第四章
翌朝。サキトは誰かが顔をのぞき込んでるのを感じて目が覚めた。
「ディックか」
もう寝てなくてもいいのか、と声をかける。
「うん。サキトさんの方こそ、大丈夫なの?」
「サキトでいい。―俺がどうかしたか?」
「カーティさんが、昨日サキトさ・・・・・・サキトが帰ってくるなり倒れるからびっくりしたって言ってた」
「マジかよ」
カッコ悪い、とサキトは髪をかきあげた。でも、カヤの前で倒れなかったのは唯一の救いだと思い直す。
「今何時だ?
・・・・・・って時計なんかないか。まあいい、そろそろ起きなきゃな」
体を起こそうとしたサキトは、ひっと小さく声を上げた。体中に激痛が走る。特に腰の辺りがひどく痛んだ。
「カーティさん!」
サキトの様子に、ディックが驚いてカーティを呼ぶ。
「おやおや・・・・・・やっぱり初めては痛むようですね。ちょっと無理させ過ぎたかな」
カーティが口の端を吊り上げる。そのままサキトの側に座り込んだ。
「この辺が痛むのかな?」
シャツの上から腰の辺りに手を滑らせる。
「い・・・・・・痛いって!」
わざと最後にピシャリと叩かれた。サキトは涙目になってカーティを睨む。
「お前・・・・・・本当に医者かよ? 患者の体に何すんだよ」
「おおげさな人ですね。たかが筋肉痛くらいで騒がないでください」
こんなの放っとけば治りますって、とまたピシャリと叩く。完全に嫌がらせだ。
「何やってんのよ」
いきなりカヤが小屋に入ってきた。今日は珍しく作業着ではなく、きちんとしたスーツに身を包んでいた。どこかへ行く途中で、サキトの様子を見に寄ってくれたようだ。
「おや、カヤさん。サキトくんには優しいですね」
「バカッ! 当たり前でしょ。サキトはあんたと違って有能な働き手なんだから」
やはりそういう基準ですか、とカーティは苦笑する。何がおかしいのかとカヤが睨む。
「まあでも、大丈夫そうね。ディックも起きれるようになったみたいだし。安心したわ」
「これからどこへ行くんですか? 今日はずいぶんと気合が入っていますね、カヤさん」
カーティが意味ありげに笑う。カヤはふんとそっぽを向いた。
「うるさいわね、管理課の人間が来るのよ」
「ああ・・・・・・アキラさんか。そんな格好で会いに言ったら、また反対派にいろいろ言われますよ」
「言わせておけばいいじゃない。じゃあ、サキト。今日は特別休んでもいいから、明日には復活するのよ」
「こんなの休むほどじゃねーよ」
強がるサキトに満足そうにうなずくと、カヤは小屋を出て行った。
「やれやれ、どうして素直に人の忠告が聞けないんでしょうね」
カーティがため息をついた。棚から薬草やすり鉢などいろいろと道具を取り出すと、何やら調合し始める。何とも言えない怪しい臭いが小屋中に立ち込める。
「何作ってんだ?」
おそるおそるサキトが尋ねる。
「湿布薬ですよ。あとで貼ってあげますからね。すみませんがディック、裏の井戸から水を汲んできてもらえませんか?」「いいよ」
ディックは快く引き受ける。この異様な臭いの中にいるよりはいいと判断したのかもしれない。
カーティと二人きりになったところで、サキトは気になっていたことを尋ねた。
「さっきあんたたちが言ってた、アキラとか反対派って何の話だ?」
「斎藤アキラ。このプライム・リージョンを担当している管理課の職員でね。主に政府とプライムの連絡係というか、パイプ役みたいなものです」
管理課のことはサキトも知っている。彼をプライムに送りこんだのも管理課だ。
「カヤさんが首長に就いたことに、未だに反対している連中がいましてね。彼らはカヤさんが政府と組んでプライムを利用していると勘ぐっているんですよ」
「反対派ってどれくらいいるんだ?」
「ほんの少数ですよ。反対理由は、カヤさんの曾祖父がドームの人間だということ。カヤさん自身はプライム生まれのプライム育ちだっていうのにね」
プライム・リージョンの住人を始めとするドーム外の人々の大半は、ドーム計画の際に政府に見捨てられた人間の子孫だ。その恨みは人々の心に根強く残っている。
「まあでも無理はありません。彼女の曾祖父は、ドーム計画の関係者でもあったのですから」
「それっておかしくないか? カヤの先祖は自分の家族まで見殺しにしたってことじゃねーか」
「―結果的にはね」
