cold 10

主はわたしの光  私の救い
わたしは誰を恐れよう
主はわたしの命の砦
わたしは誰の前におののくことがあろう


――――官舎669号室。

 ピィ―――――――――――!!
 耳障りな電子音が響いたのはその時だった。
 第一級緊急避難…。世界戦争でも始まらない限り、永遠になることのないレヴェルの警報だ。
 顔を巡らせ、不快だという感情を隠しもせずに火村はゆったりとドアに向かい歩く。…しかし、目の前に立てばすぐにでも開くスライドドアは、いつまでたってもエラー音のみで動かない。
 そうしているうちに、警報も鳴り終えてしまった。
 ドアの上部に設置してある小さなセンサーを睨み、そして一つため息を付くと、火村は身を翻してピエロに対峙した。
「……セキュリティに介入したな?」
『エエ。そのトおリです』
 悪びれた表情も見せず、ピエロは笑う。
 それを見て、火村はもう感情を表に出さなくなった。
 第一級が鳴り響くのは、研究員達が直接の命に関わる事態が起きたことを表している。事故だろうか、いやもしも何かの実験の失敗で命が失われ、更に二次災害を起こしたとしても、せいぜい鳴るのは三級だ。爆発か?否、それならば、爆発音が聞こえてもおかしくない。…例えここと本館がキロメートル単位で離れていたとしてもだ。第一級が鳴り響くということは、それ位大規模でなければ反応しないのだ。
 そして、もう一つ…すぐに鳴りやんだ。
 ホストの故障か?それならば、すぐにでも訂正ブザー音と、放送が入る。
 考えられる最悪の事態が起こっている。
 火村はもう、冷静でいようという考えを捨てた。
 今、確かにこの研究所と研究員達は命の危険にさらされているのだ。
 トイたちの襲撃によって。

 そわっと、鳥肌がたった。彼らがどのような手段でこの研究所を突き止めたのかという事にもだが、今研究員たちの心情を思うと、例えようのない寒気が走るのだ。所長である朝井が、恐らく今必死で研究員達を非難させているだろうが。

 彼らは、話をするトイなんて見た事はない。

 自分という、トイソルジャーであるからこそ対処できるのであって、常に”死”んでいるトイを相手にしてきた彼らは、混乱のあまりパニックに陥っているのではないだろうか。それも無理はない。今まで喋るトイなど、………人型のトイなど、本当に数える程に少ないのだ。
 もしも「患者」の脳裏のみに響く言葉ではなく、本当に話し始めたら、「患者」はもう手遅れと言っても過言ではない。「核」を壊したとしても、もう死は免れない。心が強ければ強い人間ほど、一度魅入られると死は早足でやってくる。
 あの娯楽施設の時は、桁外れなのだろうとタカをくくっていたが、今更ながら火村は考えを改めなければならなくなった。トイが人間を襲撃する…?
 これはもう、根本的なものから、違う。
(……恐ろしい…)
 そして彼らトイと、トイを指示しているマスター…首謀者は、それを唯一阻止し得るアリスの存在を快く思っていないのだ。………いや、違うかも知れない。そう、殺すつもりなら、いつでも殺せたのだ、アリスは。
(己を破滅させるかもしれない…そんな存在を、まるで守るように生かしたのは何故なんだ…?)

 『愛している』から?
 ………そうか、それなら矛盾を包み込める。
 または、何らかの『目的』があるか。
 このどちらかだろう。

「………俺を閉じこめて、なんのつもりだ?」
『……ナニも?』
 くつりと笑ったピエロに。
 静かに火村も笑った。
「―――――――そうか」
『………エエ』
「…ならば尚更、俺はここを出てアリスに会わなくては」
『………出来るナラ、ゴ自由二?』
「出来るさ」
『………………ソノ根拠は、一体ドコから来るノデスか?』
 かつて、この台詞を吐いたのは、いつだったろう?
「―――――俺が、他の誰でもない、”火村英生”だからさ」

