冷たい風吹く 7
どうしてこんなことになってしまったのか、中里はずっとわからないでいた。
このところ慎吾が来ない夜には、誰もいない部屋で考えに沈み、
結局答えの出ないままに床に着く。
でもそうしてさえ、考え始めると止まらなかった。
睡眠不足のせいかイライラと煙草に火を付ける回数が増え、仕事もサッパリ進まない。
へべれけに酔っ払った慎吾を、自分の部屋へと連れ帰ったのは、
夜中まで続いた宴会の後、慎吾の自宅まで送るのが面倒になったからだけじゃない。
ずっと以前。自分と慎吾がほとんど言葉を交わすことも無かった頃から、
自分は慎吾を意識していた。
家ではお兄ちゃんと呼ばれ、峠ではリーダーと呼ばれる自分。
いつでも求められるままにその役をそつなく演じてきた
気が付けば、いつもハメを外しすぎることもなく「よく出来た人間」と周りから呼ばれる自分が、
そこにいた。
そんな自分とは違う。
言いたいことを言って、したいことをして。
気ままに奔放に生きる慎吾。
自分たちが和解した後もチーム内の揉め事には、必ずと言っていいほどに、
慎吾の姿があった。
調子はいいのに冷たくて、興味が沸かなければ、人でも物でもあっさりと切り捨てる。
いつも斜に構えてシラけた態度を取るくせに、張り詰めたようにキレやすくて、
それでいて自分の気に入った物には、解からないほどの執着を見せる。
その苛烈な慎吾が自分には魅力的に見えた。
最初はどうして極普通に出来ないのか、理解に苦しんだ。
揉め事なぞ関わらない方が自分も楽だろうに。とそう思いながらも、
その激しさとそれに似合わぬ線の細さに目を奪われた。
自分は慎吾の『お気に入り』になりたかったんだろうか。
泊めてくれと頼まれたわけでもないのに、連れて帰って…。
恩を売るつもりはなかった。
ただ近づきたかった。
時折、ごく限られた者にだけ見せる気安さを自分にも見せて欲しかった。
自分のような面白味の欠片もない人間に、慎吾が走り以外の興味を持つはずもない。
そんなことはわかっていて、惹かれていた。
「しようぜ毅」
そう言って慎吾がキスをしてきた時にも、自分は何のことだかわからず、
ただ阿呆のように突っ立ったまま。
「わかんねぇか?SexだよSex」
「…はぁ?」
またいつもの気まぐれか。
こんなのにマトモに付き合ってたら馬鹿を見る。
振り回されるのは真っ平だ。と、その時自分はそう思った。
だが結局自分はその慎吾の腕を払うことはしなかった。
役に立たないかも、なんて心配はするだけ無駄。
男相手に…そう頭の片隅ではわかっているのに、自分ははっきりと興奮していた…。
その後も何が気に入ったのかは知らないが、
慎吾はちょくちょく部屋に来るようになった。
来てすることといえば、思いを通じ合わせたばかりの恋人同士のようにただSexだけ。
その思いは通じ合ってなどいないのに、身体を重ねる瞬間にはそれを錯覚した。
あの慎吾が羞恥に頬を染め、快楽に涙を流す姿に、自分は猛り狂い、
何もかもがわからなくなる。
慎吾の鋭さも、脆さも、全てを自分の物にしたくて、堪らない。
柔らかな女のものとは違う。いくら細くても筋肉質で骨ばった身体。
その折れそうに細い腰で自分を受け入れ、喘ぐ慎吾がいとおしかった。
慎吾が淫売だとかって噂も、勿論耳にしたことはある。
自分のに比べると安いのは確かだけれど、
それでも他の買い物と違い、それなりに纏まった金が要っただろうその愛車も、
それで稼いだ金で買ったんじゃないかなどと陰口を叩かれていることも。
確かに慎吾は普段大してバイトをしているわけでも親にせびっているわけでも無さそうなのに、
やけに金回りは良かった。
慎吾がガス代の心配をしているところなど見たこともないし、
あれだけしょっちゅう飲みに行っているその金は一体どこから出ているのか。
実際、金を貰っているのかどうだかは、わからない。
だが慎吾が他の男にも抱かれているのは、それは多分事実。
ある日その疑惑は確信へと変った。
いつものように抱き寄せた慎吾の身体についた赤黒い情痕。
浮き出た鎖骨にも、滑らかな内腿にも、その跡が散らばっていた。
一瞬頭の中が真っ赤になるほどに、嫉妬心が渦巻いた。
出来ることなら、それを全て拭い去って、自分をなぜ裏切ったのかと
声の限りに詰りたかった。
そ知らぬ風で目をそらし、そのことについては触れるなと言わんばかりの慎吾の顔を、
思いっきり引っ叩いて、壊してしまいたかった。
でも自分は、情けない「良識ある自分」はそんなことを億尾にも出さず、
慎吾の気まぐれ、身体だけの関係、に調子をあわせる自分の役を演じきった。
そんな卑怯で臆病な自分を嘲笑う。
だけどもしそれを口に出してしまったなら、
慎吾の興味を一瞬にして失ってしまうだろう。
慎吾は自分がコナをかけても揺ぎ無い中里こそを良しとしているのだから。
いつだったか情事の後、錯覚から冷め切らない自分が、艶やかな慎吾の髪をそっと撫でながら、
唇に落とそうとしたキスを慎吾は顔を背け、嫌がった。
「…やめろ。キスはきれぇなんだよ。大体男同士で気分出してんじゃねぇっつーの」
そう言ってシャワーを浴びに風呂場に消えた慎吾は、いつも以上に口数少なく、
不機嫌な顔のまま、帰っていった。
気まぐれだとわかっていても、いつかそれが変るのではないかという甘い期待が、
それまでは確かに自分のどこかにあったけれど、それが「甘い期待」でしかないことを、
その時思い知らされた。
だから何も言わなかった。
でもその跡と同じ場所に口付けるのは嫌だった。
気持ち悪いとか、そんなんじゃない。
自分が慎吾にとって「その他大勢」のうちの1人であることへ、例えようもない憤り。
それが理不尽なものであることはわかっていた。
それでも、どうしても…。
*****
「慎吾…」
口から出た自分の声は低かった。
「何だよ…?」
いつもどおりシラけたような口調で、聞き返す。
薄く開けた瞳は、絨毯の敷かれた床をさまよっていた。
「今日は…。やめよう」
「は?別にいいけどよ。何で…?」
「何でってお前…」
言葉に詰まった中里が間を空ける。
慎吾を抱くことなんて出来ない。
今、抱いてしまったら、自分は何をしてしまうかわからない。
8へ続く
話進んでないし…。