1998年3月いっぱいで、ワイド・ミニ周遊券が廃止されるというニュースが流れました。
気になることがあります。それは、ワイド・ミニ周遊券で行き帰りに使えた急行のことです。
便利な急行としては、「能登」「きたぐに」「だいせん」が周遊券で利用するには便利なようなので、これらの3つに乗っておこうと考えました。「能登」「きたぐに」は青春18きっぷが使えなくなる4月11日以降に北陸ワイド周遊券を使って乗りに行こうと考えました。3月中に買っておけば4月なら使うことができたのです。
だいせんに乗るには、下りムーンライトながらを使い、岡山経由で出雲市に行き、出雲市からの帰りでだいせんに乗って普通列車で帰れば土日で乗れるだろうと考えました。
ついでに、まだ一畑電鉄の松江温泉〜川跡(かわと)間に乗っていなかったので、だいせんに乗るまでの間に乗ることにしました。そのためには、時刻表を見たところによれば、新見〜米子間を特急やくもに乗らないと一畑電鉄に乗る時間がないようです。
行程を見渡すとほとんど普通列車の旅行になるので、周遊券は使わず、青春18きっぷをメインに使い、だいせんややくもに乗る時は別に乗車券を買うことにしました。
だいせんは出雲市〜倉吉は快速扱いなので倉吉までは18きっぷで乗れます。残りの倉吉から乗車券、急行券を買えばいいわけです。
また、大阪まで乗らず、途中の福知山で降りて京都行きの普通列車に乗れば乗車券も福知山までで良いことになり、さらに節約できます。だいせんに乗り続けるよりも京都着が早いという利点もあり、これで行こうと考えました。
無事青春18きっぷが買えました。
残念ながらムーンライトながらの指定席券は満席で買えませんでした。臨時の大垣行きに乗ることにします。
やくも、だいせんは自由席にしました。新見〜米子、倉吉〜福知山の乗車券も買えました。
こうして準備も整い、旅行の日がやってきました。
山手線は、無事品川駅に到着した。
今日はムーンライトながらの指定席が取れなかったため、ひさしぶりに臨時の大垣行きに乗る。
指定席が満席になるくらいだから臨時は混雑しているかなあと思ったが、意外にも品川駅の臨時ホームは人がそれほどいなかった。床に新聞紙を敷いてすわって待つ。
電車がやってきたので新聞紙をたたんでしまう。それでもまだお客は少なく、ゆったりとすわることができた。そのうち年輩の夫婦が向かいにすわった。電車は発車する。
夫婦に「どちらまで?」ときかれたので「松江です」とこたえた。そうすると、「松江では和菓子を買うといいですよ。」と言われた。そんなふうにしていろいろ話したが、めずらしく今日は眠くなってきたのでいつのまにか眠ってしまった。
それでも浜松で起きることができた。電車はそれほど混雑することもない。またうつらうつらしながら岡崎に着いたので、年輩の夫婦にあいさつして電車を降りた。
いつもローソンに行っているが、今日は反対側の出口に出てサークルKに行くことにした。でも買うのは相変わらずとろろそばだ。
岡崎駅に戻り、米原行きの電車に乗ってとろろそばを食べて眠る。起きたのは関ヶ原を過ぎていた。電車は学生でいっぱいだ。
そのまま米原に着いた。ここで乗り換えだ。さあ、向かいの電車に乗って姫路まで行こう。
岡崎から乗ってきた電車を米原で降りた。そして姫路行きの新快速に乗り換える。
今日は姫路まで行くので米原からは寝ていれば良い。なんとかすわれたので寝てしまう。
今日乗った臨時大垣行きではあまり眠れなかったので、岡崎発米原行きの電車につづいて姫路行きでもぐっすり眠ってしまう。そして姫路の手前で目が覚めた。そして姫路に到着。
