ファントム
2 マンション前
「…で、ここ誰の家なんです?火村先生」
と、煙草を吸いながら目を細めて、僕の上司の鮫山さんが言った。昨夜雨が少し降った所為で、様子見の為に開けた窓から吹き込む朝の風は、少し肌寒い。
「ガイシャの友人の家ですよ、鮫山さん」
「友人…?え、ちょっと待ってください火村先生!彼が犯人だっていうんですか?それは変ですよ!」
僕は慌てて声を少し小さくして言った。声を張り上げて住人に起きられたらたまらないし、犯人に逃げられのもごめんだ。
鮫山さんの叱咤の視線を受けながら、おそるおそる僕は火村先生に意見した。
大阪府警察署のパトカーの中で、急いで事件のファイルをぱらぱらとめくる。
「殺された被害者の松田秀美さんは、西川恭司の婚約者ですよ?結婚式だって、もう決まってましたし…それに」
今、僕たちが止まっているのは、その西川恭司のマンションの前だ。つまり、火村さんは西川を犯人だと言っているのか?
「おかしいじゃないですか。どうして恋人を殺すんです?確かに彼女とこうなるまで、いろいろとあったみたいですけど、彼は松田さんを奪ったんですよ?」
そうだ、と助手席で火村先生が頷く。その目が、まるで型どおりにしか意見できない生徒に対する、哀れみにも似たものだったから、僕は少し気分を害した。
ひょい、と後部座席に座る鮫山さんが、僕の手元から資料を奪い取る。…まったく、いくら上司とはいえ、そういうときは一言かけて欲しい。いきなり首の横から手がでてきたら驚くではないか。
「松田秀美を巡って、西川と争っていたのは柿野昇。…よくある三角関係か。柿野と西川は高校からの親友…と。最初に付き合っていたのは柿野の方。それを西川に紹介し、皮肉にも友人と自分の恋人松田が恋に落ちてしまい、捨てられちまう…」
「そうです。奪われた柿野が彼女を殺害するならまだしも、親友を、何て言うか、とにかく苦労してやっと手に入れた恋人ですよ?なんで柿野を殺さないで愛してる松田秀美さんを殺すんです!?」
僕の言葉を聞いて、火村先生は少しばかり目を見開いた。
「………ああ、そうか。愛して…」
うんうんと頷く先生に、僕もそれとばかりに同意を促す。
「でしょう!?ですから、いくらなんでも西川さんは犯人じゃないです」
「いえ、確信しました。彼ですね」
「え!?」
「…彼よりも疑わしいのは、柿野の方なんじゃないんですか。柿野は事件当日から行方不明になってるんですよ?現場に争った後と、凶器に柿野の指紋もありましたし。裏切った恋人をつい衝動的に殺してしまって、逃げてるんだと私は思いますが?」
「ぼ、僕もそう思います!!」
なんでこんなにも、火村先生は確信しているんだろうか。
「柿野はここにいます」
「えええッ!?こ、ここって、西川の家に!?」
そこで初めて、火村先生はこちらを向いてふわりと笑った。勝利を確信した、勝ち気な笑みを浮かべている。でも、すぐにまつげを伏せてため息を付いた。
「ええ、ここにいます。西川の部屋の中に」
「………柿野には身内はいませんから、まぁ、そう言われれば…」
と、鮫山さんが唸る。それはそうだけど、だからって、恋愛で絶縁状態になった、いわばライバルの家なんかを、訪ねるだろうか?西川だって、一番最初に疑うのは柿野のはずだ。簡単に家に入れるわけがない。
…まさか脅されて…?いや、ならば今朝事情聴取の出頭の際に、警察官に言えばいい。
唸る僕と鮫山さんを後目に、火村先生はがちゃ、とドアを開けて車から降りた。少し疲れた声で、僕らに言う。
「行きましょう…」
back
home
next