第九話 ゆめをすぎても


遠くで、声が届かないかい?
「けれどいつか届くよ」


(…―――忘れてしまえばいいのに。)

 あんな男の事など。

「…うわ〜…悲惨。これは確実に本庁から特捜くるわね」
「……ああ」

 となりには恩田くん。お互いに警察手帳を持って現場に赴いたが、連日の残酷な殺人事件を鑑みるに、本庁から一課が来るのは確実だった。現場の人間がこれ以上いても無用な事は分かり切っている。集まりだした野次馬をなんとか追い出し、無駄足だったとばかりに車に戻った。
 清々しい朝の筈が、途端に苦いものを飲んだような気分になる。

 エンジンを掛け、車を発進させた。
 隣の恩田君は、にこにこ笑いながら来る途中に買った菓子パンを口に含んでいる。呆れてものも言えなかった。ほんの数分前まで、同じ人間とは思えないような死体を見たばかりだというのに。
 私の視線に気づいたのか、パンにかじりついたまま恩田君がこちらを見た。

「なに?あげないわよ?」
「いや……よく食べられるな」
「人間何があったって食べなかったらダメよ。たとえ喧嘩したってね」
「……え?」

 こくん、と清涼飲料水を飲み込んで、恩田くんは前を見ていった。慌てて私も正面を見る。脇見運転は事故の元だ。

「室井さん、青島くんと喧嘩したでしょ」
「…け、喧嘩……?」

 果たして、あれは喧嘩だったろうか?
 そんな公平なものじゃなかった。一方的な脅しだ、あれは…自分を知ろうとするな、という。
 知ろうとすれば、…思い出そうとすれば激しい頭痛が起きる。あれは半端なものじゃなかった。二度とあんな感覚は味わいたくない。だから、努めて青島俊作については忘れようとしていた。あの理不尽な行いに対して怒りは常に湧いてはくるものの。

 まあ、そう思われても仕方ないのかもしれない、と室井は思った。あんなにいつも一緒にいたのに(正確には青島がくっていていた)二週間前から、ぴたり、と青島が室井に関わる事をやめてしまったのだ。
 署内で問いただそうとしても、いつのまにかいなくなってしまう。青島の方が、完璧に室井を無視しているのだ。

「青島くん、あんなに毎日室井さんの事喋ってたのに、二三日前に会ったときはまるで言わなかった。あたしが話を振っても、すぐにずらすの。ねえ、何があったの?」
「……―――なにも」
「そんな筈ない。大体コンビだって、今まで通りだったら必ず一ヶ月一緒にいる。まあ、室井さんが他の人より飲み込みが早いとは青島くん言ってたけど…それにしちゃ一週間なんて早すぎるわ」
「知らない…あっちから勝手にそう言ってきたんだ…っ。コンビを解消する、と」
「うそ……―――青島くんが?」

 きゅ、と白線の前でブレーキを踏む。何だかイライラしている自分に気づいた。ああ、そう言えば最近寝ていなかったかも知れない。湾岸署に帰ったら、仮眠室を使わせて貰おう…――。
 室井は、すみれの言葉の追求から、無意識に逃げている事に気づいていない。
 否、そうしなければ、逆に気になって気になって…日常の何事も手につかなくなってしまいそうな事も、彼は自覚していた。

 ピポ・ピポ…横断歩道の軽快なメロディが、沈黙した車の中にも無造作に入り込んでくる。しばらくすると車の前を、気怠げに中には元気に手を上げて横断する小学生の列。

 歩道の信号の青が点滅し、赤になる。そして代わって目の前の信号が青に…。
 発進と同時に、すみれが口を開いた。

「青島くん、怒った?」
「……は?」
「ね、何か言い争ったりはしたんでしょ?怒った?」
「………いいや」

 躊躇った…あの時の事を思い出す…―――二週間前の事を。

「……でも、怒鳴られた…」
「信じられない…――――。青島くん、本気なんだ」
「……え…?」
「ずっと…そう、私と青島君が出会って。…コンビ組んで…その頃だった。私青島くんに聞いた事があるの。『ね、青島くんて怒った事ある?』って……」
「………で?」
「にっこり笑ってね、『ううん』て。これの意味分かる?人間の怒るってね、まあそれぞれだけど、相手の事多少考えてないと、しないことでしょう?大人になると余計そうでしょ?」