まずは改札を出て、急いでトイレに行っておく。
改札をふたたび通り、三原行きの出るホームに行く。そして急いでホームに並ぶ。去年乗った時も多少混雑していたし、まして今日は青春18きっぷシーズンだから、おそらくひどく混雑するだろう。
電車がやってきたので乗る。なんとかすわれた。
クロスシートとロングシートの混じった、東京でも東海道線で走っているような電車だった。そのうち大混雑して電車が発車する。
またしばらくうとうとするが、この電車は三原行きだし、ぼくは今日は岡山で降りて伯備線に乗り換えなければならないので、岡山に近づかないうちに起きて到着を待っていた。
そして電車は岡山に近づき、到着。
電車を降りた。まだ伯備線の電車が出るまでは時間がある。ぼくは駅弁でも買おうと駅弁屋を探すことにした。
姫路から乗ってきた大混雑の電車を岡山で降りた。ここで伯備線に乗り換えだ。
乗り換えるまで時間があるので、駅弁を買うことにした。駅弁売場で駅弁を見比べたが、選んだのは「桃太郎の祭りずし」と呼ばれるちらしずしを主体にした駅弁だった。
駅弁を持って階段を昇っておりて、伯備線の新見行きの出るホームに来て電車に乗った。
さすがに岡山始発の電車なのですいている。ロングシートの席にすわって駅弁を広げた。
桃太郎の祭りずしは、すしめしにきんしたまご、れんこん、えび、たけのこ、しいたけ、そしてさばが乗った駅弁だった。食べているうちに電車が発車した。
あまりお客はいない。
食べ終わってぼーっとする。うまい駅弁だったけど、次に来る時はまた別の駅弁もためして、うまい駅弁を探してみようかなどと思った。
伯備線の電車は谷間を通る。盆地に入っていった。それほど家並みが多いわけではない。
やっぱり岡山と米子、松江を結ぶための路線で、沿線の交通はおまけなんだろうなあと思う。
そうこうするうちに電車は新見に到着した。ここから先は普通列車の数が少ないので、やむなく特急スーパーやくもに乗ることになる。
乗り換え時間が短いので今日も新見駅の外に出ることはできず、そのままホームでスーパーやくもを待った。
新見駅で待っていると、出雲市行きスーパーやくもがやってきた。自由席車両に入る。たいしてお客はいなかった。10人くらいである。土曜日の午後はいつもこんなものなのだろうか。
この車両はなぜか窓ぎわに柱みたいなものが左右3本計6本ほどあり、その部分だけ窓ぎわに席がなく通路側の1席のみになっている。ぼくは柱の後ろの席にすわって足をのばした。柱と言ってもたいして太い柱ではないので柱の横に足をのばすことができる。
車掌がやってきたのであらかじめJTBトラベランドで買っておいた新見→米子の乗車券と自由席特急券を見せてスタンプを押してもらう。
あとはもう3回も通っている場所なので(うち1回は夜行だが)、のんびり過ごす。去年の11月の新幹線以来4ヶ月ぶりの特急はやっぱりいごこちがいい。
山の中の風景から谷間の風景になった。そして伯耆大山で山陰本線に合流し、米子に無事着いた。ここで降りて出雲市行きの電車に乗り換えればまた青春18きっぷが使える。
多少は混んでいた。電車は進んで松江に着いた。さあ、降りて一畑電鉄に乗りに行こう。ぼくは青春18きっぷを見せて改札を出た。
松江駅の北口で、松江温泉行きのバスが出るバス停をみつけようと歩いてみた。
バス停はすぐに見つかった。バスプールとか、駅からちょっと歩いたところとかでなく、本当に駅前から出るバスであった。こういうのはやっぱりちょっとうれしい。
