魔女の涙
それは私が2年間の研修医期間を終えて、後期研修と呼ばれる専修医になって2年目に入った春の事だった。 今年の研修医が紹介された中にヤツが居た。 「今月よりこちらでお世話になります。峯下杜也です」 そう言ったヤツは私を見つけると、口元だけを上げただけの何とも言えない嫌な笑い方をした。 研修医の研修先は山程あるのに、どうして同じ病院に来るのか? 私は運命の神様にとことん嫌われているらしい。 「お久しぶりですね、静香さん」 コイツは私達兄弟の事を『さん』付けで呼ぶ。 最も、『お兄さん』や『お姉さん』と呼ばれた所で、嬉しくも何ともないけど。 半分しか血は繋がっていないのだから。 「お久しぶりね、杜也さん。ところで『峯下』とは?」 コイツの母親の名前は『岳居』だった筈。 「母が結婚しまして」 あ、成程。 あの女もお父様が亡くなってやっと結婚する気になったのか。 しかし、あの年でよく貰い手が見つかった事。 確かに、見た目は悪くなかったけど、派手でも。 こんなデカイコブ付きでも結婚しようとは、お相手の方は相当出来た方なのね。 「それにしてもどうしてここへ?あなたなら大学の付属病院に行くとばかり思ってましたわ」 そうよ、コイツは宛て付けがましく国立大の医学部を出ている筈なんだから、付属病院で研修するのが筋と言うものじゃなくて? 「私は父の病院を継ぐ予定ですので、開業医になるならこちらが向いてますよ」 ははん、あの女は医者と結婚したのか。 成程、成程、地位と権力に弱い処は変わっていないのね。 「そう、頑張ってね」 コイツが私と同じ病棟に居るのは1ヶ月だけの筈。 一か月の辛抱よ、私! 「よろしくご指導下さい。静香さん」 先輩か先生と呼びなさいよ! と言い返したかったけれど、ニッコリと笑顔に包んで押し隠す。 あ〜!もう!神様のクソッタレ! 「あっ!魔女が来たぞぉ」 私に気付いた子供がそう叫んで病室のベッドへと逃げる様に戻る。 他の子供達も慌ててベッドに戻るか、毛布を頭から被る。 「魔女?」 怪訝そうに聞き返さないで欲しいわ。 「私、子供達に嫌われているのよ」 肩を竦めてそう答える。 医者なんて、痛い注射を打つ人というイメージが強いものですものね。 子供には私の笑顔は通用しないらしいし。 小児科病棟の回診に何でコイツが付いて来るのか。 つくづく、私は神様に嫌われているらしい。 小児科には怪我や軽い病気といった短期入院の患者が多い。 けれど、重病の長期入院している子供も当然いる訳で。 「幸人クン、具合はどうかな?」 笑顔が通用しない子供に笑顔を振りまく必要はないので、淡々と尋ねる。 高橋幸人クンは既に1年も入院している6歳の子供でベッドから出る事も出来ない。 「・・・へいきです」 この子はいつもこう答える。 傍に居る母親に視線を投げると、首を振って静かに否定した。 母親も疲れた顔をしている。 長患いは、患者本人もそうだが、周りの家族も疲弊してしまうから。 カルテを見ると、昨夜は深夜に何度も発作を起こしてよく眠れなかったらしい。 「そう、平気なら新しいお薬を注射しても大丈夫ね。すご〜く痛いけど、幸人クンなら我慢出来るよね?」 ニッコリ笑うと、幸人クンは見る見るうちに涙を溜め出した。 「や、やだ・・・いたいのヤダ!ヤダよぉ〜」 そう叫んで大きな声で泣き出した。 ふっ、素直に最初からそう言えばいい物を。 「よろしい。正直に答えた子には痛くない注射をしてあげましょう」 私は看護師から受け取った注射器を素早く消毒した腕に射す。 「どうかな?痛かった?」 唖然として泣き止んだ幸人クンは「いたくない」と呟いた。 「先生の言う事に正直に答えたご褒美よ。これからも痛い時や苦しい時には我慢しないで正直に言うのよ?」 子供でも看病している母親に気遣って痛みや苦しみを素直に言えずに我慢する子は意外と多い。 病状を素直に申告して貰えなければ医者として判断する事は難しい。 「せんせいはやっぱりまじょなんだね」 幸人クンは泣きべそをかきながらもそう言った。 失礼な。 