第五話 こころのすきま



教えて、この手をこぼれ落ちる
「砂のような感情」


 不協和音がこの身を貫く。
 頭の先から、足のつま先まで、自分である筈なのに。
 片隅、記憶の欠片が見つからない。
 青島俊作は、何か秘密を持っている。
 それは、実は大した事ではないかもしれない。分かってしまえば簡単で、あっけなくて、怒りすら覚えてしまうような。
 けれど彼はそれを明かさない、薄いみえないヴェールで隠してしまった。
 彼が隠したいと思っているソレを、自分は身の内に抱いている。このまま探し続ければ、いつか見つかるだろうか?

 不思議だった。
 何故自分は、知りたいと今、もがいているのか。

(もどかしい、なんて、考えているのか…)



「ねねね、き、君っやめなさいよ、自殺なんてさぁ……」

 何人かの警官が、今まさに飛び降りようとしている学生に向かって声を掛けている。空は爽快なくらいに晴れ渡っているのに、地上ははまさにてんやわんやの大騒ぎ。実は今室井は、自殺志願者の青年を引き留めに、とある有名デバートの屋上に立っているのだ。

「人生ね、捨てたもんじゃないよ!?」
「受験でなんかあったんでしょ?一回や二回の失敗がなんだっていうの〜。俺なんか中卒だから、ね」
「そ〜そ、そんなので人生なんとかなるんだから、ましてや君なんかはさ、まだまだ若いんだから」
「ね、やめようよ、自殺なんてさぁ…!」

 必死の説得にも、青年が応じる様子は無い。クリーム色のトレーナーを着て、右手にはバタフライナイフ(デパート内で購入したらしい)を持ち、必死に牽制しようと振り回している。左手には、予備校の帰りなのか学生鞄がある。ズボンは紺色のジーパンだった。髪はのびてはいるが、だらしない程ではない。
 表情も落ち着いている…ただし、瞳だけが正気の色を失っていたが。

「……………来るな」

 静かに返された、抑揚のない声だけが、彼の真剣さを物語っていた。輪唱のようにすきまなく語りかけていた二人の警官も、その様子についに黙ってしまった。喋るだけ無駄だし、下手をしたら……。
 普通に、彼が表通りの方向に身を乗り出しているのなら、まだ話は簡単だった。大きくて丈夫なマットを下に引けるし、途中の階にも安全マットが設置できる。しかし彼はなまじ頭がキレた。狭い通路のある側面に向かって身をのりだしているのだ。幅が狭くて、マットが入らない。
 そちら側は換気扇が多い壁なので、窓がない。従って地面までに青年の(もしも万が一!)落ちる速度を遅くする事も止める事も不可能になるのだ。

「…………ふぅ」
「ちょっと室井さぁ〜ん、何をこれみよがしにため息ついてるんですか」
「いや、別に」
「少しは助けてあげたらどうですか。室井さん頭いいんでしょ?旨く言いくるめれば…」
「しらん」
「しらんってぇ…」

 隣で青島が、心底困り果てた様子でしゃがみこんだ。私は始終無視をした。彼が私にした事を謝り、何を忘れさせたのか思い出させるまで、そうすると決めたからだ。

「ねえ……昨日のこと、怒っているの?」

 困り顔でこちらを見上げてきた青島を見て、ふむ、と私は顎に手をやる。
 怒る?
 そうか、私は怒っているのか。
 だから、こんなにも気に掛かるのだ。青島の事も、昨日の…忘れてしまった記憶の事も。

「ああ」

 静かに目を伏せて、青島を見た。視線を合わせると、少し嬉しそうに唇を綻ばせたのが気にさわるが、この際無視だ。

「そっか」
「謝罪は?」
「え??」
「謝罪と、それに見合った誠意を見せろ。そうしたら許してやる」
「………………」

 きょとん、と目を見開いて、青島が私を見る。それが、あまりにも無防備だったので、こちらが警戒してしまう。どうしたんだ?と。

「……君は、何かしただろう、私に」
「キスしたよ?」
「っ…それじゃない!…記憶に関して、何かしただろう?」
「………うん」

 躊躇いの後、頷きながらそう言った。視線を外してうつむき、コケの生えたコンクリートの隙間を見ながら。

「したよ」
「………もとに、戻して貰おう」
「……いやだ」
「…なに?」
「聞こえなかった?いやだって、言ったの」

 すっと立ち上がり、少し上から、私と視線を絡ませた。強く言い募ろうと口を開きかけたのに、言葉はついぞ紡げなかった。くすり、ととても魅力的な微笑みを浮かべて、彼は囁く。青空が広がるこの場所には似つかわしくない、とても張りつめた声色で。

「出来ないんじゃないよ、やらないの」
「…君に、…!!」

 正直、彼のその押しては来ない、けれど確かな気迫に、飲まれていた。

「君に、私の記憶を自由にする権利なんてあるのか…!」
「ごめんね」

 はっ!と息を飲んだ。…くわん、とあの夜の声を思い出す。初めて会った、あの時の青島の声を。

「これは俺の我が儘。貴方に、俺を知られたくない」

 微笑み。…こちらの喉に、嗚咽が溢れそうになるような、悲しみに彩られたそれ。有無を言わせぬ、ずるい笑顔と声だ。……なんて…なんて…この男は!

