鬼籍・急行・西日本


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急行えびの


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1999年2月その1 (吉都線/肥薩線その1)


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[説明]
熊本と宮崎を結ぶ急行であった。熊本〜八代は鹿児島本線、八代〜吉松は肥薩線、吉松〜都城は吉都線、都城〜宮崎は日豊本線を経由していた。都城〜宮崎は快速運転をしており、急行券不要で定期券でも乗車可能であった。
悲しいことに人吉とえびのの間の高速道路が完成し、高速道路だけで熊本から宮崎まで行けるようになってしまい、高速バスも走っていて急行えびのより速い。
そのため現地の住民はほとんど乗ることはなく、もっぱら使用するのは周遊きっぷ、もしくは九州グリーン豪遊券を使う人に限られていた。
とはいえ肥薩線の景色が美しいので、JR九州はこの急行に新型のディーゼル車を投入しており、しばらくは廃止されることはない…
と思っていたが、あっさり2000年3月10日をもって廃止されてしまった。

車両そのものは人吉止まりの急行くまがわで使われていると思われる。

(その後急行くまがわは廃止され、特急くまがわもしくは特急九州横断特急となった。車両も新しくなったため、えびので使われていた車両が現在どうしているかわからない。廃車になったかもしれない。)


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急行ちどり


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2000年4月 (芸備線)


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[説明]
広島県の広島駅と備後落合駅を結ぶ、芸備(げいび)線を通る急行であった。

このあたりは大阪から備後庄原(びんごしょうはら)や三次(みよし)を直接結ぶ高速バスや、広島から三次経由で出雲市へ向かう高速バスはあるものの、どちらかと言えば自家用車が使われている地域であり、急行はそれほどお客を集めていなかった。

大観光地というわけでもないため観光客はほとんど乗ることはなく、もっぱら使用するのは急ぐため仕方なく急行を使う人だけであった。

そんなわけであまりお客もないまま生きながらえてきた急行ではあったが、とうとう2002年3月22日をもって、同区間を走る急行たいしゃくとともに廃止されてしまった。

残った急行みよしも2007年6月30日に廃止された。


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急行だいせん


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1998年3月その2 (山陰本線その1)


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[説明]
大阪から福知山線・山陰本線を経由して米子に至る夜行急行列車であった。

車両は、ぼくがこれに乗った1998年にはボックス型4人座席の客車で運行されており、行き先も出雲市であったが、廃止直前は以前に「特急エーデル鳥取(鬼籍)」で使用されていた特急型ディーゼル車で運行されていて、けっこう乗りごこちがいいという話であった。行き先は米子止まりになってしまっていた(廃止直前にこの車両にも乗り、乗りごこちがいいことを確認した)。

以下の理由により、廃止直前はあまり混雑することのない列車であった。

・鳥取・島根に用事のある人しか使う必要のない列車であった
・行き帰りに急行券なしで急行に乗れたワイド・ミニ周遊券が廃止になり、その後を引き継いだ周遊きっぷでは急行券を買わないと急行には乗れなくなっていた
・大阪から鳥取・米子・松江には夜行高速バスは運行されており、だいせんより安い

自由席と指定席が連結されていて、寝台車はなかった。

なかなか使う機会のない列車であるが、いつまでも走ってほしい列車であった。

しかし、2004年10月14日をもって廃止されてしまった。

廃止当時は、だいせんが廃止された分、新大阪→福知山の特急北近畿が片道増えた(ただしだいせんより1時間早い)他、鳥取〜米子のだいせんとほぼ同じ時刻の快速とっとりライナーが1往復走っていた。

しかし2010年になって、とっとりライナーの方は早朝便の時刻が1時間ほど繰り下がり、深夜便の方も1時間ほど繰り上がり、完全にだいせんと同様に鳥取〜米子間を移動することはできなくなってしまった。

北近畿の方は2011年3月になって特急こうのとりに名称が変更になっても最終便がほぼ同じダイヤで走っている。


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急行きたぐに


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1995年4月その3 (信越本線その2)


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[説明]
大阪から東海道本線、北陸本線、信越本線経由で新潟に至る電車の急行であった。

使われていた車両は3段式寝台車と呼ばれていた車両で、昼間は4人がけボックスシートとして運用が可能で、夜間は「組み立て作業」を行うと3段式寝台に変わるものであった。
その昔は便利な車両ということで全国的にこの車両を広めていこうとしていた時期もあったらしいが、設計が中途半端だったらしく廃止直前はきたぐにで使われているのみであった。

