MasohKishin
〜the Lord of Elemental〜
+NOVEL+
   ラウラの詩   [2]






 世界から、『色』が無くなった。

 見えて、聞こえて、触れられたら感触もあるけど、それが持ってる『意味』を感じない。




「愛していますよ、マサキ」

 耳元で聞こえる囁きは、どんな『想い』を含んでいるのか。




「教えて下さい、マサキ・・・。そこまでして拒むほどに、私は貴方に厭われているのですか?」

 目の前の顔は、何故こんなに歪んでいるのか。




「ちょっと研究で無理をしてしまいました。横で休ませて頂いてもよろしいですか?」

 すり寄ってくる、俺より体温の低い身体は、そこで何をしているのか。




「貴方の感情(かお)が見たいんです。憎しみでも蔑みでもいいですから・・・どうか・・・」

 熱いしずくは、何故俺の上にこぼれ落ちてくるのか。









 何も分からない。









 何も感じない。














 抱き上げられて、長い腕と広い胸に包まれて、鼓動を聞く。
 でも、ただ聞くだけ。
 俺の中には、何も起きないし、何も産まれない。




「今日は、一緒に外へ出ましょう。とてもいい風が吹いていますよ」

 聞こえた声に『色』は付いていない。




「貴方に触れるのは、これで・・・・・・最後にしますから・・・今日だけは・・・」

 降ってくるしずくの『意味』は分からない。




 網膜を刺す明るさが、ここが『外』というものだと告げる。
 肌をよぎる涼しさが、それが『風』というものだと知らせる。

 でも、色は見えてこない。

 穏やかな『風』が身体を包む。
 俺に向かって吹き続ける『風』には、何故かどれだけ受け止めても冷たさや寒さを感じない。
 俺と同じ温度の『風』が、ずっと俺の身体を凪いでいく。




 『風』って、何色だったっけ?




 強くて。

 優しくて。

 自由で。




 あぁ・・・そうだ。

 白銀色・・・だった。

 空を掴むみたいな大きな翼・・・。




 いつも一緒にいた。

 離れるなんて、考えたこと無かった。









 『サイバスター』。









 お前のところに、帰りたいな。




 でも・・・。

 帰る場所なんて、もう残ってないよな?

 サイバスターだって、怒ってるよな?
 俺、勝手にお前から降りちまったから・・・。




 それに・・・ヤンロンだって・・・。




 正直言うと俺・・・、もう全部諦めてるんだ。

 だって、今更元には戻れないだろ?

 もう・・・俺は、今までの俺じゃなくなっちまってるんだから。
 昔の俺に戻ろうとしたって、もう絶対に戻れはしないんだから。

 だから、元の場所に戻ったって、元通りになんてならない。









 人の気配を感じて、顔を上げた。
 目に入ってきた紫のせいで、陰鬱な気分になる。

「・・・・・・マサキ・・・?」

 返事をするのが面倒で、黙ってた。

「気分は・・・どうですか?」

 いいわけねぇだろ? 誰のせいでこんなことになっちまったと思ってるんだよ?

「・・・やれやれ・・・、あくまでも、私のことは無視ですか?」

 ・・・うっせぇな、返事するのが面倒なだけだっての。

 かったるかったけど、それでも一応睨み付けてやったら、シュウの顔から表情が消えた。
 機嫌損ねたかな?
 でもヤンロンの目が治った今、もう、別にこいつが怒り出そうが何しようが、俺には関係ない。

 何を考えてるのか分からなかった。とにかくシュウは無表情で押し黙った。

 そして・・・。

 長い沈黙のあと、シュウは事も無げに、吐き捨てるように言った。









「そろそろ貴方にも飽きました。出て行って頂けますか?」









 あ・・・・・・・・・・・?









 まぁ、さ・・・。
 相手が「シュウ=シラカワ」なんだから、そういう可能性もあるかなって思ってたけど、さ。

 「やっぱり」って思わなかったワケじゃないけど、さ。

 さんざん俺を振り回して、苦しめて、後戻りできないところまで引きずってきておいて、 今更、そういうことを言うわけかよ?
 何なんだよ? それ?
 そんなの許されると思うか?

