外は嵐になったみたい。
雷の音が鳴り響いて雨と風が激しく窓を叩いている。
でも平気、この灯台を改装した家は頑丈だから嵐ごときでうろたえたりはしない。
あたしはベッドの中で暖かさに包まれてゆっくりとまどろんでいられる。
ドンドンとドアを叩く音がする。
なによ!煩いわね。
来客の予定なんてないのよ、セールスはお断り!
尤も、こんな辺鄙な所にセールスに来る物好きもいないけど。
無視していれば諦めて帰るでしょ。
ところがノックの主は思いの外しぶとい。
ドンドンという音は鳴り止まず、立ち去る気配を見せない。
もう!仕方ないなぁ・・・
ドアの向うに立っていたのはずぶ濡れの若い男。
まぁ嵐なんだから無理はないだろうけど、それにしても・・・顔に乗っかった眼鏡は水滴で曇って見えない所為か鼻からずり落ちてる。
プッ!悪いけど笑っちゃいそうで思わず顔を顰めた。
「申し訳ありませんが、この先で車が溝に填まってしまいまして、手を貸していただけませんか?」
あ〜判る!この辺りの道は舗装されてないし、この雨じゃね。
でも、ここにはあたし一人しか居ないんだよ?どう手を貸せって言うの?
「悪いけど無理」
一人で何とかして、とドアを閉めて追い払おうとしたら、なんとそいつはドアに足を挟んで粘る。
ちょっと、なにすんのよ!
「そう仰らずにお願いします!車を貸していただけるだけでも構いませんから」
アンタ、甘いわね。
この天候じゃ、あたしの車を貸したって引っ張り上げるどころか二台とも溝にずぶずぶ填まって使えないわよ。
見ると、その男は全身ずぶ濡れの上に足元はドロドロ。
きっとこの悪路を歩いて辿り着いたんだろう、この辺りには他に家もないし・・・
面倒は嫌いなんだけどな・・・
「雨宿りくらいならさせてあげる」
あたしは渋々家の中に入れた。
シャワーとタオルとバスローブを貸してあげるくらいはイイか。
おや、もうこんな時間・・・ソファーなら一晩くらいは構わないかな?
あたしは突然の訪問客に提供するものを与えるとベッドへ戻った。
ベッドで耳をすませていると、水音がした後、静かになった。
訪問客は疲れ果ててあたしを襲うつもりもないらしい。
出来心を起こそうにも、ここには金目のものもないしね。
あたしは再び安らかなまどろみの中に戻った。
漂って来たベーコンの焼けるニオイにあたしの鼻がピクピクと覚醒を促す。
そーいえばお腹が空いているかも・・・昨日はトースト1枚しか食べてないし・・・この前ベーコンを焼いたのはいつだっけ?
寝ている事が多いとお腹も空かないからなぁ。
ニオイの元を辿るべく起き出すと、昨夜の雨宿りの男がピカピカになったキッチンで乾いた服を着て昨日とは見違える姿でベーコンを皿に盛っている所だった。
ずぶ濡れの昨日の格好からは想像も出来ない、髪も服装も一分の隙もないビシっとした姿だったけど、それよりも
「ちょっとアンタ、なにしてんのよ!」
流しに堆く積もれていた皿はなくなり、ゴチャゴチャと置いてあった鍋や出しっ放しにしてあった調味料などが綺麗に片付けられている。
雑誌や新聞で見えなくなっていた床も久し振りに見えてる・・・そーいえば黒と白のタイルの床だったわここは。
コイツってばプロのハウスキーパー?
「空腹なもので、勝手に失礼しました。ついでに片付けも」
なんだか嫌味だわ。
別にあたしはコイツにどう思われようと気にしないけど、知らない人間に家の中のものに触られるのはいい気がしない。
あたしはブスッとしたままテーブルに頬杖をついて座っていると、ベーコンの他にコーヒーとスクランブルエッグが目の前に置かれた。
食欲を刺激する香りにお腹の虫が鳴り出す、まったく!
