「マリー、聞いた?今度お城でドレスのコンテストがあること」
仕事場に訪ねて来たシアの言葉にマルローネは頷いた。
「うん、知ってるよ。王子様が婚礼用の衣装を募集してるんでょ?」
「マリーはそのコンテストに出品しないの?」
「あたし?ムリムリ!王族の人達が着る衣装なんて、想像もつかないもん」
シアの言葉をマルローネは笑い飛ばした。
マリーはここ、王都ザールブルグでお針子をして自分の店を一応持ってはいるが、普段のお得意さんはご近所の人達だ。
お針子なら一度は豪華なドレスを縫い上げて見たいと思うのは当然だが、慣れないものは作りにくい。
「でも、王子様からこっそりと依頼されてたりするんでしょ?」
「ええ〜だって服の修繕とかが多いし、ちゃんとした礼服を仕立て上げた事はないよ〜」
お忍び中の王子様と知り合った事がきっかけで、公に出来ない仕事を時々頼まれる。
内緒で作った鉤裂きの修繕とかお忍び用の服の仕立てだから市民が着ているものと差ほど変わらないものしか作った事はない。
「そう、残念ね。クライスさんは出すそうよ、コンテストに」
マリーはシアからその名前を聞いてピクリと体を震わせた。
「へぇ〜そう?アイツも王室御用達の仕立て屋のくせにコンテストだなんて面目丸つぶれよね、日頃いい気になってるから報いが来たんだわ、いい気味よ」
マルローネの言葉には悪意が満ちている。
そんな様子にシアは溜息を吐いた。
「またケンカしたの?今度は何が原因?」
シアの言葉にマルローネはうっと詰まる。
街のお針子マルローネと王室御用達の仕立て屋のクライスは同じ師匠について修行した仲で昔馴染みである。
だが、作るものの性質が違いすぎるせいかはたまた性格の違いからか口論が耐えない。
クライスは生地を加工したり機能性を重視した服に定評があるし、装飾も華美過ぎずに品が良いと評判が高い。
一方、マルローネはどんな途方もない注文でも何とかこなしてしまう実力を持っている。
2人とも腕の良い仕立て屋なのだが、生真面目なクライスと大雑把なマルローネはよく喧嘩をする。
喧嘩するほど仲が良いのでは、とシアを含めて周りの人間は思っているが、当人達はどうなのかがよく判らない。
「だってさ、クライスったらこの間ウチに来た時『貴女もいつまでもこんな小さな店を1人でやっていないでもっと大きな店で大きな仕事をして見たいと思わないのですか?』なんて言うんだもん。自分の店がちょっとばかり大きくて王室御用達だからって失礼な言い草だと思わない?」
マルローネはとても憤慨して語ったが、聞いていたシアはおやおや、と思った。
「それって、クライスさんの店で働かないかって事なんじゃないの?」
シアは内心の興奮を抑えつつ尋ねてみる。
クライスは非常に遠回しだがマルローネに意思表示をした事になるのではないかと。
「シアだってそう思うよね?でもさ、あたしだって小さいながらも1人立ちしてんのに、今更他人の下で働けなんてバカにするのもいい加減にして欲しいわよ。だからはっきり言ってやったわ、あたしはこの店に満足してるし、アンタの店で働くなんて真っ平ゴメンよってね」
マルローネの言葉にシアはクライスが気の毒になった。
もしマルローネの言う通りただの勧誘なら確かに失礼な話だが、そうでないなら、十中八・九シアはそうだと信じてるが、クライスはマルローネに求婚するつもりだったのではないのだろうか。
「もう少し言葉を選んだ方がいいわよね、クライスさんも」
シアは溜息を吐きながらそう呟いた。
「言葉を選ぶ以前の問題よ」
ぷんぷんと怒っているマルローネはシアの溜息の本当の意味には気付かない。
「ただいま〜ふぅ、重かった!」
その時、店に入ってきたのは色とりどりの生地の塊、だけではなくそれを抱えた小さい妖精さんだった。
「おかえり〜ブルグ」
「おかえりなさい、ご苦労様」
労うシアとマルローネの様子を見たブルグはテーブルを指差して激しく非難した。
「あ〜酷いよマリー、僕に買い物をさせといて自分はのんびりお茶してるなんて!納期が近いのにサボってる〜」
