人の姿の見えない森まで来て、初めて立ち止まる。額には汗が滲んでいた。
それが、急ぎ足で歩いてきたことに起因していないのは、確実である。
「・・・きしょっ・・・。最低だぜ・・・」
俺の躰は、シオンを抱き寄せ、そのぬくもりを腕に感じる内に、意志とは無関係に、シオンを求めていた。
「とことんまで汚ねぇヤローだな・・・」
自己嫌悪に呵(さいな)まれながらも、下肢に奉仕を加えずにはいられなかった。
熱く燃える欲情を解放すると、不本意ながらもひどくすっきりとした気分になる。
一息ついて、ヴァドへ戻ろうとしたときだった。
「情けないなぁ・・。4勇者の一人ともあろう人が」
ふいに後ろからかかる声に、不覚にも思わず肩をあげた。
が、すぐにきびすを返し、声の主をギッとにらむ。
声の主・・・それは、今俺が一番声を聞きたくないヤツ・・・・。
「何の用だ!?」
「言いませんでしたか? ビルシャナについて、後日お伺いする、と」
「てめえになんざ、金積まれたって教えてやりたくないね」
サーレントの涼しげな目元が、妖艶な笑みを浮かべた。
「実は、ビルシャナとアポカリプス・・・、この二つはどうやら深い関係があるようなんですよね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「そして、アポカリプスの現在の所有者である、シオンさんにもね」
「何!?」
ドクン…
と、大きな音で、一度だけ鼓動が鳴った。
「ご存じでなかったんですね。しかし、知らない方がいいでしょう・・。
シオンさんにはあまりに可哀想な事実だから・・・」
「どういうことだ!!」
言い知れない不安。シオンを更に悲しませる事が起きるような不吉な予感・・・。
「それをあなたに教える義理は、ありませんよ」
「・・・・・・・・・・くっ・・・・」
やっぱり口ではこいつには勝てない。
悔しさに唇をかむ俺に、サーレントが、そよ風のようにゆらりと近づいた。
怪しい笑みを含んだ顔を寄せて、楽しそうに囁いた。
「ただ、あなたが私を抱いてくれるのなら、話は別ですけど・・・?」
「・・・・・・・・なに?」
「私が情報を与え、あなたは快楽を与える。元手がかからなくて、簡単でしょう?」
「ふざけんな」
「どうして? 私はいたって真剣ですよ?」
「お前、変態か? 男のくせに、犯られてえのかよ。
わりぃが俺は、そう言う趣味は持っちゃいねえんだ」
「おや、意外ですね」
「馬鹿野郎。男相手に、俺が勃つかよ」
何でも分かっている、という顔のサーレントに、俺は気分を逆なでされ、
いらだちと殺気と侮蔑とを隠すことなくぶつける。
「これはこれは・・・。シオンさんに聞かせてみたい台詞ですね。あんな事をしておいて」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「見せてもらいましたよ、じっくりと。あなたがシオンさんの躰の、どこに何をしたのか。
シオンさんに、どんな汚いことを教えたのか」
「キサマっ!!」
「ふふ・・・、良い声で泣いたんでしょうね? あなたはとっても上手そうだから」
挑発されているということなど分かっている。
分かっていながら、俺は、躰の芯が熱に戦慄くのを抑えられなかった。
「やめろ! それ以上、きたねぇ頭でシオンのことを考えるんじゃねえ!!
あいつはそんな奴じゃねえんだよ!!」
「確かに、ほんの少し前まではそうだったでしょうね。そう、あなたが彼を抱くまでは」
「馬鹿野郎!! 見くびるんじゃねぇ!! 俺は嫌がってる奴を無理に抱くほど堕ちちゃいねえんだよ!」
「・・・・・・? おや、抱いてなかったんですか?
ふふふ・・・、それじゃあ、私が初めてって事になりますね」
「てめ・・・・っ!」
「それはいい味でしたよ。処女のような手触りで」
「キサマ、それ以上余計なことぐだぐだ喋りやがると、ただじゃすまねぇぜ!」
「人のことを言えるんですか? あなただって似たようなことをしたくせに。
私だって、助け起こそうとしただけなのに、あんな顔をされては、つい変な気分にもなりますよ?
シオンさんにあんな、幼い子供のような顔をさせるようにしたのは、誰なんですか?」
揶揄するような問いかけに、まるで燃えるようだった躰の奥が、急に冷えていくのを感じる。
冷やしたのは”自己嫌悪”・・・・・。
「・・・・・・俺だ・・・」
心を押しつぶされるような苦しさが、呻きに近い声になって外にでる。
「ほら、どう頑張ったところで、私とあなたは同類なんですよ」
「違う! 確かに俺は、シオンの躰に触ったさ。けど、お前みてえな野郎とは違う」
「往生際の悪い・・。いい加減認めたらどうなんです? 汚くて、汚らわしい邪な躰だとね」
「あぁ、汚ねえし汚らわしい野郎だ。だけど、だからこそ、シオンを抱けねえんだ。
あいつみてえなきれいで、何にも知らねえやつは俺には勿体ねえんだよ」
「ずいぶんときれい事を言ってくれますね。
そんなこと言ったって、シオンさんが良いと言ったら、欲情して襲いかかるでしょうに」
「抑えた! あいつは良いって言ったが、俺は抱かなかった! 抱けるわけねえだろ?
