第七話 いーじぃりびんぐ
激しく憧れていた
「貴方と共に生きる事に」
泣くかと、思った―――柄にでもなく。
あの、すり切れた手のひらに触れた瞬間に。
何をやってるんだ、と。
何をさせるんだ、と。
叫びたかった。
そこらにあるすべてを、破壊したくなった。
私は、心配なんてしてない。
呆れただけだ…もう。
定時の時間になった。コートと鞄を手にして椅子から立ち上がる。
「室井さ〜ん、胃薬いる?」
キィ、と椅子をまわして、恩田くんが私に小瓶を差し出してきた。耳下で切りそろえられた艶やかな髪が、ふわり、と少し揺れる。彼女の微笑みと共に。しかしその綺麗な唇の動きに、僅かなからかいがこもっているような気がしたのは、気のせいではないだろう。
「……………」
「……毎日青島くんと巡回じゃ、体もたないでしょ」
「体力は問題ない…ただ…」
「胃が、ね」
くすくす笑って、ぽんと放り投げてくる。慌てて受け止めて、顔をしかめながら尋ねた。
「新人みんな、こんな思いさせられるのか」
「………………」
ん〜とボールペンを数度回し、視線を彷徨わせながら沈黙する。ますます皺を寄せてしまうのが止められないまま、再度訊いた。
「恩田くん」
「どうかしら。ただちょっと、今までの人よりハイペースかもね、青島くん」
くくく、と笑って椅子をまわし、書類に視線を戻してしまう。いってらっしゃ〜い!と顔を向けず手だけを振る。もう行け、という意味らしい。はぁ〜と深いため息をついて、私は湾岸署を後にした。
胃が痛い。
青島俊作という男とコンビを組まされてから、もう一週間近い。
あの二日目の、飛び降り自殺未遂事件なんか、まだ軽い方だった。もう、もう…!!
100メートルという大した事のない距離でも、まともに並んで歩けないのだ、あの男は!!
事件が起これば、まるで犬のように匂いをかぎつけて走っていく。
橋を渡っていたら、流されていた段ボール箱の子犬を助ける為に車の助手席から突然川に飛び込むし。
昼食に降りて買い出しに行ったら、帰りに迷子の老人を助けてる。
『疲れましたね〜』なんて笑いながら、次の瞬間には走り出して轢かれそうになった子供を助けるし。
はっきり言って!
「むちゃくちゃだ、君は!!」
待ち合わせ時間には、もう公園のベンチで座って待っていた彼に対して、朝のあいさつもなく私は怒鳴りつけた。これくらいはいいだろう、昨日なんか、この男は水を被って火事の中に飛び込んで行ったんだ!!思い出しただけでも鳥肌がたつ!!
怒鳴られた青島は、きょとんとした顔で、頭をかいた。
「な、何…?朝から突然…おはようございます…室井さん。どうかしたの?」
「どうかしたのだって?!今この一週間を思い出したら、どうしようもなく腹がたったんだ!!」
「え?なんで?」
「なんでって?!君がそれを言うのか!?」
「だって……なんにも言わなかったじゃない…昨日も」
「―――――君が言う前にもう走りだしてたんだろう!?」
「そうでしたっけ?」
「〜〜〜〜〜ッ!!」
手の傷も治りきっていないのに、この調子だ!!こっちの気も知らないでっ!!
