第十七話 まえむきに



禁じられた果実を手に入れて
「焼き尽くされてく刹那に酔う」


 両手で頬を包んで、口づけた。
 そのままベットに押し倒しながら…これ以上ないくらい、乱暴に。そして願いを込めて。
(―――拒絶して)
 今すぐに、嫌だと言ってくれ。
「………んぅ…!」
 空気を吸い込もうと開くそれを塞ぎ、舌を絡める。震えて何も出来ない室井さんだったけれど、次第に苦しくなったのか、どん、と拳を握り俺の胸を叩いた。でも拒絶というにはほど遠いそれに、俺はびくともしない。
「……や……ッ」
 唇を僅かに離すと、悲鳴に似た声が漏れる。でも、それじゃまだ足りないんだ。

「……――いや、だ!!」

 そう、それでいい…―――!
 歓喜に似たその思いを胸に、俺はやっと室井さんから離れた。ひぃく、と弱々しい声を一度吐き出した後は、彼はゆるゆると窓際に後ずさりながら何度も唇をこすっていた。赤く腫れてしまうよ、と言いたくなるくらい、必死に。
「な、んで…こんな事…す……る!?」
「貴方の為」
「!?」
 くしゃっと顔が歪んだ。一度だって見たことのない、無防備な室井さんの表情だった。前のように無関心で装った彼じゃない。今ここにいるのは、傷つきやすくて、優しい、彼自身。
「嫌いって、言って?」
「――――!」
「いやでしょう?男にこんな事されるのは?」
 もう一度唇を重ねると、彼は少し躊躇った後に俺の唇を噛んだ。小さく息を飲み、彼の唇から己をそれを離し…微笑む。そう、言って?
 でも彼は、俺の顔を見ては口を動かすのをとどめる。ああ、俺の顔を見て言えない?
 なら、隠してしまいましょう。
 手のひらで瞳を優しく覆い隠し、先を促す。
「言って?」
「――――嫌い、だ…ッ」
「もう、一度」
 何故こんなにも拒絶の言葉が嬉しい?
 ―――それは、これが彼の本心だからだ。
 忌々しい力になんか束縛されていない、彼の心だからだ。

「聞こえないから、もう一回」

 そうしたら、貴方を元の世界に戻すから。

「言って下さい、室井さん」

 ぐっ、と彼は言葉よりも先に、自分の瞳を覆い隠す俺の手をどけようともがいた。だけどびくともしない俺の手に諦めたのか、ぎゅっと両手で俺の手を握りしめたまま、ゆっくりともう一度言った。

「……嫌いだ!!」

 その言葉に、俺はにっこりと笑って手をどけた。手の下から現れたのは、不本意そうに顔を歪めた室井さん。何故こんな事を言わせるのだ?という。

「ありがとう」

 そっと彼の側を離れた。そうして体を後ろにずらしながら、血に濡れたシーツを軽く撫でる。立ち上がり手をどけるとさっと鮮血が見事に消えた。その様子に目を見開いたまま、室井さんは押し黙っている。
「消えても、血が完璧に消えた訳じゃないから、後で交換しますね。ごめんなさい、ベット汚しちゃって」
「………青島……」
「あ、それと。言うの忘れてました。俺、吸血鬼です」
「!」
 はっと彼の瞳が大きく見開いた。赤い唇が音を紡ぐ前に、素早く言う。
「貴方思い出したみたいだから…もう、見せても構わないですね」
 さっと右手を掲げると、その指先が、鋭い爪のような形状になる。
「……勝手に記憶を消したりしてごめんなさい。嘘ついててごめんなさい。酷い目に、…―――巻き込んでごめんなさい」
 彼がじっくりと確かめ、見ることの出来る時間の間、ずっとそのままで立っていた。白い服の裾を赤く濡らし、そして乱れた格好のまま…室井さんはずっと放心したように俺の手を見ていた。
「お詫びに…何でも、するから。あ、でも死ねって言うのはナシね。」

 俺ガ死ンダラ、貴方モ死ンデシマウ。

 苦笑いしながら、そっと手を元に戻してうつむく。彼の顔を見るのが恐かった。彼の眼差しをうけるのが恐かった。親しくしたいと思う人間に正体がばれた時ほど、心苦しく辛い事はない。何度経験しても、慣れない。
「何でも…―――する…―――?」
 空虚な言葉の響きに、俺はゆっくりと顔を上げた。裾の破れたカーテンが揺れる窓を背に、室井さんはじっとまっすぐ俺を見ていた。見据えていた、と言っても過言ではなかったかもしれない。それぐらい、強い強い眼差しで。

