「裳着、ですか?」
藤姫は困惑した表情で尋ね返す。
「そうです、14といえばおかしくはありません」
温和そうな顔に眼鏡を乗せた鷹通はにっこりと笑って答えた。
「しかし、シリンは・・・」
「もちろん、公にするべき事ではありませんが、我等の内々で祝って挙げるのであれば構わないのではありませんか?」
異議を唱えようとする藤姫に彼は柔和ながらも一歩も引かない。
「失礼ながら、藤姫はご自身がまだ済ませていらっしゃらない儀式については良くご存じないでしょうし、藤姫のお父上にこれ以上のご迷惑を掛けるわけにも参りませんから、わたしが後見と言うことで準備をさせて頂きたいと存じますが、如何でしょうか?」
藤姫は鷹通がシリンを引き取ると言った時に強引に自分が引き取ると押し通した時の逆襲をこんな形でしてくるとは思わなかったが彼の意見に今回は反論出来る余裕が無い。
確かに自分はまだ裳着など済ませていないし、よく判らない事だから。
「・・・お任せ致しますわ」
鬼であるシリンに果たして貴族の娘のお披露目である裳着が必要なのかどうか判らないが、藤姫にはそう言って引き下がる事しか出来なかった。
儀式の準備を任せるだけなら、と思って。
「では、暫くシリンをわたしの屋敷にお預かり致しますね」
「え?」
「では、失礼致します」
唖然とする藤姫の前から鷹通は速やかに立ち去った。
「こちらの方が白い肌に映えてお似合いです」
「いいえ、こちらの方が」
シリンは鷹通の屋敷に連れて来られた途端に、女房達に囲まれて膨大な衣装をとっかえひっかえ着せられ、困惑していた。
「あの・・・」
シリンが口を開いたので女房達は彼女が意見を言うつもりなのかと思い、耳を澄ませ黙った。
「少し休ませて」
今まで黙って着せ替え人形に徹していた彼女を思いやった女房達はシリンの願いを聞き入れてくれた。
独りになったシリンは溜息を吐いて花がまだ少ない早春の庭に下りた。
どうしてこんな事になったのか?
シリンは庭で唯一花を満開にさせている低い紅梅の木の下に立ち止まり、そっとその花に手を伸ばした。
「やはり、貴女は紅い花がお好きですか?」
声の主を探して振り返ると、屋敷の主がいつもと変わらぬ優しげな笑顔を浮かべて立っていた。
「好きって訳じゃ・・・ただ満開なのはこれだけだし・・・」
シリンは伸ばした手を引っ込める。
「そうですね、まだ咲き揃わないものが多いですから。申し訳ありません、寂しい庭で」
詫びる鷹通にシリンは首を振る。
「そんな事ない、神子様が鷹通様のお屋敷の花は綺麗だって言ってたよ。これだって綺麗に咲いてるし、他の花は今はまだ寒いから咲いてないだけでしょ?」
慰めるような言葉に鷹通は微笑んで頷いた。
「ありがとうございます。この木は貴女にお会いしてから植えたんですよ、華やかな紅い色は初めてお会いした時の貴女を思い出させますから」
そう言って、低く咲いている紅梅の花にシリンと同じように手を伸ばして屈み込む様にそっと顔を寄せた。
鷹通の言葉にシリンは眉を寄せる。
「あたし、紅い着物なんて着たことないよ」
「貴女と初めてお会いしたのは今の貴女がご存じない頃の事ですから」
苦笑する鷹通にシリンは益々険を深める。
「・・・鷹通様は前のあたしの事が好きだったの?」