 緩やかにカーブを曲がり、車はやがて人通りの少ない道に出た。彼女の言葉に耳を傾けながら、ハンドルを少し強く握る。

「何か理不尽な事されてもさ、怒らないって、一線を引いてると思わない?彼ってそうなの。青島くんて、酷く他人との関わりを恐れてるの」
「……おそれてる……」
「だってそうでしょ。新人には顔みせなかったり……。その癖、すごく寂しがり屋…」

 かしっとむしるようにパンをかじり、すみれは言葉を模索するように喋り続けた。

「相手に怒るって、一種のエゴでしょう?極端な話だけど。喧嘩の場合相手が自分の思い描いていたものと違うって事でしょ。こうあって欲しいとか、こうでしょう?って共感を求めたりとか。少なくても、何とも思ってない人間にエネルギー裂いたりしないわ」
「ああ…確かに」
「青島くんて酷いのよ。自分は怒らない癖に、他人に怒られるとすごく嬉しそうにするの。……全く。最初の頃なんか、変態かと思っちゃった……。覚えない?」
「――――ある」
「でしょう!?」
「二日目から……もう……」
「聞いた聞いた!青島くん飛び降りたんだって!?」
「むちゃくちゃだ…全く」
「私の時もそう。もういい加減にしてって怒鳴ったことあるのよ。そしたらさ、青島くんきょとっとした顔してからさ……にこぉ〜って」
「…………」
「心配した?って。したわよって怒ったらすごく嬉しそうな顔するの。私もうその瞬間に怒る気失せちゃった。って言っても、またされれば心配で怒っちゃうんだけどさ」
「……一ヶ月も?それを?」
「いい加減最後の頃は慣れたけど」
「……………」

 信じられない、というのが正直な所だった。今日でもう、青島という男と知り合って実質三週間目なのだが、コンビを組んだ一週間だけだって心労が耐えなかった。それが一ヶ月??
 はぁ…とすみれはため息をついた。

「頭きてさ、意地悪な事したことあるのよ?青島くんの身辺調査とか」
「……!」

 さっとすみれの声が遠ざかる。思い出されるのは、十日ほど前の同僚との電話だ。青島にコンビを一方的に解消され、もやもやとしたものに突き動かされ、本庁にいる一倉に青島俊作の経歴…戸籍からすべて調べてもらったのだ。
 結果は、ある程度予想出来ていた。

『室井か?俺だ』
『で、どうだった?』
『忙しい俺に雑用させるなよ…。ったく。ああ…と『青島俊作』だったな?』
『ああ』

 ごく、と息を飲んだ。あの男が、あんなに必死に拒むものとは何だろうか、と。すぐに分かるはずはないと思っていても、もしかしたらという期待を抱かずにはいられない。

『そんな人間、日本にはいない』
『……――――っ』
『まあ、同じ名前とかならあるが…。お前の言う男と合わない。おそらく、偽名だろうな。』
『本当に…?』
『嘘ついてどうするんだ。個人データがでてきてないから、詳しい情報もない。本当にそいつのこと知りたいんだったら、今度髪の毛の一本でも送れよ。経歴はわからんかもしれんが、身長体重血液型…くらいの事なら分かるぞ?』
『一倉、茶化すな』
『茶化したくもなる…お前何やってるんだ?早く戻ってこい』
『……しばらくは無理だろう。色々とな』

 助かった、と礼を言い切る。
 その瞬間の戸惑いを思い出し、抱えた状態で、すみれの声が急速に戻ってきた。

「まあ。大した事分かんなかったけど。とりあえず、青島くんが色々嘘ついてるのは分かった」
「嘘……名前とかか?」
「知ってたの?って、ああ…調べたんだ、やっぱり。うん、本人に聞いたらそうだって言った。本当の名前は?って聞いたら、教えたくないって。確かにこの名前は本当の名前じゃないけど、でもこの名前をいつか本当の名前にするから…それまで待ってって。」
「本当の名前にする…―――?どういう意味だ?」
「さぁ…わかんないけど。その時の青島くん、すっごく泣きそうな顔してたから、もう何も言えなくなっちゃってさ…」
「それは彼が、警察官にならない事と何か関係があるのか…?」
「……ね、そうね。あるのかもしれない」
「―――私はどうやら、彼が隠したがっている何かを、知っているらしい」
「え?」
「それを、思い出すな、と言われた。大した事ではない、と。言葉の一つ二つ、とも。そう言うからには、本当に些細な事なんだと思う…。」