 キレるなっていう方がムチャだよな?




「ふ〜ん・・・、お前がさんざん主張してた『愛』って、そんなもん?」




 自分でもビックリするくらい、感情のない声だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 シュウも、はっきりと分かるほど驚いた顔をしてた。
 俺だって、こんなキレ方したのは、初めてだ。




「薄っぺらいんだな」




 怒りとか憎しみとかじゃない。




 ―─悪意。




 もう、そればっかりが溢れだしてきた。
 目の前の、この野郎を、思う存分気が済むまでけなして、傷付けてやりたい。

「結局、お前の言ってた『愛』って、自分が一番なだけだったんだろ?  欲しいモン、我慢できなくて、駄々こねてるガキと一緒だよな?  天才科学者とか呼ばれて、インテリぶってるクセに、中身はそんなもんかよ?」

 多分、俺は今、見下すような笑みを浮かべてる。
 シュウ=シラカワに向かって。
 こいつはそうされたって仕方ない人間だから、どれだけ罵倒したって構わないんだ。

「お前なんかが、『愛』とか語るんじゃねぇよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」

 眉間に皺を寄せて、悔しそうに唇を噛みながら、シュウは俺を睨んだ。
 俺は、その視線を正面から受け止めて、笑い飛ばした。

「はッ! 何だよ? この期に及んで、 まだ『自分の愛は本物だった』とか言いたいのかよ?」

 「笑う」っていうより、「嗤う」?
 嘲笑いながら、蔑む言葉を吐き捨てた。

「・・・・・・貴方に、何が分かると言うんです・・・?」

 爆発しそうな程の激情を押さえ込んだ、重い、腹に響く声だった。
 でも、その危険な色を帯びた言葉は、俺の中をカッと熱くした。

「ざけんなよ! 分からなかったら何だってんだ?!  てめぇこそ、俺の何が分かるってんだよ!」

 衝動に任せて、シュウの胸ぐらに掴みかかった。




 その瞬間。
 目の前に赤い靄のようなものが飛び散った。




「・・・・・・え・・・?」
「─────ッ!!」




 雰囲気に呑まれたその一瞬に、シュウが俺を突き飛ばし、自分も俺から飛び退いた。




 何が起きたのか、分からなかった。
 呆然としてた意識が、だんだん冷静になって、そこでやっと、 飛んでもないことが起きたんだと分かった。



 俺と、シュウとの間にある距離。

 その間の床に、赤いいびつな線が出来ていた。

 その線は、俺のところから始まって、シュウのいるところで止まっている。
 止まっているんじゃなくて、「線」から「点」に替わっていた。




 大きな・・・「血溜まり」っていう、「点」に。









「・・・ご存じないんですか・・・?  『呪詛』というものは・・・、呪われた側に回避された場合、 呪った側に・・・返ってくるものなんですよ」

 ロングコートの白い袖が、真っ赤に染まっていた。
 だらりとぶら下がってる両腕の下に、だらりとぶら下がってる両手を伝って、 ぼとぼと、血が落ちていく。

「貴方とホワン=ヤンロンによって・・・、私の『呪詛』は返されました。 ホワン=ヤンロンの、私を貴方に触れさせたくない想いと・・・、 貴方の、私に触れられたくない想いが、こういう形になっただけですよ・・・」

 息の上がった、覇気のない声だった。どこか投げやりで、無気力な感じがする。




 俺・・・、どうして分かったんだろう?


