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特急雷鳥


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1994年6月その2 (信越本線その1)
1994年10月その2 (信越本線)


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大阪から金沢に至る電車特急であった。山科−近江塩津間は湖西線を通り、その他の区間は東海道本線、北陸本線を通っていた。

停車駅はけっこう多く、大阪を出発して新大阪、京都、敦賀(つるが)、武生(たけふ)、鯖江(さばえ)、福井、芦原温泉、加賀温泉、小松を経て金沢に至っていた。
その他大津京、堅田(かただ)、近江今津や松任(まっとう)に停車する列車があった。

その昔、1990年代後半ごろまで雷鳥は、大阪を出て北陸本線・信越本線経由で新潟まで行く特急だった。しかしそれほど需要がないと判断したのであろう、雷鳥は金沢止まりになり、新潟を走る特急北越も金沢止まりとなってしまった。
さらに2010年3月から1年間、毎日走る雷鳥はわずか1往復となり、残りはずべて臨時列車になってしまっていた。

そしてとうとう2011年3月に廃止になったわけである。大阪と北陸を結ぶ特急には、雷鳥の他に富山や和倉温泉まで向かう特急サンダーバードがあり、今回すべてサンダーバードになったわけである。

おそらく雷鳥として走っていた車両の一部が廃車になっているのだろう。悲しいことだが今までありがとうと心の中で祈ろう。

上記の旅行記はまだ新潟県内を雷鳥が通っていたころの旅行記である。

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特急白鳥(大阪〜青森)


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1994年2月 (奥羽本線)


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大阪から東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、白新線、羽越本線、奥羽本線を経由して青森に至る電車特急であった。昼間走る特急では最長距離を誇る電車であった。

1日1往復しかしていない電車であったが、青函トンネルが開通するまでは深夜の青函連絡船に上り下りとも接続しており、青函トンネル開通後は急行はまなすに接続していた。

しかしいろいろな問題があった。長い時間を走る特急のわりに短い時間で降りてしまう人が多いため、終点近くで乗る人は、前に乗った人のあとに乗らなければならないこととか、そもそも大阪〜青森どころか大阪〜新潟も航空機の方がずっと速いため、長い距離をずっと乗っている人がとても少なかったことなどである。

そのため、このダイヤの特急は青森〜新潟間の特急いなほと、新潟〜大阪間の特急雷鳥に分割され、さらに新潟〜大阪間も新潟を出た特急は最長でも金沢まで、大阪を出た特急は最長でも魚津までしか行かない運用になり、青森〜新潟間もいなほが秋田〜新潟に短縮されて青森〜秋田間は特急つがるのみ、というようにに分割されてしまった。

新幹線以外の特急は一定距離以上はどれだけ乗っても特急料金が同じであるだけに分割されたのが残念な特急であった。

現在、白鳥の名前は新青森〜函館間を走る特急の名前に転用されている。


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寝台特急日本海


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2000年11月 (津軽海峡線その1)


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大阪から東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線を経由して青森に至る、客車の寝台特急であった。新津−新発田間も羽越本線経由のため新潟駅は通らなかった。

青函トンネルが開通してから2000年代中期までの間、日本海は2往復あって、そのうち1往復は青森から津軽海峡線を通って函館まで達していた。

しかしいろいろあって青森に短縮され、1往復に減便されたものの2012年3月16日までは毎日運行されていた。

どんどん数を減らしていった東京・大阪と九州の間の寝台特急と比較すると、日本海はおもに大阪・京都と青森・秋田を結ぶ特急であり、航空機が不便な場所であるため、お客はそれほど減らず、かなり使われているようであった。

2012年3月17日以降しばらく運転されなくなりその後2012年のゴールデンウィーク、夏休み、年末年始にそれぞれわずかに数日のみ運転されていた。

2013年はゴールデンウィークに日本海が運転されず、夏休みにも運転されないことがわかったので鬼籍に移動した。

最近は安価な航空会社が増えてはいるが、日本海沿線だった客に限ってはこれらの航空会社の恩恵を受ける確率は低く、まことにやるせない気持ちである。


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特急東海


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2002年9月 (東海道本線その1/東海道本線その3)