「お待たせしました、どうぞ」
クスッと笑いながら雨宿り男はマフィンを置いた。
あたしは黙って食事を始めた。
食材はあたしのものなんだから、何も恥ずかしがったり遠慮する必要はないはずよ!
「昨夜は助かりました。私はシェンクさんの家を借りたのですが、そこに向う途中であの嵐に出会ったもので・・・まだよく知らない土地ですから頼るあてもなくて・・・」
黙々と食べるあたしの前で雨宿り男は昨日の状況説明を始めた。
「シェンクさんの家は売りに出ていた筈だけど」
借りるって一時的なものでしょう?
ここは観光するような場所じゃないのに。
「ええ、売りに出しているとは言われましたが、1ヶ月間だけ貸して頂けましたよ」
ふうん・・・あたしには関係ない事だわ。
「雨も止んだようですから車を引き上げる為に手を貸していただけませんか?ジープをお持ちですよね?」
いつの間に調べたんだか・・・ま、キッチンを掃除して朝食を作る余裕があるなら当然か。
あたしの車は表に出してあるだけだから。
「それとも電話を貸していただければ業者に連絡して」
業者?ハン!
「ここには修理業者とかレッカーを持ってる気の効いた人間なんて居ないわ。車が故障したら、機械に詳しい猟師のハレッシュに頼んで見て貰う事しか出来ないわよ」
小さな漁村なんだもの。
「車を出すから引き上げてあげるわよ」
こうなったら最後まで面倒を見るしかしょうがないでしょ。
食べ終わったあたしは立ち上がって車のキーを取った。
「あの・・・その格好で?」
遠慮がちに雨宿り男が尋ねてくる。
「そうよ、何か問題でも?」
タンクトップとショートパンツの何がいけないのよ?
今は夏で気温は高いのよ。
「いえ」
雨宿り男は少し俯いて眼鏡をずり上げた。
ヘンな奴。
「申し遅れましたが、私はクライス・キュールと申します」
あ、そう。
名前なんて知りたくないけど、名乗られたら名乗り返さなくちゃならないじゃないの。
「あたしはマ・・・マリー」
マリーと名乗る女性は長い足と腕を剥き出しにした格好でジープに乗り込むと、私の車が止まっている場所まで泥跳ねを上げながら黙々と運転した。
昨夜の嵐が嘘のように青い空が広がって明るい日差しが眩しい、運転席にいる彼女の姿と同様に。
田舎の村の外れの灯台を家にして人が住み付いている事にも驚いたが、その住人が若い女性だった事にはもっと驚かされた。
それもとてもだらしのない女性が・・・キッチンの乱雑さも凄かったが、彼女自身も身の回りに気を使わなさそうだ。
きちんと手入れをすれば映えるであろう長い金髪と素晴らしいプロポーションを持っているのに。
仕事は何をしているのか?どうしてあんな辺鄙な場所に一人で住んでいるのか?
訊ねたい事は山のようにあるが、大胆な服装に顔を向けられない。
手と足をあんなに曝け出して・・・もしかしたら下着すら身につけていないのでは?
私と彼女は黙々と車を溝から引き上げる作業をこなし、私の車は泥濘から抜け出した。
「ありがとうございました。これを」
お礼をしようと財布を出すと厳しい顔つきで拒絶された。
「そんなつもりじゃないんだから、引っ込めてよね」
彼女のプライドを傷つけたのだろうか?
「では何かお望みのものを仰って下さい。私は貴女にお礼がしたいんです」
何故かこのまま別れてしまうのが嫌だった。
「あたしの望みは放っておいてもらう事よ」
そう言って彼女はジープに乗って立ち去ってしまった。
どうして私は彼女にあんな事を言ったんだろう?