「確かに君が優秀なのは認める。土地カンや、情報に関して、私も見習う所があるように思う」
「や…なに?急に。て、照れるなぁ…」
「しかしな、しかしだ!!無茶しすぎだ!!」
「そうですかぁ?」
「そうですかぁ?、じゃない。君は、あくまで一般人なんだぞ?!どんなに素質があったって、刑事でない以上、義務は存在していないんだ。今はすべてクリアしてきたのかもしれないが、いつその事に関して面倒な事になるか分からないんだ。君は馬鹿じゃない、それくらい分かっ……」
知らず口が動くのを止めた。青島の、顔を見てしまったから。
悲しげに微笑む、彼を。
「ありがとう」
「………君も、刑事になったらいい。それなら何も問題ないんだ。もしも…」
もしも、失敗しても。
人助けは難しい。それが、緊急であったり、命が掛かっていればなおさら。
助けられれば、それで越した事はないが。もしも…失敗したなら。
裁判の時、場合と状況によっては、罰せられる可能性もでてしまう。
それに、刑事であれば出来る事は、一般人よりも多い。
助ける手段が、増える。
「君ほど刑事という職業に向いている男も、滅多にない。天職だろう。何故試験を受けて刑事にならないんだ?」
「………色々事情がありまして」
「事情?何が問題なんだ?」
「………………………………」
ふ、と青島の唇が動いた…が、きゅっときつく閉ざされる。
「君……経歴に何かあるのか?」
「え??」
「それを気にしているなら、問題ないぞ?さすがにキャリアは無理かもしれんが、一介の刑事になら、なれる。試験さえ受かれば」
「違いますよ、酷いな。俺経歴に暗い事なんか何もないっすよ」
「じゃあ…なぜ……」
「俺はなれません」
「何故?」
『なりません』ではなくて…『なれません』。いぶかしんでいると、青島はもう一度繰り返した。
「……………なれません」
す、と笑っていた顔が無表情になった。
初めて、見た…―――いや……違う。
(…一度、見た、……私は……)
青島の、こんな顔を。
(いつ………?)
コンビを組んで、初日の…………。
「っッ……!」
「室井さん!?」
「頭が、いた……っ」
「!!」
あまりの激痛に、思わず鞄を落としてしゃがみ込んでしまう。慌てた様子の青島の腕が、私の体を支えてくれた。頭に、ぐわんぐわんと目眩がおき、更に今まで感じた事のないような痛みが走る。みっともないとは思ったが、ひや汗がでて震えてきた。
支えてくれていた青島のコートを、あらん限りの力で握りしめてしまう。
死ぬ、と、錯覚してしまいそうな程の衝撃だった。
「…室井さん…いま、思い出そうとしたね?」
「……ぇ・え?」
「忘れてって、言ったのに。………きて」
そう囁いて、私の頭を抱き寄せると、青島は小さく何かを呟きながら額にてのひらをあてがう。
額に触れる手と、その手に巻かれている包帯の感触が、思ったよりもひんやりとしていて心地よく、ため息がでた。
そうされているうちに、激痛が段々と和らいでいく。青島の手のひらが額から離れた頃には、嘘のように痛みが消えていた。それどころか、すっきりとした爽快感まで味わえてしまった。
「………ふぅ」
「あおしま……なんだ、今の…?」
「……何でも無いですよ。とにかく…立てます?」
「ああ……すまない」
彼の手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。もう痛みは何処にも無かった。青島は、落とした私の鞄を手にとり、ほこりを落として差し出してきた。
「青島」
「…はい、鞄。」
ありがとうと礼を言い、受け取ると、私は彼を見つめた。その視線に居心地が悪かったのか、そわそわして目線を合わせない。
「……私は、何を忘れた?」
「大したことじゃないですよ?」
「なら何故忘れさせる?」
「………大した事じゃなくても、もしかしたら大変な事になるかもしれないし……」
「大変な事……??」
「室井さん、貴方が知った事は、俺が抱えている問題の本題には全く関わらない。それを知ったとしても、貴方には何の価値もない。……この場合、知ったというより聞いた、見たというだけだから。それが本質に触れなければ、全然無害なもんだよ」
「………あおしま……?」
「だけど無、ではない」
くい、と顎を捕まれ、食い込むような鋭い眼差しを向けられた。逸らそうにも、右腕で体を引き寄せられ、左手で顎を捕まれていて、動けない。否、やるきになれば、可能だった。この体勢から逃れるのは。
「知っても知らなくても、関わる時は関わる。そう言われてしまえば俺は何も言えない。そう…殺される時は殺されるからね…貴方も」
「――――っ、あお……!」
「けれどさ、例えそれが鼻で笑っちゃうような杞憂だとしてもさ、俺を苦しめるんだよ。馬鹿みたいだけど。本当に全然大丈夫かもしれないのに、貴方に関わるとなんか恐いんだ。今までだったら見過ごすのに、室井さん、アンタが…―――」
俺のすべてをあかしてしまいそうだから。
「俺は卑怯だね」
「え……――――?」
「関わって欲しくないと思うなら、貴方から離れればいいのに。誰も危険な目に遭わせたくないと願っているなら、近づかなければいいのに。あの塔から、でないで独り朽ちれば死ななくてもいい人がたくさんいた…!!」
「………………あお…しま?」
泣いては、いなかった。
けれど、手が、震えていて…。
ふっと顔が近づいてきた。唇が…触れ……る!
