『傍迷惑な女達』番外編
密会
「バーボン、ダブルで」 ホテルのバーカンターに腰掛けてオーダーをすると、バーテンは「畏まりました」と静かに一礼する。 こう言った場所に来るのは久し振りだが、相変わらず日本はスタッフのマナーがいい。 出て来たグラスの香りを嗅いで一口含む。 フォアローゼスか・・・日本ではこればかりだな。 「ワイルドターキーは置いてないのか?」 「ございます。8年物ですが、宜しいでしょうか?」 頷いて、グラスを戻す。 最初から指定するべきだったか?と思いながら再度差し出されたグラスを口に運ぶ。 舌で転がしてから喉を焼くような感覚に満足する。 こちらを窺っているバーテンに頷いてそれを伝えると私から離れた。 平日のバーラウンジは閑散としている。 静かでいい。 だが、目を閉じると目眩がしそうだ。 少し、疲れているのかもしれない。 日本とステイツとの行き来が多過ぎる所為だとはわかっているが、こればかりはどうしようもない。 ふと、袖口のカフスに目が留まる。 『あまり、無理をしてはお身体を壊されますよ』 カフスに付いた青い石と同じ名前の女の言葉が思い出される。 だが、そう言った女は私より先に身体を壊して死んでしまった。 何とも皮肉な事だ。 もう14年も経つ。 このバーボンよりも年を経ていれば子供達が大きくなるのも当然か。 あの小さかった和晴も成人して『お父さん』などと言うようになったし。 あれほど私に反発していたのに、好きな女の為なら其れすら厭わないとは。 靖治にしても、私よりも大きくなって、好きな女の為に初めて私に反抗してきた。 兄弟揃って良く似ている。 一途な所は母親に似たのか? 静香は、外見はともかく中身が私に似ているようで困るが。 あれで恋人が出来るのか先行きが不安だな。 和晴は一人前になるまで時間が掛かるだろうし、靖治も静香も大学に入ったばかりではまだまだ手が掛かる。 ふぅーっと息を漏らすと、声が掛けられた。 「お待たせしたかしら?」 振り返ると、彼女が立っていた。 「いや、別に」 そう?と笑って隣に腰掛けた。 幾度か遠くから見掛けた事はあったが、これだけ近くで顔を合わせるのは随分と久し振りだ。 「相変わらず君は綺麗だな」 同じ様に年を重ねている筈なのに、初めて会った時とあまり変わらない様な気がする。 「あら?随分とお世辞が上手くなったじゃないの?昔と違って」 彼女が私の言葉を明るく笑い飛ばす。 これも相変わらずだ。 どんなに褒めても笑って本気にしない。 決して私に靡かなかった女性。 今ではもう若い頃の様に『欲しい』といった気持ちはないが、逢えばあの頃の思いの残滓が呼び起されて懐かしい。 「何を飲む?」 尋ねると、しばらく考え込んでから。 「あたしは、そうね・・・グレープフルーツジュースでもいただこうかしら?」 その答えに驚いた。 「君はかなりの酒豪だった筈だが」 赤い顔をしながらも、男と飲み比べて負けた事が無かったような。 「ん〜?あたしも年を取ったのよ」 苦笑いを浮かべた彼女は運ばれてきたジュースのグラスを持ち上げた。 「えーと、何に乾杯しましょうか?再会を祝して?それとも我らが子供達の未来を祝して?」 私の前にも新しいグラスが運ばれて、それを持った。 「まだ未来を祝うには早過ぎるだろう?あれはまだ学生だ」 私が訝しげにそう言えば、彼女は笑った。 「ま、そうかもね。では再会に」 グラスをチンと合わせて煽る。 お互いに飲み物を口にして一息吐くと、彼女から話を切り出した。 「今回のお見合いのお話だけど、どうして一番上の息子から話をもってこなかったの?お陰で何だか色々とゴタゴタしたみたいだわ」 そう言われても。 「君の家は婿養子を欲しがっていると思ったのでね」 和晴は婿養子には向かないし、その気もないと思ったからだが。 「あら?一番優秀な息子を出し惜しみしているのかと思ったわ」 彼女の言葉に少々ムッとする。 「私の息子はどれも優秀だ」 確かに和晴は別格だが、靖治も杜也も不出来な訳ではない。 「やれやれ、そんなに自慢の息子達なら、どうしてちゃんと籍を入れてあげないの?」 呆れた様な彼女の言葉に、最初の失敗が思い起こされる。 若い頃に周りに勧められるまま、財産と家柄が釣り合う家から迎えた妻。 まだ若かったからか、お互いの立場を主張するだけで破局した結婚。 