第十話 そんざいかち



迷宮入りさせたくないのなら
「少しの勇気と、傷つく覚悟を」


 ―――この通り…。そう、この奥。

 恩田くんに手渡された紙を手に、私は一人勤務時間に職場を離れていた。巡回と称して。
 本来なら厳しく罰せられるので、ばれないように私服に着替えた。少なくともぱっとみても刑事には見えないはずだ。まぁ、胸ポケットには手帳は入っているが。

 昼を過ぎ、もうすぐ三時になろうとしている。太陽はもう中天を過ぎ、傾き始めているが、気温は暖かく、歩くだけで少し汗ばんでくる。その上ココは風が入りにくいのか、ぬるい温風がどこからか肌に触れてくる。

(ここをいつも巡回している…?)

 半信半疑だった。でもこのまま青島に避け続けられるのも嫌だった。何か胸にしこりが残るのだ。なんとしても会わなければ。
 今は昼だと言うのに、奥の小道に行くに連れて段々と薄暗くなっていく。特別高い建物が近くにあるわけではないのに、視界にもやが掛かるように。
 小さい子供の頃だったら、何だか不安になって立ち去ってしまいそうな雰囲気。
 コンクリートの地面がやがてなくなり、土が露出し始めた。所々砂利が入ってきて、突然周りが町外れの田舎になってしまったみたいだった。土の道…久しぶりに見た。ここでも、本庁でも、土といえば公園と街道の花壇に僅かに覗く程度しか見かけなかったからだ。

 ふっと空を仰ぐと、覗いていた太陽が雲に隠れて見えない。

 そして突然、ぬるい空気の中に、ふっと冷たい風が吹いた。

「――――!」

 はっと頭よりも本能が先に教えてくれた。吹き込んできた空気の中に、確かに覚えのある匂いが混ざっていたから。これは、煙草の匂いだ。
(……近く、にいる…―――?)
 今まで特に意識なんてしていなかったのに、何故急に懐かしいなんて思って…そして分かってしまったのだろう。
 つ…と無意識に、青島に撫でられた唇に触れている。もう二週間も立つのに、思考の間隙にまるで見計らったように感覚が蘇る。それが嫌だった…まるで名残だ。

「あお……しま…―――?」

 呟いてすぐに苛立ちが勝った。なんて事だろう!こんな風に震えた声で名前を呼ぶなんて。
 叱咤している時、ふと気配に気づいた。自分を見張っている…?否、近くにはいるが、隠さずそしてこちらに意識は向けていない。
 さっと室井は振り返った。その先に人影はない。民家は古ぼけた一軒家が多く建ち並んでいるのに、気配が全くない。そう、先程感じたその一つ以外。よく考えれば不思議なことだ。夜ならともかく、そろそろ小学校は終わり、子供達の喧噪もあっていいものだ。これだけの(ここは住宅街のようだった)民家が隣接しているのなら、もっと物音も声も聞こえて良いはずだろうに。
(…もしかして…いない…?)
 誰一人??住んでいないのか??

 そんな筈はない。ここは東京だ。どんなに外れだとしても。
 たっと走り出し、室井は民家の庭を覗いたり、二階のベランダを見やる。そこには確かに洗濯ものが干してあったり、開けっ放しの窓からカーテンが風に揺れていたり…テレビが付けっぱなしの居間がのぞけたりした。確かに誰かが住んでいる。
 住んでいるのに、その住んでいる人たちが、いなくなっている??
 さっきまで、そこにいたような場面ばかりだ。

(なん、だ……?)

 はぁ…と息が切れて初めて、自分が走り出して辺りを見回していた事に気づいた。息の苦しさに現実に引き戻される。こく、と一度息を飲み、立ち止まってもう一度周りを見回した。やはり人の気配はない。ただ遠くに一つ、違和感を感じるほどにはっきりと分かるそれ以外。
 自分から数メートルの範囲なら分かる。自分に向けられる敵意なら、うなじがちりちりと焦げるような感じ。興味程度の監視の視線なら撫でられるよな違和感。ただそこにいるだけなら、分かる、という程度。
 なのに、まるで呼ぶように室井に気配を放つ。

「っ…!」

 室井は僅かに息を殺して体をすくめた。さっと視線を当たりに放つ。十字路の真ん中に立っていたので、辺りを見渡すにはちょうどよかった。
 近づいて…来ている。その気配が。

 くすくす…

「―――――――!」

 耳元を掠めるようなリアルさで、笑い声が聞こえた。
 前から、横を通り過ぎて後方へ。

 目では捕らえきれなかった。否、視界の見えうる限りの場所に、その存在はいなかったが、ここから離れた場所で確かに動いた。自分の位置を通り過ぎた。
 何も考えずに、走り出した。
 誰かがいる。誰かが!
 相手はそんなに足が速くないようだった。次第に近づいていくのが分かる。
 走りながら、頭の中を整理する。この気配は、知っている…―――と。

 じゃっと靴にすれて砂利が鳴る。それに合わせて段々と気配の持ち主の背中が見えてくるような錯覚に陥る。まだ建物か何かを挟んではいるが、そこにいる誰かの背中―――緑色のコートを羽織った、男を。
 まだ見えない。でも近い。