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東京〜静岡間を結ぶ在来線の特急であった。

全区間東海道本線を経由していた。

同区間には東海道新幹線も走っており、特急東海は特急料金が多少安いくらいでほとんど新幹線に勝ち目はなく、ただ新幹線の停車しない大船、平塚、沼津、清水などの駅で優位性があるくらいであった。その優位性もわずかであり、そんなわけで特急東海は1日2往復しか走っていなかった。

東京〜静岡間には高速バスも走っている。しかし高速道路は渋滞があるため、所要時間が計算できないのが難点である。むしろ特急東海としては、普通列車を乗り継ぐ人の方が主要なライバルだったかもしれない。それほど所要時間も変わらなかったからである。

車両はムーンライトながらと同じ車両を使用していた。
すなわち、客室とデッキとの間に扉がない車両であり、冬季にはドアが開くと寒気が客室に入り込んできたということである。

まあ、リクライニングは使えるので、リクライニングの使えない特急踊り子などと比べればまだましな特急だったのではないかと考えられる。

新幹線と比べるととてもすいている列車なので、混雑が嫌いな人におすすめの特急だったのではないかと思われる。

あまりにも客が少なかったため、とうとう2007年3月17日をもって廃止されてしまった。残念なことである。


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特急きよさと・かいじ号


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1995年7月その1 (中央本線その2)


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大船から小淵沢まで、品川・新宿経由で結ぶ、1995年ごろ運行された臨時特急列車であった。電車で、自由席もついていた。

大船〜品川間は東海道本線、新宿〜小淵沢間は中央本線、そして品川〜新宿間は成田エクスプレスが走っている線路経由で運行されていた。

小淵沢行きはおもに土日の午前中、大船行きはおもに土日の夕方に走っていた。そして「かいじ」が名称に含まれるせいか、当時発売されていた「かいじきっぷ」でも新宿〜甲府間は乗ることができた。

それなりに客は乗っていたが、あずさやかいじの走っている新宿から西だけ乗っていて、新宿〜大船間はそれほど客も乗っていなかったようである。

その後この特急はなくなり、替わりに横浜〜上諏訪(のちに松本)間に臨時の特急はまかいじ号が走るようになったものの、横浜〜八王子間は横浜線経由となり、品川・新宿は走らなくなってしまった。

品川〜新宿間の成田エクスプレスが走っている線路が埼京線、のちに湘南新宿ラインに利用されるようになったことも横浜と甲府以西を結ぶ特急が横浜線経由になった理由であろう。


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特急あさま(在来線)


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1992年10月 (信越本線その1)
1994年6月その2 (信越本線その2)
1997年8月その1 (信越本線その2)


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上野駅から、高崎線・信越本線経由で長野駅に至る電車の特急であった。
一部の列車は信越本線をさらに進んで直江津駅に乗り入れていた。

東京と長野県北部地方を結ぶ列車としてながく使われてきたが、長野オリンピックが開催されることが決定し、突貫工事で長野新幹線が完成すると引き替えに特急あさま、そしてあさまが走るレールの一部である横川〜軽井沢が廃止され、軽井沢〜篠ノ井はJR籍を離れて「しなの鉄道」になってしまった。

在来線特急あさまが停車していた磯部、横川、小諸、戸倉などの駅には長野新幹線は停車しないため、これらの沿線の人にとってはこの上なく不便になってしまったと言えよう。

特急あさまで使われていた車両の一部は長野〜直江津間、新井〜新潟間などで運行されているらしい。その他JR東日本では新型車両導入により特急の車両がけっこう普通列車として運行されているようである。


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新特急谷川


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1995年4月その3 (高崎線)


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上野〜水上間を結ぶ在来線の特急であった。

上野〜大宮間は東北本線(尾久経由)、大宮〜高崎間は高崎線、高崎〜水上間は上越線を経由していた。

上越新幹線が開通するまで、この区間には急行ゆけむりが走っていた。上越新幹線が開通してから急行ゆけむりが「格上げ」され、「新特急」という名前になった。

これが新特急谷川である。

新特急になるとミニ周遊券などの急行自由席に追加料金なしで乗れる特典がなくなり、通常の在来線特急よりいくぶん料金は安いものの、急行より料金が高くなってしまった。

そんなこともあり、この新特急は観光シーズン以外は客が少なかった。

また、東京からだと水上は、青春18きっぷがあることもあり、ほとんどの客は普通列車乗り継ぎで来るようになってしまっている。

とは言っても、水上には当時からずっと高速バスに見放された土地であるので、多少は谷川を使う客もいたのかもしれない。

この列車は1997年ごろ、上越新幹線の越後湯沢止まりの列車を新幹線たにがわと呼ぶようになってから、同じ名前のため新特急水上(みなかみ)と名前が変わってしまった。
その後いつのまにか「新」の名前がつかなくなって特急水上となって特急料金も若干上がり、約10年走っていたが、とうとう2010年12月に臨時列車になってしまった。