『お望みのものを仰って下さい』などと。
お礼をしたいと思っていたのは確かだが、嫌がる彼女にあれだけ食い下がったのは・・・
多分、きっと彼女とこれっきりになってしまうのが嫌だったのだ。
突然の嵐に車は動かない、ずぶ濡れでデコボコ道を歩き、灯りを頼りに辿り着いた先には美女がいた。
だが、彼女は人を寄せ付けない素振りを見せている。
今度の休暇の幸先は良いのか悪いのか。
「灯台に住んでるマリー?ああ、あの変わり者ね。2年位前から住みついてるけど、何をしてるのか誰も知らないよ。灯台に近づくと子供たちでも追っ払ってしまうそうだし、他の誰とも付き合いはないみたいだからね。週に一度は買い物に町へ出てくるけどさ。働かないで暮らしていけるなんていいご身分だよね」
一番近くの町に出て、食糧を買い込みがてら彼女について訊ねるとこんな答えが返ってきた。
なるほど、彼女が言っていた通り『放っておいてもらう事』を望んでいるらしい。
「ところでアンタはどうしてここに?」
情報収集していると雑貨屋の主人の逆襲に会う。
覚悟していた事だが。
「1ヶ月ほど休暇を貰ったので田舎でのんびりしようと思いまして・・・ここなら景色が良くて釣りも出来そうですね」
私がそう答えると雑貨屋の主人は呆れた顔をして呟いた。
「アンタも変わり者だね」
確かにそう見えるだろう。
でも、もう人込みの中に居るはウンザリしていた。
都会で大勢の人の相手をしなければならない事に。
次から次へとやってくる相手に同じ答えを返し続ける。
「もう大丈夫です。ええ、お陰さまで」
ちっとも大丈夫じゃないのに。
買い込んだ食糧をしまいながら、彼女はどうしているだろうか?と考える。
台所は悲惨な状態だった。
ここ数日、まともな調理をしていないような。
昨日の夜、灯台の扉を開けてくれた時と、今朝目覚めた時の様子は全く同じだった。
と言う事は、ずっと寝ているのか?
1ヶ月の契約で借りた家は灯台から1キロほどの場所にある。
この家の周りには他に住んでいる人がいないので、ある意味お隣さんだろう。
もう日が暮れる。
夕食を持っていけば彼女は私を招き入れてくれるだろうか?
ドアをドンドンとノックする音を無視していると、お次は窓への小石攻撃。
いい加減にしてよね!
「ここは私有地よ!さっさと立ち去りなさい!」
窓を開けて下に向って叫ぶと、そこにはもう二度と会わないはずの男がバスケットを持って立っている。
あたしを見るとバスケットに掛けてあったナプキンを取り去って中身を見せつけた。
そこにはハンバーガーとフライドポテトとサラダが・・・
こらっ!鳴るな!あたしのお腹!
あたしはドスドスと大きな音を立てて螺旋階段を下りていった。
卑怯だわ!エサで釣ろうとするなんて!
ドアを勢いよく開けて、その男を睨みつける。
「立ち去れって言ったでしょ!あたしを放っておいて欲しいとも言った筈だわ!」
でも二度もドアを開けたのはあたし。
「お礼が済んでいませんでしたからね。これはほんの手付の代わりですが」
バスケットを差し出すソイツからあたしは脹れつつもバスケットを受取った。
「じゃあ、これで気が済んだでしょ?サヨナラ!」
ドアを閉じようとすると、またしても足を突っ込んで阻止しようとする。
「ここには私の夕食も入っているんですが・・・ご一緒させて頂けないんですか?」
受取ったあたしがバカだったのよ、ドアを大きく開いて入れるしかなくなっちゃったじゃないの。
それでも、ヤツの手作りらしきハンバーガーとフライドポテトとチキンサラダは絶品だった。
フライドポテトなんて何年ぶり?
今日は朝食と夕食をまともに摂る事になった。
これも久し振りの事だわ。
食べてる間中、ヤツはなんだかんだとあたしに質問をぶつけてきたけど無視。
黙ってバスケットの中身をきっちり半分だけ平らげてから席を立った。
「ごちそうさま、美味しかったわ。これでアンタの気も済んだでしょ?礼はもう十分だから」
さっさと出て行って欲しいわ。
どうしてここに住んでいるのかとか、仕事は何をしているのかとか、どこの生まれだとか、もうたくさん!