「うるさいわね、ちょっと休憩してただけじゃない。それよりも頼んでおいた品物は全部手に入ったの?」
酷い、妖精使いが荒すぎる、とブツブツ文句を言っているブルグに言い訳しながらマルローネがそう言うと。
「絹以外は全部手に入ったけど、やっぱりコンテストのせいで絹は品薄になっちゃってるよ」
ブルグはそう言ってマルローネの前に調達してきた生地を並べる。
「そう、困ったわね。今入っている依頼に絹は欠かせないのに・・・」
マルローネは考え込むようにしていた。
「誰からの以来なの?頼んで待って貰うようにすれば?」
シアの言葉にマルローネは首を振る。
「納期はこれ以上延ばせないのよ」
「のんびり仕事をしてるから期日間際になって慌てる事になるんだよ」
ブルグの突っ込みに拳で答えたマルローネはシアに向かって手を振って笑った。
「何とかするわ、心当たりもあるし。じゃあ、シアあたしこれから仕事に掛るから」
「そう?頑張ってね、マリー」
出て行くシアに笑顔で手を振り続けていたマルローネは拳骨を喰らったブルグに非難の眼差しを向けられた。
「どうするんだよ、マリー。前金は貰っちゃってるんだよ?どうやって絹を調達するのさ?」
不貞腐れて問い詰めるブルグにマルローネはウインクをしてみせる。
「バカね、とっておきの所があるじゃない。特上の絹の置いてある場所が!」
マルローネの言葉にブルグは眉をしかめる。
「ええ〜!あそこ?・・・僕嫌だなぁ、だってあそこは・・・」
「文句を言わない!ちょっと遠いけど、あそこは安くて上質のものを扱ってるんだから」
「久し振りだな、今度は何だ?絹か?」
深紅の髪をしたクールな美女に出迎えられてにっこり笑うマルローネと少し怯えるブルグの2人。
「こんにちは、キリー。ご推察どおり絹を頂きに来たのよ」
「王都のコンテストの事は知っている。しかし妙だな、ブレドルフ王子の結婚が決まったとは聞いていなかったが」
ぞんざいな喋り方をするキリーはザールブルグから少し離れたエアフォルクの塔に住んでいる魔女と呼ばれる女性である。
魔女と呼ばれるだけあって普通の問屋では取り扱う事の出来ない不思議な生地を作る。
「あたしもお相手の事は知らないわ。王族の結婚なんて一般市民にはあんまり関係ないもんね」
あっけらかんと答えるマルローネにキリーは苦笑する。
「相変わらずだな、お前は。丁度いい具合にエルフの繭から紡いだ絹がある。これを持っていけ」
キリーが取り出した絹を手に取ったマルローネは感嘆の声を上げる。
「うわぁ、素敵!光の角度で色が変わるわ」
だかマルローネは困ったように笑った。
「これはとっても綺麗なんだけど、あたしが探してるのはもっと普通の絹なのよ、依頼されてるのはブラウスだから」
「コンテストには出ないのか?」
キリーの問いにマルローネは頭をかいて恥じ入るように答える。
「やー、やっぱあたしには荷が勝ちすぎると思って、王族の婚礼衣装なんてさ」
「コンテストで優勝すれば日頃バカにされているクライスとやらの鼻を明かせるのではないか?」
マルローネはキリーの言葉に暫し考え込む。
「普通の絹もある。両方とも持っていけ。よく考えてみることだ、自分の将来のためにも」
マルローネはキリーから言われるままに二つを持って塔を後にした。
エアフォルクの塔を出るとブルグは止めていた息を吐くように大きく息を吐いた。
「マリーはよく平気であの魔女と話せるよね。僕には出来ないよ」
「あら、キリーはちょっと無愛想なだけでそんなに怖い人じゃないわよ。人付き合いが苦手みたいだからあんなに辺鄙な塔で暮らしてるけど。あの塔だって広い割には灯りが少なくて古いだけじゃない」
マルローネの言葉にブルグは『これだから感覚の鈍い人は困る』と眉間に皺を寄せる。
「でもさ、この絹だって『エルフの繭から紡いだ』って言ってたじゃないか、あの魔女は蛇女に糸を紡がせてるって言う専らの噂だし」
「やぁだブルグったら、キリーの冗談やいい加減な街の噂を本気にしてる訳?」
ブルグの言葉をマルローネは笑って信じない。
「でもあの女が魔女なのは本当なんだよ、マリー。妖精の僕を信じてよ」