俺がひでえことしてるのに、許してくれるような奴、抱けるわけねえだろ!?」
抑えたからといって、自分の罪が消えるわけではないけれど・・・。
泣きたくなるような哀しみと罪の意識が、情けないくらいに俺の声を凍り付かせる。
「お前みたいな、心底腐りきった野郎には分かんねえだろうがな、俺は、あいつ犯すくらいだったら、
この邪魔っけなもん、切り落としてやるよ!!
お前には一生分かんねえさ。俺はな、あいつが一番大事なんだよ!
あいつのためだったら、何だって堪えられるんだよ!」
「・・・・・・・・は・・・、馬鹿みたいだ・・。
今時、そんな台詞を言える人がいるなんて、思いませんでしたよ」
「笑いたけりゃ、笑えばいいじゃねえか。けどな、お前よりはましだと思うぜ?
肉欲の固まりみてえなお前よりはな」
「肉欲の固まりですか。確かに、そうですね。
・・・だが、私だってなりたくてこんな躰になったんじゃない!
生きるために、しかたなく身を売ったんだ!」
突然激情を解放したサーレントに、俺は、らしくもなくほんの一瞬うろたえる。
「それこそ、シオンさんにしたのよりももっと酷い目にも遭わされたことだってある。
金も出さないで、抱いた奴だって!
こんなつらい思いをして必死で生きてきた私が、こんなに汚れた躰なのに、シオンさんは・・・!」
サーレントの泣き言を聞いた途端、不意に脳裏が怜悧なくらいにさえ渡っていくのを感じた。
この数日に起きたことの全てを悟った気がした。
「・・・・・・・・・結局、お前、自分が可愛いだけじゃねぇかよ」
「なに!?」
「だって、そうだろ? 自分だけがそんなだから、何も知らずにきれいなまんまのシオンが、
妬ましかっただけじゃねぇかよ! そんなの、お前のエゴ以外のなんでもねぇじゃねぇか」
「だって、理不尽じゃないか! つらい思いをした私ばかりが、損をして!
恵まれて生きてきたシオンさんばっかり、きれいな道を歩いて!」
きれいな道・・・?
そうだっただろうか?
・・・・・否。
サーレントの何気ない言葉が、俺の心を細く鋭く貫いた。
「・・・・・シオンは、恵まれちゃいなかったよ」
いつも日の当たる場所だけを歩いていて欲しかった。
だが、城へ仕えるようになる前のシオンは、決して正業を営んでいたとは言えない。
無論、悪事に手を染めていたわけではない。
しかし、野生の獣が獲物を狩るような貪欲な影を背負っていたシオンの帯びた気は、
明らかに「闇」だった。
「俺は、ずっとあいつを見守ってきた」
全てのことに対して幸せであって欲しいとは思わない。
ただ、最悪のことさえ起きなければそれで良かった。それなのに・・・
「あいつな、目の前で父親を魔物に喰い殺されてるんだ」
「・・・・な・・・!」
サーレントの顔に溢れていた憎悪の色が、一瞬して凍り付く。
「いっそ父親なんて初めからいなかった方が良かったさ。あんな光景を見るくらいなら・・・。
たったの4歳だぜ? 何であの時にあいつがあんなモノ見なきゃいけなかったんだよ?」
「・・・シオンさん・・・一度もそんな・・・」
「言うわけねえだろ、あいつが。同情を求めるのを許すほど、あいつは自分に甘くねえんだよ」
サーレントは、俺が言った言葉を、安易に脳裏で想像してしまったらしい。
口元を抑えると、うずくまりかけた。しかし、その衝撃をうち消すようにうめく。
「・・だが、母親がいる・・・!」
「お袋さんも14の時に死んだ。ずっと病気で、あいつ、それこそ自分の食べるものすら惜しんで、
お袋さんのために稼いでたけど、どうやっても治らねえ病気だったらしい」
「・・・・・」
「4歳の時はさ、泣いていいぞ、っていったら、それこそ目が腫れるくらいに泣いたけど、
お袋さんの時は、全然泣かなかった。もう、自分に、泣くことも許せないほど、
自分に厳しくなってやがった」
「・・・・・・・・」
「泣きたくても、泣けなかったんだよ、あいつは・・・」
「でも・・・でも、シオンさんは、あなたやダグさんや・・・それこそ大勢の人に愛されて、
大事にされてる! 私は、ろくに愛された覚えがない!」
「それはよ・・・。こんな事言ったら、お前、傷つくかも知れねえけど、お前のせいだぜ?」
「な・・・・・」
「シオンは、自分を愛さないんだ。自分を愛さずに、他の全ての人を、全員愛するんだ。
ダグだけじゃなく、町の人も、城の人も全て・・・。
その人達を護るためなら、無条件で自分を犠牲にしちまうんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「お前は、自分が可愛くて、誰かに愛して欲しい。そればっかりだろ?