「結婚は一度で懲りた」 和晴達の母親との結婚を考えない訳でもなかったが、彼女は最後まで使用人の立場から抜け出ようとはしないまま自ら出て行った。 身分とか地位とか、色々と下らないものを気にしていた彼女を強引に連れ戻しても意味がないと思っていたら、あっけなく亡くなってしまった。 後悔しても彼女が生き返る訳ではない。 昔、結婚していたリリスがそうであったように。 「ふうん、それにしては種を撒き散らし過ぎじゃないの?」 存外に遊び過ぎだと言われているようだ。 別に撒き散らしている訳ではないが。 「だから懲りたんだ」 杜也の母親の真理はただ一度の付き合いで付き纏って煩かった。 未だに諦めていないらしいが、あれは本当に失敗だった。 あれ以降は子供を作るような真似はしていない。 「ま、そんな最低な父親をもっているにしては彼は良く出来ているわよね。和晴クンだっけ?頭はいいし、顔も悪くないわ。それにあたし達に挨拶した時もなかなかどうして立派だったわ」 私がステイツに行っている間に杜也と彼女の娘の見合いを予定していたが、和晴が直前になってそれを止めてくれと言い出したのには驚いた。 それもその娘と付き合っているからという理由で。 それなら靖治との見合いが持ち上がった際にそう言えばいいものを、ギリギリまで黙っているから直接話を付けに行く羽目になる。 お陰で戻ってくるなり、真理がまた煩く文句を言って来るし、散々だ。 まあ、子供の尻拭いは親の責務だが。 「さっきも言ったが、私の息子だからな。当然だ」 「そのご自慢の息子さんを虜にしたあたしの娘も大したものだわ。うふふ、流石はあたしの娘」 彼女が楽しそうに笑いながらそう言った。 「君の娘はあまり君に似ていないようだが」 見合い写真を見た時にそう思った。 「そうね。あたしよりは主人に似ているかも。美人で優秀で性格もいいのよ〜あなたの息子さんは果報者よ、クリフォード」 娘を自慢すると言うより、パートナーを自慢しているように聞こえる。 そんな所も相変わらずだ。 「君達夫婦は相変わらずのようだな」 留学中に誰に口説かれても靡かなかった彼女は帰国すると年下の従弟と結婚してしまった。 婚約していた訳でもなさそうだが、血族間での政略婚かと思いきや、いまだに仲が良いらしい。 「そりゃそうよ〜最愛の旦那様だもの。彼だってあたしに夢中だし〜。この間もあなたの息子に父親の威厳を見せた一発はカッコ良かったわぁ〜それもあたしに見限られない為ですって!うふふ」 彼女の惚気には呆れるが、聞き捨てならない一言があった。 「父親の威厳の一発とは?」 「あ、そうそう。主人が和晴クンに一発、ね」 「殴ったのか?」 「だって、葵を、うちの娘を泣かせたんですもの、当然でしょ?」 私ですら和晴には手を上げた事が無いのに。 「暴力とは感心しないな」 抗議する私に彼女は反論する。 「あら?娘を持つ父親としては当然の事だわ。あなたにもお嬢さんがいるから判るでしょ?自分の娘が泣かされたら、その相手を一発ガツンとやりたくならない?」 娘ね・・・ライラと静香が男に泣かされたら・・・二人ともその逆はあっても泣かされる事はなさそうだが。 「想像もつかないから判らんな」 正直な感想を漏らすと、呆れた声が帰って来た。 「ダメな父親ねぇ。年頃の娘を持っているなら、もっと気を配らなきゃダメよ。親に隠れて何をしているか判ったもんじゃないんだから」 そして溜息を吐いた。 「もっとも、今回の事はあたしも気付かなかったから、母親としては失格なのかもしれないけど・・・まさか娘があんなに家に縛られてるとは思ってもいなかったから」 そう言えば、和晴が私に話をした時、彼女の娘は婿養子を取るつもりだから、向こうから見合いを断る事はしないだろうと言って、こちらから話を失くせと言ってきた。 「いいのか?婿を貰わなくて?」 私の問いに彼女は笑って答える。 「んふふ、家名を継ぐだけなら和晴クンに婿養子になって貰うって言う手もあるのよ?会社なんて相応しい能力のある人が継いでいけばいいだけなんだから、血族に拘る必要はないし」 彼女は私の顔を覗き込むように見る。 「それはあなたの所も同じでしょう?クリフォード」 まあ、そうだが。 「可愛い自分の子供には好きな道を歩ませたいものだものね」 和晴も靖治も既に自分の将来を決めている。 ライラや静香や杜也はどういうつもりなのかは解からんが、自分で好きな道を選んで欲しいとは思っている。 