「…………やめろ!!」
私の拒絶の声の大きさに、びくっと青島が震えた。
「やめろ……君に、私の…!」
「記憶を消したりする権利はない……?」
「……―――ああ、そうだ…っ」
きつく睨みつけると、ふ、と青島は笑った。
「言葉一つ二つに、俺、馬鹿みたいだ………っ」
(―――――――!)
すっと拘束する腕の存在が、消える。
音もなく私から離れると、青島は背を向けた。
「……そっか、そうだよね。俺なにしてんだろうね。今までこんな事がなかった訳じゃなかった。そうだよ、何回もあったよ。俺なにしてんだ……俺なにしたんだよ…」
「…………青島」
「…何知ったかぶりした事を…っ。こんなの……!」
ぎりっと、握りしめる音が聞こえた。はっとして見れば、爪が皮膚に食い込んで、うっすらと包帯に血が滲んできている。それでも握りしめる事を止めず…包帯がくしゃくしゃになっていくのが見えた。
「やめろ、青島…!怪我した手が…!!」
ばっと握り込んだ右手を、無理矢理開かせた……と。
「離せ!!」
ぱしっと振り払われる。
青島の剣幕にも…そして拒絶にも驚いたが、私はそれよりも……今、ずれた包帯の隙間から…見た事に言葉がなかった。
傷が、なかった。
約一週間前…配管を握って速度を緩めるという…荒技をやった彼の右手は、手のひら全体がすりむけて、所々ピンクの肉が見えていた。当たり前だ、たった一つの腕で、全体重プラス青年の体重…そして重力。『何も握れない』『動かすだけで痛みが走る』…それ程の傷だ。
なのに。
皮が出来ている、という状態なら分かった。新陳代謝が、他の人間より少々よい、という事で片づけられる。しかし…彼の場合は違った…今、私が見た彼の手のひらは…!
「なぜ……傷がない、青島」
「………………」
「何故……っ。何故『今食い込んだ爪』の傷しかないんだ!?青島!!」
「………なんででしょう〜?」
険しい顔で目を向ければ、青島は笑っていた…。ぞっと背筋に悪寒が走る。
ざっと思わず一歩下がった私に、微笑む…更に、華麗に、綺麗に。
なのに、瞳は悲しげで。
「思い出さないでね、室井さん」
すっと、青島の指が私の唇をなぞる…酷く、優しげに。
「…今日で俺とのコンビは終わり。もう教える事、ないし。仕事、頑張ってね」
心配してくれて、ありがとうと笑って去った彼に、何も……。
―――何も、言えなかった。
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こんばんは〜v真皓です☆第七話「いーじぃりびんぐ」です♪
頑張ってますよ〜これを終わらすんだ〜!!
無理だと言われても、やらない訳にはいかんし…。
待ってて下さいね〜!!(><)
(刑事であった場合のが、下手したら罪が重い時があります。しかし今回は軽く読み流して…未熟な私の言葉は、真に受けないように:苦笑)
01/2/2 真皓拝