「ねぇ、シリンって大きくならないの?」
それはあかねの素朴な疑問から始まった。
龍神の神子であるあかねを襲って来たシリンが、その時随伴していた安倍泰明の呪によって20歳ほど若返ってしまってから早くも半年ほど経とうとしていた時の事。
愛らしい4歳の幼児と化したシリンを廻って醜い争奪戦が一部で行われた事に業を煮やした藤姫が彼女を屋敷に引き取って育てている。
どう言う訳か記憶も4歳の頃に戻ってしまったらしく、アクラムの部下として龍神の神子を狙っていた事すら記憶に無い無垢な幼女に八葉の面々は彼女の面倒を代わる代わる喜んで見ていた。
そんなある日の事、イノリとかくれんぼをしながら庭を駆け回るシリンを見ていたあかねが漏らした呟きにその場に居た者は一斉に諸悪の根源に視線で返答を迫ったが、当の本人はその視線を綺麗に無視して、笑い声を上げながら走り回るシリンを見ていた。
泰明はシリンが上手く隠れるには自分が北山にでも連れ去った方がいいだろうか?と考えていた。
しかし、以前それをしてシリンに『ずるはいけないんだよ泰明』と言われた事も思い出した。
焦れた天真が「どうなんだよ、泰明!」と尋ねるまで。
「どう、と言われても間違えた呪文を思い出せぬのだから、どんな呪が掛けられたのかすら判らぬ。従ってどうなって行くのかすらも当然判らぬ」
淡々と答える泰明に天真はガクリと首を落としながら震える拳を握り締めた。
「て〜め〜え〜は〜」
「ま、まぁまぁ、天真先輩、落ち着いて!でも、もう半年になるのにシリンの髪って伸びないんだよね。ずっと前に髪型を変えた時に切った所が全然伸びてこないみたいだし」
詩紋が天真を宥めながら思い出したように呟く。
「でしょう?あの年頃なら背だって伸びていいはずなのに全然大きくならないんだもん。もしかして、ずっとこのままなのかな?」
賛同するように言ったあかねの言葉にその場に居たものが今、気づいたように思案に暮れる。
「あの・・・良いのではありませんか、ずっと今のままでも」
素直なシリンに笛を伝授している永泉がおずおずと申し出ると
「そうだな、ヘタにでかくなってヘンな事を思い出しても面倒だし」
幼いシリンに兄として慕われる喜びに浸っている天真は賛同したが
「しかし、いつまでもこのままと言うのは・・・」
鷹通が異論を唱え
「我々だけが年を取っていく中でシリンだけが幼いままというのは果たして良い事なのかな?」
友雅がダメ押しをして全員が考え込む。
「年を取らせればよいのだな」
沈黙が降りた中、泰明が縁側から立ち上がってシリンに近づいて行く。
「お、おい!泰明!」
天真が止めるのも聞かずに都で有能さを買われている陰陽師は庭で遊んでいた幼女を引き止めて結界を張った。
全員が固唾を呑んで見守る中、白い閃光がシリンを包み込んだ。
「ねぇ、また失敗したらどうなるのかな?」
あかねの疑問に
「さ、さぁ・・・赤ちゃんになっちゃうとか?」
詩紋が不安げに答え
「最悪なのは元に戻っちまう事だろ?」
天真の言葉に鷹通は
「それは最悪ではありませんよ」
と返す。
その場に居たものが期待と不安を抱えながら閃光が収まるのを待っていると、結界の中に少女の姿が浮かび上がってきた。
「残念ながら、元には戻らなかった様だね」
沈黙の中、冷静な友雅の言葉が皆の耳に届くと、我に帰った天真が叫んだ。
「泰明!てめぇはまた失敗しやがったのかぁ〜!」
「年は取った、問題ない」
平然と答える泰明の目の前には小さい水干から伸びた手と足を出して唖然としている14歳くらいに年を取ったシリンが座り込んでいた。
「シリン!」
庭に出て少女に駆け寄る者達が5名ほど、庭先から異変をかぎ付けて駆け寄るものが2名ほど居た。
「どうしたんだよ?」
「何事です?」
「大丈夫?」
「だ、だ、だ、大丈夫ですか?」
「どこか痛む所はありませんか?」
「立てる?平気?」
「俺の名前を呼んでみろ!シリン」
口々に叫ぶ面々に唖然としていたシリンは鷹通から肩に掛けられた袿を握り締めると一つ頷いて
「う、うん、大丈夫・・・泰明が何か呪文を唱えたら着物が小さくなったの・・・あたし、どうしたの?天真お兄ちゃん」
不安そうに尋ねてくる。
「どうやら、最悪の事態は避けられたようですね」
鷹通の言葉に皆が内心で安堵の溜息を吐いた。
最悪の事態、それは今までこの屋敷で過ごしていた時の事を忘れてしまう事に他ならない。
だが、本当に最悪の事態は避けられたのだろうか?
続く
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