給食のおばちゃんサンジと幼稚園のロロノア先生
□ ロロノア先生のお誕生日 その1 □
麦わら幼稚園には幼稚園バスが三台ある。
幼稚園バスのフロント部分には、動物の絵がついていて、それぞれ園児達を送迎する地域が違う。
一丁目〜四丁目はこのバス、とか言っても園児達にはわからないので、園児達はそれぞれ地区ごとに色と動物で区分けされている。
青方面さんはパンダさんのバス。
赤方面さんはウサギさんのバス。
黄色方面さんはコアラさんのバス。
ロロノア先生が運転するのは青方面さんのパンダさんバス。
そして、給食のおばちゃんは青方面に住んでいる。
だから給食のおばちゃんはパンダさんのバスで幼稚園に来て、パンダさんのバスでおうちに帰る。
その日、給食のおばちゃんはお帰りのバスのお時間になっても姿を現さなかった。
どうしたの? おばちゃんどうしたの? と園児達が顔を見合わせる中、バスはゆっくりと発進した。
青方面のセブンイレブンとこでママがお迎えに来るドフラミンゴ君は、
「おかえり。今日も楽しかった?」
とママに聞かれ、
「ようちえんはたのしいかったけど、きゅうしょくのおばちゃんがおかえりのバスにのってないかったから、ぼく、さびしいかったよ。」
とお答えした。
こんな日がたま〜にある。
子供達の送迎を終えて、園に戻ってきたロロノア先生は、幼稚園から子供達がみんなお帰りして、先生方のお仕事も全部終わって、先生方のお帰りの時間になっても、まだ給食室から灯りが漏れてるのに気がついた。
ナミ先生が
「しょうがないな、サンジ君も。」
と言った。
「根詰めると時間忘れちゃうタイプなのよ。ゾロ、あんたヒマならサンジくん送ってってやってくれない?」
ナミ先生とロロノア先生は、大学の幼児教育コースで一緒だった。
だから、みんなの前では「ロロノア先生」と呼んでいたけれど、仕事の時間が終わると「ゾロ」と呼び捨てになる。
ロロノア先生は、「何で俺が」と言いかけたが、ナミ先生は基本的に言いっぱなしジャーマンが得意なので、振り向いた時にはもうナミ先生はさっさと園長先生のお耳を引っ張ってお車に乗り込むところだった。
しかたねぇな、と、ロロノア先生は給食室に向かう。
給食室に近づくにつれて、なんだかふんわり甘い匂いがするのに、ロロノア先生は気がついた。
ふんわり甘い優しい匂い。
給食室のドアをからりとあけると、その甘い匂いは、ふわっとロロノア先生を取り囲んだ。
ロロノア先生は、驚いて、一瞬その場に立ち尽くした。
匂いだけで涙が出そうになったのだ。
温かい手で頬をふんわり撫でられたような、優しい甘い匂い。
ロロノア先生はあんまり甘いものを普段食べないので、それほど甘いものにこだわりがあるわけではないのに、これはいったいどうした事だろう。
ぼうっと立ってると、背を向けていたピンクの割烹着がくるりと振り向いた。
「あれ? ゾゾロア先生。」
「…ロロノアだ。」
誰の名前だ、そりゃ。と思いながら、ロロノア先生は給食室の中に入った。
給食のおばちゃんの前の調理台に、ケーキのようなものがある。
ああ、これの匂いか。とロロノア先生は思った。
「もう門閉めるぞ?」
ロロノア先生がそう言うと、給食のおばちゃんはビックリした顔になった。
「えっ? もうそんな時間か?」
そして時計を見て、うわ、本当だ、と言いながら、わたわたと調理器具を片付け始める。
「ああ、悪い。ロロロア先生。俺、門しめてっから待ってなくていいぜ?」
「ロロノアだっつうのに。」
「ロロロア。」
「ロ・ロ・ノ・ア。あひる組さんか、てめェの舌は。」
あひる組さんは年少さん達のクラスだ。
3〜4歳の年少さん達は、まだよく舌が回らないので、ロロノア先生のお名前をちゃんと言えなかったりする。
いいとこ、“よよのあしぇんしぇー”か“どどどあしぇんしぇー”だ。
「誰の舌が清らかで純真だ、くら。」
「いや、言ってねぇし。」
ロロノア先生の突っ込みは早い。
鋭く切り込むように突っ込むべし。ロロノア家の家訓である。
給食のおばちゃんが、ちっと舌打ちをした。
こんなにこんなにガラの悪いおばちゃんだが、もちろん子供達の前ではこんな姿は微塵も見せない。
けれどロロノア先生は気にした風もなく、
「門は俺が閉める。送ってくから早くお片付けしろ。」
と言った。
「へ?」
給食のおばちゃんは、ぽかんとした顔になった。
「送ってってくれんの?」
そういう顔をすると、給食のおばちゃんはかなり子供っぽい顔になる。というか、あほっぽい顔になる。