なんでそんなにいろいろ知りたがるのよ。
アンタとあたしは赤の他人でしょ?
あたしは中身が半分減ったバスケットを押しやって好奇心旺盛な男を睨みつけた。
30分間喋り続けたヤツは溜息を吐いて立ち上がった。
そうよ、さっさと出て行って。
「明日はミートローフをお持ちしますね」
ドアから出て行く時にそう言ってヤツはにっこり笑った。
冗談じゃないわ!
「二度と来ないでよ!」
あたしはドアを大きな音を立てて閉めた。
そう言ったのに・・・翌日の夕方、またヤツは現れた。
約束通り、ミートローフの匂いを漂わせて。
あたしは・・・あたしは今度こそ家に入れない!と固く心に誓っていた筈なのに、それなのに・・・
昨日の夜からまともな物を詰め込んでいない胃の訴えに負けた。
どうして食べておかなかったのよ!あたし!
「アンタ、マメね。ええっと・・・クライスって言ってたっけ」
胃袋が満たされて、味覚の満足度に怒りもどこかへ消えてしまう。
つい、言葉を掛けてしまうほど。
「料理は難しいものじゃありませんよ。レシピ通りに作れば良いだけですから」
にっこり笑ってそう言い切れるアンタは嫌味な人間よね。
そんな簡単な事が出来ない人間はこの世にごまんといるのよ。
あたしみたいな人間がね。
お腹が空けばパンかマフィンを齧って、たまに缶詰を開けるくらい。
コンロなんて殆ど使った事がない。
出来ない人間の事なんて考えもしないんでしょう?
だから平気で人の家にズカズカと入り込む事が出来るのよ。
「そう、それはそれは・・・ではクライス先生、もうお帰りになられたら?とても満足させて頂きましたから、もうお見えにならなくても結構でございますわ。これ以上のお心遣いはご不要です。お気になさる必要もございませんから」
今度こそ本当に二度と来ないで欲しい。
「満足していただけたなら、私にもお礼をして下さいませんか?」
クライスの言葉にあたしはしつこさの原因が漸く理解出来た。
なに?そーゆーコトなの。
そりゃまた奇特な人ね。
こんなあたしを相手にしようだなんて。
OKするまでデリバリーを続けるつもりだったのかしら?
OKしなければどうするの?
デリバリーを根気よく続けるの?
そしてあたしは毎日毎日イライラさせられるの?
「わかったわ」
あたしは席を立ってクライスに背を向け、螺旋階段の手摺に手を掛けた。
「来ないの?」
お礼をすれば帰るんでしょ?
クライスは休暇で一時的に滞在しているだけだと言ってた。
休暇中のお相手が欲しいのなら相手をしてあげるわ。
煩く付き纏われるより、望みを果たさせて追い遣った方が楽よ。
「来ないの?」
彼女がチラリと挑発的な視線を私に投げかける。
どういった心境の変化だろうか?
今まで散々、追い出したがっていた筈なのに。
現に、彼女は挑発的な視線を一度投げ掛けただけで、その後私に目もくれずに螺旋階段を上っていく。
面倒な事は済ませてしまいたいと考えているのか?
冷たい人ですね。
だが、そう思う私はどうか?
彼女を最初から欲望の対象として見ていなかったか?
昨日と今日と続けて食事を持って訊ねて来たのはそれが目的では?