 ああ、そうだ……俺が、この力を手に入れた時だった……。







第十話――――欠けた星が流れる時・U

『……ナンですって?』
「トイ………いや、ピエロ。君は、俺のデータをどれ程持ってる?」
 突然の的はずれな問いに、ピエロは仮面の様な無表情に戻った。
 動きが全くなくなったので、壊れたのかと思ったが、違った。どうやら「核」からデータを検出したようである。
『デハ、貴方質問ハ、トイに関すル事項のみデアルと認識シ、個人の詳細データは省略シマス』
 すると次の瞬間、今までのピエロの声ではなく、流れるような淀みない女性の声が部屋に響いた。
『……”火村・英生”――――現存する対トイ組織『クラッカー』の、上位能力者。入隊直後、数年で『五聖騎士』内トップ『黒の騎士』の名を冠する。トイソルジャーはいかなる者でも、常にコンビを組み共に行動するが、彼には特定のパートナーが存在せず……』
「――――――――その通りだ」
『………コレがナンだと言うのデス?』
「…………トイソルジャーは、必ずどちらかの欠点が存在する。」
 す、と右の人差し指で己の左手を指し示す。
 とたんに、空気が微かに震え、その左手には二メートル近い黒い剣が現れた。
 それを見、満足げに一度振るう。
 びゅん!!と、音が鳴った。
「”フェノミナ・クラフト”―――この力を静と動にわけるなら、この力は動。トイの全てを破壊する力だ。俺はこの能力者に分類されている」
 そう言うと、すぐに手のひらを握り込む…すると途端に剣はかき消された。
 そして人差し指で、今度は己の瞳を指す。
「”フェノミナ・アゥゲ”―――この力は静。瞳でトイを探索する。残念ながら、この能力は俺にはない」
『…トイソルジャーに関すル講義デスか?……アア、ソウ言えバ、貴方ハ以前英都大学で講師をシテいたソウデスね……。ソノ名残とイウ奴デスか?その説き癖ハ?』
「まぁ、聞いてくれよ?………この二つで、トイソルジャーの能力者の殆どを仕分ける事が出来る。おもしろい事に、クラフト能力者は探索能力に欠け、アゥゲ能力者は戦闘能力に欠けている。その為に上層部はこの能力者達の欠点を補う為にコンビを義務づけた。だがな、少数ではあるが、この他にも様々な能力があるのさ」
 とんとん、と鼻の頭を叩く。
「”フェノミナ・ゲルフ”――――これも探索能力の一つで、香りでトイを探し出す能力だ。一番の能力者は、確か鮫山さんとコンビを組んでる森下君だったかな…。彼は特殊でね…。アゥゲとゲルフを同時に備えてる…。」
『…………………?』
 耳を指す。
「”フェノミナ・ヘーラァ”――――静の力でな。『音』でトイを聞き分ける。」
『――――――『黒の騎士』??』
 困惑を込めてピエロが問い返す。
 一体彼が何を言いたいのか、全く意図が読めないのだ。
「この中で、過去たった一つしかなく、そして最強だと言われた能力が存在するんだ。知っているか?」
 とんとん、と火村は自分の喉を指し示した。
「”フェノミナ・シティメ”――――クラフトの一種さ…そして最強のな。」
『………ドウイウ意味・デスか……?』
「何故俺がコンビを組まないのか……まだ分からないか?」
 そう言って笑うと、火村は片手を喉に添え、何かを呟く。
『…………『黒の騎士』!?』
 何故か恐怖に囚われ、ピエロは体を動かした。

『花音』

 バキィッ!!と耳障りな音がした――――画面の向こうで。

『――――ひ・ヒィ!?』
 弾かれたように、ピエロの左腕が…付け根から粉々になる。
「”シティメ”――――クラフトの一種さ。『音』でトイを破壊する…。恐ろしいだろう?剣はその長さでしかトイを破壊出来ないが、音は違う。トイの聴覚能力の有無も関係ない。”この音”が、空気の振動を伝えればそれで始動する…。――――――コレを『絶対音』と呼ぶ」
 せっかく封印していたのに…。と、苦々しい…否、どこか嬉しそうな火村の表情。
「これは常に”ヘーラァ”と連動する。……つまり、俺は世界史上初の一人で静も動も扱えるトイソルジャーと言う訳さ。だから弱冠にして『クラッカー』のトップになってしまった…望んだ地位でも力でもなかったが…」

