* Pure Blooded *
−4−
翌朝。
あ、朝だ。ナミさんを起こしてあげよう、といつものように目を覚ましたサンジは、自分の体が、いつもの毛布じゃなく、何だかもっとあったかいものにくるまれている事に気がついた。
顔を上げると、目の前に見知らぬ黒い犬の寝顔がある。
仰天して飛び起きた。
─────あ、ゾロだ。
傍らの寝顔が、知らない犬なんかじゃなく、昨日知り合ったゾロだと気がついたとたん、サンジは昨日のことを一気に思い出した。
─────そうだ俺…ナミさんに…………
捨てられたんだ。
思い出したとたんに、じわっと目が熱くなった。
悲しくなって俯くと、昨日サンジに不埒な真似をしくさりやがった狼野郎がかーかー寝ているのが目に入る。
─────こいつ、何でこんなに俺にくっついて寝てんの。
昨日寝たときからくっついてたんだっけ?と思い返そうとしても、いつ寝入ったんだか思い出せない。
ゾロはだらしなく緑の腹巻に手を突っ込んで寝ている。
それでも狼の血を色濃く残すその寝顔は精悍で美しい。
昨日、ナミさんに置いていかれたとわかった時は悲しくて悲しくて仕方なかったのに、何だかこいつのせいで色々ぶっ飛んでしまった。
─────どうしてこいつ…あんな事したんだろう。
新顔はいちいち耳噛んだりチンコ触ったりして確かめてみる奴なのかな。
昨日はあの行動に何か意味があるように感じたけれど、一晩たってみたら、やっぱりからかわれてただけなのかもしれない、とも思う。
どきどきして、くらくらした。
もっと触って欲しいような、怖いからすぐやめて欲しいような、不思議な気分だった。
今日もまたゾロにあんなふうに触られたらどうしよう。
ふわふわと浮ついた考えのまま、サンジは、ごろりと横になった。
いつもの朝だったら、サンジにはナミさんを起こすという仕事がある。
でもここはナミさんとサンジの家じゃない。
ナミさんはいない。
ちょっと悲しくなって、サンジは、すん、と鼻を鳴らした。
そうしたら、ゾロのにおいがした。
すぐ傍で寝ている、ゾロのにおいが。
そういえば一晩中このにおいに包まれて眠っていたような気がする。
やっぱりゾロはずっと傍で寝てたんだ。
そう思うとどうしてだか、おなかの中がほわんとあったかくなってくるような気がする。
横に寝るゾロの胸元に、ころんと頭を乗せる。
それでもゾロは起きない。
サンジは、ゾロの胸元に顔を摺り寄せて、ゾロのにおいを嗅いだ。
そうして気づく。
以前からゾロのにおいを知っていたことに。
─────ああ、そっか…。このにおい、ルフィからいつもしてた…
ルフィから感じたにおいの大半は、ゾロのにおいだった。
何となく嬉しくなって、サンジは尚更ゾロに頭を擦り付けた。
「…起きたのか。」
掠れた声が耳元でした。
サンジが見上げると、ゾロの金色の瞳が眠そうに開いて、こちらを見ていた。
寝呆けているのか、ゾロは、胸元に頭を乗せたサンジを身体ごと引き寄せて抱き込んだ。
昨日と同じく、大切なものを扱うようなやり方に、サンジの顔が赤くなる。
大切にされる事も、可愛がられる事も、慣れてる。
ナミさんはいつでもサンジを大切に愛してくれたから。
けれどナミさんにぎゅってされても、サンジはこんな気持ちにはならなかった。
こんな、なんだかどきどきしてふわふわしてちょっと怖くてちょっと恥ずかしくて、うわーーーって大声を出して転がり回りたくなるような、こんな気持ちには。
なんだろうなんだろう。この気持ちはなんだろう。
何で昨日会ったばっかりの、しかも野郎にこんな気持ちになるんだろう。
ゾロにぎゅっと抱きしめられていると思うと、サンジはなんだか落ち着かない気分になって、そわそわと身じろぎしたり、ゾロのシャツの襟を噛んだり、しっぽをぱったんぱったん動かしたりした。
「あにやってんだ、てめェは。」
起ききってないような掠れた声が、また耳元でした。
ついでに耳をぱくっと噛まれた。
それだけで、サンジの全身が、びびくん! と硬直する。
途端にサンジは逃げ腰になって、ゾロの腕からじりじりと抜け出ようとする。
だがゾロの手は逃すまいとサンジの体を掴むので、その場でちょっとサブミッションみたいなことになる。
体を反転させ、ゾロの胸を軽く蹴って逃げようとしたら、足首を掴んで強く引き寄せられた。
ゾロの顔の上に尻を乗せるみたいになってしまい、サンジは慌てて、しっぽでゾロの顔をばしばし叩いた。
「ッ! こら、暴れンな。」
しっぽに噛み付かれて、またサンジの全身が硬直する。
そこは急所だから、もし強く噛まれたら悲鳴を上げるほどに痛い。
けれどゾロの噛み方はやっぱり優しくて、腰の辺りからぞくっと何かが競りあがってくるような気がして、サンジは息を詰めた。