「卑怯、もの…っ」

 声が喉の奥に絡んだ。ちゃんと罵れたか、定かではない。

「うん」
「卑怯だ…っ」
「うん」
「相棒だって、言ったのは君だぞ!?そんな事を言うんだったら、私は君に命なんて預けられない」
「…………うん」
「コンビなんて、絶対に組まない!」
「でも、俺は組みたい」
「!」

 少し首を傾げて、まるで幼い子をあやすような舌っ足らずな物言いをした。ふわり、と風に吹かれて青島の髪も揺れる。太陽の光を受けて茶色に透き通った毛先が、踊る。

「室井さんと、一緒にいたい」
「……君は!」
「室井さんの事、もっと知りたい」
「………っ」
「ちゃんと分かっているよ、理屈に合わない事言っているって。でも、いたいんだもの、貴方と」
「……だから、私の記憶を…!」
「それは出来ない」

 シャン!と、堅い何かに触れたみたいだった。強固に、高い壁があるみたいに、拒絶された。

「出来ない」
「……なら、一生コンビは無理だな!」
「……そう、だね。でもさ、それ以外だったら、何でもするから」
「………え」
「………何でも、するから、言って?」
「……あお、しま?」

 戸惑った私に、青島はふわ、と笑った。さっきとは打って変わった、いたずらっ子のような無邪気な顔。

「俺、な〜んでも出来るんだから。言って?叶えたら、俺のことパートナーって認めてよ」
「…………」
「室井さん?」
「とりあえず、あの青年を保護しろ。」
「それだけ?」
「それだけ…って……。じゃあ、もう二度とこんな事をしないように、改心させてみろ。そうしたら、……」
「……ら?」

 むっ、と自分でも、顔が更に気むずかしい表情になった事が分かった。

「認めてやる」

 次の瞬間、あっと私は息を飲んだ。今度は、もう弁解のしようがなかった。確かに、全神経がひっぱられて身動きが出来なくなった。見惚けたのだ、青島の笑顔に。

(ばか、な…!)

 そんな私をよそに、青島はすっと足を出して、青年に近づいていった。周りの警官が、慌てて止めようとする。青年も、青島の存在に、はっと体を強張らせたのが遠目でも分かった。

「来るな!!」
「ね、なんで死にたいの?」
「……………来るな!」
「痛いよ?落ちたら、すっごく」
「…………っ」
「どうして死にたいの?何かあったんでしょ?」
「………し、失敗した!受験に…っ。俺は負け犬なんだ!」
「ふぅん。で?」
「で…って……!」
「それで?その他にも何かあるでしょ」
「……お、俺は……!!」

 デパート関係者、警察、そして野次馬…と大勢のいる屋上で(フェンスの向こうで)青年はあらん限りの声を張り上げて泣きながら叫んだ。受験に失敗したこと、彼女にふられた事、今日窃盗にあった事。今朝ちかんに間違われた事、……彼にとって、不幸の数々を。
 一通りそれをうなずきながら聞いた青島の一言は、はっきりと言って痛烈だった。一瞬室井さえも焦る程に。

「ふぅ〜ん。くだらないね」

 なっ!と彼が絶句するのも無理はなかった。この状況で、更に追いつめるような言葉は逆効果なのに。
 命じた室井としては、気が気でない。確保なんて、本当に出来るのか…。

「それにね、他人の迷惑考えた事ある?」
「………っ」
「落ちた君は別にいいけどさぁ、死体拾う人、大変なんだからね?それにね、このデパートの従業員全員、すんごく迷惑するんだよ?今だってそうだよ、忙しいのに時間さいてさ、君のトコに来ているし…。」
「う、五月蠅いうるさいうるさいいいい……っ!!」
「あのね、君のがよっぽど五月蠅いよ?」
「五月蠅い!死んでやるっ、俺は死んでやるんだぁ!!」
「死ぬ?」

 何かの重要単語を聞いた時のように、青島は大げさにその言葉を口にした。

「死ぬの?ホントに?」
「死ぬ!死んでやる!!」
「死にたいの?君は?」
「ああ!!そうだよ!!俺は…死にたいんだ!!」
「そう、分かった」

 にっこりと微笑んで。
 青島はその瞬間に走り出した。青年に向かって。

「……止めたりしないよ、死の♪」

 青年の体を抱きかかえ……――――

「あ……―――――――!」

 ―――――――空中にダイブ、した。




 あのグリーンのコートがはためくシーンが、やけに、脳裏に焼き付いた。

「青島あぁぁぁぁ!!!」




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ぐは〜…悪辣な終わり方。こんな筈じゃなかったのに(泣)
こんばんは、真皓です。第五話「こころのすきま」お送りしました。
あれー、ホント可笑しいなぁ…もうちょっと進む筈だったのにぃ(怒)
すみません…このまま続きます…。大した事じゃ、ないんだけどね(汗)

01/1/26 テスト最悪、な真皓拝

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