「いたくないちゅうしゃができるなんてすごいや」 そう言って笑った顔に私は言葉に詰まる。 ・・・可愛い事を言ってくれるわ。 幸人クンのベッドを離れると、背中にドンとぶつかるものがあった。 「魔女め!幸人を泣かせたな!」 この病室で一番年長の10歳のガキ大将を気取る将真クンだ。 私に歯向って来るとは中々いい度胸をしているわ。 虐められたノブを助けに来たカズ兄を思い出させる子。 「君も先生の痛い注射が欲しいの?」 ニッコリ恐怖の笑顔を浮かべると、流石に少し怯んだけれど 「オ、オレは注射なんか怖くない、ぞ」 あらあら、語尾が少し震えてるわよ。 「その勇気に免じて、注射は勘弁してあげましょう」 元々、この子に注射する予定は無いし。 病室を立ち去る私に将真クンの遠吠えが響く。 「今度、幸人を泣かせたら承知しねぇからな!」 うんうん、弱きを助け強きを挫く、その精神だけはかってあげるわ。 「人気者ですね」 折角のいい気分を台無しにする言葉だわ。 私が嫌われているのが今ので良く解かったでしょうに、嫌味を言うなんて。 「そうなのよ。私は人気者なの」 嫌味には嫌味で対応よ。 ニッコリ笑って言い返せば・・・見上げなければならないこの角度が嫌だけど・・・コイツはニッコリと笑い返して来た。 フン!そんな笑顔に釣られるのは隣に居る看護師ぐらいのもので私には通用しないわよ。 急変というものは大抵、夜中に訪れる。 当直の私は非番の部長を呼び出し、先輩達の手を借りて色々と処置を施した。 けれど、長い闘病生活に体力が落ちていた幸人クンが耐えられる発作では無かった。 「せんせ、くるしいよぉ」 必死で訴える幸人クンに私達は何も出来ないままだった。 酸素マスクから漏れる短い呼吸音は途絶え、心拍も止まった。 「4時21分。ご臨終です」 部長が時計を見てそう告げる。 泣き崩れる母親を支えながら、父親が涙を零しながら「ありがとうございました」と声を絞り出す。 私達は黙って頭を下げる事しか出来ない。 医療は進歩している。 救われる人も多いが、救えない人が無くなった訳ではない。 こんな時には無力感を感じてしまう。 幸人クンは頑張っていた。 辛い治療にも耐えて泣き事をあまり言わずに・・・まだ6歳だったのに。 今年は小学校に行くんだと、嬉しそうに言っていたのに。 病院の屋上から庭の桜の木を見下す。 最近の桜は咲くのが早いから、もう散ってしまっている。 今年も花見は出来なかったわ。 「凄い顔ですね」 チッ、選りにも選って、どうしてコイツがこんな所に来るわけ? 今まで暗いからと思って安心していた空は、既に明るくなり始めていて、顔を隠すのももう遅い。 私は手を差し出した。 「なんですか?」 バカね。 「こう言う時、男は黙ってハンカチでも差し出す物でしょう?」 情けないけれど、私は涙だけじゃなくて鼻水まで出ているんだから。 「生憎と持ち合わせが無くて」 肩を竦めるヤツに「使えないわ」と呟いて、ポケットから自分のものを出して鼻を噛む。 「自分で持っているなら僕に聞かないで下さい」 呆れたヤツの言葉にフンと鼻息で笑う。 「自分のものが汚れるのは嫌なのよ」 結局、自分のものを汚してしまったけれど。 あ〜あ、これからも頑張らなくちゃ! こんな事で沈んでばかりはいられない。 まだ病室には他の患者が居て、そしてまた新たな患者がやって来るんだから。 私は顔を洗って、引き継ぎの為に病棟へと戻った。 医者って酒が好きよね。 大学の頃から思っていたけれど、研修を始めてからますます強くそう思う。 ストレスの発散になるから? それにしては弱いけど。 新人が来れば行われるのが歓迎会。 小児科への研修は必須だし、それも1ヶ月しかいないのでサイクルが早いにも拘らず、ご丁寧に毎回行われる。 主役は新人だから酌をして回るのが当然なのに、アイツは「僕は飲めませんから」と断っただけで、座り込んだままだ。 何をしに来たの? 飲めないなら出席を断れば良いのに。 それは無理かしら、流石に。 「強いですね」 黙々と飲んでいると、何故か隣にヤツがいる。 見渡すと、既に全員潰れていた。 