ブルグの真剣な言葉にマルローネは屈んで目線をブルグの高さに合わせてこう言い切った。
「いい事?ブルグ、あたしはキリーが例え本物の魔女だろうがこの絹が蛇女が紡いだものだろうが安くて上質な生地なら何とも思わないわよ。お針子のあたしにとっては仕立てやすくて立派な生地だわ」
ブルグはマルローネの言葉に何も返す事が出来なかったので力なく尋ね返した。
「マリーはコンテストに出品するの?」
「う〜ん、どうしようかなぁ・・・キリーにまでああ言われると悩むわねぇ。まぁ取り合えず、コンテストよりも依頼を先に仕上げなきゃね。戻ったらすぐに取り掛かるわよブルグ」
「ええ〜、すぐに?酷いよ、少しは休ませてよ〜本当にマリーは妖精使いが荒いんだからぁ」
ブルグは不平を並べ立て始め、それはマルローネが拳を使って止めるまで続いた。
「出来たぁ!」
エアフォルクの塔から戻ってからマルローネは不眠不休の勢いで依頼の品を完成させた。
女物にしては大きすぎるシルクのブラウスを広げて点検作業を始める。
「ちょっとブルグも手伝って・・・っと、とっくの昔にお休みだったわね。無理もないか、ここ2日ほどまともに寝かせなかったもんねぇ」
マルローネは欠伸を噛み殺しながら目を擦りつつ仕上げのチェックを行う。
「いよぉ!出来たか?」
その時、鍛冶屋のオヤジが勢いよく店に入ってきた。
「丁度出来た所よ、ナイスタイミング」
マルローネは手にしていた絹のブラウスを鍛冶屋のオヤジに手渡した。
「おお、さすがだな!」
「早速試着してみたら?おかしい所があったらすぐに直すから」
鍛冶屋のオヤジは嬉々として奥の試着室に消えていった。
マルローネは肩を揉み解しながら頃合を見計らって「どお?」と試着室に声を掛ける。
「ぴったりだし、問題はないみたいだな」
試着室から出てき鍛冶屋のオヤジは腕を伸ばしながらそう言った。
「そう、よかったわ」
マルローネはほっとしながらそう言ったが、ハゲ頭で筋肉モリモリの中年オヤジが白い絹のフリルをふんだんに使ったブラウスを着ている姿に内心ウンザリしていた。
「ああ、やっぱりこの肌触り・・・絹が一番いいなぁ」
うっとりとした表情で袖に頬擦りをしている鍛冶屋のオヤジを見て蒼白になりながらマルローネは「そ、そう、よかったわね」と呟いた。
「日々、血生臭い剣や磨り減った蹄鉄をただ鍛えるだけの疲れた心を癒してくれるのはこの滑らかな感触だけだ」
胸に手を当ててじ〜んと感動している鍛冶屋のオヤジに苦笑しながらマルローネは人の好みにケチをつけちゃいけないわと何度も心の中で言い聞かせた。
「そ、そ、そうね〜よかったわね〜」
マルローネの笑顔は引き攣っていた。
鍛冶屋のオヤジは部屋の片隅にあった生地に目を留めた。
「おや、これは何だ?綺麗な絹だな」
「あ、それは」
答えかけたマルローネの後を察して鍛冶屋のオヤジは勝手に納得した。
「そうか、マリーもあのコンテストに出品するんだな?これだけ綺麗な生地ならきっと優勝できるぞ、マリーは最近腕も確かになって来たし、応援するからな」
鍛冶屋のオヤジの言葉を否定する事も出来ずにマルローネは「ははは、ありがと」と答えるしかなかった。
「注文通りだ、ありがたく頂いてくぜ。また、頼むな」
絹のブラウスを大事そうに抱えた鍛冶屋のオヤジはそう言って帰って行った。
最後に一言「くれぐれもこの事は他言無用だぜ」と凄む事を忘れずに。
マルローネは引き攣った笑顔で報酬を受け取り、見送りながら、熟睡していてオヤジの試着を見なくて済んだブルグの頭に蹴りを入れて八つ当たりする事を忘れなかった。
「やあ、クライス。今日は何かな?」
シグザール王家の第一王子、ブレドルフはご贔屓の仕立て屋の顔を見てにっこりと微笑まれた。
「殿下の婚礼用の礼服のデザインをお持ちしました」
慎み深く臣下の礼をとった後、掛けている眼鏡を持ち上げて青年は何枚かのデッサン画を差し出した。
「婚礼用の礼服なんて僕は注文してないはずだけどな?」
デザイン画を見詰めながら不思議そうに尋ねるブレドルフにクライスは平然と答える。
