cold 09


誰も二人の主人に仕えることはできません。
一人を憎み、もう一人を愛するか
一方を弁護して、他方を侮るか
いずれかですから。


――――官舎669号室。
 …火村の唇に浮かんだのは、見る者を戸惑わせる笑み、だった。
「……永遠なる眠り?………」
 ふるふる…と肩が震える。左手を額にあて、落ちてくる前髪をやんわりと払った。その左手の肘に右の手のひらを当て、しばらくそのままで笑い続ける。
「………救世主を産み、その母たる者が、何故不思議の少女を求める?」
『アナタには、知ル権利はハジメからナイ』
「ほう、トイにそんなコトを言われるとは…。世界で先駆けて俺だけだろうな」
 嫌な予感が、火村の内を占めていた。…けれど、それを素直にトイに知らしめるつもりなど微塵もない。これは下っ端だ。聖母の作り上げた…組織の末端。今ここで、言葉遊びをしてきりきり舞する必要性など欠片もない。
 額に当てた手をずらし、画面上に映る美しくない存在に視線を投げる。トイから言葉が返ってこないから、おそらく火村の答えを待っているのだろう。
「どうやって、返せばいいんだ?」
 そして、気品すら漂わせる火村の瞳が、トイに向けられる事はもうなかった。
「…あの研究所にでも、連れて行けばいいのか?」
『アノ場所は、すデに壊滅シマシタ―――――アナタ方によって、ネ』
 返ってきたのは、苦々しささえ含んだ声音。
 ふ、と笑みが浮かんだ。先程から、笑みが止まらない。
 そう言われれば、そうだったかもしれない。
「そうなのか?悪いが俺はその時の記憶が曖昧なんだ」
『アリスの『宣誓』と共ニ、全テ崩れマシタ。…………知らナイのデスカ?』
「ニュースなんて見てねえからな」
 あの場所はすでに立ち入り禁止区域だ。ニュースに流れる事などない。気の利いた事が言えずに、口を開いた事に少し後悔した。笑えもしない。
(朝井さんにでも、聞くか…)
 逆に聞きたいくらいだ、と反論されるかもしれないが。
(俺には、アリスしか見えていなかったからな……)
 周りになんて、全く気が回らなかった。

「じゃあ、どうやって返せばいいんだ?」

 画面に背を向けて、火村はベットの西側に(玄関側に)あるクローゼットを開いた。
 中から、先程来ていた上着と大して色の変わらないスーツを取り出す。…少しくたびれているかもしれない。袖に手を通し、汚れたネクタイを外す。扉につるしてある赤いネクタイを締めたが、きゅっと、人差し指ですぐにゆるめた。
『アナタが、コチラに赴く必要はありマセン。―――………なのデスから』
 ピエロの答えに、クローゼットの扉を閉めて顔をしかめた。
 両手に手袋をして、悠然と振り返る。
「…………なんだって…?」
 問われて、ピエロは繰り返した。

『コチラに赴く必要はありマセン。――わたしタチが、参りマスから』



第九話 欠けた星が流れる時・T――――『聖母』編


――――『Dream Seeker』本館α・セキュリティ・ルーム

 就任そうそう、こんな事件に巻き込まれるとは。
 くす、と口元に浮かぶ笑みを、なんとか片桐は押さえた。
 きぃ、と軋む音を立てた椅子に座り、ほうと息を吐いて天井を仰ぐ。上着の内ポケットに入れていた研究員認証カードを取り出し、右上にある細長い溝に素早くスライドさせる。認証音が流れるのに、少しタイムラグがあった。…まあ致し方ない、昨日作られたばかり。認識するのに時間がかかる位は。おそらく全ての研究員の情報から検索を行っているのだろう。
 しかし、仕事をするのに、いちいちこんなに時間がかかっていたら、退屈してしまう。何より、緊急時にこの遅さは頂けない。

(あとで、ショートカットさせるプログラムでも作るか)

 一張羅だったスーツをぬぎ、たたんで右側の椅子の上に置く。首元を締め付けるネクタイを外し、二・三回首を回した。左手にしていた馴染み深い時計を外し、キィボードの左横に置く。アナログの物を、片桐は持たない。コンピューターを操作中に、時折電磁波に狂わされるからだ。それに音も気にさわる。かちかち、というメロディは、片桐に不快感しかもたらさない。