「いえ、そんな事は・・・」
首を振って否定する鷹通の言葉に耳を貸さず、シリンは尚も言い募る。
「だからあたしに裳着なんてさせるの?どうして?あれは貴族のお姫様がする事でしょ?」
「お嫌ですか?女性のお祝いですよ。貴族であろうとなかろうと」
鷹通の言葉にシリンはフイと顔を背ける。
「あたしはイヤ!」
先程までの着せ替えごっこにくたびれ果てたシリンは鬱憤を晴らすかのように叫んだ。
「それに、鷹通様は前の大人のあたしが好きなんでしょう?今のあたしには用はないんじゃないの?あたし帰る!」
鷹通にくるりと背を向けたシリンの腕を取って引き止める。
「前の貴女も今の貴女も同じ人ですよ、シリン。ただ年恰好が違うだけで、同じように美しくて気丈な魅力的な女性です」
「違う!前のあたしと今のあたしは違うよ!だって今のあたしは神子様や八葉のみんなの敵じゃないもの!」
シリンは鷹通の腕を振り解いて叫んだ。
「あたしは前のあたしが嫌い!みんなに酷い事してたって聞いた・・・大きくなったらきっとみんなに嫌われる」
震えるように俯いたシリンはグッと唇を噛み締めた。
「以前の貴女がわたし達と敵対していたのはそれなりの事情があったからです。でも今はそれは失われた。これから貴女が大きくなっても我々が貴女を嫌いになることはありませんよ」
貴女が彼の事を思い出さない限りは、と鷹通は心の中で呟いた。
「それに、わたしは初めてお会いした時から貴女にとても惹かれてしまいましたから、少なくともわたしは貴女を嫌いになったりはしませんよ、絶対に」
にっこりと微笑む鷹通にシリンは思わず赤面して視線を逸らせる。
「変だよ、鷹通様。自分と敵対している人を気に入るなんて」
「それだけ、貴女が魅力的な方だと言う事ですよ、シリン」
鷹通はシリンの両手をそっと自分の手の中に包み込んだ。
「実は裳着は成人のお祝いと言うだけではないのですよ。ご存知ですか?」
シリンは鷹通の言葉に首を振る。
裳着は女性の元服に当たるものだとしか聞いていなかったので。
「嫁ぎ先が決まった方の為の儀式でもあるんです。わたしは貴女にこのままこの屋敷に居て頂きたいと思っていますが如何でしょうか?」
鷹通の言葉にシリンは慌てて彼の手の中から自分の手を引き抜こうとするが、しっかりと捕らえられた手は外せない。
「お嫌ですか?わたしの妻となるのは」
優しく問われても、どう答えたらいいのかシリンには判らない。
鷹通は最初から彼女に優しくしてくれて、色々と教えてくれる博識な紳士だけれど、貴族の彼の妻となる事など考えたこともなかった。
「あたし・・・」
言い籠るシリンに鷹通は両手に捕らえた手をそっと持ち上げて
「お返事は今すぐでなくても構いません。こちらにいらっしゃる間に良くお考えになって下さい」
そう言い、手放す前に硬く握り締めた。
「よいお返事をお待ちしておりますよ」
シリンは何度も臥所の中で寝返りを打った。
ここの屋敷の女房達は藤姫の屋敷の女房達と同じように異彩を放つシリンの容姿に驚く事無く、優しく接してくれる。
きっと、鷹通様が言い含めてくれているのだろうけれど。
このまま、ここで暮らす事になったら・・・鷹通様は嫌いじゃない。
でも、他のみんなともう会えなくなってしまうのだろうか?