 道は傾向いてきた。足取りが重くなるが、それでも勢いは変わらない。住宅街をぬけきると、突然目の前に広がるのは木々の多い広い公園だった。ブランコは所々錆びつき、滑り台の梯子は崩れていたけれど。
 膝あたりにある柵をまたぎ、公園内に入る。公園というには、見渡せないのは変わっていると思った。公園というものは、こちらから向こう側まで、ぱっと開けていると…。
 視界のど真ん中にあるのは、樹齢百年は軽いだろうと思える大木。室井が腕をまわしても、抱えられない…そんな大きさの。
 それに添うように様々な種類の木々が立ち並ぶ。さながら林のようだ。遊具はその木々に囲まれてぽつんとあった。違和感があった。偉大な自然の中にある、無機物の生きていないそれが並べられているその光景は。

 がさがさ、と茂みから物陰が動いた。それを視界に捕らえた瞬間に、自分でも驚く程の声で叫んだ。

「青島!!」

 声は掠れていて、それでいてせっぱ詰まったようなぎりぎりの色を纏っていた。その声に反応したのは、自分が思い描いていた人物とは違っていたのだが。

「…………だれ?」

 声の幼さに、室井はぎょっと目を見開いた。自分が青島だと思っていたのは、子供だったのだ。
 白い布を引きずるようにして全身に纏い、肩から時折落ちるそれをたびたび直しながら。
 きょと、と室井を見た瞳は、差し込む僅かな光に照らされてうっすらと金に光る。色素の薄い髪は茶色で、その面影は、どことなくあの男に似ている…が…。

「……………」
「僕は青島じゃないよ?」

 愛らしい、赤い唇で放たれた声音は高かったが、少女然とした雰囲気はなかった。凛としたその眼差しは、少年のようではあったが、何処かかみ合わない。何もかもを見透かすような、眼。

(――――似ている…)

 青島……あの男に。なのに、目の前にいるのは少年。
 見た目は違うのに…纏う気配は全く同じ…―――。

「貴方、アイツ知ってるの…?」
「アイツ…?青島の事か?」
「うん、たぶんそう。僕の言っているアイツと、貴方の言ってる青島って人は一緒だ」

 ずる、と布を引きずりながら少年が室井に近づいてきた。少年が出てきたのは、公園を囲う背の低い垣根からで、体の所々に葉を付けている様子から、くぐりぬけてきたようだ。
 少年は室井の腰当たりの大きさだった。それにまた少し驚く。こんなに小さいとは思わなかった。もっと大きく見えていた…そう、齢十二程度に。
 しかしこの身長から見て、十歳には満ちていないようだった。まあ、昨今の子供達は発育がいいので、憶測でしかないのだが。

「君…知ってるのか…?」
「うん。好きじゃないけど。分かっちゃうっていうの?特にこの場所じゃね、一歩歩く事に思い出しちゃって嫌だなぁ…」
「思い出す…?」
「ん…。……あれ?貴方…こっち見て」

 白い二の腕を差し出して、背伸びをし、室井の頬に触れようとしている。少しかがんで、視線を合わせた。それに機嫌をよくしたのか、少年はにっこりと微笑んだ。
 その笑顔も、何処か彼に似ている。

「貴方…その”青島”に何かされた?」
「――――――!」

 ぎょっと室井は無言で少年を睨んでしまった。何故分かったのだ?平穏だった心の内を、かき乱されたようで一瞬動揺する。否、それを隠しきれなかったが。

「されたんでしょう?ちょこっとだけど、…うん、分かるよ」
「……ああ。記憶を少しな、消されたようなんだ」

 見知らぬ少年に何を言おうとしているのか、自分は。

「必死に思い出そうとするんだが、そうすると頭が痛くなる」
「ふぅ〜ん。酷い事するね、アイツ。全く…やりたい放題しているな」
「君は何故青島をアイツと呼ぶ?」
「ん?本当の名前じゃないからだよ」

 にっと眼を細めて笑むその姿に、室井は言葉には表せないおぞましさを覚え、さっと立ち上がった。突然立ち上がった室井に少年は驚いたようだが、気にしない様子で公園の中央に立つ大木に向かって歩いていく。

「こっちきて。見てみなよ」

 後ろで手を組み、笑みながら振り返った少年の前にあるのは、地面に深く突き刺さった角材。
 十字型に組まれたそれはなんの模様もない、本当におざなりなものだった。茶色の細長い何かが風が吹くたびに揺れる。そっと手を伸ばしてみると、指先が触れただけでぱらぱらと形を無くして飛ばされてしまった。花輪だったのだ、と気づくには時間が少し必要だった。

「ここを見て」

 小さな指先が指したその先に、刻まれた文字。

『青島俊作君。八才 安らかに眠れ』

(――――――え……?)

 思わず触れた。おざなりに刻まれた文字には、箇所によっては砂ほこりが溝に入り見えにくい。指先でそれを慌てて取り除き、何度も見る。

『青島俊作君。八才 安らかに眠れ』

「………どう、いう……?」

 震える声を、止められなかった。呆然とする室井の後ろで、チェシャ猫のように笑っている少年を振り返り、眼で尋ねた。

「アイツがね、殺したの。青島俊作って人間になりすますために」



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Σぐは〜〜!!(><)すみませんっ真皓は嘘つきですっ!!
青島と室井さん全然出会ってないじゃ〜んッ!!
第十話「そんざいかち」…すみません、嘘つきで。
実は二人の出会いを入れると…かなりこれが長くなりそうだったので二つに切りました。
次回「むげんゆうげんかいぎ」は会うから…ね、うん。(汗)
失礼しました〜(泣)
01/2/17 明日バイトが恐い真皓でした。

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