から覗き込んで、ナミはギョッとして身を隠した。
再度、そうっと中を窺う。
ゾロとサンジが抱き合っていた。
ナミは、目を丸くして、よくよく室内を見回した。
テーブルの上には、つまみの皿と酒。
ゾロは椅子に腰掛けて、そのつまみを肴に、酒を飲んでいる。
普段どおりの無表情で。
そしてサンジは、そのゾロに、向かい合うようにして座っていた。…ゾロの膝の上に。
つまり、ゾロがサンジをお膝抱っこしている状態だ。
サンジは、ゾロに話し掛けてみたり、笑いかけてみたり、わざとゾロの耳元に口を寄せて何事か囁いて、ゾロがくすぐったがる様子を楽しんでみたり、ゾロのグラスが空になると膝に乗ったまま上半身をそらしてテーブルの上の酒ビンをとってお酌してみたり、なかなかに甲斐甲斐しい。
それをゾロは嫌がるでもなく、一見、平然と酒を飲んでいる。
けれど、グラスを持っていない方のゾロの手は、しっかりとサンジの腰を抱いていた。
その指先が、時折、悪戯するようにサンジのスーツの下に潜り込む。
そのたびにサンジの背がびくりとふるえ、拗ねたような顔でたしなめる。
会話は聞こえないが、見ているナミが思わず面映くなるほどのラブラブっぷりだ。
こんな風に人に甘えるサンジも、こんな風に優しい目をしたゾロも、初めて見た。
サンジはともかく、ゾロのにやけてる顔には、さすがのナミも内心引いた。
昼間の二人からは想像もつかないような、甘い優しい空気。
いいなぁ…。
素直にそう思った。
ナミは鼻を、すん、と鳴らした。
鼻の奥がつぅんと痛い。
なんだか少し、せつない。
やきもち、だろうか。
でも、どっちに?
ゾロに抱かれたいと思った事も、サンジに甘えたいと思った事も、あった。
ゾロには出会ってすぐに、あの燃えるように強い金色の瞳に心を射抜かれた。
ゾロに心を奪われない女がいたら、嘘だろう。
整った鼻梁も、逞しい体躯も、圧倒的な強さも、女心を魅了して余りある。
この男に抱かれてみたい。
この男はどんな顔をして女を抱くのだろう。
ゾロの、ストイックなほどに硬派な生き方は、逆に、だからこそやけに、エロティックですらあった。
「あたしと寝ない?」
ナミがゾロに、まるでケンカでも売るような口調でそういったのは、まだサンジが仲間に加わる前のことだった。
ゾロはその形のいい眉をちょっと上げて見せただけで、ナミが挑むように、噛み付くようにキスした時も、憎たらしいほど平然としていた。
そんなところもぞくぞくした。
だが、結局ナミはゾロに抱かれる事はなかった。
ナミがうまくいかなかったのだ。
自分から誘ったくせに、いざ事に及ぼうとすると、ナミの体はゾロを受け入れる事が出来なかった。
アーロンから受けた傷は、体よりもむしろ、ナミの心を蝕んでいた。
明らかなナミの異常にさすがのゾロも躊躇を見せた。
何度かナミはゾロを誘い、そのたびに失敗した。
そして何度目かの時、ゾロの方がナミを拒んだ。
「もういい。もうよせ。」
とだけ、ゾロはナミに言った。
恐らく、ゾロはゾロなりにナミを思いやって、それなりに気を使ったつもりだったのだろう。
だが、それにはあまりに言葉が足りなくて、そしてそれは、ナミを傷つけるのには充分だった。
ナミはそのまま、ルフィ達から去り、アーロンのもとへと戻った。
アーロンパークの一連の事件を経て、誤解も解けて、晴れて本当の仲間になったけれど、ナミとゾロの仲は元には戻らなかった。
その頃には、ナミの心の中には、ゾロよりももっと大きな存在が住んでいたから。
「ルフィ…………助けて………。」
血を吐くような思いで、呟いた。
悔しくて、憎くて、情けなくて、悲しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて…。
助けて、と、8年間一度も口にしなかった言葉を、漏らした。
その瞬間、それまで淡々とすら見えた彼の纏う空気が、ざわり、と変わった。
無造作に、被っていた麦わら帽子をナミの頭に乗せる。
宝だ、と言っていた、あの、誓いの麦わら帽子を。
驚いて顔をあげると、彼が大きく息を吸い込んでいた。
そして、辺りに響き渡るような大声で答えた。
「当たり前だ!!!!!」
────その瞬間、魂が、揺さぶられた────
それでも、今だにゾロを見ると、何となく「一回くらい抱かれときゃよかったかな」という想いがこみ上げてくる事がある。
ゾロという男はそういう意味で、女にある種の感情を抱かせる男ではあった。
────何故かサンジという男にもそういう感情を抱かせたみたいではあるが。
サンジに対してのナミの想いは、ゾロへのそれとは対極に位置するものだった。
サンジの、一見、軽薄で軟派な見た目と態度は、当初、ナミを呆れさせこそすれ、とても恋愛対象となるものではなかった。
一緒に旅をするようになってから、ゆっくりとそれはナミの心に染み込んでいったのだ。
ゾロと出会ったばかりの頃に無意識にゾロに対して求めていたものは、今になってサンジが全てナミに与えてくれた。
優しい言葉と温かい料理とありったけの思いやりとさりげない気配りで。
ナミの心は、どれだけサンジによって癒されただろう?