神子様とも藤姫様とも天真お兄ちゃんとも頼久とも詩紋お兄ちゃんとも永泉様とも泰明とも友雅様ともイノリとも・・・。
シリンは起き上がって冷え冷えとした夜の庭に下りた。
細い月の光でも明るく照らしている。
満開の紅梅の木に近づいて、昼間触れ損なった自分と同じくらいの背の高さの花に触れる。
小さくて鮮やかな紅い花。
鷹通様はあたしに似ていると言ってたけど。
「そのような薄着のままでは風邪を引いてしまいますよ」
フワリと後ろから袿を肩に掛けられて、振り返ると鷹通が苦笑して立っていた。
シリンは寝巻きである単のままだし、彼も同じような格好でいる。
「女房達が貴女が居ないと騒ぐので心配しました。わたしの申し出に怒って藤姫のお屋敷にお戻りになったのかと思って」
ここは冷えますから中へ入りましょう、と手を差し伸べた鷹通にシリンは躊躇いながらその手を取った。
冷えた体を暖めるようにと、鷹通はシリンの寝所に火鉢や白湯を持ってこさせて、シリンに詫びた。
「貴女を悩ませるつもりではなかったのですが、わたしの申し上げた事はそんなに考え込んでしまわれるような事でしたか?」
鷹通に困ったように尋ねられてシリンは俯いたまま
「あたし・・・判らない。鷹通様の事、嫌いじゃないけど」と呟いた。
シリンの言葉に少し安堵したように笑顔を見せた鷹通は
「急な話で驚かれましたか?でも、わたしはずっと考えて望んでいた事なのですよ。貴女をこの屋敷にお迎えする事は」
そう言ってシリンの冷たい手を取って顔を覗き込んだ。
「幼い貴女も愛らしくてみなの注目を浴びていましたが、このように成長されれば他の者も貴女を欲しいと思われるでしょう。貴女が成人すればどれだけ魅力的な女性になるか、みな知っていますから。でも、わたしは誰にも貴女を渡したくはありません。ずっと貴女だけを見てずっと欲して来たのですから」
熱く語る鷹通は、その言葉の勢いと同じく、シリンの体をその腕の中に抱きしめる。
「ずっと、こうして貴女と二人だけで暮らして行きたいと思っていました。どうか、このままこの屋敷に残ると仰って下さい、シリン」
シリンは生まれて初めて、男性の情熱的な求愛を受けて抵抗する事も出来ずに戸惑っていた。
子供の体の時に抱き上げられていたものとは違う、きつくて熱い抱擁。
暖かいけれど、以前感じていた安心感はなく、胸が高揚するような感じがする。
「とうか、わたしだけのものになると仰って下さい、シリン」
黙ったまま、抵抗しないシリンを鷹通はその場に横たえて覆い被さる。
ゆっくり仰向けにされたシリンは帯に手が掛けられて着物が肌蹴られてもその手を止める事はしなかった。
ただ、黙って硬く眼を閉じて行為を受け入れていた。
それはされている事に嫌悪感が沸いてこなかったから・・・彼に激しく求められる事に胸がときめくものを感じてしまったから。
肌を晒される羞恥と未知への恐怖は存在したが、それよりも彼の望みに応えようと思った。
これほど自分を欲してくれる人になら、と。
「あっ、あん・・・ん、んん・・・やぁん」
首に肩に胸に、指で唇で舌で触れられてシリンの声が上がる。
恥ずかしいけど、嫌じゃない。
鷹通様にこうして触られている事は・・・このまま彼の、彼だけのものになる、彼が望むままに。
「ああ・・・シリン」
体に彼の重さを感じた時、シリンは自分より年長で体の大きな男の人を包み込む事が出来る自分に気づいた。
自分は彼に捕らえられたのではなく、彼を捕えたのかも知れないと。
そして、それは小さな喜びに感じられた。
「鷹通様・・・あたし、もう神子様や八葉のみんなとは会えないの?」
汗ばんだ体を硬く抱きしめられながら、シリンは不安に感じていた事を尋ねた。
「そんな事はありませんよ、文を交わしたり会いに行ったり、貴女のお好きなようにされて構いません。こちらに戻ってきて頂けるなら」
にっこりし微笑んだ鷹通の言葉にシリンは安堵の笑みを漏らす。
「何しろ、わたしの心は貴女にお会いしてから捉えられたままなのですから、貴女の望む事は出来るだけの事をして差し上げますよ」
シリンは先程、自分が考えていた事を言い当てられたような気がして一瞬驚いたが
「但し、わたしのものでいて下さる限りは、ですけれど」
鷹通の言葉に、やはり自分が彼の手に捕らえられてしまった事に気づかされる。
それが幸か不幸かはまだ判らない。
これから一緒に暮らしていけば判ってくる事なのだろうと思ってシリンは鷹通の腕の中で眼を閉じた。
|