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打ち合わせに、そう時間はかからなかった。
その日のうちに調査方法議論は簡単にまとまって、
行動を開始したのはその2日後。
作戦を立てると、すぐに実行に移すのが『夜光虫』の特色であった。
組織の中には、それと正反対にじっくり吟味して、それからようやく実行する支部もある。
ほとんど作戦を立てずに、リーダーの一存のみでメンバーが動くという所もある。
つまりは、各支部に所属するメンバーに合ったやり方で仕事をするのだ。
『夜光虫』のメンバーは、無駄に理屈をこねるよりも、最適の方法を早く見つけて
行動することを好んだ。
故に、少々雑なところが出てきてしまうのは否めないが、それもまぁ、愛嬌だと遊汝は思っている。
要は、任務を遂行すればよいのだ。
そこまでの過程には多少目をつぶっていて欲しい。
「じゃぁ、今日のところは頼んだぞ」
『青蘭高等学校』と書かれた門の前に車を横付けして、遊汝は後部座席を振り返った。
「明日から、俺も潜り込む。今日は2人で出来る限り情報を集めといてくれ」
「りょーかい」
頷いたのは、橙と大関であった。2人とも、高校の制服姿である。
今回の仕事、最初の行動は、城島雪美の兄・秀二が勤めていた『私立青蘭高校』へ
潜入することであった。
まず今日から、転校生として橙と大関が入りこむ。
そして明日からは、それに加えて教育実習生と称した遊汝が内部に足を踏み入れるのである。
腕時計を確認して、遊汝は軽く首肯すると、
「じゃ、行って来い」
2人を送り出した。
車外に出て、遊汝に無言の首肯を見せて校門をくぐって行く2人の後姿を見ながら、遊汝は苦笑する。
「似合ってるじゃねぇか」
一応、彼の素直な感想であった。
2人、特に大関が、それを聞いて喜ぶとはとても思えなかったが。
前日。
「なんで俺がこれなんだよっ!」
自分が一体何を着せられたのか理解して、とりあえず、大関は憤慨した。
その前で、顔を真っ赤にして笑い転げている薄情者が、3名。
理由は、大関のその格好を見れば、大抵の人が納得するだろう。
高校の制服の女物を着せられていたのだ。
紺のブレザーに、白いブラウス。
胸元を上着と同色のリボンが飾り、プリーツスカートはご丁寧にひざ上10センチほどにまで
短くされている。
そして足元は、紺のラルフローレンにローファー。
カワイイ、という部類に入る制服であった。
ただし、普通の女の子が着たら、の話だが。
『衣装』を持ってきた張本人である遊汝は、腕組みをして
「だって、オマエしかいねぇんだもんよ」
まんざらでもない顔で、怒る大関を上から下まで見まわしていた。
まぁ、日本は広い。
全国を探せばこんな女子高生がいないこともないだろう。
「だからって、何も女子生徒になる必要はねぇだろ!」
「いや、あるんだよ。『青蘭高校』は男女共学だからな。調査するなら、
女子生徒と男子生徒どちらにも潜入しなきゃならない。男子生徒には、橙がなってくれるから」
制服を着ているのは橙も同じであった。
もちろん、こちらは男子用のブレザーである。
基本的に色の配色は女子用とそう変わらない。
リボンとスカートの代わりに、ネクタイとスラックスになった程度だ。
「学ランがいーんだけどなぁ」
というのが橙の希望であったが、それは贅沢というものだろう。
「だから大関、オマエはそれで高校に潜り込み、女子生徒から情報を集める!