時計を見れば歓迎会は開始されてから既に3時間を超えている。 ふむ、頃会いかしら。 私と飲んでいないコイツだけが生き残っている。 丁度いい、コイツに手伝わせよう。素面なんだし。 「峯下先生、手伝って下さい。皆をタクシーに乗せますから」 私のこの体格では潰れた大人を移動させるのは大変だもの。 後始末が嫌なら素直に潰れておけばよかったのよ。 参加者を全員無事にタクシーへ放り込むと「お疲れ様」と言って私もタクシーに乗ろうとしたのに、アイツは私を引き留めた。 「いつ思い出してくれるか、ずっと待っていたんですが。あなたは僕を無視し続けたままだ。もしかして本当に忘れてしまいましたか?」 思い出す?忘れた? 「なんの事?」 無視するのは当り前でしょう。 腹違いの弟なんて出来るだけ関わり合いたくないもの。 「3年前の10月16日、渋谷のルテシアホテル」 その言葉に私はスーッと血の気が引いた。 それは・・・私がただ一度、酔って記憶を無くした日。 そして、そして・・・一人で目を覚ました場所。 誰とそこへ行ったのか、何をしたのか全く記憶に無かった。 ただ、私は裸で、男と多分、セックスをした事だけは判った。 「・・・冗談でしょう?」 どうやって調べたのかは知らないけれど、コイツがその時の相手だと名乗る事に意味があるの? 私達は、一緒に育っていないし、苗字も違うけれど、同じ父親を持つ血の繋がりがある姉弟なのに。 「冗談でも嘘でもありませんよ、お姉さん」 ヤツはニッコリと笑った。 嬉しそうだ。 こんな時に敢えて『お姉さん』と呼ぶとは、私を苦しめるのが余程楽しいらしい。 それはそうだわ、コイツとコイツの母親にとって、私とその兄弟はずっと目の上のタンコブで、邪魔な存在でしかなかったんだから。 でもね、私を甘く見て貰っても困るのよ。 「そうだったの。全然気が付かなくてごめんなさいね。あの時の記憶は全く無くて、全然思い出せなかったの」 私もニッコリと笑い返して、手を差し出した。 「それならホテル代を半分、あなたに請求しても良いのかしら?確か、2万4千円だったから、1万2千円?」 そうよ、誰だか判らない相手は私を一人残して、精算もせずに先に出たんだから、請求するのは当然よね。 「構いませんよ、はい」 素直にお金を私に差し出して来る。 私は腹が立ってそのお金を叩き落した。 「いい加減にして!私をからかうのがそんなに面白いの?」 そうよ、そんな事がある訳が無いじゃないの! あの日、私は確かに酔っていた。 今でも記憶が戻らないほど。 でも、コイツは確かにお酒が飲めないらしい、さっきの歓迎会で小児科部長から勧められても断っていたほどなんだから。 普通、上役からの勧めなら口を付ける位はするのに、コイツの同期も口を揃えて飲めない事を証言していたし、飲めない事は嘘じゃないと思う。 それならば、素面の彼はどうして酔った私を抱いたと言うの? 嘘も大概にして欲しいわ。 「からかってなどいませんよ。本当の事です」 あの時は次の日に休めない講義があって先にホテルを出たんです、あなたはぐっすりと寝ていましたし、などとまで付け加える。 確かに私が目を覚ましたのは昼過ぎだったけど、そう簡単に信じられるものですか。 私が睨み続けているとヤツは困ったように溜息を吐いて、尚も言い続ける。 「あの日、雨が降っていて、あなたはびしょ濡れでした。そして、酷く泣いてましたよ、この前の様に」 ヤツの言葉に私は身体が震えて来る。 雨が降っていたのは覚えている。 泣いた事は・・・覚えていないけれど、多分間違ってはいないと思う。 だって・・・ 「『お父様』と何度も叫んで、泣いていましたよ。そう言えばあの日は彼が亡くなった・・・」 私はヤツの胸をドンと突き飛ばした。 本当は顔を殴りたかったけれど手が届かないのだから仕方ない。 「・・・そんな事は全て調べれば判る事よ」 信じられない、信じたくないわ。 頑なに否定する私に、ヤツはとどめの一言を耳元で告げる。 「あなたは初めてだった。そうでしょう?」 