| あたしはノブちゃんの帰りを今か今かとドキドキしながら待っていた。
 
 ノブちゃんは今、実家に帰っている。
 
 結婚して2カ月しか経っていないのだから、別に喧嘩をしたとかそう言った訳ではなく、実は彼のお父さんが亡くなってしまったので、その遺言状が公表されるからと言って呼ばれたらしい。
 
 流石、資産家となると遺言状なんてものが用意されているのねぇ。
 
 実はあたしも一緒に、と言われたんだけど、謹んでご辞退申し上げた。
 
 そんな場所、あたしには場違いだと思うし、本来ならば縁が無い所だもの。
 
 大体、結婚だって・・・あたしは結婚した時の事を思い出すと今でも思わず溜息が出てしまう。
 
 そりゃ確かに、あたしは一人娘で、家事の出来ないお父さんを一人残してお嫁に行くのに不安はあったけど、近くに住むとか、老後を一緒に暮らしてくれるならそれだけで良かったのに。
 
 ノブちゃんときたら「俺、婿養子になるから」とやや強引にあたしの苗字になってしまった。
 
 そんなに簡単に自分の苗字を捨てちゃっていいものなの?
 
 彼はお兄さんも婿養子になったらしいから、尚更ノブちゃんが婿養子になったらマズイんじゃないの?
 
 お兄さんの場合は何だかとってもイイ処のお嬢さんがお相手なんだから仕方ないにしても、ウチはねぇ。
 
 家名を継ぐ必要性なんて微塵も無い家なんですけど。
 
 お陰で、お父さんは喜びつつも恐縮しちゃって、結婚式の時なんて、今まで会った事も無い会社のトップ(ノブちゃんのお父さん)に挨拶されてガチガチだったわ。
 
 結婚する前からノブちゃんはウチに入り浸っていたから違和感はないんだけど。
 
 お父さんもノブちゃんから「お義父さん」と呼ばれて嬉しいみたいだし。
 
 やっぱり息子が欲しかったのかしら?
 
 ノブちゃんは父親の事を除けば、気さくで明るい好青年だから。
 
 『ただいま』
 
 あ、帰って来た。
 
 
 
 「沙枝ちゃんはどうしたらいいと思う?」
 
 ノブちゃんにそう言われてあたしは困った。
 
 ノブちゃんのお父さんは彼にアメリカの土地と建物を彼のお兄さんと折半する様に言い残したらしい。
 
 それと株券まで。
 
 はぁ〜、お金持ちの資産って凄いのねぇ。
 
 見た事も無い土地や建物を貰えると言われても嬉しくないし、株なんてどうすればいいのか当然ながら判らない。
 
 株をライラさんに譲り渡すという案はあたしも賛成だし、財産を放棄すると言った彼の言葉にも賛成だ。
 
 ウチはお金持ちじゃないけど、家のローンが残っている訳じゃないし、お父さんとノブちゃんとあたしが働いているんだから生活に困っている訳じゃないもの。
 
 そんな大層なものを貰ったって、維持や管理が大変になるだけでしょう?
 
 でもね。
 
 あたしは知ってるんだ。
 
 本当は彼がお父さんの遺産を放棄するのが嫌だって事を。
 
 彼はいつも言っていた、父親の前では緊張して上手く喋れないって。
 
 でも、何とか父親と話したくて、英語を一生懸命勉強したって。
 
 だから、彼は父親の跡を継ぐ事を一度も考えたりはしなかったけれど、経済界とは無縁の処で教師の道を選んだけれど、それが英語教師になったって事を知っている。
 
 ノブちゃんはお父さんが亡くなったという知らせを聞いてから、何度も夜中に一人で泣いていた事を知っている。
 
 あたしがそれを見つけてしまった時、彼はこう言った。
 
 「親父に何も伝えられなかった」
 
 あたしは彼をただ黙って抱いてあげる事しか出来なかったけれど。
 
 あたしは決心して彼に告げた。
 
 「株はお義姉さんに譲るとしても、そのアメリカの不動産って売却したお金を貰えないかしら?」
 
 彼はあたしの言葉に驚いた様だ。
 
 「あのね、実はそのぉ・・・今日、病院に行ったのよ、そうしたら・・・3か月に入っているって言われたの」
 
 そうよ、それを伝えたくて帰りを待ってたんだから。
 
 「子供が生まれて来るなら、お金は幾らあっても困らないでしょ?貰えるなら、あたし・・・欲しいな」
 
 強欲な妻が欲しがっているからって理由で遺産を受け取れば良いじゃない?
 
 あたしの言葉に彼は唖然としたまま「子供・・・」と呟いた。
 
 「そうよ、来年の6月にはパパになるのよ」
 
 ちょっと計算が合わないから恥ずかしいんだけど・・・夏休みに行った旅行がマズかったわね。
 
 式の1か月前だからって、気が緩んでいたのかしら?
 
 でも、この知らせが、父親の死に沈んでいる彼を少しでも喜ばせる事が出来たら。
 
 「沙枝ちゃん!」
 
 ノブちゃんはあたしをギュッと抱きしめて来た。
 
 「俺、俺・・・」
 
 彼はそれ以上、何も言えずに泣き出してしまった。
 
 やだなぁ・・・父親になるんだから、泣き虫のままじゃ困るよ。
 
 そう思いつつ、あたしは彼の背中をポンポンと叩いてあげただけだった。
 
 
 
 
 
 
 |