さっき彼女に自分から強請った癖に、あまりにもあっさりと願いが叶った事に不満を感じるなんてヘンだ。
『クライス?』
二階で彼女が私を呼んでいる。
行かないのは愚かな事だ。
自分自身で望んだ事なのだから。
狭い螺旋階段を上ると大きなベッドの上で彼女が裸で横たわっていた。
タンクトップとショートバンツを取り除いた姿は、思っていた以上に豊かで美しいラインを描いていた。
私はシャツを脱いでベッドに腰掛ける。
恐る恐る、彼女の身体に触れる。
こんなに渇望しているのに怖気づくなんて。
柔かくて白い肌に手を滑らせて、豊かな胸を掴む。
「あ・・・ン・・・」
思わず漏れた彼女の声に背筋がゾクゾクする。
撓る背中に反応の素早さに驚いてしまい、手が胸から離れる。
「どうしたの?」
訝しげに彼女が尋ねて来る。
いつもの私なら、こんなに脅えたりはしないのに。
そう、まるで初体験の少年のように脅えている。
「マりー・・・」
彼女に覆い被さってキスをする。
一度触れた唇を離すと、次に近づけた時には彼女の唇が微かに開いている。
大きく息を吸い込むようにしてから、彼女の唇を咥える様に覆う。
柔かくて暖かい唇に甘い唾液に酔いしれる。
どうして脅えていたのか?
こんなにも彼女を欲しているのに。
キスを繰り返しながら彼女の身体に再び触れる。
胸を何度も揉み解す。
脚を広げて膝を立てさせる。
「ああ・・・マリー」
胸にキスをしながら尖端を咥える。
「やぁん・・・」
ピクリと跳ねた身体の反応に、ますます吸い付く強さを増していく。
感度を示す乳首の反応に歯や舌で更に追い立てながら、立てた膝から手を滑り落とす。
「はぁっ・・・ん・・・」
まだ僅かしか濡れていない場所にゆっくりと指を行き来させる。
花弁を押し広げて、淵をなぞって・・・腰を動かし始めた彼女の官能を掻き立てるように。
「やっ・・・くぅん・・・くぅん、んん・・・」
溢れて来た蜜の源泉を辿るように、指を深く潜り込ませる。
口元に手を当てて声を抑えている彼女が漏らす鳴き声は可愛らしい。
私はやっと全てを脱ぎ捨てて、彼女の両足を広げて入り込む。
彼女の右足を肩に抱え上げて、硬くなったモノを擦り付ける。
「やあっ、いじわるしないでぇ・・・」
彼女に乞われるまでもなく、私も限界に近い。
「あっはっ・・・ん、ん、んんっ・・・ん、ん・・・」
腰を打ち付けて彼女の身体を揺さぶる。
彼女が枕の上で耐えている表情を見下ろす。
長い前髪を掻き上げたまま指で掴んでいるから大きな額が露になって幼く見える顔。
もう片方の手が拳を握って口元を覆い隠しているから微かな喘ぎ声が漏れてくるだけだ。
手で覆い隠されていない胸が挑発的に揺れて、思わず手が伸びる。
「あっ、ああ・・・ん」
背中が浮くほど大きく仰け反った彼女は喉元を曝すほど大きく顔を仰向けた。
「ん・・・」
キュッと締め付けられて私の欲望も解放される。
息を切らしながらも彼女は自分の後始末だけを済ませると、シーツを纏ってゴロンとベッドの上で丸くなった。
私を一度も省みずに。
そしてすぐにスゥスゥと寝息を立て始める。
私は呆然としてからクスリと苦笑を漏らした。
随分、失礼な態度だが、無理を強いたのは自分だ。
それに彼女は、行為に対しては敏感に反応してくれたではないか?
今の態度が信じられないくらいに応えてくれた。
私は彼女のシーツの中に潜り込んで、まだ熱が残る身体をそっと抱きしめた。
どんなに彼女が素っ気無い態度をとろうとも怒りを持続させる事が出来ない。
認めなければならないのだろう、初めて彼女を見た時から恋に落ちていたのだと。
目を覚ますと窓の外が明るい。
目の前にある彼女の柔かい髪からは花の香りがする。
芳しいその香りを吸い込んで、彼女の身体を抱き寄せようとすると、彼女が寝返りを打った。
寝返りを打った彼女は私をベッドから押し出してしまった。
それでも彼女はまだ目を覚まさない。
眠りに就いた時と同様に手足を縮めて丸くなってスヤスヤと眠っている。
その安らかそうな寝顔を見ては叩き起して抗議する事も出来ない。
ベッドに戻る事を諦めて、私はシャワーを浴びる事にした。
水音が聞こえる・・・雨かな?