でも事情はそう単純ではないとカーティは語った。
カヤの曾祖父エイジには一人息子がいた。エイジはドーム計画が実行されたとき、妻と息子に一緒に来るように言った。ところが、息子は付き合っている彼女も一緒じゃないと行かないと言い張った。エイジの反応は冷たかった。
『馬鹿者。その女を入れれば、その女の親族や知り合いまでも入れることになる。ドームには選ばれた人間しか入れないのだ』 私の立場も考えろ、と言うエイジに反感を持った息子は、彼女とともにドーム外に留まることを選んだ。
「そして、そのエイジの息子はプライム・リージョンの初代統率者になったんです」
「じゃあ別にカヤが責められる筋合いないじゃねーか」
「私もそう思いますけどね」
含みのある言い方に、サキトはカーティを睨みつける。
「何だよ、あんたも反対派なのか?」
まさかと笑って、カーティは声を押さえた。
「ここだけの話ですが、カヤさんと斎藤は付き合っています。政府と手を組んでいる云々の疑いはないと思いますが、この事実だけでもカヤさんを陥れたい連中にとっては、充分な材料になりますからね・・・・・・」
サキトは思わず目を見開いた。あのカヤが男と付き合っているという事実が、すぐには受け入れ難かった。
「『ロミオとジュリエット』ってか・・・・・・似あわねー」
そんな噂話をされているとも知らず、カヤは斎藤が来るのを待っていた。場所はいつものプレハブ小屋である。
斎藤はすぐにやって来た。特殊な繊維で加工されたスーツに、分厚い手袋、という暑苦しい格好である。ドームの人間がプライムを訪れるときの基本的な服装だった。
「待たせたな」
「別に。それより今日は何の用? サキトたちのことかしら」
二人の会話には、サキトが想像したような甘さは微塵もない。「そうだ。あれからどうしている?」
「昨日、サキトの方は真面目に働いていたわ。ディックは体が弱いために寝込んでいた。今日は大丈夫みたいよ。代わりにサキトが筋肉痛で苦しんでる」
「そうか・・・・・・いや、それなら問題はないが」
歯切れの悪い斎藤の言葉に、カヤは眉をひそめる。
「何よ。はっきり言いなさいよ」
「いや・・・・・・実はサキトくんに殺人の容疑がかかっていてね」
「今さら何言ってるの? もともと彼は殺人犯としてここに来たじゃない」
「それとは別件なんだ」
カヤは思わず絶句した。サキトの起こした殺人について、彼自身から詳しい話を聞いたことはない。ただ、昨日のサキトの態度はそんなことをする人間のようには思えなかった。「まさか。―詳しく話して」
「いや、今の段階ではそれは出来ない。とにかく彼自身に来てもらって、事情聴取をしたいと治安部から要請が来ている」
「ちょっと待ってよ。彼はもうプライムの人間よ。事情聴取するなら、ここでして。本当ならそっちの要請に従う筋合いもないわ」
「掛け合ってみよう」
「それと、私も立ち会うわ」
「そうか・・・・・・別に構わないが、口出しはしないでくれ。用件は以上だよ」
話を終えると、斎藤ははめていた手袋を外した。カヤに近付いて、彼女の長く真っすぐな髪に指を絡ませる。
「いいの? 手袋。衛生チェックに引っ掛からない?」
「後で消毒すればいい。今はちゃんと自分の手で触れたいんだ」
そう言ってカヤを抱き締める。
プライムの大気に含まれる細菌に感染しないよう、ドームに入る際には必ず衛生チェックがある。そこで服を着替え、手なども消毒することになっていた。
自分に触れたら、消毒しなくてはいけない。そう分かっていても、やはり少し寂しかった。
カヤの気持ちに気づいたのか、斎藤は困ったような表情を浮かべる。
「気にしないで・・・・・・」
言いかけたカヤの唇を、斎藤の唇がふさぐ。ほんの一瞬の、掠めるような口づけ。カヤは我に返ったとたん、斎藤を突き放した。
「バカ、何考えてるのよ!」
「いいよ。誰ともキスしなければ、感染しない。消毒する必要はないだろ?」
「でも、あんたが感染しちゃったらどうするの?」
「君にうつされたんなら本望だね」
「あ、あんたなんて、勝手に死んでろ!」
カヤは恥ずかしさと怒りで真っ赤になって怒鳴る。机に置いてある斎藤の荷物をつかんで、彼に投げつけた。本気で心配しているのに、全くわかっていない斎藤が憎らしい。
斎藤を小屋の外に締め出す。ドアにもたれて、カヤは大きく息をついた。