そんな事だって調べれば・・・ でも、そこまでして私を苦しめたいの? 腹違いの姉を抱いたと宣言してまで? 「あなたって変態なの?」 そういった事に興奮するとか? 私が訝しげに尋ねると、ヤツは笑った。 「ああ、そう言えば、まだ申し上げていませんでしたね」 何を? 「僕はあなたとは違って彼の子供ではありませんよ。峯下の父が僕の本当の父親です」 え? 「母は彼の妻になりたくて、僕を彼の子供だと言い張ったんです。そして彼は言われるままに僕を認知した」 そんな事・・・嘘! 「あなたの生年月日は1991年1月8日ですよね?」 唖然としている私は事実に正直に頷いた。 「僕は1992年4月20日生まれです。15か月ほどしか違わない」 それが何よ、母親が違えば、同じだって11ヶ月もあれば兄弟になるわよ。 「あなた方が生まれたすぐ後、彼は日本を離れていた。それも半年以上もの長い間」 そうよ、だからお母さんは私達を連れて出て・・・って、え? 「調べればすぐに判る事だったのに、彼は母と結婚する意志が全くなかったので、僕を認知さえすれば諦めるだろうと思ったのでしょうね」 バカな人ですね、と呟くヤツに私は思わず叫んだ。 「お父様を悪く言わないで!」 バカなのはそこまでして父の妻になりたがったアンタの母親でしょう? 私の睨みをヤツは肩を竦めてかわすと、更に言葉を続ける。 「お陰で、母は彼が亡くなるまで父の求婚を断り続けるし、僕の認知取り消しも裁判を起こす羽目になりました」 認知取り消し? 「時間が掛かりましたが、今では戸籍上でも実の父が僕の父親だと認められています」 ヤツは厭味ったらしく身を屈めて私の顔を覗き込んだ。 「ですから、今ではあなたと僕とは全くの赤の他人ですよ、静香さん」 だから何よ、アンタと関わり合いたくないのは血が繋がっていようといまいと関係ないわ。 私は近付いて来たヤツの顔を手で押し返した。 「そう、それは何より。それじゃお疲れ様」 もうコイツの話を聞くのはうんざり、早く帰りたいわ。 でも、まだヤツは私を離そうとはしない。 「肝心の話は此処からですよ」 何を話す事があると言うの? 「忘れてしまったのなら、思い出させて差し上げますよ」 ああ、そう言う事なの。 これはまた、遠回しで変わったお誘いだこと。 折角なのだから、乗って差し上げなくてはね。 私が黙って付いて行くと、ヤツが選んだのは件のホテル。 それも同じ部屋とは、徹底しているわね。 「お先に」 部屋に入るなり、私は先に風呂場へと直行した。 さて、一体どうしてやろうか? 僅かな酔いを醒ます様に、頭から冷たいシャワーを浴びながら考える。 あの日もこんな雨だった・・・そうね。 「ちょっと」 私は風呂場から顔だけを出してヤツを呼んだ。 「何ですか?」 上着を脱いだだけのヤツは素直にやって来た。 私はニッコリと微笑んで、ヤツにシャワーヘッドを向ける。 「な、なにを!」 当然ながらびしょ濡れになったヤツは慌てて私からシャワーヘッドを取り上げるけれど、もう遅いわ。 「思い出させてくれるなら、忠実に再現しないとね」 私が濡れていたなら、コイツも濡れていた筈ですもの。 ふふっ、シャツもズボンも濡れてるわ。 いい気味。 あの日の翌日、私はシワシワでゴワゴワの服で帰る羽目になったんですもの。 こんなラブホテルではクリーニングのサービスなどないのだから仕方がない事だけど。 「やってくれますね」 ヤツは濡れた服に手を掛けながらニヤリと笑った。 あら、女性の前で服を脱ぐなんて失礼な人ね。 私は一応、バスタオルをキチンと巻いていると言うのに。 でもまあ、これからする事を考えれば当然なのかしら? 覚悟は出来てるの? 私はそっと自分自身に問い掛ける。 既に一度経験している事よ、怯える必要がどこにあるの? 自問自答している間にヤツは服を脱いでしまったらしい。 ガッチリと身体を抱き上げられて、顎を捕まえられた。 近付く顔を避けずに、目を開いたまま唇が重なる。 至近距離でヤツと睨み合ったまま。 「目ぐらい閉じて下さい」 唇を離すとヤツが呆れた様にそう言った。 