ううん、違う。これはシャワーの音。
調子外れの鼻歌まで聞こえるもの。
そっか・・・昨夜はあのまま・・・泊まって行ったのね。
あたしもさっさと寝ちゃったからな・・・
よく怒って帰らなかったもんだわ。
自分でも酷い態度だったと思ってんのに。
だって・・・だってさ、久し振りだったのにモノ凄く感じちゃったんだよ。
焦らされるのが耐えらんないくらい。
声だっていっぱい出しちゃって・・・恥ずかしいじゃない?
あたしは・・・あたしは他人と関わるのが嫌い。
だって、だって・・・怖いじゃない?
素性や過去を探られるのはイヤ!
あんな思いはもう二度としたくないのよ。
でもクライスはあたしが彼の問いに何も答えなくてもあたしを抱いた。
昨日の夜の事は・・・悪くなかった。
彼はここに休暇に来ただけの旅行者だもの、何も知らずに帰っていくわ。
ここに居る間だけの関係なら・・・いいかもしんない。
果たしてそう上手く行くかな?
危険じゃないの?
心の隅に浮かんだ疑問を黙らせて、あたしはまたまどろみの中に身を委ねた。
そして夕方、クライスはまた夕食を持参して訪れた。
あたしはノックの音にドアを開けて、黙って彼を招き入れる。
今夜のメニューはポトフ。
今夜の彼もお喋りだったけど、あたし対する質問はちょっと方向が変わっていた。
「貴女はボートを持ってますよね?釣りをなさるんですか?」
と言った具合に。
「ま、目の前は海だから・・・と思って買ったんだけど、最近は使ってないわね」
あまり突っ込んで聞かないで、釣果がなかったからだと理解して欲しい。
「それなら貸してもらえませんか?釣りをしようかと思っているので」
ああ休暇だもんね。
「いいわよ」
別に構わないけど。
「釣りが好きなの?」
そんなタイプには見えないんだけど。
「一人で時間を潰すには格好のスポーツですからね」
クライスはそう言って肩を竦めた。
一人で時間を潰す?
そう言えば、ここに来るのは夕方になってからで昼間は顔を見せない。
休暇って身体を休める為じゃなくて、一人になりたくて休みを取ったの?
アンタも一人になりたいの?
どうして?
「デザートはいかがですか?」
考え込んでいたあたしにクライスはアイスクリームをスプーンに載せて差し出した。
「貰うけど・・・一人で食べれるわよ」
恥ずかしい事をしようとしてんのね。
「ダメですよ、はい、ア〜ン」
スプーンをグィっと突き出してくるクライスは、アイスクリームの容器を自分で抱え込んでる。
あたしに取らせないつもり?
アイスクリームを食べなくたって・・・ああ、でもこれってラム・レーズンじゃない?
ラム・レーズンのアイスクリームなんてホント久し振り。
どうして我慢してたのかな?ってくらい久し振りだわ。
ううっ・・・誘惑に負けたくない!
負けたくないけど・・・ああっ、アイスクリームが融けて落ちちゃう!
・・・口の中に広がるラムの香り・・・んん〜サイコー!
クライスはクスッと笑って次の一匙を掬って寄越す。
あたしは彼を睨みつけながら口を開ける。
そうして何度かアイスクリームを口に運ばれているうちに、彼の腕に抱え込まれたアイスクリームは柔かく融け出してテーブルやあたしの顎に垂れてしまう。
「あん!ヤダ」
指で拭って舐めようとしたら、その指を掴まれてクライスに舐めとられた。
あたしの人差し指を咥えながら、あたしをじっと見詰めてくるクライス。
そんな目付きで見ないでよ、鳥肌が立ってくるから。
あたしが目を逸らすと、クライスは既に液体になりかけているアイスクリームをあたしの顔や髪や身体の上に飛ばし始めた。
「ちょっと!ヤダってば!」
こうなったら反撃よ!