「…どやって帰るつもりだったんだ?」
とりあえずロロノア先生は聞き返した。
「や、歩いて帰ろうかと。」
「ここから青方面までか?」
ロロノア先生はすっかり幼稚園言葉が身についてしまっているので、子供達がいなくてもうっかり青方面は青方面と言ってしまう。
ついでに言うと、「おかたづけ」で「おかばん」で「おきょうしつ」だ。
青方面までは、歩いて歩けないこともない距離ではあるが、一日の仕事を終えて歩くには、やはりちょっと遠い。
「俺、車だから乗ってけ。送る。」
ロロノア先生がそう言うと、給食のおばちゃんの顔が一気に赤くなった。
「あ、えっと…、あ、ありがとう。ロロ…ロロ、ノア先生。」
「…言いにくかったらゾロでいい。」
「ありがと、ゾロ先生。」
給食のおばちゃんは、へへ、と笑って、お片付けを再開した。
給食のおばちゃんが流しを綺麗に掃除しているのを横目で見ながら、ロロノア先生は調理台を見下ろした。
いろんな形のいろんなケーキが並べられている。
どれも全部、一口で食べられそうなほど小さい。
ああ、来月のお誕生会用のケーキの試作か、とすぐにわかった。
麦わら幼稚園では、毎月一回、その月にお誕生日を迎える園児達を幼稚園みんなでお祝いする行事がある。
年少さんから年長さんまで、その月に生まれた園児は、みんな手作りの王様の冠をつけて、ステージの上にずらりと並べられる。
そうして、一人一人お名前とお誕生日といくつになったかを言って、他のお友達からおめでとうのお歌を歌ってもらって、記念撮影をしたあと、小さな小さなケーキを貰って帰るのだ。
それはちゃんと一つ一つお名前が入っていて、そんですごく美味しい。
給食のおばちゃんの手作りケーキだ。
自分だけのお誕生日ケーキ、を、園児達は、もう貰った子はそれがどれだけ美味しかったかを一生懸命先生にお話して、まだ貰ってない子はどれだけ楽しみにしてるか夢見ている。
そのケーキの試作が、今、ロロノア先生の目の前にある。
ちんまりした可愛いケーキ。
「うまそうだな。」
ロロノア先生がぼそっと言った。
「食うなよ? 明日ナミさんに差し上げて試食してもらうんだからな。」
給食のおばちゃんは振り向きもせずに言う。
返事がないので、聞いてんのかよ、と言おうとして頭を上げた給食のおばちゃんは、ロロノア先生があんまり真剣な顔をしてケーキ達を見つめているので、おかしくなってふきだした。
子供達にドンファンさんと呼ばれるほどムキムキマッチョないかつい顔が、可愛い可愛いプチケーキを真剣に見つめている。そのアンバランスに。
「ケーキ好きなのか?」
そんなに好きなら一個くらいやってもいいかな、と思いながら給食のおばちゃんが聞くと、ロロノア先生は表情を変えずに、
「前はそうでもなかった。ケーキが美味いなんてここに入って初めて知った。」
と答えたので、給食のおばちゃんは思わず絶句してしまった。
「えっとそれって…俺のケーキがうまいって事か…?」
自分の作るものが誉められると、給食のおばちゃんはいつもぽーっとしてしまう。
別に自信がないわけではないのだが、やっぱり料理人にとって「おいしい」は最大の賛辞なのだ。
ましてや、こんな、いかにもケーキなんか好きじゃありません、な顔をした奴に言われると、うっかりときめいてしまうほどに嬉しい。
「そうだな。給食も美味いしな。…まぁ、俺にはちと量が足りんが。」
そう答えながらおばちゃんの方を何気なく見たロロノア先生も、思わず絶句してしまった。
給食のおばちゃんが、ぽやん、とした目でロロノア先生を見ていたからだ。
うっとり、と表現してもいいような目で見つめられて、ロロノア先生はたじっとなった。
どうしておばちゃんが自分をそんな目で見ているのかわからなかったからだ。
けれど視線を外す事も出来ず、ロロノア先生はおばちゃんをじっと見つめる。
給食のおばちゃんの頭の中は、ロロノア先生が今言った「給食も美味い」の一言でいっぱいになっている。
今までロロノア先生とは特に言葉を交わしたこともなく、ロロノア先生の名前すらろくに覚えておらず、それどころか、給食のおばちゃんの中でのロロノア先生の認識は「なんか緑い奴」な程度でしかなかったが、今の「美味い」発言で、一気に好感度が赤丸急上昇した。
俺の料理を美味しいって言って食べる奴に悪い奴はいない、というのが、給食のおばちゃん基準である。
しかもロロノア先生は、遅くなった自分を待っていてくれて、わざわざ車で送ってくれるらしいのだ。