「今度は忘れないようにしようと思って」 ニッコリ笑ってそう答えると、ヤツは溜息を吐いた。 「イヤなら止める?」 是非、そうして欲しい所なんだけど。 「いいえ」 私の問いにヤツはニヤリと笑って、私を抱えたままベッドへと移動した。 あ〜あ、やっぱりスルのね。 仰向けに横になった私は天井をじっと見つめた。 このままじっとしていればいずれ終わる事だわ。 けれど、私と天井の間にヤツの顔が割り込んで来る。 そして私の濡れた髪に触れた。 「染めたんですか?」 今更、それを聞くの? 私は眉を顰めて答えた。 「あの時までが染めていたの」 私の髪の毛は元々こういう色なの。 私が母に似ていると言われるから母と同じように黒く染めていただけなの。 今ではその必要もなくなったから、染めていないだけなの。 双子の弟と私は全然似ていないけれど、この髪の毛の色だけはそっくりなのよ。 薄茶色でカラーリングしているかのような色が。 ヤツは私の顎を再び捕えて、じっと見詰めた。 「なるほど、肌も白いし目の色も少し薄い。確かにあなたは白人種の血を引いている訳だ」 私もヤツをじっと見つめ返して言ってやった。 「あなたも確かに向こうの血が入っている様には見えないわね」 お姉様がお父様に全然似ていないと言っていたけれど、コイツは兄や弟の様にお父様の血筋の欠片も感じられない。 あの女もコイツをお父様の息子だと良く言い張れたものだわ。 その度胸に感服するわね。 首筋にチクリとした痛みを感じる。 「肌が白いと痕が付き易いんですね」 ちょっと! 「やめてよ」 文句を言うと、ヤツは飄々と答えた。 「あの時の再現をして欲しいんでしょう?」 確かに、色々と身体に痕が残っていたけれども。 次々と痕を残しながら、ヤツはブツブツと煩い。 「相変わらず小さい胸ですね」 人が気にしている事を! 左足を振り上げて、蹴りを入れてやろうとしたのに、その脚を寸前で捕まえられる。 「乱暴ですね『お姉さん』」 なによ、その言い方は。 「私達は赤の他人じゃなかったの?」 アンタが自分でそう言ったのよ。 「他人でも年上の女性を『お姉さん』と呼びませんか?」 ああ、そう。 もう勝手に何とでも呼んで頂戴。 私は視線をヤツから逸らして、再び天井を見つめ続けた。 3年前、正確には2年半前とどこか変わった処があるかしら? 少し汚れた? でも、あの時は気付いたのが昼間で、今は夜。 光源が違うから、比較のしようがないわね。 「マグロに徹するつもりですか?」 ヤツの愛撫らしきものに反応しない私に、ヤツはそんな嫌味を言って来る。 失礼ね。 「覚えていないのだから、どんな反応をしたのか再現出来る筈もないわ」 暇潰しに天上の染みでも数えようかと思っていたら、ヤツは指を突っ込んできた。 「っ」 濡れていないのだから乱暴にしないで欲しいわ。 思わず声が漏れてしまったじゃないの。 「随分と狭いですね。もしかしてあれ以来初めてですか?」 煩い男ね。 「あなたに話す必要があって?」 関係ないでしょう? 「そうですね」 そう言うとヤツは平然と突っ込んできた。 っく・・・初めてじゃなくても痛みはあるのね。 ヤツが動く度に、内臓が引き摺り出される様な痛みが走る。 苦痛をじっと唇を噛み締めて堪える。 こんなもの、あっという間の事よ。 我慢していればいずれ終わる。 でも、それは結構長く感じられた。 動きを止めたヤツは無作法にも中に出したらしい。 「マナーがなってないわね」 私は重い腰の痛みを堪えて、上半身を起こし、ティッシュを取って出て来たモノを拭った。 あ〜あ、やっぱり出血しているわ。 「あの時を再現するのでしたら、同じ様にした方が良いと思ったまでですよ」 確かに、あの時も使用済みのゴムなんて部屋には無かったわ。 「子供が出来るのが怖いですか?」 ヤツはニヤニヤとした顔をして尋ねて来る。 コイツ、本当に医者の卵なの? 「平気よ、今ではアフターピルと言う便利なものがあるし」 あの時も、ちゃんと飲んだから何もなかったし。 それよりも。 「あなたは私に子供を孕ませたいの?」 