 うむ、と己の喉を触り思案顔で黙り込んだ。
 そして画面の向こうで恐怖に震えるトイを見る…。
 がちゃがちゃと必死で――――時折火村の様子を伺いながら――――キーボードを叩いていたが、そのうちそれすら億劫になったのか、直接配線を己に接続してPCの接触を断とうとしていた。
 しかし、いくら動かしても切れない…強制終了すら出来ない!!
『こ、コレは……ッ。い、一体ドウイウ…!?』
「ふん…空知の奴、やっと浸入できたらしいな…」
 この呟きはトイには届かなかった。
 必死に火村から逃れようと、PCの電源を切ろうとしている。
 音を伝達するこの機械さえなければいいと考えているのだ。
「馬鹿な奴だな……。俺が逃がすと思うか?――――――その上」
 画面の向こうで、ヒッと引きつるような悲鳴があがった。
 その様子に、艶やかに火村は笑う。
「あの”空知雅也”を怒らせたんじゃ、………無事に帰れる筈がないだろう?」
『………ナニ!?……プログラムが…ハカ・ハカイ左レ留……!!』
「…ああ、ダメだろう…空知。それは、俺の獲物だぞ?」
 既に火村はピエロの声に答えたりしなかった。
 眉を寄せて、しょうもない悪戯っ子に怒った時のように軽く肩をすくめる。
 するとそこに非常識な程明るい声が入り込んできた。
『―――火村さんこそ非道いじゃないですか。独り占めはいけません』
「おいおい…。俺の上司の朝井さんが喜ぶんだよ、喋るトイのプログラムを。」
『…ええ??それじゃ…どうしましょう??』
 相変わらずPCの画面にはピエロが映っている…にも関わらず空知の声が聞こえてきたというのは、おそらく外部からこの研究所のセキュリティに入り込み、所内アナウンスをコントロールしているのだろう。
 何度経験しても、この並はずれた力に驚きを覚えてしまう。
「どうしましょうって……。一体何してるんだよ?そっちこそ」
『……片桐君が囮をやってもらっている間に、セキュリティに入り込んで防壁プログラム組んで…同時に作った”私の邪魔をした奴追跡・ア〜ンドちょいと破壊しちゃおうかなプログラム”を流して…ってな所です』
「ってな所ですって……お前。」
『だってですねぇ、人がお話している間にいきなり割り込んじゃいけませんって、子供の頃に教わりませんでした?』
「………まぁ、教わったが…」
『当然でしょう。こっちは重要な話をしていたっていうのに……ん?』
「――――どうした?」

 少し嫌な予感がして、火村はスピーカーに向き合う。

『いえ……その片桐君からのリークなんですけど…。』
「ど?なんだ?お前にしては珍しく要領を得ない言い方だな」
『………片桐君の言い方が悪いんですよ…。ええ?ああ…はいはい』
「なんだ?」
『何でも、今所内いるトイの数は46体。―――そのうち彼がセキュリティで撃退したのが13体です。残り33体がまだ所内をうろうろしてますから、気を付けて下さいね。……まぁ、貴方にこんな忠告しても意味ないですけど、一応心配ですから。―――それで、この情報がよく分からないんですが……アリス、という青年が…』
「アリスがどうしたんだ!?」

 体じゅうの血液が逆流する瞬間とは、このような感覚を言うのだろうか?

『お知り合いですか?――――ああ、何だか彼セキュリティに登録されてなかったらしくて…』
「…………!!」
『……止めようとしたらしいんですけど、エラーが発生して状態が分からないと……』
「何処だ!!」

 腹の底から怒声が響いた。
 ばりん!!と近くにあった机の脚が折れる。
 続いて連鎖でPC画面の向こうで悲鳴があがった。
 粉々に砕けた…。「核」だけでなく、そのピエロ自体も。
『………ッ!!?』
 壊れたトイの映像を見ていない空知だが、そのピエロに侵攻していたプログラムに突如エラーが表示されたので、事態を察したらしい。
『……ひ、火村さ……?』
「―――何処だ!!早く言え!!奴らはアリスを取り戻す為にここに来たんだ!!」
『なんですって!?』
 空知は驚きで手を止めるような愚か者ではない。即座にその場所を火村に伝えた。
『少し待って下さい。火村さんのいる部屋のドアがロックされてるでしょう?今開けま…―――』
 その声が終わる寸前…――――
「…悠長にそんなの待ってられるか!!」

  ズシャァ!!

 普通なら制御されてトイにしか働かないその力を、彼は既に全面解放していた。
 火村は物理的干渉を可能にしていた声と 左手に繰り出した剣で扉を叩き切って部屋を飛び出した…!!