「まあな」 喉に流し込んだバーボンの熱を感じながら、子供達が選んだ道が私から離れて行く事であっても仕方ないと思う。 静香はこの前、ずっと私の傍に居るなどと言っていたが、果たしていつまでそう言ってくれるのか。 きっと好きな男が出来たら、あっけなく嫁に行くような気もする。 「ふふっ、あなたにもちゃんと父親らしい所があったのね。クリフォード」 彼女に指摘されて何となく不愉快になる。 「失礼な事を言うな君は。さっきから人の名前を妙な形で呼び捨てにするし」 「あら、長年の友人を名字で呼び捨てにするのは別におかしくないでしょ?」 彼女の感覚は相変わらずおかしい。 「それは日本人の場合だろう?英語圏で呼び捨てにするのは普通ファーストネームの方だ」 昔から私の姓を呼び捨てにする所が気になって何度も指摘したのに、未だに直そうとしない。 「君も5年も向こうで暮らしていたのだから、それくらい知っている筈だが」 「でも、あたしは日本人だし。あなたも日本に長いコト居るんだからいい加減慣れたら?郷に入っては郷に従えって言うでしょ?」 悪びれもせずに彼女が言い返してくる。 「君が向こうに居た時にもその言葉が言えるのか?」 5年も滞在していた癖に、あちらの習慣に一つも慣れようとしなかった君が。 私が睨みつけても彼女は平然と肩を竦めただけだった。 「肌に合わない習慣ってあるものでしょう?」 まったく。 「君は本当に呆れるほど昔から変わらないな、青華」 彼女は小さく舌を出して見せた。 いい年をしてそんな子供じみた仕草までに合うとは。 無邪気と言えば聞こえがいいかもしれないが。 「君のご主人の苦労が偲ばれる様だよ」 よくこんな女性と長年連れ添っていられるものだ。 「あら、そっちこそ失礼ね。さっきも言ったけど、主人は昔からあたしに夢中なんですからね。苦労なんてしてる筈ないでしょ!」 憤慨した彼女は次第に惚気話を始める始末。 「今でもあたしの為にいつでもピアノを弾いてくれるし。ふふっ、専属ピアニストがいるのって気分が良いモノよ〜」 思わず皮肉の一つも言いたくなる。 「昔から君は音楽的な才能には恵まれていない様だったからな」 母親が歌手だったとか言っていたが、彼女の歌は酷いものだったし。 「う、うるさいわね!あたしはともかく、娘にはちゃんと音楽的才能は引き継がれてるわ!」 「成程、そこもご主人に似たのか」 私の嫌味に彼女が遂にキレた。 「あー!もう!アンタってば相変わらずあたしをバカにして!そんなんだから次々と女を作っても次々と捨てられんのよ!」 人が密かに気にしている事を指摘するとは。 「君こそ失礼な発言は慎みたまえ」 私が彼女を睨みつけると、彼女も負けじと睨み返してきたが、ふっと笑った。 「何だか、懐かしいわね」 そう言えば、昔もこんな風によく言い合いをした。 「ああ、そうだな」 私も視線を彼女からグラスへと移した。 昔、留学生だった彼女とこうした諍いをよく起こした。 負けん気が強い彼女をからかうとその反応が楽しくてついつい調子に乗って諍いに発展してしまった。 もっと素直になっていれば、今とは違った未来があったのだろうか? いや、彼女は幼馴染みの従弟以外に目を向けなかっただろうから、それはないだろう。 それに、もし私と彼女が結ばれていたら、子供達が生まれなかった事になる。 それは困るな。 「ま、これからはもしかして親戚になるかもしれないんだから、仲良くしないといけないわね」 彼女の言葉に苦笑する。 「喧嘩腰になるのはいつも君の方からじゃないか?」 私がそう指摘すると彼女は一瞬、言葉に詰まった。 「うっ・・・こ、これからは短気を起こさないように心掛けるわ」 娘の為に努力しようと心掛けるのは結構だが、果たして成果があるのか、甚だ怪しいものだ。 「まあ、それが無理なら、今後は君のご主人にも同席して貰うといい。長年、君を上手く乗りこなせているのだから私と一緒でも落ち着いて話が出来るだろう」 二人っきりで会うから駄目なのかもしれない。 「そうね、妙な噂になっても困るし」 噂ね・・・彼女が鈍いのも相変わらずだ。 私達がとっくの昔に噂になっている事も知らないらしい。 私の離婚が彼女に出会った為だとか、私が日本に居るのも彼女に会いたい為だとか、私が結婚しないのも彼女の所為だとか、そう言った事実無根のくだらない噂を。 