この車両は交直流で使用可能という特性を生かして普通列車用に改造され、東北・北陸・九州で使われていたこともあったが、いずれも廃止になってしまっている。

2012年3月までは毎日走っていたが、2012年3月から1年の間はおもにゴールデンウィークなどの多客期を中心とした臨時列車となっていた。

2012年3月以前と以降ではほかにも以下のような差があった。

・2012年3月以前は湖西線は経由せず米原を経由していたが、2012年3月以降は湖西線経由となり、大津・彦根・米原・長浜は経由しなくなった。
・2012年3月以前は自由席もあったが、2012年3月以降は寝台・グリーン指定席・普通車指定席のみで自由席はなくなった。

また、臨時列車になる前後で車種が異なっていた急行能登とは違い、2012年3月以前も以降も同型の3段式寝台が使用されていた。

2013年はゴールデンウィークにきたぐにが運転されず、夏休みにも運転されないことがわかったので鬼籍に移動した。


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急行能登


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1995年4月その3 (信越本線その1)


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[説明]
基本
経路の変遷
背景
感想

[基本]
東京都台東区にある上野駅と石川県金沢市にある金沢駅を結ぶ、夜間に運行される急行であった。

[経路の変遷]
時代によって運行経路や行き先が異なる列車である。
最近の運行経路や行き先は以下の3種類がある。

(1)1997年9月以前
上野〜大宮は東北本線、大宮〜高崎は高崎線、高崎〜直江津は信越本線、直江津〜福井は北陸本線を経由する。
直江津で進行方向が逆になる。

(2)1997年10月以降2000年2月以前
上野〜大宮は東北本線、大宮〜高崎は高崎線、高崎〜宮内は上越線、宮内〜長岡〜直江津は信越本線、直江津〜福井は北陸本線を経由する。
長岡で進行方向が逆になるが、長岡ではお客の乗り降りはできない(運転停車と呼ばれている)。

(3)2000年3月以降2011年以前
上野〜大宮は東北本線、大宮〜高崎は高崎線、高崎〜宮内は上越線、宮内〜長岡〜直江津は信越本線、直江津〜金沢は北陸本線を経由する。
(3)の期間のうち2010年3月までは毎日走っていて自由席もあったが、2010年3月以降は、おもに週末のみ運行される臨時列車として運行され、全車指定席(一部グリーン車指定席)となっていた。さらに2010年3月以前に能登に使用されていた車両は引退し、別の車両が能登として運行されていたとのことである。

厳密に言うと(1)の前に、いろいろ異なる行き先だったこともあるそうです。

なぜ(1)でなく(2)の経路になってしまったかというと、(1)の経路の一部が廃止されてしまったからである。

廃止された区間は横川〜軽井沢間、そして軽井沢〜篠ノ井間もJRから第三セクターになってしまった。
だから長岡を経由するのである。長野経由のころは長野にも停車していたが、長岡を経由するようになったら高崎と直江津の間は全く停車しなくなってしまった。

(2)から(3)となった(すなわち金沢〜福井間が廃止された)理由は、お客が少ないからだとのことであり、さらに臨時化した(毎日運行しなくなった)理由は、お客が少ないことに加えて、車両が老朽化したことも原因である。

[背景]
悲しいことに高速道路が開通し、東京からだと米原経由でも長岡経由でも高速道路で富山・金沢に行けるようになってしまい、どの都市にも東京から夜行の高速バスが走っていて急行能登より安い。

これだけ見ると事実上廃止されてしまった八甲田や津軽と同じだが、一箇所異なる点がある。それは、

・東北の県庁所在地にはどこでも、東京から直通で行ける昼間の列車があるが、富山・金沢には必ず名古屋・米原・越後湯沢で乗り換えないと列車では行けない

このために能登は2011年まで存在が許されていた。もちろん直通なら富山にも金沢にも航空機が運航されているが、運賃はずっと高い。そのため一般的にはこの乗り換えで北陸地方に行く人が多い。

以前は上野→富山・金沢で能登に乗る人は少なく、上野から深夜に帰宅する埼玉県中部の住民がかなり使用していたのだが、JR東日本はダイヤを変更し、能登以降にも高崎線の普通電車を運行するようになってしまい、能登はその分客を減らしていた。

2012年になり、ゴールデンウィークに運行されず、夏休みにも運行されないことがわかったので急行能登は「鬼籍」に移動した。

[感想]
(2)の期間が始まって半年後、この区間に急行券なしで乗れていた北陸ワイド周遊券、加賀・能登ミニ周遊券が廃止されてしまい、代わりに作られた「周遊きっぷ」では急行券なしでは能登に乗ることができなくなってしまった。

このような状態になっても14年間運行されていたがとうとう廃止されてしまい、つづいて周遊きっぷも北陸地方関連の周遊きっぷがのきなみ2012年3月31日に廃止されてしまった。

感想としてはこのくらいです。

もし急行能登についてもっと詳しく知りたい場合は、検索エンジンで急行能登と打ち込んで検索してみてください。


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