 シュウ・・・、お前・・・。




「ウソ・・・ついてるよな?」




 ほんの一瞬、シュウは目を見開いた。 その僅かな反応の遅れを誤魔化すように、早口で突き放してくる。

「何を言い出すのかと思えば・・・馬鹿馬鹿しい・・・」
「ついてる。絶対に・・・」
「先ほども言いましたが、貴方ごときが、 私を理解したような口をきかないでもらえますか?」

 死んだ魚のようだった目が、急にギラギラ光り始める。
 あれほどひどい出血だったのに、傷口も塞がったみたいだ。

「中途半端な同情なら、要りませんよ。 あなた方に返された呪詛程度ならば、治癒魔法で簡単に癒せますからね」

 「この程度のことで、何をそんなに驚いてるんだ、下らない」っていうような顔で、 嘲笑いながら、シュウは俺を見ていた。

 でも、違う。
 いつものシュウの笑い方じゃない。


「俺・・・、どのくらいここにいた?」
「そんなもの、わざわざ数えたりしていませんよ。 お知りになりたいのならば、さっさとここから出て、自分で確かめたらどうです?  外に出れば、いくらでも貴方に日付を教えてくれる媒体があるでしょう?」
「べつに正確な数字が知りたいんじゃねぇよ。 俺がここにいたの、1日や2日じゃないよな?」
「いい加減に煩わしいですよ、マサキ?  そうだったら何だと言うんです?」


 何だろう。胃の辺りがむかむかする。ものすごく不快だ。


「その間、ずっとお前が俺のこと、世話してくれた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺が何も食べようとしないから、お前が食べさせてくれた。 身体も拭いてくれたし、着替えもさせてくれたし・・・」
「・・・・・・・・・・勝手におかしな夢を見ないでくれますか?  何故私が貴方にそんなことをしなければならないんですか?  私にとって、貴方などただの退屈しのぎで・・・」


 何で、こんな気分が悪いんだろう。


「ウソ付くなよ!! 俺、ちゃんと覚えてるんだからな!  お前がどんなふうに俺の世話してくれたか、答えもしない俺に、 どれだけ一生懸命話しかけてくれたか・・・!」


 何で、こんなにイライラするんだろう。


「昨日だって、外に連れてってくれた!  俺に、サイバスターを思い出させるために、わざわざ風に当たらせてくれた!」
「やれやれ・・・貴方は、 夢の中で随分と私を労働させているんですね」
「ホントの事言えよ、シュウッ! 昨日まで普通に俺に触ってたじゃねぇか!  呪いって、そんなあとから遅れて効いてくるもんじゃねぇだろ!?  今のは、俺たちが返した呪いなんかじゃないんだろ?!」
「もう少し静かに喋ってくれませんか、マサキ。 貴方の下品な怒鳴り声に耐えられるほど、私はがさつには出来ていないんですよ」
「シュウッ!! いい加減にしろよ!!!」

 カッとなって、気が付いたら怒鳴りつけてた。
 シュウは、冷たい目で俺を睨んだだけだった。

「ここでは、そのように静寂を破壊する行為は、最も憎むべきものです。 次はありませんよ?」

 だけど俺の苛立ちだって、そんな脅しめいた言葉程度じゃ収まらない。

「うるせぇ! シュウッ! 俺はお前が許せねぇんだよっ!」
「ほう・・・? 許せなければ何をすると?  その脆弱な身体で私に向かってきますか? 言っておきますが、容赦はしませんよ?」
「そんなこと言ってンじゃねぇ! 何でウソ付くんだよ!  いつまでも偽物の顔、貼り付けてんじゃねぇよ! 俺はな! どんなに小さいことでも、 お前が自分から『シュウじゃなくなろうとする』なんて、許せねぇんだよ!」

 怒声にして吐き出して、初めて自分の気持ちに気が付いた。
 そうなんだ。俺は、シュウが自分を偽ってるのが許せないんだ。
 あんなに一生懸命『シュウ』であろうとしてるはずのシュウが、 シュウじゃない『シュウ』を演じるなんて、絶対にあっちゃいけないことなんだ。 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 怒りで興奮してドキドキ言ってる自分の心臓の音を聞きながら、俺はシュウを見た。
 シュウは、ただ立っていた。何ごともなかったように、無表情で。 でも、その後ゆっくり眼を閉じて、少しうつむき加減で深く溜息をついた。