バスがやってきたので、同じように待っている人たちに続いて乗り込む。
10人ほど乗せたバスは松江駅前を出発していく。
こういうバスはおそらくまっずぐ松江温泉駅には向かわず、市内の主要施設に寄りながら行くのだろうと予想していたが、そのとおりであった。
市役所や県庁があるらしいにぎやかな通りを進んでいく。松江駅前よりずっとまちなかのようだ。松江城が見える。
いろいろめぐるとバスは南西に向きを変え、それほどにぎやかでない通りにやってきた。宍道湖が近くにあるようだ。
そして終点松江温泉駅だ。普通JRの駅と離れた私鉄の駅はJRの駅よりもにぎやかな場所にあることが多いのに、ここは松江駅よりもずっとひなびた場所である。
さて、まだまっすぐ電鉄出雲市に行ってもだいせんの発車時刻までは間がある。
ぼくはふと臨時大垣行き夜行で会った老夫婦の言葉を思い出した。
『松江では、和菓子を買うといいですよ』
そうだ、どこか雰囲気のいい和菓子のお店を見つけて職場へのおみやげに買っていこうと考えた。
そう決めて、宍道湖のまわりを時計回りに、松江駅の方角に歩き出した。
てくてく歩いているうちに、宍道湖のそばに公園をみつけた。
そこにはなんと、蒸気機関車が置かれていた。
東京で言うと、新橋駅の山手線の内側の出口の近くに置かれている蒸気機関車みたいなものであった。
近くで遊んでいる父親と男の子がいる。そんなこともかまわずに蒸気機関車に近づいてみた。
「ちどり」と書いてある。
おそらく、以前国鉄で使われていた蒸気機関車であろう。一畑電鉄は昔から電車で運行されていただろうし。
なぜJRから離れたこんな宍道湖の北岸にあるのかわからないが、景色の良い場所だからいいなあと思った。
それとともに、松江温泉駅から散歩してみなければこんな機関車は見つけることができなかったわけだし、ぼくはその偶然に感謝した。さあ、和菓子屋を見つけよう。
せまい道をくねくね進んでなんとか和菓子屋らしき店を見つけ、和菓子を買った。これでよし。
同じ道を戻っていく。機関車のところにやってきてもう1回ながめる。おそらくもう来ることはないだろうと思い、しっかり見ておいた。
さらに進んで松江温泉駅にやってきた。あれ、こっちにも和菓子屋があるみたいだ。なんだか苦労しちゃったなあと思いながら駅に進んだ。もう出雲市に行ってもいいだろう。
電鉄出雲市まできっぷを買い、改札を通って電車に乗って待つ。多少お客が乗ってくるがすわれない人が出るほど混雑しないまま電車は発車した。
この電車はワンマン電車の2両編成のようだ。JRのいろいろなワンマン路線と同じく、ここの電車も進行方向前のドアしか開かないようだ。
ということはうしろの車両には人があまり来ないにちがいないと思い、進んですわることにする。
思ったとおりぼくのほかには誰も人がやってこなかった。そのまま進む。
宍道湖を見ながら電車は進むが、もう日が暮れたらしく、だんだん暗くなってきた。
ある駅の近くでレールが宍道湖から離れて右に曲がっていった。
そう言えば、どこかの本に一畑電鉄はとある駅で方向を変えると書いてあった。どうやらここがその駅のようだ。
一畑口(いちばたぐち)という駅だった。こういう方向転換の駅はJR・私鉄問わず全国どこにでもあるので覚えても覚えなくてもいいだろう。
停車し、ドアが開いてお客が降り終わると、運転手さんがもう片方の車両の運転手席に向けて歩いていく。
そしてドアが閉まり、発車だ。
当然ながら進行方向が逆になった。
