第十六話 いきのびるかなた



正義なんてものは何処にもない、と君は言ったね。
「そう、そんなものは結局エゴと欺瞞でしかない」



 ぱたん、と扉を閉め、ゆっくりと歩き出す。

「……『玉』…か…ちっ、忌々しいっ」

 あの男…室井、とか言ったか。思い返すだけで複雑な気分になる。体が思うように利かないと叫んでいた彼。しかし彼自身気づいていたのだろうか?自分がどれだけ縋るような目をしていたのか。
 助けて、と目が言っていた。触れて、側にいて…と。
 『護符』は『主』の鏡。望む事を無意識に為そうとする。それが同意で結ばれた『護符』なら、抗う事も可能だが…。

 くっ、ときつく瞼を閉じる。あの室井という男の姿を、二度と見たくないと思った。思い出してしまう。振り返りたくない、己の過去。
 『護符』は、合意の上で結ばれればこの上ない協力者に。けれど強制であったり、片方のみであれば―――その者は相手の思うがままに。
 そうして弄ばれる者を、『ファミリー』は『護符』などと呼ばない。元々『護符』と呼ぶのは、『リベレイター』のみ。かつて今はもう名も知らぬ『統率者』が、『リベレイター』では禁止された『契約』を、人を愛するあまり…束縛したいばかりにした事で分かった。
 それ以前でも、吸血鬼が人間に対し『契約』するのはいくらでもあった。ただし、吸血鬼たちが人間に欲したのは性欲のはけ口、そして欲望の奴隷としてだ。
 気に入った容姿の人間を、戯れに連れてきて『契約』し、なぶる。
 食料とした人間と区別する為に、吸血鬼たちはある名を付けた…―――『玉(ジュエル)』。
 『リベレイター』が『護符』と呼ぶので、侮蔑も込めて今は『ファミリー』も『護符』と呼んでいるが。(否、もう『ファミリー』でもそうは呼ばないかもしれない。本当に、昔の呼称だから。)

 『玉』となった者は、もう己の意志をもてない。ましてや抗う事など!
 持ったとしても、『主』に乞われれば為してしまう。
 『主』の側を離れれば苦痛が走る。

 青島はそれを知っている。奴は決して、室井という男に対して望みを口にする事はないだろう。何一つ、強制する事も。けれど、いくら『主』である青島が自由であることを『玉』となった相手に望んでいても。
 既に自由はそこにない。
 青島はこれから、現実に打ちのめされる…―――。
 何を言っても、しても。
 『玉』は『主』の付属物でしかない事実を突きつけられる。
 『玉』が何をしても、言っても。結局は自分が望んでいる事なのかもしれないと思い至る。
 そして、『玉』も同様だ。己の望みなのか、『主』の望みなのか…分からなくなる。
 どれが真意なのか、もう誰にも分からない。

 そこに幸福などない…――――。



「もう、大丈夫…?」

 ぎゅっと俺の胸に顔を押しつけている室井さんに、優しく、優しく問いかける。なりたての頃は、自分を包む世界すべてが苦痛に感じるのだと聞いた。空気も、光も、音も何もかもに対して敏感で…そして激しい拒絶反応を起こす。
 室井さんを一人残して、あの部屋を離れたのは失敗だった。ただ、煙草を吸うのに少し席を外しただけだったのだが…。
(本当にそうか…―――?)
 さらさらと、彼の髪を撫でては触れ、軽く後ろへ流し、てぐしで梳かす。いつもはきっちりと固めている髪も、今は違う。少し長い前髪が、風に揺れている。病院患者が着るような、白いローブも、少しはだけている。素早く整えた。そうしていても、彼は腕を離さない。
(ただ煙草を吸う為?離れたかったんじゃないのか?彼の側から)
 髪に触られている事がくすぐったいのか、少し彼が身をよじった。

「動ける?…部屋に、戻ろう?あそこが一番、室井さんに負担が掛からないから…ね?」

 渋々と言った具合に、彼が顔を埋めた状態で頷いた。彼の腕が俺の背中から離れそうになかったので、俺は仕方なく彼を横抱きにする。…俗に言う、お姫様だっこ、という奴だ。
 なんの抵抗もない事に安堵しつつ、同時に酷く呵責を覚えた。以前の彼なら、こんな事を許したりする筈なんてないからだ。
 室井さんは変わってしまった。そして…―――
(変えたのは、俺だ)
 横抱きにすると、すぐさま彼は首に腕をまわしてきた。一度も、俺の顔を見ようとしない。ぎゅっと首筋に顔を埋めたまま、何も言わない。

「気分、悪い?」

 俺が側にいる以上、そんな事はないのだが、一応聞いてみた。答えはNO。
 室井さんを抱えたまま階段を上がる。部屋のドアは幸い開けっ放しだったので、少し足でドアを開かせて体を滑り込ませた。窓際にあるベットに行き、彼の体を横たわらせようとした時だった。