まるで、死までのカウントダウンをされているようで。

 そうハックの師である空知に告げると、彼は数秒後にシニカルな笑みを浮かべたものだ。
『片桐クンは、少々神経質なのですかね?』
 そうかもしれない、とも思うし、そうではない、とも思う。

 幼い頃一人夜中に目を覚ました時、時計の時を刻む音が不気味に感じて以来嫌いになったのだ。静まり返る夜でなければ聞けないあの音に、涙を浮かべる程嫌う子供というのは、確かに神経質なのかも知れない。あのカチコチはね、朝に向かっているんだよ、と母に何度諭されても、父になだめられても、違和感を克服できないままこの年になった。

 時計なんてなければいい、と思った時もあった。
 あの音が時を刻んでいるというなら、あれがなくなれば時が進まないなんて真剣に考えもした。

 片桐は、時が流れるのを好ましいと思わない。
 時が止まればいいと思うのだ。いつも。

 普通の家庭用PCの、数十倍はあるスクリーンに、研究所のロゴが入った壁紙がスクロールする。  キィボードの下にあるインカムを取り出すと、スイッチを入れた。
 ザザザと、さざなみにも似たノイズが鼓膜に流れ込む。ピピと音がして、すぐに上司の落ち着いた声が聞こえた。
『片桐君?そこについた??』
「はい、ちょっと時間かかりましたけど」
『ははん、上出来やわ。凄腕のルーキーって、小気味いいもんやね。古株は使えん。頭堅うて』
「何言うんです。ここって暗証使いすぎですよ、古株さんいないとだめです。進めなくなってしまう」
 カカカと、一通りプログラムを流してみる。
 すぐにエラー音が流れた。
「ああ、ホラ。もうつっかかりました」
『ああああ、それ岸本くんのやわ。画面上になにか出てない?』
 ふと視線をあげると、確かに大きい画面に不思議なアニマルがいる。
「なんなんですか、コレ」
『”だれぱんだ”――――結構昔に、癒し系いうて売れたキャラクターや。知らへん?』
 すぱんと答えた。
「知りません」
 画面上で、奇妙な形のパンダが何匹も積み重なったり、ころころ転がったりしている。
「………朝井さん、その、岸本さん、近くにいらっしゃらないんですか?」
『………………』
「……………朝井さん??」
『死んだわ、今さっき。私の目の前で』
「………………………………っ。すみません」
『謝るコトない。………それよりも早う』
「了解です」
 マイクを少し下げ、片桐はキィボードに改めて向かい合った。
 このセキュリティの責任者が死んだ以上、一番重要なプログラムが始動出来ないというコトだ。
(――――――これは、なぁ……。)

 方法は一つしかない。

全てを、白紙にする

 そして、一から組み直すしかない。
 それが一番手っ取り早い。
 インカムを通して、いちいち所員の暗証を突破するよりも、余程気が楽だというものだ。

 ふ、と笑いがこぼれる。
 こうして、ハッカーと対峙する日が来るなんて、思いもよらなかった。
 今まで自分が侵入者であり、データを奪う敵だったからだ。
 守るという受け身にとれる攻撃を、自分は果たして出来るだろうか。

「………そうですね、まずここのセキュリティを全て解除してしまいます。朝井さん、データは全部バックアップしてありますね?」
『大丈夫、私の所に、…………今転送し終えた』
 上出来だ。……この女性は上司として最高だ。
「最高ですよ、朝井さん。―――――じゃあ、壊しますね」
 片桐の指が、淀みなく動き始めた。その動きはある人はピアニストとも言うかもしれない。キィを打ち出す音が、まるで音階をもったメロディラインを描くように聞こえるのだ。
 マウスは使わない。
 試しに流したプログラムは、つい先々日に警視庁のホストセキュリティを壊したものだ。数秒待ってみたが、侵攻が遅い……さすがに研究所だ、そう上手くいかない。
 どうする?
 ふ、と画面の右端に点滅するランプがあった。…誰かが、通信していた名残だろうか。
 プログラムが落ち着くまで、あと数分ある。アドレスを辿ってみる事にした。もしもまだ繋がっているなら、突破口になるかもしれない。

「………あれ、ここ」

 通信の痕跡があったのは三十四カ所。そのうちまだつながりがあるのは、――――官舎669号室。
「………ヒムラ・ヒデオ…」
 噂に名高い、『黒の騎士』の部屋か。一体誰と接触していたのだ?
「外部―――――え!?」

 空知……!?