「わざわざコンテストを開いて婚礼用のドレスを募集されるのですから、殿下の婚礼用の衣装も必要かと存じまして」
クライスの言葉をブレドルフは笑い飛ばす。
「嫌だなぁ、僕はまだ結婚するなんて言ってないよ」
「じゃあ、何故あんなコンテストなど開く事にしたんです!」
クライスは激しくブレドルフに詰め寄った。
「婚礼の予定もないのに婚礼用のドレスのコンテストなんて!私の服が気に入らないならそう仰れば宜しいでしょう」
「別に僕は君の服が気に入らない訳じゃないよ」
クライスの勢いに怯む事無くブレドルフは平然と答える。
「君が考えた防水加工のマントは軽くて丈夫だと評判がいいから騎士団でも採用されたばかりじゃないか」
宥めるように褒めるブレドルフ殿下にクライスは憮然として「お陰さまで」と答える。
「君の腕は確かだよ、僕もそれは認めてるけどね。でも他の仕立て屋にもたまにはチャンスを与えないとね。婚礼用の衣装はいずれは必要になるものだし、イベントの看板として相応しいじゃないか」
寛大な王族の意向をひけらかすブレドルフの言葉にクライスは異議を唱えた。
「しかし、衣装というものは本来着る人の容姿に合わせて仕立て上げるものです。漠然と婚礼用の衣装と言われても」
「それこそ仕立て屋の力量を問われる条件だと思わないかい?誰にでも合う衣装を考えるのもよし、誰かをモデルにして考えるのもよし。自由な発想で腕を競い合う」
ブレドルフの言葉にクライスは『勝手なことを』と溜息を吐いた。
「君には婚礼用の衣装を着せてみたい人がいないのかい?クライス」
クライスは問われて不覚にも赤面してしまった。
「わ、私の事など殿下がお気にとめる必要はございません。ご入用でないのなら失礼します」
デザイン画をかき集めてクライスは出て行った。
慌てて出て行ったクライスを楽しそうに微笑んで見送るブレドルフに今まで黙って側に控えていた騎士隊長が声を掛ける。
「殿下、あの者の申すとおり、今回のコンテストの件は如何な物かと存じますが」
「エンデルクまで異議があるのかい?やれやれ、困ったね。僕は王子としてザールブルグの文化の発展に貢献しようとしているだけなのに」
騎士隊長は頭を垂れたまま、低く静かな声で。
「クライスとマルローネとかいうお針子を一緒にする為だけにコンテストを開く事がこの街の文化の発展に繋がるのですか?」
「そうだよ」
エンデルクの指摘にブレドルフはにっこり笑って平然と答える。
「だって2人ともタイプは違うけど腕のいい職人なんだから、別々に店を開いているより一緒になってもっと良い物を作り上げていけばこの街の服装文化がもっと発展するのは明白だろう?」
エンデルクはそっと溜息を吐いた。
このコンテスト騒ぎは先日、マルローネの店を訪れようとした際にブレドルフがマルローネとクライスとの諍いを盗み聞きしてしまった事から始まった。
たかだか一組のカップルをくっ付ける為に王都を挙げてコンテストまで開くとは、エンデルクは眩暈を抑えるようにこめかみに手を当てた。
「コンテスト如きの開催で上手く纏まるとは思えませんが」
最後の抵抗とばかりに呟いたエンデルクにブレドルフはにっこり笑顔を崩さずに答えた。
「上手くいかなかったらその時はその時だよ。コンテストが王都に活気を与えるのも確かな事だしね」
ブレドルフの言葉にエンデルクは深々と溜息を吐いて『ごめんなさい、ザールブルグの仕立て屋のみなさん』と心の中で詫びた。
そして『こんな王子の暴走を王宮内で留める事が出来なかった無力な騎士団を許して下さい』とも。
「ふぇ〜、どうしようブルグゥ〜デザインが思い浮かばないよぉ〜」
マルローネはテーブルに突っ伏して弱音を吐いていた。
「だったら止めれば?コンテストなんてさ、所詮マリーには荷が勝ちすぎるんじゃない?」
ブルクは冷静に床に散らばっているデザイン画の成り損ないを拾い集めながら答えた。
「ゴミの削減にも役立つしさ」
「でもさ、やっぱコンテストでガガーンと一発優勝しちゃったりしたらあのクライスがへへーっと平伏すと思わない?そしたらスカっとするわよねぇ」