私はニッコリとした笑顔を浮かべて尋ね返す。 「そうですね、それも面白い」 ヤツも負けじと笑顔で返して来る。 「そう」 私は微笑みを浮かべながら、ヤツの肩に全体重を掛けて押し倒し、首に手を掛けた。 ヤツの喉仏に親指を押しあてて、ヤツの身体に跨った。 「あなた達親子が私達兄弟を憎んでいるのはよ〜く知っているわ。でもね、私もあなたの母親を酷く憎んでいるのよ」 喉を強く抑え付けられたヤツは苦しそうにして何も言い返せない。 「あなたは知らないかもしれないけれど、私達の母親の死にはあなたの母親にも責任がある筈なんですもの」 そうよ、お母さんが私達を連れてあの家を出た理由の一つに、コイツの母親がお母さんに『子供が出来た』と告げに来た事があると使用人に聞いたわ。 それがお父様の子供ではなく、他の男の子供だったとは、見下げ果てた嘘吐きよね。 素直に騙されたお母さんもバカだったけれど。 「あなたが死ねば、あの女は悲しむのかしら?」 ここでコイツの息の根を止めれば。 私は親指に力を入れた。 ヤツは苦しそうに顔を歪める。 ふっ、いい気味。 私はヤツに掛けていた手を離してヤツの身体の上から退いた。 殺人はリスクが大き過ぎるもの。 こんな奴らの為に犯罪者になるなんて割に合わないわ。 「これに懲りたら、二度と私に近づかないで」 嫌がらせはもう充分だわ。 私が喉を押さえて苦しそうに短い咳をしているヤツにそう告げてベッドから降りようとすると、ヤツは私の腕を捕まえて、ベッドに再び引き摺り倒した。 「なに?」 訝しげな私の問いにヤツは笑顔を浮かべていた。 「気に入りましたよ『お姉さん』。身体は貧弱でもさっきの表情にはそそられました。あなたは怒った顔が一番魅力的ですね」 そう言って私の身体に圧し掛かって来る。 ちょっと! 「人の話を聞いていたの?」 私は二度と近付くなと言ったのよ! それに貧弱ってなに? 失礼極まりないでしょう! 「聞いていましたよ。今度はあなたの気が変わる様に、ちゃんと感じさせてあげます」 よく言うわ。 さっきは痛みしか与えられなかった癖に。 私はコイツが懲りるまで、また天井を見ていればいいのだと思う事にした。 だって、ヤツはさっきは何故か抵抗しなかったけれど、私との体格の差は歴然ですもの。 本気を出したヤツに私が抵抗し切れる訳もない。 天上の染みをまた一つ一つ数え出す事にした。 ところが・・・ 「ん・・・」 思わず声が出てしまったのは、ヤツが私の胸を執拗に舐め回すから。 「・・・小さいと感度が良いと言うのは強ち嘘でもないんですね」 だから、小さいって言うな! 「やっ・・・」 今度はヤツの指が、まだ鈍い痛みの残る場所へと伸びて、今度は緩やかに触れて来る。 何度も何度も。 しつこい! 「・・・濡れて来ましたね」 そんな事、私にだって判っているわよ! 一々口にしなくても! 「もっと濡らしてあげますよ。痛みが無い様に」 ニヤリと笑ったヤツは指でクリトリスらしき場所に僅かな振動を与え始めた。 ったく!これじゃ声を抑えるだけで口内炎が出来そうだわ。 「我慢しないで声を出したらどうですか?」 しっかり見透かされてるし。 ヤツの指は分泌液でしっかり濡れた私の中へ出し入れを始めても痛みを感じないほどになっているし。 悔しいけれど、声を抑えるのも馬鹿らしいほど気持ちは良くなっている。 「・・・あっ・・・ああっ」 身体がビクビクと震える。 腰から背筋を這い上がる感覚に身体の力が抜ける。 ヤツは私の中から抜いた指を私に見せつけてからペロリと舐めた。 「こんなに濡れてますよ」 汚いわね。 そんな事は判っているから一々見せなくても結構よ。 ヤツは力が抜けた私の両脚を広げて肩に抱え上げた。 何て格好をさせるのよ。 内心で不満を言いながらも、私は抵抗しなかった。 けれど、どれほど濡れていようと慣れていない場所にはやはり痛みが生じる訳で。 「っ・・・っ」 「くっ・・・キツイですね、まだ」 ヤツも狭い場所では辛いらしい。 ザマミロ。 そして、やはりコンドームは着けないままだ。 サイテーなヤツ。 