ファントム
4 西川の部屋・U




「…同類…ですか」
「ええ、そうです」
「困りましたね、いつか暴かれるとは思ってましたが、動機まで知られるなんて…」

その西川の言葉に、火村先生は肩を揺らして笑った。こんなに機嫌のいい(?)火村先生は見たことがなかった。

「こんな複雑な関係、誰にも分かりませんよ、普通」
「いいえ、常識を当てはめようとするナンセンスな人間でなければ、誰でも分かりますよ。西川さん」
「でも、こちらの方々は分かって頂けてないようですけど…」
「分からない方々をわざわざ連れてきたんです」

ぴしゃり、と響く早さで受け答える。

「俺はまだ、そちら側には行きたくないんですよ、あいにく」

スプーンの頭を持つ手で、さりげなく柄を持ち、握り込む。ぱっと手のひらを開くと、そこにはさっき確かに折れたはずのスプーンが、元通りになって火村先生の右手の中にあった。

「…俺一人で来たら、引きずり込まれてしまうのは分かりましたから。引き止めて貰うためにね」
「狂気の世界に?」
「そう、でもこの世でもっとも至福の園に」

ぱちん、と指を鳴らすと、手のひらにあったスプーンは粉々に砕けて粉になり、消えてしまった。
それを見た西川は、火村先生と同じように笑った。ぞく、と背筋に得体の知れない感覚が走る。

「…僕と昇は親友でした」

静かに、語り出す。

「高校時代の僕は…いえ、今でもですが、昇に救われてました。あいつのほうが辛い人生を歩んでるのに、あいつは挫折とか、諦めるとか、そういうことを全くしない人間だったんです」

こく、と紅茶を飲み、唇を湿らせて西川は話す。

「…好きでした」

 そう言って、す、と立ち上がると、西川は火村先生を奥の部屋へと呼ぶ。

「森下君、君は来ない方がいいぜ」

振り向きもせずに言われて、僕は少しばかりムキになって答えた。

「いいえ、行きます。鮫山さんだって、行くんでしょう?」
「……………しょうがないな」
何がしょうがない、だ。これでももう僕は大人だ。でも、確かに僕は行かない方が良かったのかも知れない。呼ばれて中に入って、僕は後悔したからだ。



「こ、これは…―――!?」



 悪趣味にも程がある。部屋中にあったのは、人体のホルマリン漬けだった。それもこれを見る限り、ばらばらにされた一つ一つのパーツをあわせると、おそらく一体の人間が出来る筈だ。それが誰かも分かった。部屋に入った瞬間に。最奥の棚に、置かれていたのは、間違いなく写真で見た
…柿野の顔があったからだ。
ぐ、と吐き気が起こる。何とかやり過ごしたが、喉がひりひりと痛い。

「どうして…こんなことを…!」

涙声になっていたかもしれない。けれどそんな事に構っていられなかった。呟いてから、ふ、と先ほどの西川の声が蘇る。『…好きでした』と言ったあの言葉が。

「がんばりましたね、随分」
「苦労しました。でも、満足ですよ」
ここでされている会話さえ、僕には信じられない。鮫山さんを見ればやはり顔色が悪い。よかった、もしここで彼にまで一緒にあんな会話をされたら、僕にはどうしていいのか分からなくなってしまうところだった。

「…最初は、そんなつもりなかったんですけどね…」

呟いて、柿野の頬を撫でるようにガラスに触れる。その指が、本当に大切そうに動くのを、僕は苦い思いで見つめた。液体の中で瞳を閉じる柿野は、一種の幻想的な美しさの中にあった。格別顔の整った男ではない。けれど、誰にも越えることの出来ない、次元を突き破った、独特の美が。

「殺すつもりだって、本当は無かったんですよ。秀美と付き合ってると言われたときだって、別に憎しみなんて湧きませんでした。あいつが幸せなら、それでもいいって思ってたんです」
こつん、と叩く。

「でもふいにちょっとした悪戯心が湧きましてね…秀美と寝たんです。そしたら、秀美は…」
「昇さんを裏切った」
「そう、僕が西川京阪グループの次期社長になるかもしれない、という興信所の情報に踊らされてね」
「京阪グループ!?」

 驚いて叫んだ僕に、西川は苦笑して言った。

「それだってね、過去の話ですよ。それを秀美は信じ切ったんだな。僕にすぐに乗り換えた。でもそれぐらいじゃ殺しません。人間間違いなんていくらでも起こすんですから」
「じゃぁ、なんで柿野さんを…」
「秀美がね、言ったんです。昇に。別れたくないって何度も来た昇に」

なんて?と、僕は恐ろしくて聞けない。とても、恐ろしくて。

「『なんて女々しいの!?もしかしてあんた女じゃないの!?それともセックスしたいだけ?はん、じゃ恭司に抱いてもらったら?上手いから』」
「それで?」

 ふふ、と西川は笑う。火村先生と言えば、無表情で言葉に耳を傾けている。

「そこまで言われたら、普通イヤになりません?でも、昇はあきらめなかたんですよ。そして秀美は僕に抱いてと言った。昇の前で、抱いてってね。挑発したんです。僕は拒否したんですよ?」
「でも抱いてやったんですね」
「いいえ?その前に昇が秀美を殺してしまいました」

嬉しそうに。西川は唇を歪めた。

「なんで止めなかったんです?」
「わかりません…そんなの」
「殺して欲しかったから」

はっ、と西川は火村先生を見る。そして深くため息をついた。

「困った、本当に何でも知ってるんですね、あんた」
「今更何を隠すんです?俺には、無駄だというのに」

かつん、と一歩近づいて、火村先生も柿野の眠る顔を見つめた。

「あなた、柿野さん自身に秀美さんを殺して欲しかった。…何故か?それは、柿野さん自身に、間違いを認めて欲しかったから。松田秀美という女を選び…西川恭司を捨てた事は過ちだったと認めて後悔して欲しかった。………違いますか」

それは質問ではなかった。確認だった。

「…そのまま自分の腕の中に戻ってくればいいものを、柿野さんは拒否した。自首しようとでもしましたか?とにかく、あなたはやっと戻ってくると確信できた柿野さんを、今度は法に…いや、どんな理由があるにせよ、奪われることに恐怖した。だから殺した」

 こんこん、と軽くノックするように。





「愛していたから」






視線を西川に戻して、火村先生は嘲笑を浮かべて肩をすくめた。

「愛なんてものは、便利ですね。理由にしてなんでも出来る。俺は嫌いです、そんなモノ」

吐き捨てるような言いぐさに、鮫山さんが心配そうに見つめる。そんな鮫山さんを見て、今度は僕が不安になってきてしまった。

「あなたは、まるで俺の分身みたいですよ」
「ぶんしん…?」
「…いいえ、喋りすぎましたね」

くるり、と西川に背を向けると。火村先生は僕に近寄ってきて、彼に手錠を掛けるよう促す。

「あなた、まだこちら側に来たくない、そうおっしゃいましたね。」
「ええ」

 振り返らず、キャメルを取り出して火をつける。

「―――――――――なぜ。あなたの方が、よっぽど…」
「俺の宝は、まだ俺の腕の中にありますから」

 言葉を遮られて、西川は一瞬きょとん、とした顔をした。でも、すぐに笑った。まるで火村先生を嘲るように。

「あなたの宝が、奪われないことを祈りますよ…――そして永遠にこの世で輝き続けることを」
「……………森下君」

呼ばれて、僕は慌てて西川の両手に手錠を掛けた。何がなんだか分からないまま――唯、後味の悪い気持ちだけを残したまま――事件発生から一日目にして、スピード逮捕となった。


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