クライスの手元からアイスクリームを奪い取って逆襲してやる!
「あ!それは・・・止めて下さい!」
始めたのはアンタでしょ?
気付けばあたしとクライスとキッチンはアイスクリームだらけでベトベト・・・
思わずお互いの惨状を見詰め合ってから二人とも噴出した。
おっかしい!
ネクタイはしてなくても、ワイシャツとスラックス姿のクライスが、髪やメガネやシャツやスラックスにアイスクリームの染みをベタベタつけて困ったように笑っている。
あたしは・・・あたしは何かが込み上げてくるのを感じてちょっと泣きそうになってきた。
「これではシャワーを浴びなくてはなりませんね、二人とも」
クライスがそう言いながら、テーブルを拭きだしたから、あたしはさっと身を翻してバスルームに駆け込んだ。
「お先!」
服を洗濯機に突っ込んで、熱いシャワーを浴びる。
声を出して笑ったのなんて久し振りかな?
おかしかったし、楽しかったのに・・・泣きたくなるような気分になったのはどうしてだろう?
「酷いですね、後始末を私にさせてさっさと一人でシャワーを浴びるなんて」
シャワーに打たれながら考え込んでいるとクライスが入って来た。
「私だって早く洗い流したいんですよ」
そう言って裸のクライスはあたしをシャワーの下で抱きしめてキスをする。
チクン、と胸を刺すような痛みが広がる。
あたし・・・この人が好きになっちゃったみたいだ・・・
どうしよう・・・
シャワーはあたしの涙を隠してくれた。
クライスの身体をギュッって抱きしめる。
顔を見られないように、身体をピッタリくっつけて。
どうしよう、クライスの事が凄く好きみたい。
出会ってからまだ2日しか経ってない人なのに。
クライスの硬いモノがあたしのお腹に感じられる。
そっと手で触れて促すように擦ってみる。
そして彼の首にぶら下がって飛び上がる。
腰の位置が彼の場所に合うように。
「・・・ここで、ですか?」
聞いてくるクライスに頷き返す。
前戯なんて要らないからあたしを抱いてよ。
乱暴にしてもいいから抱いて!
いえ、いっそメチャメチャにして欲しい。
「ああっ・・・クライス・・・」
まだ濡れきっていないから、痛みがあるけど構わないの。
この胸の痛みに比べたら、大した事ないから。
「マリー・・・」
クライスのあたしを呼ぶ低い声にゾクッとする。
ねぇ、あたしの事どう思ってる?
身体だけでも欲しいと感じてる?
身体だけでもイイよ。
それだけだって、あたしを欲しいなら、アンタにあげるよ、クライス。
クライスの身体にしがみついて突き上げられながらあたしは声を抑える事もせずに鳴き続けた。
それで少しでも楽になればいいと思いながら。
「あっあっ・・・ああっ、あっ・・・あっあっああん・・・ああっ・・・」
バスルームで上げる声は響いたけど、そのうちにそれも大きく感じられなくなるほど頭が真っ白になってきた。
気を失う寸前のあたしは、バスタブに座り込んで身体を洗う事も出来ない。
クライスはそんなあたしの髪を洗って身体を洗ってくれた。
そして身体を拭いてベッドに運ぶと、髪を乾かしてブラッシングまでしてくれた。
ホント、マメな男。
あたしはブラッシングの途中でウトウトと眠りに就いた。
彼の腕に抱かれながら・・・
シアはいつも優しく微笑んでいた。
そしていつでもあたしの味方をしてくれてた。
あたしの一番の親友。
「頑張って、マリー。貴女ならきっと出来るわ」
その言葉にどれだけ救われた事か。
シアの励ましがあったからこそ、あたしは自分の望む道を進む事が出来た。
そして成功する事も。
それなのに・・・
どうしてシアだけが?