 プログラムが終了した音にも気づかず、しばらく片桐はその打ち出された名前に驚いてしまった。
 空知?あの、空知?
 空知、といったら、あのアイドルの?
 自分の、師の!?

 『クラッカー』トップと世界的アイドルの会話にも興味が惹かれたが、何より片桐を驚かせたのは、自分の師が今この研究所内にアクセスしているという事実だ。

 ――――――――――――使える!!

 電光石火の直感を、片桐は疑わなかった。ともすれば命にも関わるセキュリティの解除だったが、空知がアクセスしているなら、とたんに成功度の上がった手術に成り代わる。
 空知なら、気づいてくれるはずだ、早すぎるセキュリティの解除に。
 その破壊プログラムを打ち込んだのは誰なのか。

 後は、空知が内部に入り込んでプログラムを組み直してくれるのを待てばいい。
 確かに自分は彼の元を既に卒業し、一流のハッカーになった自覚も自負もあるが、彼のセキュリティプログラムに敵わない事実を、曲げるような愚考はしない。
 誰よりも早い防護の壁を築き上げるのは、彼においていないだろう。

(では、自分は侵入者に空知さんを気づかせなければいいのか…)
 すぐさまホストから離れ、外部セキュリティに入り込む。
 止まっていた指が動き出した。
(こういうのも、なかなか楽しいな……)
 進入してくる先で待っていてもしょうがない。阻んでくれる壁はもう自分が先程壊したのだから。
 後は、薄い鎧を着込んで、レーザー銃を手に取り待つだけだ。

 数個のパターンに組んだプログラムをテストせずに流す。
 自分は囮だ。完璧な兵隊などいらない。必要なのは、鍬を持った農民たちでいい。
 質よりも、今は数だ。時折飛んでくる矢も、効果的かも知れない。数がいると思わせるには。

 す、と視線を一度時計に落とした。このセキュリティ・ルームに入るまでに、三十分も費やしてしまった。自分にもっと体力があれば、と痛感した瞬間でもあった。時間がない。早くしなければ、この研究所の所員が一人、また一人と死んでいくだけだ。
 こく、と息を飲み込む。いち早く避難を促した所長の朝井が、侵入者からの追っ手から逃げられるのにも、そろそろ限界がある。(所員の半分以上は、今避難シェルターに集まっている。片桐は一人そこからここに向かってきたのだ)ここが発見されるのも、もしかしたらすぐかもしれない。
(早く………っ、空知さんっ!!)
 進入してきた、あの―――トイ―――機械人形達…思い出すだけでも背筋に悪寒が走り抜ける。今まで、何人か「患者」を見てきた事のある自分だが(同僚がなった事があるのだ)ああして動いて攻撃してくるトイなど初めて目にした。トイとは、動かない、ただの無機物だと思っていたのに!!

 逃げまどう所員達を撃ち殺した…あの、トイに浮かんだ笑みが、脳裏に焼き付いている。
 身長は約百八十センチ。動くマネキン。あれほどシュールな光景は、もうきっと二度と拝めまい。
 拝みたくもない!!
「――――――?」
 画面右上の、端。何か、今影が映らなかったか………?
 撃退プログラムを自動に切り替えて、慌てて片桐は画面をアップにして中央に持ってくる。
 映ったのは、何処かの廊下……病棟だ。この研究所で、一番端に作られた…。