水上が走らないときの水上の車両は、2012年3月16日までは特急草津の一部として上野〜新前橋を走り、新前橋で切り離されていたが、3月17日から連結されなくなり、草津の編成はその分短くなった。特急水上が走る際も草津とは併結されずに走るようになった。


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特急秋田リレー号


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1997年3月その1 (北上線)


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田沢湖線が秋田新幹線の工事のためバス代行を行っていた時に、東北新幹線・東北本線の北上駅と秋田駅を北上線・奥羽本線経由で結んでいたディーゼル特急である。

この列車の特徴としては、なんと特急用のディーゼル車を使っていないところである。

普通列車にも使える新型ディーゼル車を数両連結し、普通列車ならば壁のない場所に壁をつけて入り口と車内の境目を作って間に合わせの特急車両にしているのだ。

そのわけは、この特急の宿命として秋田新幹線が完成すれば引退しなければならないのだが、引退した後の車両の身の振り先として、JR東日本にはもうディーゼル特急路線が1つもないので、引退後別路線の特急に転身、というわけにはいかなかったことが原因である。

そのため、この列車は引退後、まだ客車でがんばっていた飯山線の普通列車のあとがまとして運用されることが決まっていた。だからあらかじめ普通列車としての運用を考えた車両で運行されたわけである。

そんなわけで特急としてはあまりいごこちのいい車両ではなかった。

しかし沿線にはほっとゆだや横手など、この特急がなくなれば特急が通らなくなってしまう場所がたくさんあっただけに、なくなってほしくない特急だったと思う。

そんな願いもむなしく秋田新幹線開通とともに廃止され、車両は飯山線などに転用されてしまっている。


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寝台特急あけぼの


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2000年11月 (奥羽本線)


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上野から東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線、奥羽本線を経由して青森に至る客車の寝台特急であった。新津−新発田間も羽越本線経由のため新潟駅は通らないことに注意が必要だった。

廃止直前の数年間は、新潟を経由すると新潟を経由しないルートより運賃が高くなるようになったので、間違えずに新潟を通らないルートで乗車券を申し込むことが必要だった。

以前はあけぼのという名前の列車は、上野〜福島間は東北本線、福島〜青森間が奥羽本線を通る寝台特急であった。しかししばらくの間上野〜小牛田間が東北本線、小牛田〜新庄間で陸羽東線、新庄〜青森間が奥羽本線となり、その後廃止前のあけぼのが走っていたルートを走っていた別の寝台特急を廃止して、そこにあけぼのが走るようになっていた。実質以前のあけぼのの方が廃止になったようなものであった。

以前は上野〜青森間はゆうづる、はくつるといった寝台特急があり、仙台・盛岡を経由する短いルートで運行されていた。しかし、ゆうづるはかなり早いうちに、はくつるも東北新幹線が八戸まで来た2002年12月に廃止されてしまい、それから10数年上野〜青森間の夜行列車はあけぼのしか走っていなかった。

東北新幹線八戸開業前は、大宮〜青森間は盛岡経由の乗車券で乗れるルールがあったが、開業してからあけぼのが廃止されるまではまるまる羽越・奥羽本線経由の乗車券が必要になっていた。

2012年3月31日までは東京都内からあけぼのに安く乗れる企画乗車券、逆に東北地方からあけぼので東京に安く行ける企画乗車券があったのだが、3月31日をもって廃止されてしまい、これで全国のどの寝台特急の寝台車に乗る際にも寝台券が必要となっている。

