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「ここかぁ・・・」
「ん? 何か言った?」
小さく呟いた独り言を問い返されて、橙は隣を歩く女子生徒を見た。
「いや、なんか・・・新聞とかでやってたやつ」
「あぁ・・・、あのこと・・・?」
橙の言わんとしていることが分かると、
その女子生徒は『印刷室』と書かれた札を見上げて、ほんの少し顔を曇らせた。
時間は、昼休みである。朝、校長に挨拶を済ませた後、
橙と大関は各自の教室に案内された。
同じ第2校舎ではあるが、1年生は1階、3年生は3階。
そこで橙・・・もとい、『外村智』は『姉』と別れて、1年3組の教室に入った。
そのまま1時間目から4時間目までを大人しく受けて、
昼休みになった今、学校の案内をしてもらっているのだ。
青蘭高校の内部は、新入生でもわりと覚えやすい造りになっていた。
まず、職員室のある第1校舎には、他に図書館や生物室、音楽室などの特別教室があり、
中庭を挟んだ第2校舎には主に1年から3年までの各クラス。
運動場のすぐ横に建つ第3校舎には、文化部、運動部双方の部室がある。
広くて綺麗、という形容詞の似合う学校であった。
橙が、学校の案内を頼んだ本当の目的の場所は、教室に戻る途中、
通りすぎた職員室の隣にあった。
『印刷室』。
城島雪美の兄、秀二が首を吊った場所。
「城さん・・・城島先生、いい先生だったんだけどね・・・」
案内役をかって出てくれたのは、橙が与えられた席の隣に座っていた女子生徒であった。
名前は水谷沙耶。
当然ながらテキストなど何も持たない橙に、机を合わせて教科書を見せてくれたのも彼女だ。
「城さんって呼んでたの?」
「ほとんどの生徒はそう呼んでた。
友達みたいな感覚で付き合える先生だったから」
橙は、おととい遊汝から見せてもらった写真の城島秀二を思い出した。
すらりとして均整のとれた体躯の男。
遠目の写真だったからそう鮮明に顔が分かったわけではないが、
それでも人のよさそうな笑顔は生徒から慕われそうな雰囲気を醸し出していた。
「自殺・・・だったんだよね?」
「うん・・・。遺書もあったらしいし。まさか、城さんが死んじゃうなんてね・・・。いろいろ悩んでたみたい」
「悩んでた・・・? 何かあったの?」
「あたし達も、心配だったから聞いたんだけど、教えてくれなかった。城さん、悩みごととか
自分1人で解決しようとするタイプだったから。聞いても、おまえ達は心配しなくていい、って・・・」
「・・・そうなんだ・・・」
「ん・・・。多分、あたし達に迷惑かけたくなかったんじゃないかな・・・」
水谷沙耶はそこまで言って小さく溜息をつくと、
「じゃ、教室、もどろっか」
気を取り直すようににっこり笑ってみせた。
「ん・・・」
城島秀二のことについてもう少し知りたい気持ちがあった橙ではあるが、そう詳しく突っ込んで
不審がられるのはまずい。素直に頷いて、彼女の後に続いた。
2日前、樹が図書館で探してきた新聞記事には、
本当に簡単な事のあらまししか記されてなかった。
城島秀二が首を吊ったのは、学校の印刷室。
自分のネクタイを、蛍光灯を支える金属の棒から下ろし、パイプ椅子を踏み台にして吊った、
というわけだ。
コピー機の上には自筆の遺書があり、警察では自殺と断定した。
・・・それが、ちょうど2週間前のことである。
悩んでいた、か・・・。
橙は、先刻の水谷沙耶の言葉を心の中で反芻した。
彼女の話が本当だとすると、その「悩み事」が、城島秀二の自殺の原因となったと考えて
ほぼ間違いないだろう。
自殺を考えるほどの、悩み事。
やはり、学校内のことであろうか。それとも、家庭・・・?
「・・・外村くん?」
考えを巡らせていた橙を、きょとんとした顔で水谷沙耶がのぞき込んだ。
「あ、・・・な、何?」
「いや・・・なんか、難しい顔して考え込んでるから、どうしたのかな、って。
何か、分からないとこでもあった?
