孤独(さみしさ)の標的 2





女は篠崎由貴(しのざき・ゆき)。30歳で出版社に勤めるキャリアウーマンだ。彼女との出会いは2年前。翔との別れで自暴自棄になりつつあった時だった。
俺は別れなければならないと承知の上で翔を愛した。だが、実際に彼がいなくなってみて、そのつらさ、寂しさををどうすることもできずにいたのだ。
それまでは仕事で由貴の会社に出入りしていたのでお互い顔は知っている程度だったが、ある日バーでばったり会ったことがきっかけで二人で飲むようになった。彼女は翔のことを知っている。俺が落ち込んでいる時期に会ったので事情はすべて話したのだ。





「随分つらい思いをしているみたいね。どう?あたしに話してみる?吐き出すだけでも楽になれるかもよ。」
俺は由貴のさり気ない気遣いに好意を持った。シリアスになり過ぎないように配慮された物言いはありがたく、弱っていた俺の心を解きほぐした。
俺が話すのを由貴は静かに聞いていた。全て聞き終わると彼女はまるで自分に突き刺さった棘を見たような・・・そんな表情を一瞬浮かべた。
「・・・そう・・・。あたしが口出すことじゃないけど、自分の思ったように生きればいいわ。愛した記憶を持ったままね。でも、自暴自棄になって破滅しちゃダメよ。ささ、今日は飲もう!あたしも付き合うわ。」
そう言って彼女は俺の背中をポンポンと叩いた。その行動はなぜか俺をほっとさせた。俺はふいに込み上げてきた涙を必死に耐えた。由貴はそんな俺に気付かない振りをしてくれた。





由貴は俺が今まで出会ったことのないタイプの女だった。
気が強く姉御肌で面倒見が良いが決して弱みを人に見せない。だが、今になって思うのだ。それはあくまで表面上の姿であって本当はとても寂しがり屋で臆病な女なのではないか。何かを怖れているのではないか。
そのことに気がついてから、俺達の関係は微妙に変化した。それまでは俺は年下の、弟のような、そんな感じだった。由貴も常に姉のような態度で俺に接していた。まぁ、会った当初は俺がかなり落ち込んでいたからそういう思いになっていたのかも知れないが。
だが、今は違う。もっと対等で互いを理解している。俺達は男と女の関係も持っている。しかし、彼女とは他の女と違う。何て言うか・・・・うまく言えないが、もっと精神的なところでの繋がり(もちろん恋愛的な意味ではなく)というか、互いの弱さを見せ合っても信用できる間柄。





「雅弥、ほんとに帰るの?」
ベットから抜け出し脱ぎ散らかしてあったシャツを手に取り羽織ろうとしていたら、背中から声がした。
「・・・ああ。朝イチで客先なんだ。さっき言っただろ。」
由貴はシーツに包まってベットに起き上がった。俺は身支度を整える手を休めない。
「あら、そうだった?泊まってここから行けばいいのに。あたしは構わないわよ。」
「そういう訳にはいかねぇの」
「そうよねぇ。女のとこから出社したなんて知られたら玲子ちゃん大騒ぎよ。」
くすくすと笑いながらさらっと怖いこと言いやがる。
「・・・笑い事じゃねェよ。」
「総務の子でしょ?チラッと見ただけだけどなかなか可愛い子じゃない。それにしても、最近の子って随分積極的なのね。あたしの頃はそういう風にガンガンアプローチする子ってとても珍しかったわよ。」
「俺だってあんなにしつこいのにひっかかったことなんてねぇよ・・・」
俺はため息交じりで答えた。
「でもそれだけ想われてるってことなんじゃない?まっすぐで元気いっぱいで若いわね〜。」
「由貴、ババくさいぞ。しかし、理解不能だね。なんで俺なんかがいいんだか・・・」
俺の何気ない一言に由貴は今までとは一変して表情を僅かに硬くして言った。
「その子にとっての雅弥の価値はその子が決めることよ。それに・・・・人を好きになるのに理由なんて必要なのかしら?このことは雅弥が一番知ってることでしょ?」
「由貴・・・」
俺の声が頼りなく聞こえたのか、由貴はふっと表情を緩めた。
「あらら、オバサンちょっと口が過ぎたみたいね。・・・さぁさぁ、がんばって仕事してらっしゃいな。」
「OK、ママ。行ってくる。」
ニヤリと笑って言ってやった。
だが、さすが由貴。この程度じゃ怯まない。
「気をつけてね。ボウヤ。」
ご丁寧に投げキッスまで頂戴しました。





誰もいない真夜中の道を行く。
咥えたキャビンから立ち上った紫煙が闇に消えてゆく様はひどく儚くて俺を感傷的にした。
さっきの由貴の言葉が甦る。
『人を好きになるのに理由なんて必要なのかしら?このことは雅弥が一番知ってることでしょ?』
あれは堪えたな。ああもはっきり言われるとは・・・。思わず自嘲が浮かんだ。
そうさ。人を愛するのに理由なんて要るものか!
理由なんて無い。心が求めるんだ。この人が欲しいって・・・。
嫌いなところがあっても、その人の醜い面を見せられても、その人を見るだけで、触れるだけでそんなことが些細に感じてしまう。例えその愛がモラルに反していようとも―。
そう。そのことは俺が身を持って経験済だ。
翔への愛は俺の全てだ。今も、そしてこれからも。あんな風にもう誰も愛せない。
短くなったタバコをポケットから取り出した携帯灰皿にギリリと押し付けた。
寂しさ紛らわせるために女を抱いたが満たされることは一度だってなかった。
あなたじゃなきゃダメなんだよ・・・。
俺の意思に反してふいに唇が動いた。
『しょう・・・』
愛しい人の名を呼んだが、それは声にはならず暗闇へと吸い込まれていった・・・・。








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