そんな状態でもそれから2年の間、もうこれしか昔を伝える寝台特急がなくなってしまっていたので、お得なきっぷがなくてもけっこうお客もいたようである。

しかし夜間に人件費を割くこともままならぬと感じたのであろう、とうとう2014年3月14日をもってあけぼのは廃止となった。残念なことである。

なお、2014年3月15日から上り下りともに秋田〜青森間であけぼのが走っていたのとほぼ同じダイヤで特急つがるを1往復増発することになった。

今後サンライズ出雲・サンライズ瀬戸以外の寝台特急はすべて廃止になる予定である。廃止されないうちに乗っておいた方が良いだろう。


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特急たざわ


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1994年2月 (田沢湖線)
1994年10月その2 (田沢湖線)
1995年11月 (田沢湖線/奥羽本線)
1997年3月その1 (田沢湖線)


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[説明]
田沢湖線が盛岡〜大曲間に開通してから1996年ごろまで、盛岡から田沢湖線・奥羽本線経由で秋田まで走っていた電車特急であった。

一部の電車は秋田から奥羽本線をさらに進んで青森まで行くものもあった。

特に東北新幹線が盛岡まで開通してからは、奥羽本線の特急つばさに代わって東京と秋田を結ぶメインルートの一部となった。

しかし秋田新幹線の工事で田沢湖線がバス代行になってから区間が秋田〜青森に短縮され、秋田新幹線の開通とともにそれも「かもしか」という名前に改称されてしまった(2010年12月にさらに「つがる」に改称)。

秋田新幹線の名称も、投票ではたざわが一位だったが、三位あたりだったこまちが採用され、以来たざわという名称はJRではどこにも使われなくなってしまった。

秋田は高速道路の開通が遅れていて、東北自動車道から分岐した秋田自動車道が秋田市とつながったのが秋田新幹線が開通するのとほぼ同時だったこともあって、この特急はそれなりに利用客も多かった。
しかし東北新幹線が開通したのは国鉄が運賃値上げを繰り返していたころだったこともあって、たざわが約1時間に1往復走っていた全盛期には、東京〜秋田の客はかなりの割合で航空機を利用していたこともあり、短距離客が多かったと思われる。

実は一番の影響はなんと、

・たざわで車内販売があったアサヒのスーパードライが、こまちでは売らなくなってしまった

ということがぼくが考える一番の残念なことである。


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特急はつかり


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1994年6月その2 (東北本線その1/東北本線その2)
1997年3月その1 (東北本線)
1998年9月 (東北本線その1/東北本線その2)


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[説明]
東北本線・東北新幹線の盛岡駅から、東北本線経由で青森駅に至る電車の特急であった。
一部の列車は津軽海峡線経由で函館駅に乗り入れるものもあった。

2002年12月に東北新幹線が八戸まで開通した時点ではつかりは廃止になり、八戸から弘前までの特急つがると、八戸から函館までの特急白鳥に名称変更となった(その後白鳥は新青森〜函館に短縮、つがるは特急かもしかが走っていた秋田〜青森間を走るようになり、かもしかは廃止)。

その昔、東北新幹線の開通前は上野〜青森間を通る特急であった。さらに東北本線が全線電化される前はディーゼル車の特急だったこともあった。

はつかりに盛岡〜青森間を通して乗る人はそれほど多いわけではなかった。
なにしろ、盛岡〜青森間で移動が必要な人がそれほど多いわけではなかったからだ。東京から青森に行く人のほとんどは航空機を使用していることもある。

むしろ岩手県内で盛岡から一戸や二戸などに行く人、それから青森県内の移動などに使われることが多かった。
なにしろこの区間は普通列車の本数が少なく、急な用事のために特急はどうしても必要なのである。

盛岡〜青森間に高速バスなども走ってはいるが、インターチェンジから駅までの間が渋滞することが多く、急ぐ人ははつかりを使用することが多そうであった。
はつかりがなくなってからは新幹線効果で時間が短縮されたため、はやて+白鳥乗り継ぎの人は増えたのではないかと思われる。


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特急スーパーホワイトアロー


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2000年11月 (函館本線その2)


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[説明]
基本
現状
補足

[基本]
札幌から旭川まで函館本線経由で結ぶ電車特急であった。

一部の電車は札幌から新千歳空港まで快速に変わって快速エアポートとなり、旭川と新千歳空港を結んでいた。

特急ライラックと合わせると30分に1本おきに走る特急であり、北海道の主要都市の2つである札幌と旭川を結ぶ大事な特急であった。いくぶんスーパーホワイトアローの方がライラックより新しい車両を使っているようであった。