――――病棟練B・2F 廊下/side.A

「危ない!!」
 鋭い声が、後ろからアリスに掛けられた…と同時に振り返る間もなく、突き飛ばされる。
 視界の中で様々な色が混ざり、そして一瞬消える。
 少なからずアリスは驚きを覚えた。
 突き飛ばされた事に、ではない。

 ――――気配を感じなかった事に、だ。

 ビシュウ!!と、アリスがその瞬間までいたその場所に過たず、鋭いレーザーが打ち込まれる。それを視界の片隅で捕らえ、少々遅れながらも危機を回避したことを認識し―――しかし認識はしたものの、押された力をとどめる事が出来ずにアリスは壁に少し強く打ち付けられ、顔をしかめた。
「――――ッ」
 慌てて、体勢を立て直し体を起こす。
 合わない焦点を強引に引き戻し、自分を押した人物を振り返り…。
「――――――――――――火村!?」
 自分の声に、アリスは驚いた。
 声に…言葉にしてから驚く、というのも、不思議な感覚だった。
 そこにいるには、確かに火村だった。
 あの日アリスを連れ出した時のように、鋭い眼差しを何処かへと向け、黒い手袋とスーツを着ている。まるで黒ヒョウのようなしなやかな動きで。燃え立つようなオーラを身に纏う――――火村英生。
 しばらく呆然とその姿をアリスは見つめていた。

 火村は、静かに息を殺して天井を見つめている。
 片膝を床に付け、体全体を低く保ち、右手を強く握りしめて。
 その視線をアリスも辿る―――そこにあるのは、天井の白い壁の角から僅かに覗くレンズ…不気味な赤いランプ。セキュリティだ…、と悟るのに、大した時間も労力も必要なかった。ただ、自然に理解できた―――それが自分を異物だと認識し、攻撃したことを。
「ひむ……―――――」
 声を掛けようとして、アリスはすぐに口を閉じた。
 火村は警戒を解いていない…と、火村の右手が空を切る―――びしッ、と僅かな音をあげ、ランプが点滅し消えた。システムを破壊したのだ…。ささやかな末端のものではあるが。
 それを見た火村が笑顔を浮かべ、立ち上がりアリスに近づいてくる…。
「…アリス―――――」
 ひむら、と微笑もうとして、アリスは失敗した。
(あれ……――――??)
 違和感があった。視界に、何かもやが掛かっているような…。

「アリス…??」

 首を傾げて、火村はアリスに手を差し伸べてくれる。
 アリスは、その手をとるのに、何故か躊躇った。
 その事に、アリスは再び違和感を持つ。
 しかしすぐにその感覚を追い払い、火村の手を借りて立ち上がった。
「ありがとう…助かったわ」
「…全く、じゃじゃ馬なんだからな、お前は。病室から出るなよ」
「せやって……」
 決して強い言葉ではなかったが、火村の台詞は確かにアリスを責めていた。アリスも自分自身悪いことをしたかもしれないと、落ち込んでうつむく。
「なぁ……なんやの??避難訓練でもしてはるの?」
 外が騒がしい…?…いや、”静かすぎる”事に、アリスはいぶかしみ部屋を出て火村を探していたのだ。
 言って、アリスは火村の顔を伺う………と。
「火村??」
「――――…なんだ?」
「――――――、いや。なんでも…」

 いま、『笑った』??

「今な、非常事態なんだよ」
「非常事態…??」
 火村は笑い、アリスの肩に手を掛けて歩くのを促した。
(…………なんや??)
 ぞわ、と確かに今悪寒が走った。
 落ち着かない視線を、なんとかなだめようとした。
 なんだ、この感覚は?
 そわそわ、と体中を支配する落ち着かなさは!!
 一歩、歩み出す。
 二歩…三歩…次第に早く。

 肩を抱かれ並んで歩きながら、アリスは必死にこの感情を分析していた。

 少なくとも、今までに感じたことのない様な感覚であったのは確かだ。
 髪の毛の先まで、逆立つような。
 頭のてっぺんからつま先まで、浮いたり沈んだりするような、ふわふわする…。
 まるで、シンクロしているような、一体感。

 ――――自分の意識が、溶けていく…浸食される感触……!!

