リア、鳥そして




―――「人間は三界に安ずる無く火宅の如し」―――


 三人に、沈黙が重くのしかかる。

「ひ、火村さん…これは…」
「ああ…」

 横に座る空知の言葉を受け、すっと差し出されたその紙を手に取り、目を細めて睨み付ける。
 人差し指で唇を撫でながら、キツイ眼差しで。
 前屈みになると、さらりと前髪が揺れた。

「火村先生…??」
「鮫山さん…これはもしかしたら、連続殺人事件かもしれません」
「連続…??」
「はい。実は、私も似たようなメッセージ…いえ、同じメッセージを受け取ったんです」
「何ですって?」
「…森下君と違い、私の場合は直接見たんですが。落ちていく少女の唇の動きが…コレでしてね」
「―――なんという…」
「はっきりした事は、何もあがっていないんですか?」

 紙から視線を上げる…しかし鮫山は黙って首を横に振るだけだ。

「―――そうですか…」

 ため息を付いたのは、空知と鮫山である。
 火村だけはただ紙の文字をただひたすら見つめていた。まるでそうしていれば、それが答えを弾き出してくれるのではないかというように。
 その様子に気づいた空知が、思わず火村を見て言った。

「火村さん…どうかしたんですか??」
「いや…」

 睨んだまま、火村が小さく言う。
 人差し指がゆっくりと唇を行き交う。それを見ながら、静かに空知は待った。

「―――なぁ空知、お前は『世界』と言われて、まず最初に何を思い浮かべる?」
「『世界』ですか…?」
「鮫山さんも。出来ればお答え下さると恐縮です」
「はぁ…『世界』ですか。………この、地球の事じゃないんですか?」

 と、両手を広げてまあるく円を描くジェスチャーをする。

「お前は?」
「私も同意見ですが…いや…でも」
「でも?」
「『世界』という言葉に何を示すかの言葉がない…。こういう風に書かれると、実は何通りも意味がありますね」
「…そうだ。お前も気づいたか」

 ふっと笑って、紙をテーブルに戻す。そして人差し指でとん、と『世界』の部分を指さすと、一気に喋りだした。

「『世界』という言葉の意味は、恐ろしく幅広い。大体の『世界』は、我々人間社会の事を指し示すが、それはこの社会形態の代名詞でもある。
 この『世界』という感覚を持っているのは、おそらく人間のみだろう。動物は『世界』に入るだろうか?植物に『世界』という枠組みは本来からないだろうからな。
 そう考えていけば行くほど、『世界』はとても曖昧だ。これは常に自分を包有してあるべきもので、自分の周りから『世界』というものが広がっていく。その証拠に、何処の国でも『世界地図』を書かせると自分の国を中心に描く。
 ―――この『世界』が、果たして社会形態か、それとも自己の『世界』なのか、個々の持ちうるだろう『世界』の事なのか…」

 ふぅ…と火村はため息をついた。胸ポケットから煙草を取り出そうとして、空知と目が合い、気まずそうに煙草から手を離した。

「そんなに深く考える事でもないかもしれんがな…」
「―――でもそう考えると、この世は無数の『世界』によって成り立っている訳ですね」
「…まあ…。―――お前ロマンチストか、空知」
「いい加減にして下さい」

 二人の会話に鮫山はくすり、と笑った。
 それに気づいて、火村と空知は不機嫌そうに黙り込む。

「もしもこれが、我々人間社会の『世界』だとすると…一体何を暗示しているんでしょうね…」
「本当に。大体ソルジャーたちに死に際にこんな言葉を知らせて、意味があるのか…」
「しかも飛び降りて自殺する「患者」が、みんなトイが楽譜(スコア)というのも、何か不吉な感じがしますねぇ。年間統計では、同じ物質をトイとする「患者」は、十%未満です。この頃はトイも進化してきていますからね」

 そう言うと、鮫山は眉間に皺をよせて大きく息を吐いた。

「以前は球体で、少なくとも厚さが十数pあり、なおかつ埋め込む為の溝が必要でしたからね」
「そうでしたね。確か主に人形がトイになる例が多かったとか。子供の頃人形を買ってもらないって、泣いた覚え有ります」

 空知がそう言うと、火村は戯けたように片眉をあげた。口を少し歪めて、笑いをこらえるみたいに。

「…なんです」
「いや…そういえば俺もそうだと思ってな。同じ歳だから当たり前か」
「―――とにかく聖楓カンパニーの製品にトイが多いといって、一時パニックになったり」

 火村を無視して、空知が鮫山と話をすすめる。

「そうですねぇ。それが今では『何でも』トイに成りうるから怖いですよねぇ。もう球体になるのは、ナノシステムを壊した時でしかないんですから。紙でもなんでも、入り込んでしまう」
「今や、一ミリもない楽譜の紙に入り込んで心を貪る…玩具だなんて言えない物騒なもんだ」
「トイの事件は増えるばかり…」