マルローネは希望に満ちた瞳をキラキラ輝かせて夢を語る。
「クライスさんは天変地異が起きてもマリーには平伏さないと思うけどなぁ」
あくまでもブルグは冷静に対処している。
「うう、そうねぇ、でももしかしたら王室御用達の看板が付けられて、お客がドッカーンと増えちゃうかも!」
そしたら路頭に迷ったクライスに仕事を恵んでやって立場は逆転よ、ホホホホ、と高笑いをしているマルローネにブルクは溜息を吐いて。
「はいはい、夢を見るのはそれくらいにして、さっさとデザイン画を描き上げちゃったら?デザインが出来上がらない事には縫製に入れないんだからさ」
容赦ない突っ込みにマルローネは反らせていた上体をへなへなとテーブルの上に崩れ落とす。
「だからぁ、それが一番難しいのよぉ。大体、どんな人に合わせて作ったらいいのか判んないんだもん。コンテストの条件は『婚礼用のドレス』ってだけだし・・・せめて絵姿だけでもあればなぁ髪の色とかスタイルが判ればそれに合わせて作れるんだけど」
「生地は決まっているんだし、デザインなんて生地に合わせれば?あとモデルを立ててみるとかさ、自分が着たいものとか、ないの?」
ブルグの言葉にマルローネは考え込む。
「自分で着たいもの・・・ねぇ」
「こういう時でもなきゃマリーには一生縁が無さそうだもんね、婚礼用の衣装なんてさ」
マルローネはブルグに黙って定規を投げつける。
定規はブルグの頭に見事に命中した。
「いったいなぁ!そんなんだからいつまで経ってもお嫁の貰い手がないんだよ!乱暴でガサツで料理がヘタで・・・」
延々と続きそうなブルグの悪口をマルローネは途中で遮った。
「うっさいわねぇ!いいのよ、あたしはお針子として一生1人でやってくんだから!」
その時、ドアがコンコンとノックされた。
「はぁい、開いてるわよぉ」
マルローネが返事を返すと入ってきたのはクライスだった。
「こんばんは、マルローネさん」
「あら、今日は何の用?」
マルローネが片方の眉を吊り上げて来客を迎えると、クライスは少し気まずそうに眼鏡を持ち上げてから。
「いえ、ちょっと・・・」
と言いかけてテーブルの上のデザイン画に目を留めた。
「貴女もコンテストに参加されるのですか?」
クライスの視線に気付いたマルローネは慌ててデザイン画をかき集めて隠した。
「そ、そうよ!悪い?あたしだって出品する権利はあるんですからね」
睨み付けるマルローネにクライスは困惑した表情を浮かべた。
「いえ、貴女はコンテストに参加されないとシアさんに伺ったもので」
「シアが来た時には出さないつもりだったけど気が変わったの!」
マルローネは少し赤くなりながら弁明する。
「コンテストで優勝して、アンタんトコから王室御用達の看板を奪い取ってやるんだから」
挑戦的にクライスに向かって指を突き差したマルローネはクライスがいつものように嫌味ったらしく眼鏡を持ち上げて鼻先で笑っていない事に気付いた。
むしろ、がっかりしているように見える。
「ど、どしたの?クライス。いつものアンタらしくないじゃない」
思わずマルローネが気遣いの言葉を向けてしまうほどである。
「いえ、いいんです。何でも在りません」
視線を逸らしたクライスは部屋の片隅に置いてある珍しい絹に目を留めた。
「あれを使って出品されるおつもりですか?」
クライスは絹を手にとって眺めている。
「うん、綺麗でしょう?エルフの繭から紡いだんですって。ホントがどうか解んないけどね」
灯りの下で角度を変えながら絹の作り出す光沢を堪能していたクライスは、マルローネに賞賛の言葉を掛けた。
「見事な物ですね、どちらで手に入れたんですか?」
「欲しいの?沢山あるから譲ったげるよ」
マルローネの気前のいい答えにクライスは苦笑してしまう。
「貴女はこれでコンテストに出品されるおつもりなのでしょう?ライバルの私に生地を譲っていいんですか?」
「別に平気だよ。同じ生地を使ったからって同じものが出来上がる訳じゃないし」
マルローネはあっけらかんと答える。