 ”そうだ”と確信した瞬間に、自分の意志ではどうにも出来ない懐かしさと、否定できない愛しさが込み上げてきた。
「……アリス?」
「……………………離せ」
「―――――なに??」
 ピタリ、と歩みを止めて、アリスは肩にかかっている火村の手を振り払った。
 少々、乱暴に。
 その動作に、火村は瞳の奥に悲しげな光を宿す。
 真っ正面からそれを見つめてしまったアリスは、苛立たしさと嫌悪とで、愛らしい顔を歪めた。
 この、目の前にいる人間の正体が分からない…。
 分からないのに、今確かにアリスはこの人間の正体を知っている。

 否、感覚が、それを教えてくる。

 これは、自分の分身だと。

 図らずも、二人の立ち止まったのは、ガラス窓の前だった。
 アリスの視界には、今、ガラス窓に映った目の前の人物の姿が見える。
 それをみて、もう一度認識した。
 そのガラス窓に映っているのは、アリスより僅かに背の低い…女性の後ろ姿。
 しかし、視線を目の前に戻せば、変わらぬ火村の姿。………けれど。
(―――――――火村や、ない)
 これは、火村英生ではない。

「お前…誰や」

 僅かに強張った、自分の声に更にいらだちを隠せない。
 気を緩めてしまったら、涙が溢れてしまいそうだった…。
 不安…不安??
 問いつめてはいけない、と遠くで自分の警告の声が聞こえる。
 けれど、それを無視した。
「お前は、火村やない………なんなんや?………どういうつもりで俺を助けた?」
「なんだって?」
「白々し。その姿、いい加減にせい!!」
 びいん、とアリスの怒声が廊下に鳴り響いた。
「俺は火村英生だぞ??何を変な事言っているんだ、アリス?」
「まだ言い張るつもりか、そうか。ならいい…」
 すぃ…とアリスの指が黄金の文字を描き出す…!!
 と、その手を素早く火村の手が払いのけた。
「何て事すんだ!?俺を殺す気か!!」
「俺……?」
 払われた手はそのままに、アリスはにらみ続けた。
 火村の姿をする、その人間を。
 自分の中の確信は揺るぎないものだったか、ソレが大切な人間―――火村―――の顔をしている為に、何を言うにも一瞬の躊躇いが出てしまう。
 そんな自分への嘲りも込め、く、とそのキツイ眼差しのままで笑う。
「おかしなこと言う…。お前が?ひむら?」
 嘲笑を込めた声に、火村は眉をひそめる。
 片眉を上げて、肩でアリスは笑った。右手をゆっくりと掲げ、振り下ろす…――――!!

「あほな事言うな!!火村が…ただの人間が、病人に精神浸食をしかけるか!?」

 がしゃん!!
 その光景を、もしも唯人(ただびと)が見ることが出来たなら、世界中はガラスで出来ていたのかと思うだろう。彼らを包んでいた結界―――薄いヴェールは、ガラスが砕けたように粉々になり、廊下の蛍光灯に照らされ光を纏いながらビニルの上に落ちる。
 精神浸食…相手を意のままに操る、禁断の術…。脳裏にある記憶の欠片たちを、必死にかき集めて叩き出した結論がこれだった。  アリスは、自分が人造人間であることを、既に自覚している。…そして自分があのプロジェクトの集大成の作品であることも―――…自分にも、確かにこの術は施行出来る…しかし、これ程手慣れた、隙のない結界をはれた人物…。

 同族であることに、間違いはない…。
 そして、目の前に、女。
 僅かに驚きに目を見張る…女の姿。

 アリスとは、似ても似つかない大人びた表情をしていた。
 髪はすっと腰にまで伸び、唇は桜色。形のよいカーブを描く眉。
 清楚とした、美しい女性だった。
 しかし、どこかに苛烈さを秘めた瞳が、彼女の気性を最も表していた。
 肩はむき出しのノースリーブのワンピース。裾が長く、床でふわりと広がり、緩やかにたゆんでいる。
 アリスと同様、上から下まで白に身を包んでいた。ただ一つ色が違うのは、首からかけられた、少々ぶこつな金の十字架のネックレス。
 何も共通点はない。
 しかし、アリスは女の本当の姿をみて、目眩を感じた。
 双子ではない…でも、これは分身だ…己の。
「驚いた…私を見分けるなんて…」
 響いた声は、聞いた者の心を揺さぶる、天上の旋律。
「同種に掛ける精神浸入は、面倒なのよ?」
「知ってる…。相手に直接さわらな、最初のプロセスが確立できひん」
「……知ってる?この方法を??――――あなたが」
 女の言葉には、確かに驚きを込めていた。
 黒曜石のような瞳を見開き、数度瞬きする。
「それなのに、こんなところでうろうろしてるのね、アリスとあろうものが。宣誓も終わらせたのでしょう?何故私に会いにこないの」
「な、なんやて??」
 顔を困惑に変えたアリスに、女も困惑を声に込める。
「私が分かる??」
「―――――――――知っておったら、困らへんよ」
「そう……――――――――非道いコね」
 急に興味を失ったようで、女はため息を付いた。
 耳に掛かる長い髪を後ろに払い、ため息をついて視線を外す。