車に乗っていたのはあたしだって一緒だったのに!
どうして運転していたあたしが助かってシアが死んじゃうのよ!
ぶつかって来た車のドライバーは即死、一体誰を恨めばイイの?
ぶつかるならあたしの方にぶつかればよかったのよ!
「資産家の友人から莫大な遺産を相続されたご感想は?」
「警察で事情聴取されたのはやはり事故ではなかったからですか?」
「あなたが殺人で起訴されるという噂は本当ですか?」
うるさい!うるさい!うるさい!
みんなうるさいよ!
あたしを一人にしてよ!
あたしを放って置いて!
やめてよ!写真なんて撮らないで!
あたしは・・・あたしは・・・一人になって悲しむ事も許されないの?
やめてよ!あたしに触らないで!
身体を揺さぶるのはやめてったら!
「マリー!」
名前を呼ばれて目が覚める。
クライスが目の前にいる・・・そっか。
久しぶりに見ちゃったな、あの夢。
ああ・・・また泣いちゃったのか。
しょうがないな、まったく・・・夢を見ながら泣くなんて・・・ヤだね。
「魘されていましたよ」
うん、そうだろうね、きっと。
「どんな夢だったんですか?」
言いたくないよ、聞かないで。
首を振って答えを拒絶したあたしに、クライスは黙ってシーツを掛け直してくれた。
「ホットミルクを持ってきましょうか、それを飲んだら今度はよく眠れますよ」
ホットミルクだって・・・まるで子供扱いだね。
でも、そう・・・あたしはまだ子供なんだ、きっと。
あの事故から3年も経ったのに、まだ忘れられないよ。
ホットミルクをカップの半分ほど飲んだ彼女は、再びウトウトと眠りに就いた。
驚いた、彼女が眠りながら涙を零して魘され始めた時は。
悪夢から呼び覚まそうと身体を揺すると「やめて」とうわ言を呟いた。
一体、彼女に何があったのか?
外から身を守るように丸くなって眠っている彼女をじっと見詰める。
今までの態度からして彼女自身の口から悪夢の原因について語られる事はないだろう。
ここに何か原因を辿るものがあるだろうか?
この灯台を改装した家は1階がダイニングキッチンとバスルーム、2階はこの寝室とクローゼットがあるだけ。
螺旋階段は更に上へと続いている。
3階に上るとそこは・・・
灯りをつけて息を呑む。
白い布が掛けられた何枚もの絵。
そして一枚だけ飾られている肖像画。
近づいてよく見ると、見たことがある顔・・・誰だったか・・・
優しそうに微笑んでいる女性の肖像画・・・仕事で会った事がある人だろうか?
違う、見た事があるのは彼女の写真だ!
新聞で見た事がある。
シア・ドナスターク、不運な遺産相続人。
確か、両親を事故で亡くしてから1年も経たないうちに自身も交通事故で亡くなった・・・
彼女の莫大な遺産が事故の時に一緒にいた友人に遺されてとても話題になっていた。
広まった噂では、その友人による殺人ではないかとも。
ではマリーはその友人?
たしか、マルローネという画家だったと記憶していたが・・・
白い布を外すと、風景画が現れた。
そうだ、確かマルローネは風景専門で売れ始めていた画家だったはず。
部屋を見渡すと、アトリエらしきその部屋が使われた形跡はない。
絵の具も絵筆も部屋の隅に仕舞われたままで、スケッチブックすら見当たらない。
彼女は筆を折ってしまったのか?
事故のショックに耐え兼ねて?
あの時のマスコミの過剰な取り扱いは今でも覚えている。
連日、彼女を追い掛け回して、犯人扱いをしていた。
あれから・・・確か3年ぐらいだろうか。
まだ彼女の傷は癒えていないのだ。
私には・・・私にはよく判る。
to be continue
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