サンジの動きが止まったのをいいことに、さっそくゾロは、サンジの尻のにおいを嗅ぎはじめる。
「や、…ゾロ…っ、尻嗅ぐなよっ…、俺レディじゃねェよぉっ…!」
抗議したつもりが、口から出たのは自分でもびっくりするほど甘ったれた声だった。
「…………………てめェは他のメスのケツ嗅いだことあんのか?」
なぜか不機嫌そうな声でゾロが言った。
「あるか、ボケェ!! 俺はレディにはいつでも紳士なんだよっ!」
あんまりにもあからさまなゾロの言葉に、サンジは真っ赤になってわめいた。
なんつう事を言うのだ。こいつは。
俺が見境なくレディのヒップ嗅ぎまわるように見えんのか。
「ならいい。他のケツなんか嗅ぐんじゃねェ。」
ゾロが不遜に言い放つのを聞いて、サンジはもうがっくりと脱力した。
「なんでそんなに偉そうなんだよ、もう…。」
腹立ち紛れにしっぽでゾロの顔を叩いたら、またしっぽをはむっとやられた。
「俺の尻なら嗅いでもいいぞ。つか嗅げ。」
「だからどうして偉そうなんだよ。やだよ。」
「嗅げってば。」
「やだってば。」
ゾロはサンジの腰を抱えたまま、かぱっと威勢よく足を開いて、さァ来い、とばかりに自分のズボンの股間にサンジの顔を押し付けようとする。
サンジがじたばたとそれに抗う。
じゃれあっているとしか見えない攻防の末、サンジの体がつるんとゾロの腕から外れた。
「あ。」
呆然とするゾロを尻目に、サンジは素早く部屋の隅に逃れる。
サンジとしては、ちょっと今のやり取りがおもしろくなっていたところだったので、ゾロが追いかけてくるのを期待しての逃げだったのに、ゾロはあからさまにムッとした顔をして、その場に寝転んだ。
目をつぶって寝入ってしまったみたいに動かなくなる。
拍子抜けしたサンジは、しばらく、どうしようかとうろうろして、やがて恐る恐る寝ているゾロに近づいた。
尻の方から近づいて、ちょっとにおいを嗅ぐ。
ゾロが気づかないっぽいのをいいことに、かなり大胆に尻のにおいを嗅いだ。
─────野郎のにおいだよなァ…。
メスのようなうっとりする甘いにおいなど欠片もしない、紛れもないオスのにおいなのに、どうしてだかゾロのにおいはサンジをくらくらさせる。
一度嗅いだらあとは夢中になった。
ゾロの身体にぴったり寄り添うように寝転がって、くんかくんかゾロを嗅ぐ。
腹巻の中に顔まで突っ込んで嗅いだ。
何でこんなにずっと嗅いでいたいと思うんだろう。
いつも遊んでくれるルフィのにおいと勘違いしてるんだろうか。
でも、ルフィのにおいを嗅いでもこんなふうになったことなんて一度もないのに。
いきなり、がしっと腰を掴まれた。
びっくりして見ると、ゾロが半身を起こしている。
「本気で嫌がってんのかと引いてみりゃそっちから近づいてくる。ほんとにタチ悪ィな、てめェは。」
にやり、とゾロが笑った。
その金色の目は爛々と野生の獣の光を放っている。
サンジは、ぞくり、と恐怖にも似た震えが、電流のように体の芯を貫くのを感じた。
まるで自分が、捕食される草食動物にでもなってしまったかのような気がする。
けれどこれは恐怖じゃない。
恐怖とみまごうほどの、陶酔。
ゾロに食い殺される動物たちは、みんなこんな酩酊感に襲われながら絶命するんだろうか。
…人に飼われているゾロは、生きている動物を捕食したりは、しないだろうけど。
「ゾロ……。」
思わず名を呼ぶと、ゾロが目を眇めた。
「ほんっと、タチ悪ィ…てめェ。発情もまだのガキのくせに、いっぱしの目で誘ってきやがる…。」
ガキじゃねェ、と、いつものサンジだったら蹴りの一つもお見舞いしていたろう。
けれど、ゾロの金色の目にすっかり射抜かれていたサンジは、その言葉にすらもとろんとした目を返しただけだった。
ゾロの手が、くいっとサンジの顎を上に向ける。
サンジは成すがままだ。
吐息と共に、ゾロがサンジの唇に口付けする。
触れるだけの優しく柔らかい口付けに、サンジの方が物足りなくなって、ゾロの唇を舐めた。
ゾロが眉を聳やかす。
「…したことあんのか…?」
ゾロの声音はどこか不穏な響きを帯びている。
「…な、い…。けど、…舐めちゃ、だめだったか…?」
したかったから、したのに。
拗ねた気分になってゾロを軽く睨むと、ゾロが微かに瞠目する。
「…っと、タチ悪ィ……。」
囁くように言われて、またキスされた。
ゾロもサンジも、あんまり悪戯なキスに夢中になっていたので、いつの間にか部屋にルフィが入ってきたことに気がつかなかった。
じゃれ合うゾロとサンジを見て、「…サンジはオス…だよなぁ…。ゾロもわかってるよなぁ…。うーん…。」としきりに首をかしげていたことにも。