今までぼくがいたほうの車両が前になったわけだ。多少混雑してくる。と言ってもすわれない人がいるわけではない。
席を移り、今まで前の車両だったうしろの車両に向かう。読み通り、あまりお客は来ない。
すっかり暗くなった宍道湖を見ながら電車は進む。
川跡に着いて、以前に乗った出雲大社前行きに接続したはずだが、そんな雰囲気もないまま電車はどんどん電鉄出雲市に向けて進んでいく。
宍道湖がやがて見えなくなり、到着時刻がやってきた。
電車は無事定刻に電鉄出雲市駅に到着した。
改札できっぷを渡して一畑電鉄の駅の外に出た。
さて、まだまだだいせんの発車時刻までは時間がある。どこかで夕食でも食べようと、食堂をさがすことにした。
一畑電鉄を電鉄出雲市で降りて、夕食のとれる食堂をさがした。
結局駅前のラーメン屋にしてしまった。さあ食べよう。ずるずるずる。
ラーメンはうまかった。この世にはものすごくまずいラーメンを食わせる店もあるので、まずまずである。とりあえず駅に行って乗る場所を確認しておこう。
出雲市駅はいかにも工事中という雰囲気で、床が臨時通路になっている。
そして、「出雲市駅は3月×日より高架化されました」という張り紙がしてあった。
3月×日と言ったらまだ10日も過ぎていない。
ぼくはこの張り紙を見て、「どこかに廃止したばかりの踏切があるにちがいない」と思った。
踏切でも何でも、廃止したばかりの物は悲しいものである。
だから踏切のあった場所(残骸)に行ってみて、「今までありがとう」とおいのりをするのがいいだろうと考えた。そんなわけで踏切を見つけようと、西出雲の方向に歩いてみることにした。
踏切はそれほど時間もかからずに見つかった。
もちろん高架ができあがっているので、踏切はうち捨てられている。ぼくは踏切に向かっておいのりをした。
そして駅に戻ることにする。
あと発車まで1時間近くあるが、なにもすることもなく、もうホームに入ってもいいだろうと思い、ホームに入ることにする。
高架のホームは風通しが良く、ちょっと寒い。
だいせんの自由席の停車するあたりに行ってみたが、さすがにだいせんを待つ人はいないようだった。さらに待つ。
発車10数分前になってもあまり人はやって来なかった。
ようやくアナウンスがあり、だいせんの客車が出雲市の高架ホームにやってきた。
ドアが開く。乗り込んですわる。
全く席は埋まらない。だいたい15人くらいしか自由席には乗っていない。
発車時刻が近づくと、地元民らしき人が乗ってきた。
なにしろここから鳥取県の倉吉(くらよし)までは快速扱いなので、地元民が多少はやってくるのだ。
そしてドアが閉まり、発車だ。
だいせんは宍道湖を左手に見ながら進んでいるはずであるが、もう宍道湖はぼんやりとしか見えない。
松江、米子と停車していく。降りる客も乗ってくる客もそれほど多くない。
まわりの客はさすがに周遊券を使っているらしい若者ばかりである。
左手には暗い海が見える区間もあるとは思うが、無理して見る気にもなれず、だいせんは進んでいく。
倉吉で快速区間は終わる。
倉吉を発車すると、ひょっとしたら車掌が車内改札にまわるのではないかと思ったが、そんなことはなく、そのままだいせんは進んでいく。どうやらだいせんも去年乗った特急北近畿と同じく、大阪の近くでしか車内改札を行わないのだろう。ぼくは福知山で降りるので、三田で降りた北近畿と同じく、今日も車内改札なしになりそうだ。
さらにだいせんは進む。
しばらくして鳥取に到着した。わ!お客がホームにたくさんいる!