「貴女と言う人は・・・変わってませんね昔から」
昔から・・・修行中から服を仕立てる為なら自分の事だけでなく他人の為にも骨を折る。
報酬だ、名声だと言いながらも結局人がいい彼女の性質は変わらないとクライスは思った。
クライスは笑いを堪えるように言いながら、エルフの繭で紡いだ絹織をマルローネの肩に掛けた。
「何よ?人はそう簡単に変わんないわよ」
マルローネはクライスの言葉の意味と行動をいぶかしみながら尋ねるが。
「いえ、この生地は貴女に似合いますね」
クライスがそう言って微笑んだような気がして戸惑う。
「そ、そう?」
マルローネは動揺を隠そうとして視線を逸らせてしまったので、クライスが本当に自分に向かって微笑んだのか確認する事は出来なかった。
「本当は貴女にコンテストのモデルをして頂こうと思っていたのですが、貴女がコンテストに出品されるのなら仕方ありませんね」
「あたしをモデルに?」
クライスの言葉にマルローネは驚きを隠せない。
「ええ、そうです。モデルの件は諦めようと思っていましたが、でもこの生地を見て気が変わりました」
「へ?」
マルローネはクライスの言葉の意味が図りかねて戸惑いを隠せない。
「貴女のお言葉に甘えてこの生地をお譲り頂きましょう。そして私が貴女に似合う婚礼衣装を作る。貴女はご自分でコンテスト用に衣装を作る。コンテストの前日、貴女と私が作ったものを見比べて頂いて、貴女が気に入ったものをコンテストに出品する。私の作品が気に入らなければ私はコンテストに出ません。その代わり、貴女がご自分の作品を気に入らなければ、私の店で働いて頂きます」
マルローネはクライスの言葉を混乱しつつある頭の中で整理した。
「ち、ちょっと待って、それじゃあたしに有利なんじゃないの?だって結果はあたしが判断するんでしょ?」
クライスは頷いて。
「そうですね、でも貴女はご自分にも公平な方だと知っていますから。信用しています。いかがですか?」
マルローネは暫し考え込んでから「いいわ」と答えた。
「では、コンテストの前日に伺います」
そう言ってクライスは生地を持って出て行った。
マルローネは1人店に残されて、呆然としてしまった。
あんな賭けを引き受けてよかったのだろうか?
クライスは嫌味で陰険なヤツだけど王室御用達の看板は伊達じゃない。
彼を上回る物が作れるだろうか?自分に?
マルローネはエルフの繭を紡いだ生地を手に鏡の前に立った。
クライスはあたしに似合うと言ってくれた。
彼はあたしに似合うどんな婚礼衣装を作ってくれるのだろうか?
マルローネは首を振って浮かんだ考えを打ち消した。
それよりも自分でどんな物を作るかが問題だわと。
「まっけないぞ〜」
クライスはマルローネの店のドアを閉めてから思わずドアに凭れたまま溜息を吐いた。
顔に血が上ってきて、熱を帯びてきているのが判る。
今までどうしても上手く言えなかった事が今度こそは上手く言えるかもしれない。
そう思うと動悸が止まらない。
彼女に似合う婚礼衣装を作ってそして「今度こそは」と呟いた彼に声が掛けられた。
「どうしてもっと素直に言えないのかなぁ」
声に驚いてその持ち主を探すと、ドアの脇で妖精のブルグが座り込んでいた。
「何故ここに?」
クライスの問いにブルグはお尻を叩きながら立ち上がった、が背はクライスの腰にも届かない。
「クライスさんが来るとマリーの機嫌が悪くなるからいつも外に非難する事にしてるんだよ、気付かなかった?」
言われてみると今まで確かにブルグの姿は店にはなかった。
思い返しているクライスに「まぁ、いいけどさ、どうせマリーしか目に入ってないんだから」と呟いてから。
「あんな面倒臭い勝負なんかしないで正直に『結婚して一緒に店をやっていこう』って言えばいいのに」
ブルグの言葉にクライスは苦笑する。
「そう言って素直に引き受けてくれる人ならここまで苦労はしませんよ」
「確かにマリーは意地っ張りで素直じゃないトコもあるけど、クライスさんの今までの態度も素直じゃなかったと思うなぁ」
クライスは「そうかもしれませんね」と素直にブルグの言葉を認めた。