「…そう言うと、君は本当に何でもしようと無茶する…―――」

 くっと彼は喉の奥で笑った。右手を顎の下に置き、そして右肘の下に左手を添え長考の姿勢をとった。長いまつげを二・三度揺らし、瞬きした後、立ちつくした俺に向かって恐れなど欠片もない視線をよこした。



「仕事を手伝え、青島」





 そう言葉を放った後は、もう自分でも変なんじゃないのかと思うほど何かが座っていた。今まで築き上げた理屈と常識とルールの塔が崩れたわけでもないのに、私の心はその横に、それ以上に強く非常識な建築物が突然現れても許容してしまったのだ。

(蓋をしているだけか?)

 そうかもしれない。自分には信じがたい事が多すぎて、逆にパンクして溢れてしまったのかも知れない。さっきまで、何が何だか分からなかったけれど、青島に「嫌いだと言え」と強要され、実行した途端に妙に冷静になってしまった。
 ふぅ、と彼に気づかれないようにため息を付く。何だか疲れた…あんな風に心を乱したのは一体いつの頃だったか…嵐みたいだった。自分で自分を見失っていた。
 彼に見せられた傷の異常な回復の早さも。異形の手も。
 そんなものはわき起こった怒りに比べれば、大した事はなかったのだ。
 吸血鬼だ、と言われても、なんの恐怖も感じなかった。逆に、彼に似合わなさすぎて、笑いが込み上げてきそうだった。見知らぬあの少年に言われた時には、言いしれぬ不安を抱えたのに…。
 会ってしまえば、あっという間にそれは消えてしまった。

 人間じゃない、と言う事実。

(知るか、そんな事は)
 彼が、自分の相棒だという事に変わりなければそれでいいのだ。
 己でも、そう思えた自分が不思議で仕方なかった。目の前にいる青島という(いや、これは偽名だったか?)人物も、不確かで曖昧で不気味といえば不気味だったが、それをそんな事か、とすんなり流せた自分に気づいた事の方がよほど困惑した。

 もっと、驚くべきなのだろうか?

 立ちつくしたまま、青島は放心していた。青島?と問いかけても、全く返事がない。瞬きもしないでそのまま立っている。びくともしない。しびれを切らして、ベットから降り彼に近づいた。
 顔の目の前で手を振っても、動かない。
(何故ここで彼がここまで驚愕するんだ?)

 …それは、普通私の方じゃないのか?

 ぱん!と手を顔の前で叩く。はっと息を飲んで肩を揺らした青島の様子に、私はあからさまにため息をついてやった。
「人の話は、ちゃんと聞け」
「………聞いてます」
 近くにいても、聞き取りにくい程小さな声だった。意識は戻ったようだが、目線はまだ漂っている。どこか虚ろな彼の様子に、こちらは話しだすタイミングを逃した。口を開いたが、彼が喋る方が一足早かったのだ。

「――――恐く、ないの?」

 その声が鼓膜を振るわせた途端、ぎゅっと胸を締め付けられるような感覚に襲われた。気を付けていないと、顔をしかめてしまいそうな。
「……ねえ、ちゃんと分かってる貴方?トリックなんか、使ってないんだよ?」
 ぐっ、と。更に強く……胸が、痛くなる。
「俺、人間じゃないんだよ?化け物、なんだよ?」
 そう呟きながら、彼がこちらをやっと見た。両手が音もなく私の頬を包みこみ、そして引き寄せられる。抱きしめられ、反射的に逃れようと意識するのだが、体は動かない。
 上から降ってくる、声。

「このまま、貴方を抱き殺すだって簡単なんだよ?」

 そしてそのまま、強く、抱きしめられる。
 ぐっと瞬間息が出来なくて、本当に殺されるかという恐怖が脳裏に掠めたけれど、彼の顔を盗みみれば吹き飛んだ。私などより、青島の方がよほど苦しそうな顔をしていたのだ。
 だから、何を馬鹿な事を…―――と、笑えた。

「……え?」
「………出来るのか?お前に?」
「室井、さ……」
 右腕を無理矢理外して、手を取り、自分の首にあてがった。左手も同様に。首を絞めろ、と暗に示したまま言い放った。