女子高生と思う存分しゃべれるぞ。どーだ、嬉しいだろっ!」
嬉しくなかった。ココロの底から。
「そんな羨ましいなら、おまえがやりゃぁいいじゃんよ」
「身長的に、ムリ」
あっさりと切り返されて、大関は二の句が告げなくなった。
その後、どうにかしてこの境遇を脱しようと、大関は必死に
遊汝を言いくるめようとしたのだが、
「まぁ、いいじゃねぇか。趣味でやってるわけじゃねぇんだから」
真面目に取り合ってもくれず、結局大関は女子高生に扮して『私立青蘭高校』に
潜り込むハメになったのであった。
「っつーか、ふつう、バレるだろ」
肩までの長さのカツラをかぶり、不自然じゃないほどにメイクはしているが、
それでも声が低いのはどうしようもない。
幸いだったのは、季節柄冬服だったことであろう。
胸がないのがどうにか隠せる。
「だいじょーだよっ。そんな、おかしくないって」
校舎までの道を歩きながら、橙は明るい笑顔を向けた。
「俺とか、零名が女装するって考えて? 見れたもんじゃないよ?」
「そりゃぁ、そうだけど」
溜息は、出るばかり。
朝っぱらから、こんな、イメクラのような『衣装』を着せられて、
「まぁ、人生こんな事もあるよな」
なんて笑って言えるようなカルイ脳みそを、大関は残念ながら持ち合わせていなかった。
しかし、もう既にここまで来てしまったのだから、今更引き返すわけにもいかない。
ここはバレないことを祈りつつ、任務を遂行するしかないだろう。
2人は下足室で上履きに履き替えると、事前に教えられていた職員室に向かった。
もうホームルームが始まっている時間である。生徒の影はどこにもない。
青蘭高校は、創立20年のまだ比較的新しい学校であった。
校舎は全部で3つ、敷地内には他に体育館が1つと、剣道場、柔道場がそれぞれ1つずつ。
そして運動場にプールとテニスコートが隣接している。
そして、運動場の向こうには3階建ての寮。
全寮制ではないが、遠くから入学してくるものへの配慮であろう。
「さすが、私立だよなぁ」
とは、橙の呟きであった。
国からの少ない資金で建てられた公立高校と違って、さすがに造りが凝っている。
校舎にしても体育館にしても、設備は完璧と言えるくらい整っていて、
ここで生活を送るなら何ら不自由はないだろう。
もちろん、それは部外者の見解であって、実際にこの高校に通う者でなければ
本当のところは分からないのだが。
「失礼しまーす」
職員室は、校門から入って真正面にある第一校舎の2階にあった。
恐る恐る入ると、入り口すぐ近くに座っていた教師が気付いて顔を上げた。
30歳前後の、体格のいい男である。見るからに体育教師、といった風貌だ。
「あ、今日から通うようになってた転校生か?」
よく通る太い声に、はい、と2人が頷くと、彼は
「教頭先生! 転校生が来ました!」
奥の方へ呼びかけた。
つられるようにその視線を追うと、頷いて立ち上がった細身の男が見えた。
50歳はとうに越しているだろう。頭がはげあがり、目の下の皮膚がたるんだ、陰険そうな人物である。
2人は、呼んでくれた教師に軽く会釈をして、足早に教頭の元へと近づいた。
「教頭の岩井だ。校長室に案内するからついて来なさい」
容姿に加えてこの一言で、大関も橙もこの教頭に対する印象を一気に悪くした。
いくら生徒に対してとはいえ、もう少しましな言い方はなかったのか。
仮にも今日からこの高校に転入しようかという生徒である。
せめて愛想笑いくらいしてもバチは当たらないだろう。
そうは思ったが、さすがに言うわけにもいかず、2人は、はい、と再び頷いた。
それを一瞥して、教頭はさっさと歩き出す。
大関と橙はちら、と視線を合わせて、その後に続いた。
ちょうどそれと同じ頃。
「わー、なんか、教頭センセにしてはやな感じぃ」
呟いた者がいた。独特のしゃべり方、零名である。
場所は、『夜光虫』事務所。
「うーん、その、『教頭先生にしては』っていう根拠がわからないんだけど」
その向い側で、苦笑したのは樹であった。
2人とも、片方の耳にイヤホンを差し込んでいる。
その細いコードの行きつく先は、ちょうどミキサー卓を縮小したような形の機械。
そこから伸びた2本のアンテナが、大関と橙の襟につけられた盗聴機からの音声を電波として
それぞれ受信していた。
「まぁ、調子はいいみたいだな」
耳のイヤホンを外して、樹は受信機の本体を眺めやった。