あまりにも馬鹿馬鹿しくて否定する気も起きなかったから放って置いたが、子供達がそれを耳にして気にするのも困るな。 いや、もしかして、もう既に聞いているのか? 靖治はともかく、和晴や静香は今回の見合いに関して妙に気にしていたし。 成島の家との見合いは、あの家の事業に少しでも食い込めればと思ったからなのだが。 あの家は未だに一族で経営を担っているから。 彼女が血族内で結婚した事によって、一族の結束は固いし。 しかし、今更それを話した処で誰も信用しないだろうな。 「そう言えば、聞いたわよ。あなた、子供の名前を自分で付けたんですって?凄いじゃない!子供が生まれた時はまだ日本に来てそう経っていなかったでしょうに」 それは・・・深く追求されると少々困るが。 「私は勤勉家だからな、君と違って」 「またバカにして!」 憤慨する彼女を余所に、あの頃の事を思い出すのは恥ずかしい。 何しろ、和晴が生まれた時は実はまだあまり日本語に詳しくなかったのだが、瑠璃に頼まれて考えたのは、生まれた日が晴れていたからというだけ。 靖治と静香は双子で生まれた所為か未熟児で、健康になればと思ったのとあまりにも泣き叫んでいたので大人しい方が女の子はいいと思って付けたのだが、靖治は大きくなり過ぎるし、静香は母親が亡くなると口が利けなくなるほどになってしまった。 日本語の名前の効能は侮れない。 杜也は真理が勝手に付けてくれたので正直助かった。 ライラに至っては、私が口を挟む権利も義務もなかった。 和晴達が自分の名前の由来について尋ねて来ないのはありがたい。 「もし、孫が生まれたらまた考えてあげるの?」 それはいつの話だ? 「子供の名前は親が考えるべきだろう」 日本語の名前を考えるのはもうゴメンだ。 |
Postscript
親父救済策第二弾のお話は青華とのデート?で(苦笑) ホテルのバーラウンジで二人仲良くお酒を飲みながら大人の話を・・・する筈もなく、二人で子供と旦那の自慢大会(笑)とガキのような喧嘩してるだけです。 今、明かされる以外過ぎる真実! 親父は親馬鹿で、情熱家でも何でもなく、去る者は追わずの人で、冷静な実業家でした。 子供の名前については、こちらが正直後付けの理由ですが、誤解されたままと言うのが面白いなと思ったのです。 和晴カワイソ。 この会合はどちらが誘ったのか? 最初は親父にしようと思っていましたが、話の雰囲気からして青華かな? どちらでも構わないかな?とも思っていますが。 アメリカ人ならスコッチよりもバーボン飲め!(偏見) 私も野生の七面鳥が好きです。香りが良い。 実は青華がジュースを頼んだのには理由があるのですが、それをバラすか意味あるものにするのか迷っているのでネタバレなしの方向で。 これが飛び道具になる予定でしたが、どーすっかなぁ? 「王様と私」でもチラリと出て来ましたが、和晴達の母親の名前が瑠璃。 親父のカフスボタンに付いている石がラピスラズリで同じ名前と言う意味です。 カフスは装飾品ですから、それだけを愛用している訳ではないと思いますが、瑠璃から贈られた遺品の一つというのも悪くないな。 ライラの母親の名前がリリス。杜也の母親の名前が真理です。 親父と和晴達の母親は色々悩んで考えて『ご主人さまとメイド』とゆー関係になりました。 上司と部下でも客とホステスでもいいかなぁと思いましたが、瑠璃が最後まで『旦那様』と呼んでいたらオイシイなと思ったので(マニア過ぎ) そうすれば、和晴達が生まれた時にはあの家に居たのに無理が無いし。 使用人との子供と言う事で、岳居のオバサンは和晴達を見下しているのです。 瑠璃を追い出したのが彼女でもいいかな?と思ってますが、彼女が出て行った理由はそれだけではないのでしょう。 何れにしても子供まで作った間柄の女性を守り切れずにいた親父は次々と女性に捨てられても仕方のない人です(大笑) ここで実は親父はライラについても考えていない訳ではない事が発覚! しかし、彼は彼女に付いて口を出す権利が無いと思っているので無視しているように見えるだけで、心に留めてはいる様です。 ちゃんと見てないと、娘が泣いているのに気付かないぞ〜! こんなに可愛がっている子供にまで誤解されてかわいそうな人ね、と思っていただければ、管理人の目論見は成功です。 2009.7.31up |