「抱き殺す位力があるんだったら、首をひねるなんて簡単だな?」
「―――――!」

 泣き出すかと思った。その顔を見て、初めて私は青島と向き合ったような気がした。いつだって笑って元気で、誰にでも優しい…彼。ひょうひょうとして、他人に心配ばかり掛けて…怒ると嬉しそうにする奴。それだけじゃない…きっと彼を知る誰もがまだ見たことのない、弱い部分。
 これが、きっと本当の青島の姿なのだ。
 ぐっ!と手に力が加わる。
「撤回なんか、出来ないからね、室井さん」
「あ…ア…。しナ・い」
 瞳をゆっくりと閉じ、絞め殺すようにと示した手をぱたんと落とすと、彼は声なき悲鳴をあげてすぐさま首にかけた手を離した。室井さん!?と耳元で叫ぶ声。ぱち、と瞳を開けると、目の前にくしゃくしゃに歪んだ青島の顔。

「どうした?私はまだ死んでいないが?」
「冗談やめてよ!!」
「―――どっちがだ?」

 素早く切り返すと、彼は言葉を詰まらせた。

「俺は、冗談なんか言ってない」
「そうか。私もだが」
「室井さん!!」
「青島…―――…一体どっちなんだ?」
「え……」

 肩に手を掛けて揺さぶるように叫ぶ彼に、はあ、と息を吐き、額に手を当てて言ったやった。

「受け入れて欲しいのか?拒絶して欲しいのか?」

 この沈黙が破られるのに、優に二分は経過した。

「…………青島?」
「―――すみません」
「すみませんじゃない、それじゃ答えになってないだろう?」
「ごめんなさい…そう来るとは思わなくて。……分かりません」
「なに?」
「――――分かりません」

 ぼろ、と彼の瞳から零れおちた液体に、私は初めてぎょっと息を飲んだ。大の男が泣くなんて、思いもしなかったのだ。

「ごめんなさい、分かりません」

 そうきっぱりと言い切ると、彼はそのままぼろぼろと透明な雫を流し続けた。私と言えば、何も出来なくてそのまま傍観するばかりだった。泣いている相手に対して、慰めるなんて高等技術は私には備わっていない。どうしようかと考えあぐね、苦悩の末に導かれたのはこの言葉だった。

「とりあえず、仕事に戻ろう」

 きょとん、と彼が見つめ返してくる。その鏡のような曇りのない瞳に、ほんの少し気後れしながら。

「………分かった、どうやら私の方は君の言う事は全く受け入れられないようだ」
「……室井さん…?」
「だから、証明しろ。私の側で」

 指で彼の頬に伝う涙を、拭う。それでも後から後から涙が零れてくるので、しまいには私は途方にくれてしまった。どうしたら彼の涙を止められるのか。

「いまいち分からない。私の体がどうやら変化し…それに君の事情に関わったようだ。プラスアルファで、自称私の相棒は人間じゃないときた。これをどうやって受け入れろと?それこそ人間を捨てなければ無理だぞ?」
「………ええ……」
「だから、一つずつ私にわかりやすいように説明してくれ」
「……―――あ、は……」
「ただし!」
 びしっと言うと、彼は驚いて少し肩を揺らした。その拍子に、止めどなく流れていたそれがぴたりとおちる事をやめた。拭う必要がなくなり、心底ほっとしながら言葉を続ける。

「非常に残念だが、私はとても忙しい。山のように積み重なっている事件を放っておく訳にはいかない」

 気付けばいつのまにかくしゃくしゃになっていた、彼のシャツを正してやりながら、殊更堅い声を出すように努めた。これからが勝負だからだ。

「よって、君の説明に耳を傾ける時間はない」

 すっと彼の瞳に諦めの色が差す前に、素早く言の葉を滑り込ませる。

「聞かせたいなら、側に来い」
「…………!」
「君は暇だろう?時間はあるよな?」
「……あ………」
「返事は?相棒」
「……――――はい!」

 この時の、嬉しそうに微笑んだ彼のその胸の内に、どれだけの決意があったのか…。不可能だと分かっていても、彼に苦痛を強いる事になっても、聞き出し知るべきだった。これは総じて己が辛い思いをしたくないというエゴなのか。狂いそうになる程の後悔が襲ってくるのを、避けられるのなら避けたかっただけなのか。


 
モウ、分カラナイケレド…。



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こんばんは〜v真皓です☆第17話「まえむきに」(笑)
うわ〜、ホントに室井さん前向きだ!!(爆笑)
途中、シリアスから突然コメディになりそうになった(ハァハァ)<汗
軌道を戻すのって大変。(><)
この話って、密かに六話にリンクしてるって分かる?(苦笑)
いえ、リンクっつっても、ラストの言葉のみですが。
ただそれだけ。お粗末さまでした☆(死)
感想頂けると嬉しいですvそれでは!
01/3/3 雛祭り〜…行事を全く無視した小説でごめんなさいな真皓拝

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