『思い出さないでね、室井さん』

 する、と彼がなぞった指の感覚が、生々しく蘇る。
 拒絶した物言いの癖に、縋るような震える指の動きが…気づくと胸をかきむしりたいような衝動に駆られる。

「……些細な事?だったらなんで怒るの?」
「さあ。それが分からないんだ」
「……ふぅ〜ん。室井さんは、どう思うの?」
「―――え?」

 湾岸署に到着し、車を裏へ回す。空いている所にバックしながら入れて、エンジンを止めた。かちゃ、とキィを外し、静かになった車内で言葉をかわす。

「このまま、青島くんと離れても?」
「……私は、いずれ本庁に戻る。いつかは…」
「そうだけど。いいの?このまま負けて、この喧嘩」
「……負ける?どういう意味だ?」
「だってさ、これっていわゆる理不尽な喧嘩をふっかけられたわけでしょ?そうじゃない?『僕の事は知らないままでいて』『でも貴方の事はなんでも知りたい』ってことでしょ?失礼じゃない??」
「………あぁ」
「嵐みたいにさ、勝手に人の心ン中かき回して置いてさ、何を見たのか知らないけど何かに勝手に見切りをつけて離れてくわけでしょ?」
「…………………」
「コンビだよって言っておいて。パートナーだって言っておいて。心配させるだけさせて君は誰?って聞いたら「放って置いて!」これって子供じゃない、まるで」
「…………………」
「こっちはまだ何にも答えてないのに、答え言う前から耳塞がれたら、たまんない」
「――――君は…」

 ふいに、自分が驚愕で無口になるのが分かった。まるで心の中が見えているみたいに、彼女は言葉を連ねた。そうまさに、自分はそう思っていたのだ!

「どうして……―――」
「あら、分かるわよ。多少なりと青島君と付き合った人間なら。私はこの喧嘩に負けたけど。貴方なら勝てそうな気がする、私」
「なぜ?」
「何しろ青島くんが怒鳴った相手だし。私の時は、全然動揺もしなかった。それにさ、青島くんが室井さんを徹底的に無視してる所がまたポイントよ。口八丁で誤魔化せないんだわ、貴方のこと」

『今までだったら見過ごすのに、室井さん、アンタが…―――』

 する、とハンドルから力無く手を下ろし、むっと考え込んだ室井に、すみれは最後のひとかけらを口に含みながら戯けた様子で言った。

「青島くんが、必ず巡回する場所教えて上げる。逃げようとしたらまた手錠かければいいわ。捕まえていい加減白状させちゃいなさいな」
「恩田くん……なぜ……?」

 私に対して、いじめる、と宣言していたのに。
 彼女はけろっとした顔で言い放った。

「だって、青島くん全然らしくないんだもの。くやしいけど、元気にしてあげられるの…きっと貴方だけだろうし…あ〜あ、ヤダヤダ。なんで分かっちゃうんだろう〜…こういうの。損だわ」

 くしゃ、と包装紙を握りつぶし、一気に飲料水を飲み干してかばんを手にする。ごそごそと何かを探し、取り出す。ドアを開けながら、ぱちん、とウィンクして、恩田くんは私に折り畳んだ一枚の紙を放り投げた。

「頑張って思い出して、犯人を自供させてね」




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こんばんは〜。真皓でぇす。第九話「ゆめをすぎても」いかでした?
だめ!?がび〜ん(@@)<笑
のろのろだけど…頑張ってるのよ〜。
未だ室井さん自覚してないので、切々と青島くんへの語るシーンはございません(爆笑)
そろそろかな〜。
あ、次回は室井さん青島くん、再開編。
このお話、すごく時間が過ぎるの早いですけど、こうでもしないとぜんっぜん進まないの〜…リアルタイムに書くのは、第二部からでしょう…(爆笑)
ええ!?第二部!?と思ったかた…大丈夫、もうすぐだから(笑)
01/2/6 真皓拝

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