女性と見れば誰にでも等しく愛を注ぐサンジではあったが、ナミの見るところ、そのいずれの場合も、サンジは本気であるように見える。
ナミの事も本心から賛美して、本心から心酔している。
そのサンジの相手が何故、よりにもよってゾロなのだろう?
何故、女性ではなく男なのだろう?
ナミがその気にさえなれば、サンジはナミのものになったのだろうか…?
ゾロのものではなく?
それは甘い甘い誘惑だった。
サンジくんが自分だけのものになる?
あの優しい眼差しも、優しい言葉も、輝くような金髪も、透き通った蒼い瞳も、ナミよりも白い肌も、内包した強さも、…脆さも、全て?
たぶん、サンジはどこまでもナミを甘やかすだろう。
ナミだけを見て、ナミだけを守って、ナミだけを包んでくれるだろう。
とろけそうなほどに、甘い、誘惑。
だけど……
手近なぬくもりに、流されそうになるナミにストップをかけるのは、いつもいつも、ナミの心の中に住んでいる特別な存在だった。
「ナミ!!!」
きらきらとした瞳。
黒曜石のような、まっすぐな瞳。
「お前はおれの仲間だ!!!!」
仲間………。
心が震えるほどに嬉しくて、引き裂かれそうなほど辛い、言葉。
ルフィ、あたしが、もう、仲間ではいたくないといったら、あんたはあたしを、軽蔑する?
あんたから欲しいものは、「仲間」なんて言葉じゃないと言ったら…。
そうか、あたしは…
うらやましいんだ。ゾロとサンジくんが。
たやすく「仲間」という枷を乗り越えた、あの二人が。
あの二人は怖くはなかったのだろうか。
「仲間」から一歩踏み出す事が。
ましてや、男同士なのに。
そういえば、いったいあの二人はどちらから想いを伝えたのだろう。
ナミは以前からサンジがゾロを想っていた事には気がついていた。
サンジはずっと、宝物のように大切に、その想いを秘めていた。
そっと、本当にそっと。
壊れ物を抱くように。
誰にも知られないように。
大切に大切に。
だから、ナミに気づかれていたと知った時のサンジの動揺といったらなかった。
晴れてゾロと恋人同士になった今でさえ、サンジは表立ってそういう素振りは一切見せようとしない。
それでも、折に触れナミに語ったところでは、サンジがゾロに惹かれるきっかけになったのは、あの、鷹の目との戦いの時かららしい。
鷹の目のミホークとの戦いで、ゾロは、まるで赤子のようにあしらわれ、手も足も出ず、一太刀もかすりもしなかったというのに、サンジは、笑みすら浮かべて袈裟切りにされたゾロに、途轍もなく心臓を鷲掴みにされたのだという。
その戦いを、ナミは見ていなかったが、それがどれだけ凄まじいものだったかは、後日、ゾロの体の傷痕を目にした時、ありありと想像がついた。
そして思ったのだ。
ああ、ゾロの強さはこんな風に人を惹きつける。
惹きつけてやまない。
ともすれば引きずられてしまうほどに。
自分はダメだった。
自分は、疲れてしまった。ゾロの強さに。
見失ってしまった。自分を。
ではサンジは?
サンジならば、もしかしたらゾロを受け止めきれるのかもしれない。
そもそもサンジは、サンジ自身も充分に強い。
ゾロがもし、刀を持たずにサンジと戦ったら、もしかしたらゾロは負けるのではないかと思わせるほどに。
サンジはゾロのように、強さに対して欲がない。
強くなりたいという貪欲さはない。
サンジにあるのは、仲間を守りたい、という想いだけだ。
それは、日常であれ、戦闘時であれ、変わらずにサンジの根底にあるものだ。
もしかしたら、自分よりも強いだろうゾロをも、守ろうとするかもしれない。
であれば、ゾロの受け皿は、サンジを置いて他にはないようにも思う。
実際、今、二人はこうして、抱き合っている。
恋人同士として。
こうなるまでに、一体どんな過程があったのか、ナミは知らないけども。
ラウンジの中で、恋人達は睦言を交わしている。
さっきまでのふざけ合っていた雰囲気は、いつのまにか濃密なものとなっていた。
サンジが、両腕をゾロの首の後ろに回す。
ゾロが、両腕でサンジの腰を引き寄せる。
ゆっくりと二人の顔が近づく。
唇が触れ合う。
舌が絡まりあう。
ナミは、サンジの、うっとりと反らせた横顔に、思わず目を奪われた。
女の目から見てもどきりとするほどの、艶かしさに。
ゾロがサンジの首筋に顔を埋める。
不意に、視線。
ナミがはっと気づくと、ゾロの目がまっすぐにこちらを見ていた。
目だけで、「失せろ」と言っている。
サンジが気づく前にとっとと失せろ、と。
ふんだ。
あんたの思うとおりになんてしてあげるもんですか。
ナミは、ラウンジのドアに近づくと、ためらわずにドアノブに手をかけた。
2003/11/07