「いい。このままで」

 酷く堅い声で、室井さんがそう言った。
 俺はお姫様だっこで、しゃがんだ状態のまましばらく固まる事になってしまう。どうしたものか、彼の体を横にして、俺は少し離れて近くにある椅子に座り、話をするつもりだったのに。

「でも、室井さん…」
「……このまま、が、いい」
「……腰、痛くなりそう…なんですけど?」

 そう言うと、彼はゆるゆるとあきらめたのか腕を放した。自分からベットに横になると、すぐさま布団を頭まで被り、顔を隠してしまう。
 俺はあまり大きな音を立てないように立ち上がり、椅子を持ってきた。彼のすぐ側に陣とって、座る。
 見なくても分かったのか、布団の中から手が出てきて、俺のシャツの裾を握った。ぴん、と引っ張る。

「なに?」

 尋ねても、彼は喋らない。ぐいぐい、とかわりに答えるのは手。
 側に、来い…と?
 布団に顔を寄せると、微かに彼の声が聞こえた。

「悪い…目を、隠してくれ」
「目?」
「なんでもいい、君の目を…そうじゃなかったら、私の目でもいい」

 言葉に含まれる切羽つまった響きに、俺はすぐ答える事にした。ふわふわと俺の近くを漂っているカーテンを細く切り裂き、自分の目にあてがったのだ。

「室井さん?俺、目隠ししたよ?」

 ダイジョブだよ、と呟く。すると少し下の方で、布ずれの音がした。彼が顔を出し、確かめたんだろう。
 とん、と胸に重みが掛かった。きゅっと背中に温もり…―――彼が、抱きついてきたのだと知るのに時間は掛からない。
 ほう、と全身からの吐き出されたようなため息に、俺は耳を澄ませた。それが安堵か、それとも別のものか、知りたいから…。

「青島…私は…一体どうなってしまったんだ…??」

 室井さんが目隠しをしてくれ、と申し出てくれた事に、この瞬間すでに感謝していた。嗚呼、確かに…お互いの顔なんてまともに見られない…見れる筈がない!

「体が……可笑しいんだ。何もかもが…異常に気持ち悪い。君の側だけ、息が出来るんだ」
「………………」
「君が触れてくると、更に可笑しくなる…。体が喜んでるんだ…君に触れられることに。こんなの…おかしい…絶対……こんな……」
「むろい…さん……」
「どういう、事なんだ?……『護符』ってなんだ?何故私が、見知らぬ男に憐れまれるんだ!?」
「……―――室井さんッ」
「教えてくれ青島ッ!!」
 教えてくれっ…と彼は嗚咽をかみ殺しながらそう言った。
「……な、何でも、ない…ですよ。室井さん…」
「―――なに…?」
「大丈夫、ちょっとしたショック状態に、なっているだけ。大した事じゃないんです。すぐ元に戻るから」
「………あおしま……?」
「可笑しくなんかないですよ、貴方は。普通の、まともな、人間…だ―――」

 虚実を語るな、と俺は責められるだろか…?
 責められるのが恐いから、事実を曲げている臆病者、と囁かれるか…?
 ああ、いいさ、いくらでも俺を責めるがいい。

 するっと、俺が乱暴に目隠しを外すと目の前に室井さんの顔があった。視線が絡まる…と素早く顔を逸らそうとした彼の顔を、俺は阻止した。ぐいっと、向き合わせた。

「ちゃんと、見てて…―――」

 そう言うと、彼はくっと眉を寄せて目で頷いた。手を離し、俺は椅子から立ち上がって、左すみにある机に行く。その上には、ペーパーナイフが、無造作にいつも置かれている。手にとり、振り返ってよく見えるように左腕の袖をまくり、そしてナイフを掲げた。

「やめ…―――!」

 室井さんの静止の声も聞かず、俺は思いきりそれを左腕の手首に突き立てた。すぐにつっと肘のあたりまで血が滴り落ち、フローリングに鮮血の雫をちりばめていく。

「何て馬鹿な事…ッ!!」
「ちゃんと見てて!!」

 叩きつけるように叫ぶと、ひゅっと彼が息を飲むのが分かった。顔が青ざめている。少し後悔した。言い方があっただろうに…!
 ことん、と血にまみれたナイフを机に置き直し、俺は室井さんの近くに戻る。
 彼はきつくシーツを握りしめたまま、固まったように俺の左腕を…止まらない手首から流れる血を見つめていた。見えやすいように、俺は幾度かその血を無造作に袖口で拭う。
 すると、彼の目が、瞬きもせずに見開かれた。
 切り裂かれた筈の傷が、もう塞がり始めたからだ。