ブルグはいつになく素直なクライスに驚きながらも
「ねぇねぇ、もし上手くいったらさ、僕を雇ってくれるよね、クライスさんの所にはお針子や見習いがたくさんいるけど、僕1人くらい平気でしょ?」
マリーがお嫁にいっちゃったらお払い箱になっちゃうからなぁ、と呟いてブルグが尋ねる。
「もし上手くいけば、考えておきましょう」
クライスの言葉にブルグはクライスの足を叩いて励ました。
「自信持ってよ!クライスさんが貰ってやらなきゃマリーは一生独身だよ?」
果たしてそうだろうか?クライスは疑問を抱えつつマルローネの店を後にした。
そして、コンテストの前日。
「いい、どっちが勝っても恨みっこナシよ」
マルローネの言葉にクライスが頷いた。
「じゃあ、お互いの物を出しましょうか、あたしのはコレよ」
「私の作品はこれです」
マルローネとクライスはお互いが作り上げたドレスを披露した、そして。
「「これは・・・」」
「王室主催『婚礼衣装コンテスト』優勝者はクライス・キュール!」
高らかな声と共に発表された名前に歓声が上がる。
クライスは壇上に上がり、モデルの女性にキスをした。
「ちょっと、やめてよ!恥かしい」
「どうしてですか?」
平然と尋ねてくるクライスにマルローネはベールに隠れた顔を真っ赤にしながら、審査員席にいてニコニコしているブレドルフ王子や観客として下にいるシアの驚いた顔を見ながら、あの人達に事の経緯を話さなくてはならなく事を「やだなぁ」と思いながらどうしてこうなったのか思い返していた。
昨日、マルローネとクライスはお互いの作ったドレスを見せ合った、そして驚いた。
「どうして、同じなの?」
同じ生地を使っているとはいえ、デザインまでもが同じとは。
「言っとくけど、あたしはアンタのデザインを盗んだりしてないわよ、忙しくて出かける暇もなかったんだから」
マルローネがクライスに向かって怒鳴ると、クライスは怒った風でもなく、何だか嬉しそうにしているように見える。
普段、笑顔を余り見せないので判り辛いが。
「判ってます、念のため申し上げると私も貴女のデザインを盗んだ訳ではありませんよ」
クライスの言葉にマルローネも頷く。
「じゃあ、どうして?こんな事ってあるの?」
不思議がるマルローネにクライスはこう語った。
「あると思いますよ。貴女はコンテストに優勝するべく自分の一番気に入ったデザインをされたのでしょう?私は貴女に一番似合うと思ったデザインをした、その二つが一致しても何らおかしくはありません」
クライスの言葉にマルローネは少々混乱しながらも頷くしかなかった。
何か釈然としなかったが。
「マルローネさん、貴女はどちらを選びますか?」
クライスに尋ねられてマルローネは溜息を吐いた。
「選ぶって、2つとも同じじゃ意味がないじゃない?」
そう言ったマルローネをクライスはじっと見詰めたままだ。明確な答えを待っている。
マルローネは腰に手を当てて宣言した。
「アンタの勝ちだわクライス。モデルのあたしの好みをこうも言い当てられちゃ負けを認めない訳にはいかないもの!」
マルローネの言葉にクライスは満足気に頷いた。
「やはり貴女は公平な方ですね、マルローネさん」
クライスは自分の作ったドレスをマルローネに手渡して。
「明日はこれを着てコンテストに・・・」
「判ったわよ、約束だもんね。アンタの店でも働くわ」
マルローネは諦めの溜息を吐いた。
「その事ですが、マルローネさん」
「何?まさかタダ働きとか言うんじゃないでしょうね!ちゃんとお給料は貰うわよ!」
マルローネは怯えたように一歩引いてクライスに向かって叫んだ。
クライスは苦笑しながら首を横に振った。
「いいえ、私は貴女に従業員として働いて頂きたいのではなく、共同経営者として働いて頂きたいと思っているんです」
「共同経営者?」
尋ね返すマルローネにクライスは頷いた。
「そうです、私の妻として」
マルローネは今度こそ驚いて言葉が上手く出なくなってしまった。
「えっ、あ、そ、その・・・」
共同経営って、妻って、つまりはその、プ、プロポーズ?