「貴方を・・・愛しています」









「・・・・・・・・・・・・え?」

 話がいきなり過ぎて、反応が遅れてしまった。
 そんな俺の様子を気にすることもなく、シュウは勝手に話し続ける。

「貴方を愛しています。今までも、今も、これからも・・・。 ですが、私が貴方を求めるということは、貴方の心を壊すことなのだと、知りました」
「・・・・・・シュウ・・・?」
「ですから、もう二度と貴方に触れることが出来ないように、 私自身に呪いをかけたんです」
「な・・・・・・ッ!」
「マサキ・・・、貴方には、私の一方的な感情を押しつけて、 とても酷いことをしてしまいました。それを赦してもらおうなどとは思いません。 ただ・・・せめて、貴方を想い続けることだけは、許して下さい」
「あ・・・・・・、俺・・・・・・」


 どれ程の想いかなんて、俺には全然分からなかった。
 そもそも、言葉で程度を表せるくらいの想いじゃないのかも知れない。

 分かるのは、絶対に自分を偽らないシュウがウソをついたってことだけ・・・。
 俺のために・・・。


 なのに、俺、なんてヒドいヤツなんだろう?
 シュウを傷付けようとして、乱暴な言葉をたくさんぶつけた。
 俺の言葉はどのくらい、シュウに心に刺さってしまったんだろう?


 自己嫌悪に駆られてる俺の前で、シュウは伏せていた瞼をあげる。


「これで、満足ですか?」


 ゆっくりと俺の方を見る目は、凍り付いているように、表情がなかった。


「こういう言葉を私から聞きたかったんでしょう?  貴方のご要望通り、言ってあげましたよ。これで気が済んだでしょう?  さっさと出て行ってくれませんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 涙がこぼれた。泣いてる場合じゃないと思ったけど、止まらなかった。

 シュウが、泣いてる俺を煩わしそうに見る。
 でも、それさえも演技なんだと分かった。

 シュウは俺のために、俺に興味が無くなったふりをし続けてる。
 俺が自分を責めたりしないように、「シュウが全て悪いんだ」っていう逃げ道を作ってくれている。




 不器用に、本当に不器用に、シュウは優しかった。


 今だけじゃない。

 今までだって、そうだった。

 乱暴だったのは、本当に初めだけ。


 状況は俺にとって辛いものばかりだった。
 たくさん、冷たい言葉を浴びせられたりした。
 でも、その中でだって、ちゃんとシュウは俺を大切にしてくれてた。

 ただ、俺がそれを受け入れようとしなかっただけで。




 俺はすごく強く深くシュウに愛されてたんだって、やっと気付いた。

 それなのに、俺は、頑なに心を閉ざして、そんなシュウの想いを見ようともしなかった。




「・・・ごめ・・ん・・・、シュウ・・・俺・・・ごめん・・・ッ」
「・・・・・・何です?」
「俺・・・約束したのに・・・、シュウのこと・・・好きになるって・・・、 なのに・・・」
「あぁ。あの馬鹿馬鹿しい約束ですか。 あんなもの、最初からまともに取りあってなどいませんよ」
「・・・・・・え?」
「やれやれ・・・どこまでも知能が足りないようですね。 考えてごらんなさい、マサキ? 人は、約束や義務で人を愛するものではないでしょう?  ですから、あのような約束は、最初から不履行が前提になっているんですよ。 そんなことも分からないんですか?」

 態度は高圧的だった。
 俺をバカにするような言葉ばかりだった。
 でもその下で「約束のことなど、気にすることはない」って、そう言ってくれてる。

「俺・・・シュウのこと・・・、嫌ってなんかない・・・」
「・・・・・・マサキ、いい加減にしつこいですよ?」
「俺・・・ずっと、お前の背負ってるもの、 少しでも代わってやれたらって思ってた」
「・・・・・・・・・・・・」
「お前のこと誤解してるヤツがいて、お前を悪人呼ばわりされると、 すごく腹が立った。お前はそんなヤツじゃないって、すごくすごく・・・」
「それはそれは・・・ありがとうございます、マサキ。 こんな私のために憤ってくれて」
「そんな言い方するなよ!」