一応、学校内の主要な場所は全部案内したつもりだけど」
「あ、うん、大丈夫。なんでもない・・・」
さりげなく誤魔化した橙に、不振そうな顔も見せずに水谷沙耶は、そう、と頷いた。
「じゃぁいいんだけど。分からないことあったら、遠慮なくなんでも聞いてね。
部活に入るなら、そこも案内するし」
「ありがと。ほんとに、助かる」
にっこり笑う彼女に、橙は心の底から感謝した。
「肯定説と否定説、か・・・」
無事に6時間目までの授業を受け、学校から戻ってきた大関と橙の2人を前に、
遊汝は小さく呟いた。
傍らで、樹がノートにペンを走らせ、それを零名が覗き込んでいる。
「どっちが本当だと思う?」
人物を特定せずに、そこにいるメンバー全員に遊汝は問うた。
肯定説は、橙が水谷沙耶から聞いた話。
否定説は・・・大関がクラスの生徒から聞いた話である。
そして。同時にそれは、城島雪美が調査組織『Soleil』に調査を依頼した原因と、ほぼ同じであった。
「城さんの嫁さん、孕んでたんだよ」
言ったのは、3年2組で大関が与えられた席の、すぐ前に座っていた男子生徒であった。
名前を松本裕樹という。どう大目に見ても校則に引っかかっているであろう金茶の髪と、
左耳に金のピアス。
どういう類いの生徒か、誰が見ても一目瞭然である。
松本裕樹は大関・・・『外村佳奈』が転入生として紹介され、
席に着いていちばん最初に話しかけてきた生徒でもあった。
そのおかげで、大関は自分からクラスメイトに声を掛けて友達を作らなければならないという
大きな仕事をひとつ逃れたわけだが、必然的に次の休み時間には
似たような頭の連中が集ってきて、大関はすっかりその中にとりこまれてしまっていた。
「女子生徒と仲良くなって城島秀二の生前の情報を入手する」
というのが本来の目的だったはずだが、なにぶん、異性と喋るよりも同性と話すほうが楽なのは
当然のことである。
女子生徒の制服を着ていても、中身は男のままなのだから仕方がない。
クラスの女子は、というと、転入生に興味はあるが茶髪の男子集団の中に入ってまで
話し掛ける気はない、といったところか、遠くから眺めているだけである。
「嫁さんが孕んでる時にさぁ、いくらなんでも自殺しねぇだろ?」
城島秀二の自殺の話になったのは、3時間目の休み時間であった。
新聞で読んだんだけど、と大関が話を持ち出すと、面白いくらいに乗ってきてくれた。
「だからさぁ、俺たちは城さんが自殺した、ってのはどうも信じられないわけ。
なんか、元気ないってのは知ってたけど、フツウ、もうすぐ親になる男がそんな簡単に
自殺はせんだろう、って」
「あぁ・・・そうかも」
唇に手を当てて大関が頷くと、松本裕樹の隣にいた生徒・・・横山尚之は、だろ? と首を傾げた。
彼も、肩までの髪は脱色されて明るい栗色になっている。
確かに彼らの見解には一理ある、と大関は思った。
城島雪美の話によれば、秀二は夫婦仲も良く、生まれてくる子供を非常に楽しみにしていたらしい。
昔と違って今では生まれてくる前に超音波で胎児の性別を知ることも出来るのだが、
彼らは生れ落ちた瞬間の楽しみとしてそれを聞かずに、男女両方の名前を考えていたという。
そこまでしているのに、生まれてくる子供と奥さんを残して自殺などするはずがない、
と城島雪美は調査依頼をしてきたのであった。
「ただ」
含むように言葉を続けた横山尚之に、大関は小さく首を傾げた。
「ただ?」
「・・・なんで警察が自殺って言ったか知ってるか?」
「遺書があった、って・・・」
答えた大関に、横山尚之は嬉しそうに笑って長い人差し指を前に出した。
「もうひとつ。理由があんだよ」
「理由? 他に?」
2人同時に頷く。
次に松本裕樹が発した言葉に、大関は思いっきり不審そうな顔をして声を上げた。
「密室ぅ!?」
「そ。密室」
「どういうこと?」
さらに眉を寄せた大関に、つまりな、と2人がなぜか声を潜めて・・・