 ふぅ、と鮫山は苦笑。その様子に、二人も苦笑するしかない。

「トイのお陰で経済も危ない。―――政府ではトイはいつか排除される、なんて言う政治家がいますけどね」
「無機質を生活の中から排除出来るわけがない我々人間が、トイから脅かされない未来なんて想像出来ないな」

 空知の言葉に、火村の声が重なる。
 何の感情も表さない空知の瞳が、火村に向けられる。
 特に非難がましいものではなかったが、機嫌がよさそうには見えない。思わず火村は肩をすくめた。

「…それにしても。『世界』を愛しているか、愛してないかで、一体何があるって言うんでしょうね」
「さぁ…俺に聞くなよ」

 そう答えると、空知は呆れたように、肩をすくめる。おそらく火村の行動をまねたのだろう。

「どうします、火村先生。これらの事件は…火村先生たちの担当した事件もですが、とりあえず解決してしまっているのですが…。保留にしておいて、情報を集めてみますか?」

 う〜ん、と数秒考えていた火村だが、思ったよりも早く結論がでた。

「いえ、解決にしておいて提出しましょう。巷には嫌になるくらいトイ関連の事件があります。これを保留にしておくと、後々面倒な事が多いでしょうから。―――でも情報だけは集めてみましょう。参考事件として。色々こちらでも調べましたが、この二つの他にも似た事件が数件勃発しています。それにAレヴェルの『静』能力者たちが、続けてレヴェルの読み違えする事も執行部に連絡し、科学庁に調べさせてみましょう。ここまで似た事件が起こるには、必ず共通点が有るはずですから」
「…分かりました」

 すっと立ち上がり、鮫山はソファからそう遠くない通信機の前に立った。壁際に設置されており、厚さは数ミリ。赤いボタンを押し、高さ15p、幅45pの液晶画面に話しかけている。おそらくオンラインで申し込んでいるのだろう。いまトイ事件関連の情報や指令は、何より重用視され扱われる。火村の下した指示が実行されるのにも、数時間も掛からないだろう。
 通信が終わり、鮫山が戻ってきた。
「紅茶を頼みました」といいながらソファに座る鮫山に、今度は空知が喋りかけた。

「…どれも被害者は「患者」…か。鮫山さん、鮫山さんが関わった事件では、誰が自殺し、殺害されていたんですか」
「被害者は女性です。」
「女性…小柄ですか?」
「はい…と言っても、十歳程度の少女が果たして成人女性を惨殺出来るかどうか」
「もしかして飛び降りたのは、少女ですか?」
「はい。ここは共通してますね。少女のトイが楽譜だったんです」
「……第三者の入った形跡は…」
「ありません」
「……………………」

 手に顎を乗せ、空知は数度瞬きした。うむ、というように視線を漂わせると、火村に視線を流した。その視線を受けた火村は、ただ黙って目で肯定する。言え、というように顎でしゃくるだけだった。

「現場は、自殺した者の自宅ではありませんよね」
「はい。照合済みです。どちらともいた自宅から離れています。大抵は近所の子ですがね。両親や周りが気づかぬうちに「患者」になっていたらしく、皆さん遺体を確かめ、事情を聞いて驚いていました」
「―――つまり、少女たちはわざわざ出向いて、捜査員が来たら目の前で自殺する…と」

 取り返しのつかない状況まで、全く気づかないという例は少なくない。特に…一人暮らしであるなら。「患者」は、軽度であれば普通の生活も可能である。しかし少女達は違う。常に人が周りにいた。友人や両親が。僅かな違いなどすぐに気づくであろうに。

「……鮫山さん。少女が自殺した時…トイを持っていましたか」
「…え……?」

 突然問われて、一瞬戸惑った鮫山だが、すぐに記憶を引き出した。

「いいえ…。壁に張り付けられていて…私が壊した後に自殺したんです。ですから、私たちが捜査しに来たとき既に、少女とトイは離れていたことになりますね。…ああ、なるほど」

 ふっと火村が笑った。皆が皆、同じ結論に辿り付いたようだ。

「―――「患者」が自らトイを手放す事なんて出来ない。という事は?空知」
「操られていた…ですかね。その場所まで誘導させられ、ある特定の言葉を残して自殺する」
「しかし…誰が…」
「…どうやって操ったか、ですね。すでに自分とトイで世界を閉じてしまっている「患者」に、暗示をかけるなんてどうやったって無理です」

 ついっと人差し指が再び唇をなぞる。

「トイから聞こえる言葉なんてものは、常に自分の心から発している望みそのものだ。強く自分を憎んでいない限り自殺なんてしないでしょう。結果緩やかな死に繋がっていても、軽い症状の状態で死のうなんて思わない。―――ったく、分からねぇ」

 コンコン、と指がテーブルを叩く。鮫山と空知はどちらも考えに集中しており、部屋の中は空調の音だけが一定時間流れていく。
 と、ふいにノックする音が入り込んだ。
「入れ」
 すかさず鮫山が静かに言うと、失礼しますという声がしてトレイを片手に、一人の青年が入ってきた。
 かたん、とゆっくりとそれぞれの前に置かれた、香ばしい紅茶に手を伸ばし…ふっと視線を向けると、それは見知った人物だった。