 いつまでも皮肉っぽい、ひねくれた反応しか返してくれないシュウに苛立った。
 そんなコトしないで欲しい。
 もう、自分を偽るような真似、やめて欲しい。
 そうやって、自分じゃない自分を演じることが、どれ程シュウ自身を傷付けてるか分かるから。

「もう、そんなふうに、 自分を痛めつけるようなこと、するなよ・・・」
「何か、とても勝手な誤解をされているようですね。 言っている意味を理解しかねます」

 シュウは、あくまでも、偽りの態度を崩さなかった。
 「こいつはワケの分からないことばかり言って困る」 みたいな迷惑そうな顔をしているだけだった。
 その後、もう俺の相手なんかしていられない、というように、そっぽを向いて立ち上がる。

「・・・・・・どこ・・・行くんだよ?」

 シュウは答えず、少し俺の方に視線を流しただけだった。
 静かに、本当に静かに歩いて、ドアの向こうに姿を消す。


 俺は、シュウがあてがってくれたこの部屋に、ぽつんの残された。


 本当に出て行けってことなんだろうか?
 開け放たれたあのドアから。


 でも、そんなことを言われても、俺だって困る。
 こんなことになっちまったのは、シュウと俺の気持ちが噛み合わなかったせいで、 シュウが悪いんじゃない。
 だけど、こんな言い方はしたくないけど、結果だけ見たら、 俺はシュウに帰る場所を奪われたってことになるだろう?
 だから、今更出て行けなんて、やっぱり無責任だ。


 でも、俺が帰らなかったら、シュウはまた自分を責めるだろうか?
 俺を帰れなくしてしまったって自分を責めて、 またあんな風に自分にウソをついて、自分を傷付けるだろうか?


 シュウにそんなことさせたくないな。

 「まぁ、何とかなるさ」って笑いながらここを出て行こうか。

 そうだな。そうしよう。
 それから後のことは、その時に考えればいい。

 ラングランにいる皆以外の誰かを頼ってみるってのもありだ。
 ジノさんは義理堅いから、何か協力してくれる。
 ロドニーのおっさんだったら、結構いい加減だから、二つ返事で泊めてくれるだろう。
 どっかでファングに会えたりしても楽しそうだよな。


 ほらみろ、やっぱり「何とかなる」んじゃねぇか。
 ごちゃごちゃ考えてないで、さっさとここを出て行かなきゃ。
 シュウは、ただでさえたくさん背負い込んじまってるんだ。俺までシュウの負担にはなりたくない。




 腹を決めた時、こっちへ近づいてくる足音が聞こえた。 ちょうどいいタイミングでシュウが戻ってきたみたいだ。
 顔を上げて、出来るだけ元気な顔をして、シュウが来るのを待った。







 シュウが来るって、疑いもしてなかった。




 だから、シュウがこんなふうに、 近づいてくるのが分かるほど足音を立てる歩き方をしないことなんて、思い当たりもしなかった。







「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 足音がドアの横に来るのと一緒に、目の前に現れた「赤」に、俺の顔から表情がストンと落ちた。
 頭がついて行かなくて、少し遅れて、いつものように音もなく現れたシュウに、 何が起きたのか訊いてしまった。

「・・・・・・シュウ?」

 「赤」が、少しだけ傷ついたような顔をしていたような気がする。

「飽きたものに長居されては、私も迷惑ですからね。 では、ホワン=ヤンロン、確実に連れ帰って下さい」
「お前に言われるまでもない」

 シュウに促されるのを待っていたように、ヤンロンが俺に近づいてくる。
 目の前に立たれて、俺は、やっとヤンロンを見た。

「・・・・・・ヤン・・・ロン・・・?」

 今更な俺の問い掛けに、ヤンロンはかすかに笑って見せた。膝を付いて俺の顔を覗き込む。

「随分と待たされたぞ・・・。さぁ、帰ろう」


 俺の手を握った手は、大きくてあったかかった。
 俺のどこかでずっと張り詰めていたものが、一気に溶けて崩れそうになる。
 でも、今ここで泣いたりしたら、シュウが傷つくと思った。だから、必死になって堪えた。
 ヤンロンは、そんな俺を、痛々しいものを見るような顔で見つめていた。