だけどどこか誇らしげに語ったのは、大関のみならず『夜光虫』のメンバーにとって
初耳の話であった。
城島秀二が首を吊った印刷室は、その時内側から鍵が二重にかけられ、
完全に密室だった、と言うのである。
本鍵は管理人室で管理されていて、管理人に声を掛ければいつでも持ち出せるが、
本鍵の上に付いている補助鍵は、内側からしか施錠できないものらしいのだ。
らしい、というのは実際に印刷室に入って見ていないからである。
放課後に大関は橙を誘って印刷室に入ろうとしたのだが、
生徒のみでの入室は禁止されていて、確かめる術もなく帰ってきたのであった。
「・・・でもさ、俺、思ったんだけど・・・」
先刻遊汝が出した問いに、しばらく考えて口を開いたのは、
それまでずっと黙っていた零名であった。
「否定説、肯定説の前に、もし城島センセが、依頼人さんが言うように自殺じゃないってしたら、
一体なんなの? 自殺の反対って言ったら、他殺だよね・・・?」
そうなのである。調査を依頼してきた城島雪美は、
「兄が本当に自殺なのか、調べて下さい」
と言っている。しかし、それは裏を返せば、
「兄は本当は殺されたのではないでしょうか」
ということになるのだ。
遊汝がこくりと頷いた。
「そういうことになる。ただ、城島雪美が『兄は自殺ではない』と思う理由は、
『殺されたのかもしれない』という根拠よりも、自殺だと思いたくないのと、
もうひとつ、城島秀二の妻・康子のためだ」
橙がほんの少し視線を落として、自分の手を見つめた。
「奥さん・・・手首切っちゃったんだよね・・・?」
「ん。発見が早くて一命はとりとめたけど、傷よりも精神的なショックが大きかったんだろう。
メシも満足に食えない状態で、今も病院で療養中だ」
母親がそんな状態でお腹の中の子供にいいはずがない。
それが、調査依頼を申し込む最大の引き金になったのであろう。
「自殺だ、ってことにするのは簡単だけどなぁ・・・」
大関が呟いた。
「簡単だけど、単純にそう決め付けるにしては、おかしいこともいくつかあるよな」
「たとえば?」
樹が問うて、ノートとペンを差し出した。捜査用ノートである。
捜査の記録から所感までを、随時書き留めておくのに使われていた。
それを受け取ると大関は、樹が今までの話をまとめたその下に、@と書いた。
「一つ目は、今日帰ってくる時に橙と話してた、
『なぜ、学校、それもわざわざ印刷室で首を吊ったか』だろ?」
メンバーが、同意の首肯を見せる。家ではなく、仕事場だったのはなぜか。
学校の中でも、印刷室を選んだのはなぜか。
さらに続けてAと書く。
「んで、『なぜ、鍵を二重にかけたか』。これは俺が話を聞いたヤツらが言ってた。
そこまで、厳重にした理由。あとは、『なぜ、誰にも悩みを相談しなかったのか』」
そこまで書いて、大関はメンバーに反論がないことを確認するとペンを置いた。
手を差し出した遊汝に、ノートを渡す。
「うわ、きったねぇ字」
「うるせぇよっ。読めるだろっ」
読めはするけど、と苦笑して、遊汝はノートを全員から見える位置に置いた。
「・・・今大関が言ったこと、それをはっきりさせるのが次の課題だな。
少々難しいかもしれんが・・・。明日からは俺も青蘭高校に潜り込む。樹と零名は、ここで待機。
何かあったら連絡を入れるから、すぐ動けるようにしといてくれ」
「俺と大関は今日と引き続き、生徒のほうの調査だよね」
「橙は女子生徒、大関は男子生徒から、聞けることは全部聞く。
・・・ただ、あまり不自然にならないように気をつけろよ」
遊汝の言葉にメンバーはこくりと頷いた。
橙と大関の役割が、いつのまにかすっかり変わっていることに気づいたのは、
言葉を発した本人の遊汝を除けば皆無であった。
続く。
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