ファントム
3 西川の家



西川の部屋は、男としてはとても綺麗だった。…というより、これは恐らく彼女が掃除していたんだと僕は思う。玄関を入って、すぐに下駄箱の上に飾ってある、陶器の置物が目に飛び込んできたから。いい匂いがしたから、ポプリか何かかと思う。埃が少ない廊下に、整理整頓された食器棚。清潔な白のテーブルクロス。添えられた生花。

 僕たちはすんなりとリビングに案内され、すぐにソファに腰掛けたのは火村先生で、続いて僕、鮫山さんとなった。

「…すいません、でるのが遅くなって。昨日から、眠れないモノで…」

そう言って、心底申し訳なさそうに西川は頭を下げた。僕たちがインターホンを押してから、十五分も経ってやっとドアチェーンをあげたことを言っている。でも僕らとしても、裁判所からの手配書なしに、(しかも連絡もなし)いきなり訪れたわけだから、しょうがないと言った。

「そう言っていただけると恐縮です。…今、お茶入れますから…」

西川は、まだ25歳。最近話題のベンチャー企業を、親友の柿野と2人で設立した。最初は資金繰りで苦労したものの、最近は安定し始め、結婚という人生の最大の幸福もすぐそこに待っていたのに。
力無くキッチンへ入って行く西川の後ろ姿は、とても悲しいモノに映った。僕より年下なのに、たった一日で一気に老け込んで実際の年寄りもずっと上に見える。

「ああ、そうか、企業の方の金かなにか…?」

いろいろ複雑に考え込んでみて、奥に入り込んだ西川に聞こえないように、最小の声で火村先生に聞いてみる。すると、火村先生は困った、という顔して首を振る。

「…?」





じゃぁ、恋人を殺さなければならない西川の動機とは、一体なんなのだ!?
それに、西川の部屋にいると言っていた、柿野の姿はどこだ!?




「…気づかれて逃げられたかも知れませんよ、火村先生」

僕と同じ思考回路に至ったのか、鮫山さんが眉をひそめて、身を乗り出し火村先生に言う。最初の十五分の間に、もしかしたら柿野は…?

「それはありえません。彼は今もここにいますよ、ずっとね」
「でも人の気配なんてしませんよ?」
「…彼は逃げられませんから」

追求しようとする僕らの視線から逃げるように、火村先生は顔を背けた。
ああ、と僕は嘆息する。火村先生は本当に、最後の最後にならないと何も言ってくれない。秘密主義にも、限度があると思う。有栖川先生がいない所為で、僕と鮫山さんは最小限のことしか分からない。さりげなく僕らに情報を教えてくれる有栖川先生がいない捜査は、かなり気まずい。

「…どうぞ」
「すいません、わざわざ」

だされた紅茶は、とてもいい匂いがした。手にとって頂くと、ほんわりと甘い香りが口じゅうに広がる。

「…おいしいですね」
「秀美は紅茶が大好きでしてね、葉から煎れるんです」
「へぇ、本格的ですね」

火村先生と言えば、全くの無表情で座っていた。出された紅茶に手を出すわけでもなく、ただ、じっと西川の顔を見つめている。でも何も言わないので、さすがに西川は気まずくなり、不安を声に出した。

「………あの、何か僕に…?」
「ええ、まぁ」
「……事件の事でしたら、全て警察の方にお話ししましたが…?」
「事件の内容なんて、俺には関係ありません」


 何を言うのかこの人は!?僕らは犯人を捜しにここに来たんじゃないのか!?



「あなたに興味があったから、ここに連れてきて貰っただけです」
「僕に…興味?面白いことを言うお巡りさんですね」
「俺は警官ではありませんよ、西川さん」

そう紡いで、微笑んだ火村先生は、壮絶な程に綺麗だった。男の僕が男の人に綺麗だと表現するのも変なのだが、本当にそうだったのだから仕方ない。触れたら切れそうな、でも不安になるほど透明な、ガラスの微笑みだった。
こんな微笑み、一度だって見たことは無い。鮫山さんだって、驚いて息を飲むのが分かった。

「あなた、今幸せでしょう?」


俺も嬉しいですよ、とでも言うかのように、火村先生は笑いかける。

「な、何言ってるんです火村先生!!彼は恋人を殺されたんですよ!?」
「そうですよ。不謹慎ではないですか」
「いえ、幸せですよ。俺は確信してます」

かちゃ、とカップに添えられた銀のスプーンを手に取る。視線をそれに移し、くるくると回しながら語る唇は、まだ微笑を浮かべたままだ。
西川と言えば、凍り付いたように表情をこわばらせていた。無理もない。

「だって、手に入れましたもんね?この世で最高の宝物を」
「…………………っ」

息を飲む西川に、火村先生は穏やかに言葉を続けた。



「ああ、いいんですよ。無理しなくても。俺とあなた、同類ですから」


くい、とスプーンの首を撫でる。

「ただ俺は合理的に手に入れる事を望んでいて、あなたは少々無粋な方法で手に入れただけの話ですから」

火村先生の言葉に、息を飲んで黙り込む僕らの周りの空気が、次第にじっとりと重みを増した気がした。無音の部屋に、火村先生がいじって遊んでいるスプーンをこする音だけが響く。
きゅきゅ、きゅきゅ…と。

息を飲む音も、僕は気まずくて出せなかった。

「だからね、このお話を聞いたとき、すぐに犯人が分かりましたよ。あなただって」
「僕は秀美を殺していない」
「ええ、殺していませんね」


さらり、と受け流す。ちょっとしてから、僕は話が矛盾していることに気づく。秀美さんを殺していない…?じゃぁ、犯人じゃないんじゃぁ…?





「でも柿野さんは殺したでしょう?」




きゅ、と短く音がした後、カシャーンという金属音が鳴り響いた。火村先生が弄んでいたスプーンの頭が、ぽっきりと折れて落ちたからだ。

「…ねぇ?こんな風に」
「………………………………」

黙り込む西川。

「ま、待って下さい!!じゃ、今行方不明の柿野昇を、西川が殺したって言うんですか!?」
「そうですよ」
「そうですよって…!」
「松田を殺したのは柿野で、柿野を殺したのは西川…」
「そうです。でも、今鮫山さんが考えてるものとは、動機はたぶん違いますよ」
「…え?違うんですか?」
「ええ、違います」

少し体をかがめて、火村先生は落ちたスプーンの頭を手のひらに取った。

「西川さんが、殺したかったのは、最初から柿野さんだったんです」
「なんですって…?」
そこまで言うと、火村先生はもう二度とこちらを振り向かなかった。固まって瞬きをすることすら忘れてしまったかのような、西川に向かって。

「ふふ、大丈夫ですよ、分かります。だから、来たんです」

僕らにはさっぱり分からない言葉を、火村先生は言う。





「もう一人の俺を見に…ね」



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