すげぇいい奴じゃん。こいつ。
一方、ロロノア先生は、自分を見つめる給食のおばちゃんの目が、すごく綺麗なブルーをしている事に気がついて、またたじっとなっていた。
とろん、と蕩けた蒼い瞳は、昨日ミホークくんがくれたドロップの中に入っていた青い奴より、もっとずっと綺麗だったし、白い肌はほんのり上気して可愛いピンク色になっている。
金色の髪は、ほんとにきんきらきんきらしていて、ちょっとおばちゃんが頭を動かしただけでも、さらさらと流れて、触ってみたいな、と思えた。
でもロロノア先生の全身は、金縛りにあったように硬直して、動けなかった。
アルビダちゃんが見たら、「それってビビビってやつ」と、きっと教えてくれただろう。
先に我に返ったのはおばちゃんの方だった。
はっとして、すぐに、へへ、と照れたように笑って、
「しかたねぇなあ、一個だけなら食ってもいいぞ。」
と言った。
それでロロノア先生もはっとして、「ああ。」と答えた。
一個食べてもいい、と言われたので、ロロノア先生は、また調理台のケーキを見る。
赤いのと、白いのと、黄色いのと、オレンジのと、緑のと、紫の、ケーキ。
大きなホールケーキをそのままおもちゃで小さく作ったような、一口で食べれてしまいそうに小さいのに、ちゃんとデコレーションしてあるケーキ。
こんな、見るからに手間ヒマかかりそうなものを、給食のおばちゃんは毎月毎月、その月のお誕生日の子の数だけ作る。
「赤いのは赤ピーマン、白いのはジャガイモと里芋、黄色いのはニンジン、オレンジのはカボチャとサツマイモ、緑のは枝豆、紫のは紫芋、のケーキ。」
ロロノア先生が、どれにしようかな、と迷っていると、給食のおばちゃんが、割烹着を脱ぎながらそう言ったので、ロロノア先生はまたビックリした。
全部お野菜のケーキ。
幼児教育で必ず課題に上るのは、「子供にいかに野菜を食べさせるか。」だ。
お野菜が嫌いな子は多い。
麦わら幼稚園は、給食の子とお弁当の子がいるが、お弁当にはお母さん達の苦労の後が見える。
なんとかして我が子にお野菜を食べさせようと、ハンバーグに細かく刻んで入れたり、甘く味付けしたり、すりおろして卵焼きにしてみたり、動物の形にしてみたり。
それでも子供達もさるもので、ミリ単位にまで細かく刻まれた野菜を、めざとく丁寧におかずからより分けて残したりしている。
給食はさすがにそこはプロの仕事で、どこにお野菜が隠されているのか全然わからないことがロロノア先生にもあるが、なるほど、こんな風に隠れていたのか。
「もしかして今までのお誕生日ケーキ、全部野菜のケーキか?」
「野菜だけじゃねぇ。レバーやひじきが入ってる事もある。」
ロロノア先生の目の前にへぇボタンがあったら、きっと今、満へぇを出してる。
野菜で作られたとは思えないほど可愛らしいケーキ達は、子供たちのお口にはちょうど良くても、ロロノア先生にはいかにも小さくて物足りない。
簡単に一口で食えてしまいそうだ。
ロロノア先生は、それを何となくもったいないな、と思った。
「どれにすっか決めたか? 余った奴、冷蔵庫にしまうぞ?」
給食のおばちゃんがロロノア先生の顔を覗き込んだ。
突然金髪のきらきらが視界に飛び込んできたので、ロロノア先生は内心ちょっと驚いた。
なんでか知らないが、こいつはさっきからなんか眩しいな、と思いながら。
きっと金髪のせいだな。
「あー…ちょっと待て。」
赤いケーキも白いケーキも緑のケーキも全部全部美味しそうだ。
この場ですぐ食べてしまうのが惜しかった。
「一個だけだぞー?」
目の前でおばちゃんが笑っている。
ロロノア先生は腕組みをしながらちょっと考え、「あ」と突然思い出した。
そうだ、そういえば。
「これ、家まで持って帰れるか?」
「あ?」
「うち持って帰って、うちで食う。酒の肴にする。」
「はあ?」
そうだ、そうしよう。
となると、酒のつまみに良さそうなケーキは…
「お前、ケーキで晩酌すんの、好きなの?」
おばちゃんが聞いてきた。
「いや、そんな事はないが、これ、お誕生日ケーキだろう?」
「…そうだけど。」
「んなら、うちでゆっくり食おうかと。俺、今日誕生日だし。」
ロロノア先生は給食のおばちゃんを見もせずに、ケーキを見つめ、そう答えた。
一瞬、間があった。
「誕生日だァ???」
給食のおばちゃんロロ誕エディションです。
この牧歌的な状態で何か起こるという事もなくだらだらと続きます(笑)