ただでさえこの列車は自由席が1両しかないんだから、これだけの人が全員乗り込んだらすごい混雑になるぞ、と思った。
しかしなかなか乗り込んで来ない。
そのうち乗り込んできたのは、ホームにいた客の中のたった2人だけであった。
どうやら残りは見送りのようで、ほっとした。
鳥取駅にはけっこう長い時間停車する。床下の発電エンジンがうるさい音をたてている。なにしろこのエンジンの発電する電気でドアの開け閉めや電灯などをまかなっているのだ。
そして鳥取を発車する。と同時に眠くなった。福知山までに起きていなければと思いながら眠りについた。きのうも臨時大垣行き夜行だったので眠い。
目が覚めた。時計を見た。よかった、まだ福知山着の時刻にはなっていない。
もうこのまま福知山に到着するまで起きていようと思った。時間が過ぎていく。
やがて到着時刻がやってきた。
だいせんは無事定刻に福知山駅に到着した。
だいせんを降りる。やっぱり他に降りる人はいない。東京方面に行くには便利な乗り継ぎなのだが、さすがに使う人はあまりいないようだ。と言うより、よほど時刻表に詳しくないとここで京都行きが10数分の乗り継ぎ時間で乗り継げることには気がつかないだろう。
どうやら京都行きの電車は既にホームにいるようだったが、ぼくは青春18きっぷにスタンプを押してもらうため、福知山駅で改札に向かうことにした。
福知山駅で急行だいせんを降りたのはぼくだけのようだ。まずは階段を上がっておりて改札に行く。
改札に「倉吉→福知山」の乗車券と急行券を渡し、さらに青春18きっぷを見せて3日目のところにスタンプを押してもらう。押してもらうとまわれ右して階段を上がっておりて京都行きの電車に乗る。
こんな朝5時前の電車だが、3人か4人くらいお客はいるくらいだ。じきに電車は発車する。
さあ、京都行きだから安心して眠れるぞ、と思って眠ろうとしたが、どうもくさい。誰がたばこを吸っている。
まずぼくは、ここが禁煙車か確認することにした。うん、ちゃんと禁煙と書いてある。そしてたばこを吸っている客も見つけた。
ぼくはその客の前で、「すみません、ぼくはのどが弱いのでたばこをやめてくれませんか」と言ってまた席に戻った。
ぼくはたばこをやめたかは確認しなかったが、煙が感じられなくなったのでやめたのだろう。たばこをやめさせたのは去年の4月以来1年ぶりである。
またすわって眠るともう京都だった。さあ、あとは東京に帰るだけだ。まだ朝7時である。電車を降りて階段へと歩いた。
京都駅の山陰本線ホームから東海道本線ホームに向かう途中で駅弁屋を見つけた。よし、けさは駅弁でも食べようと思った。ぼくが買ったのは「いわな寿し」である。去年の12月に続いて今月も京都で駅弁を買うことになった。長浜行きの新快速ホームに行く。
最初はすわれなかったが、近江八幡を過ぎたあたりで補助席にすわれたのでいわな寿しを食べる。すしめしにいわならしい魚が乗ったうまい駅弁だった。そして米原に着いた。ちょうど豊橋行きに乗り換えで、なんとかすわれた。そのまま名古屋を過ぎる。
豊橋行きにそのまま豊橋まで乗っていると必ず浜松に行くのに階段をのぼっておりる必要があるので、手前で浜松行きに乗り換えるのが鉄則である。
豊橋行きは快速、浜松行きは各駅停車なので必ずどこかで追い抜く。それを調べるために時刻表が必要である。この時刻だと追い抜くのは岡崎のようだ。岡崎に着くと向かいのホームに電車が停まっていたので乗り換える。ロングシートである。
すわれたので早々に眠ろうかと思ったが、このあたりでは蒲郡(がまごおり)のあたりで海が見えたような気がするのでしばらく起きていた。
海が見えてきた。東海道本線は海が見える場所が少ないのでこのあたりで海を見ると気分がいいなあと思う。そのまま眠る。
豊橋でどやどや客が乗ってきたような気がするが、浜松まで眠っておく。
浜松から熱海まではかなり混雑していた。熱海からは時刻表では快速アクティーに接続となっているが、また全車2階だてだといやだなと思った。
全車2階だてだと天井が低いし、シートもちょっと狭いような気がするのでおもしろくないのだ。
しかし今日は日曜日である。アクティーはオールロングシートだった。
平日が2階車で休日がオールロングシートというのもよくわからないが、そういうものなのだろう。いずれにせよ2階車よりロングシートの方が広くて快適である。
ぼくはアクティーのロングシートにすわり、東京へと帰っていった。また来月には残った青春18きっぷの旅行が待っている。がんばって今年も旅行しよう。