アフターピルは72時間以内に摂取が必要だから、今は何時かしら? 時計を見ようと顔をベッドサイドに向けると、顎を掴まれた。 「ちゃんと集中して下さい。失礼な人ですね」 ちゃんと避妊しないアンタとではどっちが失礼なのよ。 ムッとした私はわざとらしい声を大きくあげ始めてやった。 「あっ、あっ、ああん、あん、イク、イク、イッちゃうぅ」 そのわざとらしさにヤツの動きも止まった。 「・・・止めて下さい」 萎えた? 「我慢しないで声を出せと言ったのはそっちでしょう?」 ニッコリと笑ってそう付け加えれば、ヤツも黙る。 フン、慣れていない女をイカせるだなんて、どれだけ数をこなしているか知らないけれど、自惚れるのも大概にしたら? 出さずとも萎えたらしいヤツは私の中から出て行った。 ここのトイレにビデは付いていたかしら? 私は取り敢えず膣内洗浄を試みる事にした。 アフターピルは完全な避妊法ではないし、妊娠率は2%と言えどあるんだから。 やれる事はやっておかないと。 でも、処方はどこにして貰おう? 前回は研修先の産婦人科に偶々同期が居たから融通して貰ったけれど、今回は・・・流石に同じ病院では色々と噂が立つだろうし。 自分で信用出来る病院を探して処方して貰うべきかしら? 私はトイレに立ったついでにシャワーを浴びて服を着た。 そして素早く部屋を出た。 今度はヤツに精算して貰えばいい。 家に帰ったらネットで病院を検索しなくては。 私はヤツとの事はこれで片が付いたと思っていた。 まさか、これが終わりではなく始まりだとは思っても居なかった。 |
Postscript
さて、今回調べましたのは医者になるためにはどれくらい掛かるのか? 色々と法律が変わって、今ではかなりの長時間が必要のようです。 まずは医学部が6年、国家試験を受けるのは6年末期ですが、合格した後に研修医制度で指定された病院に2年。ここで定められた診療科目を希望に関わらず配属されて研修を受けます。 色々なプランがある様ですが、杜也は1年目に内科と外科と救急、2年目に小児科・産婦人科・精神科・地域医療に1ヶ月ずつ回った後に、自分が選択した科での研修が最終的に残ります。 そして更に自分が選択した専門科の専修医(後期研修)と呼ばれるものが始まります。 これは病院によって期間がまちまちですが、大体は2年。 大学によっては7年かけて海外や大学院まで行って、教授になるコースまである・・・専門は極めるのが大変だ。 静香も杜也も実は自分の出た大学病院で研修医をしています(一般的に一番多いケース) 杜也が研修2年目で、静香のいる病院に来たのは「協力型臨床研修病院」での研修だからです。 別に意図があった訳ではなく、偶然です(運命の神様、つまり管理人の仕組んだ事です・笑) 静香は研修医を自分の出た大学病院で済ませて、専修医は別の病院で行っています。 専修医も指定された病院でしか研修を行えません。 つまり、キチンと新人の医師を指導できる専門医が居る病院ですから、それなりに規模の大きな処で無くてはなりません。 もちろん、ただ希望すれば研修が出来る訳ではなく、それなりに篩にかけられるようですが。 そして調べたのが、認知の取り消しについて(苦笑) 認知と言う制度は遺産などを嫡出子と非嫡出子とで配分を差別しない為に設けられた様な制度ですので(ちょっと大まか過ぎますが)財産の分与に関して事実と違うと認められれば取り消しを申請できます。 例えば、杜也の父親が「この子は自分の子供だから財産を残したいのだ」と言えば、親父の認知を取り消して峯下の父親の実子として認知する事が可能ですが、その為にはDNA鑑定とかが必要になる場合もありますし、一度認知された事実は戸籍から消えません。裁判を起こす必要が出て来ます(特に親父が亡くなっていれば) その際、当然ですが杜也は親父の遺産を返却する義務が生じます(親父の子供ではないので受け取る資格がなくなります)これは他の遺族から請求が来れば、の話になるので、請求されなければそのまま受け取る事も出来ます。 2009.8.21up |