「肝心の私を忘れるの……。――――そう、お前は私に会う為に目覚めたのに、忘れたの」

 綺麗なメロディのような声音が、次第に音を外していく。
 抑揚のない、やはり、怒りを込めた言葉に。
「非道い子ね…悪い子だわ」
 さ、と女の手が翻る――――!!
「!!」
(なんやて……っ!?)
 がしゃがしゃ、と数え切れないほどの足音を耳にし、アリスはあたりを見回した。
 囲まれている……数十体のマネキン―――トイに。
 先程歩いてきた廊下の端に。
 向かおうとしていた廊下の端に。
 視線を、左右から外し女に戻す…と、びゅ!!と、鋭い何かがアリスの頬を掠めた。
 一瞬熱くなったかと思うと、暖かい何かが唇に滑り込み錆び臭さを残す。
「なんのつもりや…」
 くい、と血を拭う。
 女は、楽しそうにアリスを攻撃した指を、くるくると回した。
「お仕置き…よ」
「お仕置きやと!?」
「そう…。こんなにも私はお前を見ていたのに…」
 きり、と唇を噛む女が、一瞬恐ろしく思えて、アリスは一歩壁にあとずさる。
 それをみ、女は至極嬉しそうに笑ってアリスに近づいた。
 壁に退路を阻まれ、アリスは動けなくなる。

 攻撃しよう…そう思うのに、手が動かない。
 右手を必死に見つめる…動かない。

「無駄よ。さっきは私を火村英生の偽物だと思ったから手をあげられただけで、私の姿を見た後で攻撃なんだ出来る筈がないのよ」
「なんで、そないなことがわかるんや!?」
「分かるに決まってるわ。私はあなたの同胞よ?」
「同胞……?」
 先程、この女が自分に近しい事は分かった…が、それが目の前の人物から放り出されると、これ以上ないほど違和感がアリスをつきまとった。
「同胞を攻撃できないよう、私たちは作られているのよ」
「なん…やて?」
 くい、と間近に女の顔が寄ってきた。
 定められた動作の如く、華奢な両手が、アリスの首を絞める。
「―――――――――――!!」
「今、じゃぁどうして私があなたを攻撃出来るのか、と考えているでしょう?」
 麗しい、笑みを浮かべて。
 更に込められる力。
「………………………教えてなんて、あげないわ」
 きり、と指が締め上げる。
(ダメ、や……意識がっ―――――!!)
 目尻から、生理的に涙が零れ出す。
 必死に女の手をかきむしるのに、その力は揺るがない。

(たす、けて…)

 うっすらと、霞む視界の向こうに。

(タスケテ…火村ぁ…ッ―――――――――――!!)

 あの、男の顔を見た。






――――病棟練B・2F 廊下/side.H


 駆けつけたその場所には、わらわらと様々な服を身に纏うマネキンがいた。何故か皆一点を見つめて立ちすくんでいる…どうやら、奴らはもうアリスの場所を突き止めているようだ。だからこんな所に固まって動かない。
 しかし、火村の気配に気づいたのか、彼らが一斉に振り向いた。
 すぐさま左手に出していた剣を消して、喉に集中する。
 目のなき視線が体中に突き刺ささった。
 それを感じ、一瞬わき上がる嫌悪感を振り払い火村は怒鳴る。

「―――――そこをどけ!!」

 ガシャ、カシャン!!
 果たして何枚も重ねられたガラスが一斉に割れたら、その音を表現出来たであろうか。
 彼の目指す方向に佇むトイは、すべてなぎ倒された。
 ―――――その先にいる者…。

 白に身を包むアリスが誰かに首を締める映像が、叩きつけられるように視界に入った。

「アリスッ!!」

 たまらず叫んだ。
 バンッ!!!と、火村の声に弾き飛ばされたに見えた影が、しかし向こう側にひらりと優雅に着地したのを見て、顔をしかめた。
 火村の音の衝撃を受ける前に、予知して避けた…?
 そんなのは不可能だ。