愛してくれない奴を愛してやるほど、人ってのは余裕のある生き物じゃねぇんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・」
「シオンを見てて、愛される奴ってのが、よく分かった。
見返りすら求めねえ愛をもらって、愛し返したくならねえ方が、おかしいんだよ・・・」
終わりの方は、果たしてサーレントに向けて言った言葉だっただろうか。
自問すれば、答えは「否」と返ってくる。
俺はサーレントと話しながら、自分でも恐ろしいくらい冷静に「シオン」という存在を再確認していた。
今自分が言った関係が、決して歪めるべきでなかった「シオン」との在り方だったのに・・・。
罪悪感、という甘いレベルのものではない苦みが、腑を焼き切るような勢いで渦を巻いている。
俺はそれを、僅かな贖罪の欠片として、腹の底でじっと受け止めていた。
俺の言葉の示した意味に気付かないサーレントではないだろう。
おそらくこいつもまた、歪めてしまった一人なのだから・・・。
俺は、そのまま何も言わずに背を向けた。
サーレントが動く気配は、ない。
そう思った途端のことだった。ふいに後ろから強くぶつかられる。
「ぅわっ!!」
虚をつかれては、流石に俺だって何事もなくは済ませない。つんのめるようにして前に倒れる。
その上から押さえつけるように、サーレントが覆い被さってきた。
「な・・・なにすんだ!」
「あなたが言うことは、全て正しいのでしょう。だから、私はあなたの言葉に従ってみたい。
誰かを愛したいんです」
「それと、いきなり俺を突き飛ばすのと、どういうかんけ・・・・・・」
俺が憮然として言い終わるよりの先に、サーレントの手が無遠慮に俺の下肢を探り始めていた。
「てめえ! 何考えてやがるんだ!」
「まず、あなたを愛してみよう、そう思ったんです」
「だーっ! 放せよ! 俺はそういう趣味はねぇんだ!」
サーレントの技巧的な指が、本当に俺を刺激し始めたのに、俺は真剣に慌てた。
押しのけることでやめさせたが、とっさのことで、力のコントロールがいささか狂った。
押しのける、というより突き飛ばすという表現の方が正しかったようだ。
それでもなお、すがろうとしてくるのを、今度はしっかりと振り払った。
泣きそうな顔で俺を見つめてくるサーレントに、俺は強い怒りを覚えた。
サーレントが俺に対してしようとしたことにではなく、
そんなふうに自分を大切にしようとしないサーレントにだ。
思わず叱るように怒鳴りつけた。
「馬鹿なことすんじゃねえ!」
「それじゃ、どうしろっていうんですか! 私には、これ以外に方法を見つけられない」
サーレントは、今までのふてぶてしい態度がウソのように、顔を覆ってか細く泣き始めた。
その脆弱な姿に、さすがに俺も言いすぎたと思った。
「な、なにも泣くこた、ねえだろ? 他に、方法がみつからねえっていってもよ、
俺だって、どうしたらいいか、わかんねえし・・・。
いや、ちょっと言い過ぎたかも知れねえ。すまん、謝るから・・・」
「結局、誰も私を救ってはくれないんですね。ずっと、そうでした。
小さい頃から、こんな酷い生活がいつまでも続くはずがないと、ずっと信じていたけど・・・」
「あ、あのさ・・・・」
「いいえ、別にあなたを責めているわけじゃないんです。
誰かの助けを待っていても仕方ない、そう思って・・・・」
ゆっくりと立ち上がったサーレントは、かすかにほほえみを浮かべていた。
「あなたは、本当に、シオンさんしか、見ていないんですね・・・・・・・・」
「・・・・・・何がいいてえんだよ・・・・」
「申し訳ありませんでした、シオンさんのこと・・・・・。
今思うと、何故あんな事をしてしまったのか、私にもよく分からない。・・・ごめんなさい」
それだけ言うと、サーレントは背を向け、ゆっくりと遠ざかっていく。
その背が、俺とそしてシオンとの関わりの一切を拒んでいた。
だが、俺にはその頑なに見える拒絶の壁は、薄氷のように脆いものに見えた。
・・・・お前のその方法は、多分、間違ってンだよ・・・・。
どこか、自分と重なるところがある。そう感じてしまうと、もう他人事には思えなかった。
「シオンに・・・・・・会っていくか?」
自覚はしていなかったんだろうが、心の底でずっと一番待っていた言葉だったんだろう。
サーレントは何も言わず、顔を覆うと、再びその場に泣き崩れた。
NEXT>>
|