真っ赤になりながらマルローネは固まってしまい動けない。
「マルローネさん、私は貴女の事がずっと好きでした。私の夢は地位や名声ではなく貴女と共に暮らしていく事です。もし承知して貰えるなら、明日そのドレスを着て私のモデルとしてコンテストに出て下さい。嫌ならご自分のドレスで出て頂いて結構です。私は出品しません」
クライスの言葉にマルローネははっとして動いた。
「ちょっと待って、それじゃ・・・勝ったのはアンタなのに」
「同じものを作り上げてしまったのですから、ある意味勝負はお流れです。それに、このドレスも王室御用達の看板も全ては貴女に認めてもらう為です。貴女に受け入れて貰えなければ意味がありません」
クライスはそう言ってマルローネの店を後にした。
マルローネはその場に立ち尽くして呆然としてしまった。
そんな事、そんな大切な事を急に言われても。
しかも明日までに、なんて。
立ち尽くしていたマルローネはスカートの裾を強く引かれてブルグが呼び続けていた事にようやく気付いた。
「もう、何度呼ばせるんだよ、マリー」
「あ、ごめん、何?」
「どうすんの?クライスさんのプロポーズ、受けるの?」
ブルグの言葉にマルローネはその場に座り込んでしまった。
長い緊張がようやく解けたのだ。
「解んないよ、急な話なんだもん」
「急な話じゃないと思うなぁ、クライスさんがどうして何度もこの店に足を運んでいたと思うのさ?あんな大きな店を持っている人がわざわざ嫌味を言う為だけにここに来ていたとでも本気で思ってた訳?僕だってシアだってみんな知ってるよ。マリーが鈍いから気付かなかっただけさ」
マルローネはブルグに言われても「解んないよ、そんな事。言われなかったもの」と泣きそうになって呟くだけだった。
ブルグは溜息を吐いて「今晩ゆっくり考えなよ、後悔しないようにね」と言った。
マルローネは床の冷たさにようやく気付いて痺れた足を奮い起こして立ち上がった。
そしてずっと手にしていたドレスを見詰める。
クライスがあたしの為に作ってくれたドレス。
マルローネはクライスの作ったドレスを着てみた。
思えばずっと他人の服を作ってばかりで自分の服を作って貰ったのは久方ぶりの事だ。
サイズはぴったりだった。
どうして判ったんだろう?
鏡に映った自分をじっと見詰める。
このままコンテストに出れば、承諾の返事になってしまう。
かと言って自分のドレスでコンテストに出るのはとても卑怯な気がした。
クライスの事は長い事嫌っていた。
嫌味な事を言って人をバカにする所が大嫌いだった。
断れば・・・二度と会えなくなるのだろうか?
マルローネは長い間鏡の前に立って考えていた。
そしてコンテストの後。
マルローネは自分の腰にずっと回されているクライスの腕を不快に感じていない自分が不思議だった。
プロポーズされただけでこんなに受ける印象が違ってくるなんて、と自分勝手な考え方の変化に戸惑う。
「あ、あのね、クライス」
回りから優勝を祝福されているクライスにマルローネはそっと話しかける。
「何ですか?マルローネさん」
クライスは今まで見た事がないようなくらい幸せそうな笑顔を浮かべている。
それを見るとマルローネはちょっと胸が痛んだ。
自分がこれからとても酷い事をしようとしているのを承知していたから。
「あの・・・さ、この服をよく見てほしいんだけど」
マルローネは俯いてドレスをちょっとクライスに向けて摘み上げた。
クライスはマルローネに言われたとおり、眼鏡を掛けなおしてドレスの縫製をよく見直した。
「これは・・・どういう事ですか?マルローネさん!」
マルローネは俯いていた顔を上げてクライスに対峙した。
「お察しの通りよ、クライス。これがあたしの答え」
マルローネの真摯な瞳を見てクライスは視線をそらせた。
「何故、私の名前でコンテストに出たんですか?」
同情ですか?と呟くクライスにマルローネは首を振った。
「だって勝負に勝ったのはアンタだもの、コンテストに出るのはアンタの名前で出るのが当然だと思ったの。でも、でもね、その・・・もう1つの方は急すぎて一晩じゃ答えが出なかったのよ」
マルローネの語尾が段々と小さくなる。
「だから・・・もう少し・・・待ってくれる?」
消え入りそうなくらい小さな声でマルローネが呟いた。
クライスは真っ赤になって俯いているマルローネに苦笑した。
「今まで待ちましたから、もう少しくらいは我慢しますよ。マルローネさん」
そして顔を上げてほっとした表情を見せたマルローネの耳元でこう囁いた。
「でも、イエスと言って頂けるまで諦めませんけど」
マルローネはクライスの言葉に憤慨した。
「それって、脅迫じゃないの!」
「返事を曖昧にしたあなたが悪いんですよ」
クライスの飄々としたいつも通りの答え方にマルローネは段々と腹が立ってきた。
「そんなんだから、すぐに承諾なんて出来ないのよ!アンタ性格悪すぎるわよ!」
怒鳴り散らしたマルローネに回りの人達も唖然としていたが、クライスだけは平然としたままで。
「貴女が怒りっぽいのがいけないんですよ」
「アンタが」「いいえ貴女が」と言い合いを始めたマルローネとクライスを遠巻きにして見守っていた人々の中にいたシアとブルグは。
「あんなんで上手くいくと思う?シア」
「さ、さあ?どうかしら?」
一抹の不安を感じていた。
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