「―――――まさか!?」

 インカムに、片桐は怒鳴りかけた。
「朝井さん……朝井さんっ!!」
『どないした!?』
「そこに……―――――そこにちゃんといますか!?」
『いる…?いるて、誰のコト?』
「青年です……っ、昨日、運ばれてきた、あの…―――ッ!!」
『………あ―――っ』
 小さな悲鳴の後に、遠く名を呼ぶ朝井の声が片桐に聞こえてくる。数分だったろうか、数秒だったのだろうか。時を憎らしいと思うのは、こういう時だ。そして朝井の声が、突然クリアになった。
『いてへん……いてへんよ!!!?―――――――アリスが!!』
 息を飲む片桐の視界に、今、はっきりとアリスが映し出されている。ちっ、と舌打ちした。うかつな自分や、気づかなかった朝井や所員にまで苛立たしさをぶつけたい気分だ。どうして誰も気づかなかった!!彼は昨日運ばれてきたから、セキュリティに登録されていない!!

このままでは、トイと対峙する前に、プログラムが彼を攻撃してしまう!

 テレビ画面の中で、青年は―――アリスは、しきりに誰かを呼んでいるようだ、音を拾うように促して、呼吸を潜めながら耳を澄ます。

『 ………ら?………―――火村ぁ?…』

 冷たいであろう廊下を、スリッパを履かずに、彷徨っている。
 アリスが、角にさしあたった。
「――――だめだ……だめ、行くんじゃない、まだそこは…っ!!」
 動き出したプログラムを止めようと、片桐は必死に指を動かした。しかし解除しきれない。あの病棟まで届くのに、タイムラグが生じているのだ。
(あそこは病棟練B・3968だ…B・3968……っ、何処だ!!…どこに分岐セクションが……―――ッ!?)
 いまだかつて、こんなにも焦った事があっただろうか。
 追跡プログラムに尻を食いつかれた時以来だろうか。
 いや、そんなもんじゃない。
 今、あの青年の命を握っているは、侵入者のトイの大群でも何でもない。
 ここに座ってキィを叩いている、自分自身なのだ。
「―――――くそっ」
 粗悪なプログラムを組んだのが間違いだった……落ちついていると思っていたのは、結局自分への贔屓目か。なぜこのプログラムをテストする必要などないなどと思ったりしたのか!?
 鍬を持った農民達は、何度諭しても警告を聞き届けてくれない。訓練された兵士達であったなら、王でありながらコマンダー(司令官)の自分に、すぐさまにでも付き従ってくれるというのに!!

「だめだ……誰か……っ」

 視線を流す――――外部から、アクセスがあり、――――空知が侵入していた。でも、ダメだ。彼はもう片桐の意図に気づき、外部セキュリティには目もくれずにホストに向かうだろう。こちらには気づかない。

「だれか……っ」

 そう呟きながら、必死にキィを叩く。
 イヤだ、誰かが、目の前で死ぬのは…っ。
 ピイィ―――――――――――――――!!
 間に合わない!!
「…………誰かぁ!!」
―――――――………誰か。
時を、止めてくれ。





 ピ








 ピピピ…









"病棟練B・3968に、エラーが発生しました。"








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+Atogaki+
*うほほ〜い♪皆さんおひさしぶりです!!(*>m<*)真皓です。やっとトイ9――第九話 欠けた星が流れる時・T『聖母』編――をお送り出来ました。ヨカッタヨカッタ!!万歳!!一時はもうかけないかとまで悩んだよお〜(号泣)ありがとう片桐さん!!あなたのお陰です!!(ホントは書いてくれ、とか、楽しみですって書いてくれたみんなのお陰です!!みんな楽しんでくれました?)今回、計らずもサイバーアクションですね。火村先生最初しか出てないジャン!!(ダメだろそんなの…)
*書き始めたらするすると進んでびっくり!!やっぱり関さんパワーはすごいね。(BGMは「Naked Mind」より"Singing Love 4 U" 他八曲でした☆)ところで九月のイベントの本ですが、ホントどうしよう。トイもだしたいし、オリジナルもだしたいよ〜!!(トイだす場合には、イラスト+αで、第一部の書き足しとおまけ四コマ漫画でもつけようかな…。あとは、”トイソルジャー”出演者楽屋会談とか。)夏コミに行くための資金もためなきゃね☆
*では!!次はおそらくイチゴ☆です。ここまで読んでくださって、本当にありがとう!!

2000/7/31 23:14 明日のバイト、上手くいくといいなぁ……。  真皓拝

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