「マサキ」
「・・・・・・うん」

 促されて、ヤンロンに手を取られたまま、歩き出す。 足が、重石をつけられたようで、なかなか言うことをきいてくれなかった。
 ヤンロンに支えられるようにしながら、ゆっくりドアへ近づく。
 シュウは、冷ややかな無表情で、俺たちを見ていた。
 その、何の感情も見えない顔が、すごく頼りなくみえた。 寂しそうな、捨てられた子犬みたいな顔に。




 俺・・・、このまま帰っちまって、ホントに良いんだろうか?

 俺がシュウを残していったら、シュウはひとりぼっちになっちまうんじゃないだろうか?




「・・・・・・マサキ?!」

 気が付いたら、俺を支えてくれているヤンロンの手を解くようにして、シュウのところに走っていた。

「・・・シュウッ!」
「・・・・・・・・・・・・・・?!」
「一緒に行こう! な?!」
「・・・・・・・・・・・・・・!!」
「マサキ、何を言い出す?!」
「だって・・・、このままじゃシュウ、一人ぼっちじゃねぇかよ!」

 否が応でもシュウを引っ張っていこうとした。
 でも、さっきの呪いのことを思い出して、シュウの腕を掴もうと伸ばした手を、慌てて引っ込める。

「なぁ、シュウ! 行こう!」

 触れられないって、すごくもどかしいと思った。言葉だけじゃ、想いは全部伝わらないんだな。
 シュウも、こんな気持ちでいるんだろうか?

「何を、永遠の別れの様な顔をしているんです?  煩わしいですよ、マサキ?」

 返ってきたのは、やっぱり偽りのシュウの言葉だった。




 でも、今。
 別れじゃないって言ったよな?


 二度と俺に触れないって思ってるヤツは、そんな言い方しないよな?
 いつかは、今みたいな偽りをやめるつもりだってことだよな?




 俺の考えてることが分かったのか、シュウは俺の視線から逃れるように、踵を返した。

「あなた方の陳腐な茶番は見飽きました。 私はそろそろ研究に戻らせて頂きますよ。さぁ、マサキ、もうお帰りなさい」

 何か言わなきゃ、と思った。

 でも、何を言えばいいか分からなくて、俺は結局黙ったまま、ヤンロンの横へ戻る。
 遠ざかっていく俺の足音を、シュウが背後でじっと聞いているような気がした。




 ヤンロンはきっと、俺やシュウなんかより、ずっと精神的に安定してて強い。

 でもシュウは、周囲が思ってるよりもずっと不安定で気弱で、いつもギリギリだ。
 だから、シュウには、支えが必要なんだと思う。
 俺だったら・・・、シュウの支えになってやれるんじゃないかと、思う。




 でも・・・。

 暖かいヤンロンの手に身体を支えられていると、全身の緊張が解けて、 張り詰めてる心もくたくたになって、俺を丸ごと全部凭りかからせてしまいたくなる。

 きっと、俺自身、シュウのために何かしてあげることができないくらい、疲れてる。




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ヤンロンは、俺がしたことに怒ったりせずに、 黙って俺の身体を元のように支えるようにして抱えてくれた。
 俺は、そっとシュウを顧みる。
 シュウの姿は、もうそこにはなかった。




 自分に楽な選択肢を選んでしまった罪悪感を無視して。
 無かったことにして。
 心の中から消去して。

 そして俺は、ヤンロンと、帰るべき場所への帰途につく。





:::::: NEXT ::::::









幸せにしたい。
幸せになって欲しい。
幸せにしてあげられない。

複雑に絡まりすぎて、
その中で藻掻くことしかできない
ジレンマを抱えたまま・・・。

いま、自分は幸せになろうとしている。






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