「…………ま、て……」
「嘘じゃないよ」
「待て…よ、よく見せろ…あおしまっ」
「いいよ…そう、ちゃんと見て、触って…確かめて」

 俺がそう言うと、室井さんはばっと俺の左腕を掴み、そしておそるおそる指先で手首に触れた。

「大丈夫、もう痛くないから」

 そう囁くと、彼は必死に血を拭い、傷跡を探し出そうとしていた。しかしそこにあるのは、もううっすらとピンク色の肉しかなくて。
 信じられない、という顔した彼に、俺はもう一度立ち上がりナイフを持ってきた。彼の側に座り、ベットの上に腕を置いて、振り下ろす。血が吹き出て、再生していくのを見届けると、もう一度。

「やめろ!!」
「目の前で見なきゃ、信じられないでしょう?」
「分かった、もう分かったから!!」
「嘘、貴方ちゃんと見てない。ほら、ちゃんと見て…―――」

 痛覚はある。すごく痛い。左腕にもう何回振り下ろしただろう?ベットカバーはもう見られないくらいに血で汚れてしまった。失敗したな、と思ったのはそれだけだ。交換しなくては。
 左腕が、真っ赤に染まっても、俺はナイフを振り下ろした。血が邪魔だな、なんて物騒な事まで考えたりもして。だって、これじゃ傷が治ってるのか治っていないのか、わかりにくいじゃない?

「頼むからやめてくれっ!!」

 泣き叫ぶ室井さんの声に、俺はやっと気づいた。すぐに、自分のやった事を思い返して後悔した。こんなやり方、乱暴すぎた…―――!
 っ、と体を丸めて、声を押し殺している室井さんに、ごめんなさい、と呟いた。それでも、彼の肩はずっと小刻みに震えていて。

「ごめんなさい、気持ち悪かったよね?」

 カラン、とナイフを捨てると、金属音が響く。それに反応して、室井さんの肩も一際大きく震えた。彼の聴覚が、格段に発達している証拠だった。きっと耳元で鳴り響くような感覚に追われているのだろう。

「もう、しない。……だけど、分かったでしょう?俺…普通じゃないんです…―――」

 綺麗な方の袖口で左腕の血を拭おうとしたけど、乾いていたりもして上手くいかない。しょうがないので、そのまま袖を下ろした。とりあえずこれで、真っ赤に染まった腕は隠れた。
 室井さん?何度声を掛けても、彼は肩を振るわせているだけ。

「……ごめんなさい…嫌な思い、させて…―――」

 そう言うと、彼が途端に顔をあげた。

「ちが…―――っ」

 息を飲んで、そのまま口を噤んでしまう。顔をうつむけるけれど、泣いたその跡を、俺はしっかり見てしまって。
 感情が高ぶっている時に、俺は追い打ちをかけてしまった。けれど、今ここで強烈な印象を与えておかないと…彼はきっと流されてしまう。目覚めた、今のうちに言い聞かせなければいけない。
 ぎゅぅ、と俺の左腕を強く握って、すぐ緩めた。それが俺の傷を気にしての事だと気づくのに時間は必要なかった。だから言う。もう、痛くないから大丈夫なんですよ…―――と。

「…うして…っ」
「え…?」
「どうして、そうやって君は自分を傷つけるんだ!?」

 見上げた彼の瞳に、心を奪われる。
 ぎゅっと抱きしめて、もう傷を負わせたりしない、と堅く誓ったように。
 優しく彼に聡そうと思っていた。けれど俺の恐れの方が大きくて、結果彼を傷つけるような形になってしまった。
 なじられようと思っていた。糾弾して欲しいと思っていた。
 でも俺のした行動はなんだ…―――?
 考えれば分かる事だろうに。優しい彼だ、こんな行動をしたら先に心配をするに決まっている…。
 それとも俺は無作為にそれを知ってやったのか?
 だとしたらなんと唾棄すべき己!

「……心配なんか、しないで…」

 貴方は知らないんだ。自分が今どんな状況なのか。
 己が、俺に何をされたのか。
 これから、どんな未来が訪れるのか…!
 すべての元凶が、目の前にいるのに…貴方はそれを気遣うと?
 知らないから…?それとも知っても……??

「―――え?」

 そう聞き返して、瞬いた瞬間に、室井さんの瞳から零れ落ちる涙…―――。

 強制的な『契約』の元での『護符』は、常に『主』の望みを為そうとする。
 なら、これは俺の望み…―――?

「……あおしま……?」

 戸惑う彼の体を引き寄せ、俺は唇を押しつけるようにあわせた。室井さんは抗わない。その事実が、鋭く俺に突き刺さった。彼は、抗いたくとも抗えないのだ…!

「心配なんか…しないで…―――ッ!」

 そんな価値、俺には…ない――――。




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こんばんは〜☆真皓でっす!第16話「いきのびるかなた」!如何でした!?
まぁ〜た進んでないし(笑)あ〜っ早く戦闘シーンいきたい〜(><)
今回は〜…長くなっちゃってごめんなさい。大変でしたでしょう?この量…(遠い目)
読んでくれてありがとうございますっv感想頂けると更に嬉しいですv
それでは!あとがきこの位にしないと…ホントに…長い…。

01/2/28 真皓拝
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