先日、受信はしているはずなのに音が全く聞こえなくなり、大改造を強いられたばかりである。
仕事を遂行するには無くてはならない機械の故障に、その時はメンバー一同青くなったのだが
このぶんだと、どうやら大丈夫のようだ。
「あぁぁっ! 聞いてたのにぃぃ」
「あ、ごめん」
何も考えずにぷつんと受信機の電源を切った樹に、青蘭高校の校長室に入っていく大関と橙の様子を聞いていた零名は
思わず非難の声を上げた。
「まだ、聞く?」
「聞きたいぃ」
転校生が校長と対面する場面など盗聴してもたいして面白く無いだろうに、とは思ったが、
零名に懇願の瞳で見られて樹は再び電源を入れてやった。
どうも、零名はラジオドラマでも聞いているような気でいるらしい。
「いいけど、壊すなよ?」
「だいじょーぶ」
嬉しそうに音量を調節する零名に小さく笑みを零して、樹はソファーから立ち上がった。
「零名、コーヒーとココア、どっちがいい?」
「んーとね、あっためて、砂糖入れた牛乳!」
「ホットミルクね。はいはい」
零名を相手にしていると、まるで弟の面倒を見る兄の心境になってくる樹である。
多少の甘えもわがままも、許せてしまうらしい。
この事務所には、申し訳程度であるが、給湯室の備えがあった。
先日城島雪美がここを訪れた時、零名が隠れていた場所である。
小さい冷蔵庫も、ガスコンロも一応ある。
ただ、男5人が出入りするのみのこの事務所で、それがちゃんとした調理の目的で
使われることはほとんどなかった。
せいぜいお湯を沸かすか、インスタントのラーメンを煮るくらいである。
樹は腕時計で時間を確認して、戸棚からマグカップを3つ取り出した。
片手なべに1人分の牛乳と砂糖を入れて火にかける。
ホットミルク1人分、コーヒーを2人分つくって樹が給湯室を出たのと、
遊汝が帰ってきたのはほぼ同時であった。
「あ、遊汝さん、おかえりー」
「ただいま」
別に、メンバーはここに住んでいるわけではない。
しかし、いつのまにかこの事務所を出るときには、行ってきます、
帰って来たときには、ただいま、と言う癖がついてしまっていた。
ここが行動の拠点である、という意識の表れかもしれない。
車のキーと携帯電話をテーブルの上に投げ出して、遊汝はソファーに腰を下ろした。
その前に、樹がマグカップを置く。
「お、さんきゅ。どうだ、調子は?」
「ん、大丈夫みたい。ノイズもそんなに入んないし」
そうか、と遊汝はイヤホンを耳に当てた。
「今ね、大関くんと橙ちゃん、教頭センセに連れられて校長室に入ってったとこだよ」
「あいつら、上手くやってる?」
「んー、たぶん」
零名と遊汝が同時に吹き出しのは、その直後だった。
「どうしたの?」
受信機から伸びているイヤホンは2つだけである。
聞くに聞けない樹は、小さく首をかしげて二人を見比べた。
「大関くん、『お姉さんの方は』とか言われてるーっ!」
「ぜんぜんバレてねぇ!!」
2人、爆笑。
状況は何となくわかったが、実際に聞いていない樹にはそれがなぜおかしいのかよくわからなかった。
大関が、『お姉さん』と呼ばれたのは、潜入した2人が姉弟であるという設定だからであった。
『外村佳奈』が大関、橙は『外村智』。ちなみに命名は遊汝だ。
根拠はあまりないらしいが、
「昔好きだった人とか?」と橙が茶化したところ、微妙な表情を作って
「さぁな」と誤魔化した。当たらずとも遠からず、というところかもしれない。
「『お姉さん』が3年2組、『弟さん』が1年3組だそうだ」
ひとしきり笑って、ようやく遊汝はイヤホンを外した。
樹の入れたコーヒーに口をつける。
「この分だと大丈夫そうだな。
ま、何があるか分からないから、今日1日あの2人のバックアップ、頼んだぞ?」
最初の出だしが平穏無事なら、大抵その後はわりとスムーズに行くものである。
そういう意味では、今日は1日中力を抜けない。
樹と零名が見せた諒解の首肯を確認して、遊汝は立ち上がった。
「じゃ、俺は本部まで行ってくるから。すぐ戻る」
リーダーは、忙しい。
今投げ出したばかりの車のキーと携帯電話を掴むと、遊汝は足早に事務所を出た。
「あ、コーヒー全部飲んで来りゃぁよかった」
思い出したのは、車に乗り込んでからであった。
続く。
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