お客はそれなりに多いのではあるが、札幌−旭川間の高速道路が完成し、積雪時を除いて札幌−旭川間の高速バスが安くて便利なため苦戦しているものと思われていた。

[現状]
2007年9月30日をもって特急スーパーホワイトアローは特急ライラックと合わせて廃止され、代わりに札幌−旭川間には特急スーパーカムイが走るようになった。

ただしスーパーカムイではスーパーホワイトアローで使用されていた車両がそのまま使われている。ライラックで使用されていた車両は札幌−旭川間では使用されなくなった。

[補足]
なお、2014年4月1日より、自由席特急券の有効期間が2日から1日に短縮された。このため、出発地によっては夜遅くのスーパーカムイに乗る際に午前0時をまわる可能性がある。

その際厳密に規則を適用すれば翌日の自由席特急券でないと無効ということになる。そんなに厳密な適用となるかはわからないが、念のため自由席特急券は買わずに車内精算した方がいいかもしれない。

この時おつりがいらないように細かい金を持っておくべきだろう。


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特急ライラック


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1994年2月 (函館本線その3)
1999年3月 (函館本線その2/函館本線その3)


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[説明]
基本
現状
補足

[基本]
札幌から旭川まで函館本線経由で結ぶ電車特急であった。

以前は札幌から新千歳空港まで快速に変わって快速エアポートとなり、旭川と新千歳空港を結んでいたが、廃止直前はこの役割は特急スーパーホワイトアローが担(にな)っていた。

特急スーパーホワイトアローと合わせると30分に1本おきに走る特急であり、北海道の主要都市の2つである札幌と旭川を結ぶ大事な特急であった。いくぶんスーパーホワイトアローの方がライラックより新しい車両を使っているようであった。

お客はそれなりに多いのではあるが、札幌−旭川間の高速道路が完成し、積雪時を除いて札幌−旭川間の高速バスが安くて便利なため苦戦しているものと思われていた。

[現状]
2007年9月30日をもって特急ライラックは特急スーパーホワイトアローと合わせて廃止され、代わりに札幌−旭川間には特急スーパーカムイが走るようになった。

特急ライラックで使用されていた車両は札幌−旭川間では使用されなくなった。

今後ともJR発足当時から製造された車両が寿命を迎え、車両更新に伴い新名称になる特急があるものと思われる。

[補足]
なお、2014年4月1日より、自由席特急券の有効期間が2日から1日に短縮された。このため、出発地によっては夜遅くのスーパーカムイに乗る際に午前0時をまわる可能性がある。

その際厳密に規則を適用すれば翌日の自由席特急券でないと無効ということになる。そんなに厳密な適用となるかはわからないが、念のため自由席特急券は買わずに車内精算した方がいいかもしれない。

この時おつりがいらないように細かい金を持っておくべきだろう。


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特急おおぞら


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1985年6月 (石勝線)
1994年2月 (根室本線その1)
2000年11月 (石勝線その1/石勝線その2/石勝線その4)


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[説明]
札幌から千歳線で南千歳へ進み、石勝線で新得へ、そこから東に進んで帯広を通り、釧路(くしろ)に至るディーゼル特急であった。

以前は石勝線が開通しておらず、札幌(函館本線)滝川(根室本線)釧路というルートで運行されていた。石勝線が開通して以来、「普通列車が走らない区間を通る在来線特急」となっていた。

一時期、夜行急行「まりも」が廃止され、かわりに夜行の特急おおぞらが走っていた時期が数年間あったが、その後夜行特急は「特急まりも」という別名称になり、おおぞらは昼間のみに戻っていた。

現在札幌〜釧路間の昼間の特急はすべて「スーパーおおぞら」という名称になり、新しい車両になったため、おおぞらの方は鬼籍に分類している。

一方特急まりもは数年間、毎日走っていたが、2007年10月1日、おもに金土日を中心とした臨時列車になり、1年もたたずに2008年8月31日をもって廃止されてしまった。

夜行高速バスは札幌〜釧路間、札幌〜根室間で相変わらず運行されている。


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