 不可能と可能が入り乱れ始めた現実に、火村は翻弄されないよう意識を凝らした。
(常識に捕らわれるな…!!)
 既に、この状況すら常軌を逸しているのだから。

「アリスっ!?」

 影が離れた途端に廊下に崩れ落ちたアリスの体を、慌てて抱き起こす。
 ほっそりとした白い喉に、赤く指の形の痣。
 まるで自分がそうされたかのように、一瞬火村も息が苦しくなった。
 げほげほ、と咳き込むと、アリスがゆっくりと目を開く。
「ひ、むら…っ」
「―――――…悪いっ、遅くなったっ!!」
「……ええよ、別に…」
 しかし笑みが強張っている。
 どれ程怖い思いをさせてしまったのだろう…―――!!
 激しい後悔が襲ってきたが、火村は今それを抱え込むほど短絡ではない。すぐにその身を翻し、アリスを攻撃していた影に向き合う…と、息を飲んだ。
「お……んな……??」
 ビニルの張られた白い廊下に佇む…女。
 むき出しの腕が僅かに動き、その手が額に当てられる。
 どうやら先程の攻撃を、完全に避けた訳ではなかったようだ。
 こめかみからすぅっと一筋の紅が頬に伝い、唇を染める。
 口の中に入ったのか、錆び臭さに少し顔しかめてそれを舐め取り…。

 漆黒の髪は毛先まで輝きを失わずにつややかで、小さなその顔(かんばせ)の唇の紅によく似合う。くっきりと見開かれた瞳は際限なくひきずり込むような強さがあった。
 身に纏う服は、アリス同様に白で…。
 女の背に高く上った月の光が、淡く女を照らしだして…。
 くらり、と目眩がして…火村は内心焦った。
「な…んだ……?」
「火村っ……!!」
 掠れ声が耳を打つ。
 その時ようやく、止まり掛かっていた思考が動き出した。
 次の瞬間には、美しさに目を囚われはしたが、女のアリスに対する敵意だけは感じとって、立ち上がれずにいる彼を背に庇う。
「――――つまらないわ…。幻術に掛かりもしない」
「……なに?」
「この男ね?アリス……貴方が『宣誓』をした相手は…?」
「……あんたには関係あらへん!!」
 会話についていけない…。
(アリスの……知り合い??)
 困惑に気づいた火村に、女は声をあげずに笑った……。
 右手をゆっくりとあげ、自分の横に張られているガラスに向かって僅かに押し出す。
 と、ガシャンと割れて粉々になり、破片が月明かりを反射させながら宙を漂う。
 首からかけられた十字架のペンダントが、途端激しく揺れた。
 ガラスのその向こうは、池もある中庭。
 その庭園の中、一際大きな石の上にふわりと”飛んで”佇むと、二人に向き合って微笑んだ。

 ―――――これまで見たこともないような、美しい微笑みを。

「初めまして、『黒の騎士』?」
 スカートの両裾を優雅につまんで膝を折り、頭を下げる。
「初めまして、アリス?」
 同様にアリスにもお辞儀をした。
 しかし、その瞳に込められた激しい感情だけは表情を裏切ってはいたが。
「……何者や?」
 気を抜いたら、途端に膝が震えそうになる感覚にアリスは思わず火村のスーツの裾を掴んだ。
 アリスの問いが余程満足だったのか、女はつい、と唇を笑みに歪めた。

「……私の名はマリア。―――心を持たぬ者達の『聖母』よ」





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+atogaki+
*こんばんわ〜(げっそり)ようやっとトイ、第10話をお届けに参りました〜(泣)………大丈夫ですか?皆さん…(><)ちゃんとついて来てるかな…(汗)どうにも段々オリジナル性がプッシュされてきてるけど、ここだけだから〜っ!!意味分からないのは―――!!
*そしてようやくアリスと敵対するマリア登場〜っ!!あと出てないの一人ですね……もうすぐもうすぐ……。ああ、今積様にリクされてる番外編がまだだ……(号泣)待っててください〜っ後もう少しです〜っ!!
*相変わらず長い小説やなぁ…(遠い目)Σあ、今回おちゃめな空知さん(笑)あの人はね〜番外編にもでばってるよ。
それでは、失礼します。夏休みが終わった小中高生の皆さん♪頑張ってね☆
PS.今回は火村センセたくさん出たよね〜♪

2000/9/4   次は何書こうかしら……製本は全く進んでません…諦めようかな、手直し(死)  真皓拝

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