「……あれ、森下君…」
「お久しぶりです、火村先生。こちらは?」
「今度コンビを組むことになった、空知雅也です、よろしくお願いします」
「…わぁ、ご丁寧に…こちらこそ。森下っていいます」

 多少スーツに皺があるのは、倒れた時のものだろう。
 いくらか顔色がよくないが、笑顔でスプーンと砂糖を置くと、言われるまでもなく鮫山の隣にいき、すっと座った。
 すると、横でずずず、とわざとらしい音をたてて、鮫山が紅茶を飲んだ。

「……なんでここにいる」
「…なんでって言われても…治ったので…」
「―――ほぅ。治った」

 座ったままで、目だけを隣に向けると無言になる。
 森下はにこにことしているが、空知と火村はなんだか気分的に落ち着かない。

「誰がお前に紅茶を運べって言った。―――新しく入った事務局の女の子に頼んだんやぞ」
「…それは失礼しました」
「反省の色がない。即刻医療室に戻れ。阿呆」
「……………鮫山さ…」
「いいから戻れ」

 カラになったカップを持ったまま、有無を言わせない口調で言い切る。
 森下は仕方ない、というあきらめを表し…しかし火村に向き合うと口を開いた。

「火村先生…あのですね、これが事件に関係あるかどうかは分からないんですが…」
「……?何です?」
「森下」
「鮫山さん、これっきりですから」

 かちゃん!と乱暴に皿に戻し、勝手にせいっとばかりに顔をしかめ黙り込んだ。
 その姿に、すみません、と苦笑しながら謝り、言葉を続ける。

「メッセージの事はききはり、じゃなくて。お聞きになりました?」
「ええ。先程」
「実は、その時…一瞬ですけど、映像が見えた事を思い出したんです」
「なんですって…?」
「―――休憩しているとき、急に思い出したんです。色んな言葉が突きつけられたけど、その周りに微かに別の映像が重なってました―――ああ、これは別に珍しい事じゃないです。関連性のある事項は時折こういう現象が起きますから」

 手を軽く動かして、説明する森下に、静かに空知が言った。

「…『ユニゾン』ですね?」
「ええ。よくご存じですね」
「―――知人にアゥゲがいました」

 視線を逸らし、口を閉ざしてしまう。何かいけない事を聞いたかな、と躊躇した森下だが、すぐに話題を本筋に戻した。

「…最初は全然分かりませんでした。でもよく解析してみると、どうやらその映像は拡大されて見えていたようで、拡大されすぎて全体像が見えなかったんです」
「全体像…それはなんですか」
「………うぅん、施設である事は分かるんです。白くて、木や小さな花畑があったり…。あと、顔は見えないんですが、エプロンをしている女の人……」
「他には?」

 ふるふる、と森下が首を振る。それ以上は何かが分からなかったらしい。

「こういう場合、その「患者」自身の過去や、本人すら覚えていないモノを見てしまったりする事もあります。でも、この映像は文字と共に送られてきたものだったので、何かヒントがあるんじゃないかと。僕一人じゃ分からないので、火村先生に……」

 火村はふむ…と顎に手をあてて、紅茶に目もくれずに思考にふける。
 そうして数秒過ぎた頃、おもむろにスプーンを手にとり、紅茶に砂糖を入れてかき混ぜた。かちゃかちゃとした陶器の音が響く。それぞれ火村の答えを待つようにしていた三人も、何故か気まずくなり間を保とうと己の前の紅茶を口にした。

「…………火村さん?」

 空知が、ふっと視線を彼の手元に落とす。彼はずっと、紅茶をかき混ぜていた。かちゃかちゃかちゃ…。
 それを見て、嬉しそうに笑っている。

「何してるんですか?」
「いや…空知…―――ほら、こうすると…」

 すっとスプーンをコップから取り出す…と、水面は渦を巻いたまましばらく波打ち…数秒して落ち着いた。

「…火村さん??」
「別に頭がイカレたわけじゃない。これはちょっとしたきっかけだ」

 くすり、と笑うと、火村は森下に向き合い、端末のPCを持ってきて欲しい、と頼んだ。
 はい、とすぐに了承し、部屋を出ていく。
 小型のノートパソコンを持ってきた森下は、今度は紅茶を片づけ、室内から素早く消えて戻ってきた。
 はよう寝ろ!という鮫山の言葉を全く聞いていない。

「―――空知、ほら」

 と、起動させてそのパソコンを空知に手渡す。

「何です?」
「お前、情報分析、収集、処理。エキスパートだろ。今から俺が言うコト、叩き出してくれ」

 確信めいた笑顔が、一瞬空知を驚かせた。
 ―――もっとも、その後のセリフには皆がもっと驚いたが。

「…そうしたら、次に事件が起こる場所が分かるかもしれない」




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2000/11/7 真皓拝

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