第二十二話 ふぇいくあんどみすていく



もしもたった一つの願いが叶うとしたら
「貴方は何を願う?」



「B地区から、このP地区まで検問かけてくれ」
「了解しました」
「こちらはどうすれば?」
「そっちは警視庁のデータベースから…」
「いや、待て。恐らく奴は初犯で……」
「指紋検出しました!」

 飛び交う怒鳴り声、電子音。そんな中、一倉はじっと黙ったまま隣に立つ同僚を見ていた。腕を組み、少し険しい表情で。

「凶器は?」
「わかりません!」
「……分からない?どういう事だ……一倉、……一倉?」
「…奴は素手だよ。それしか考えられないそうだ。鑑識がそう言ってた」
「素手?……ばかな…素手で…人の首を引きちぎれるのか」
「現にそうだろう」
「………常識で考えてはいけないようだな…」
「ああ」

 低く答え、一倉は再び室井に視線を送る。じっと…何かを探るように。当の本人は、その視線に気づかない様子でただひたすら湾岸付近の地図と資料を睨んでいた。次々と入る情報を耳に入れ、素早い判断を下して指示している。――――鮮やかだった。

(誰かと、思った)

 最初は。
 顔を見て、あいつだと思ったから声を掛けた。半ば非難するように。何処に行ってた、と。だけど階段を降りて側にいく間に、自分の判断を少し疑った。お前は誰だ、と後少しで言いそうになった。彼が先に声を出さなかったら。

『――――…一倉……』

 顔は変わっていない。当たり前か、本人なのだから。
 ならあの不安はなんだったんだろう。あの見知らぬ男の側にいるときの、室井の姿を見た時の。

『室井さん?…誰、知り合い?』
『ああ、本庁の…私の同僚だ』
『へえ…。どうも、初めまして、青島です』
『君が…――――』

 じろじろと観察しながら押し黙った俺に、室井は少し慌てて青島を背に庇った。その行動も、その時の表情も、まるで別人だった。

(お前は誰だ…―――)

 どうして、そんなに不安そうな顔で俺を見る?
 どうして、そんなに慌ててその男を背に庇う?
 それじゃ…まるで大人に玩具をとりあげられそうな…子供の顔だ。

 室井じゃない…?
 疑い始めたら止まらなかった。身に纏う雰囲気すら違っていたからだ。声も、姿も、顔も同じだったけれど。あんなに張りつめていたものが、無い。

『ここに特捜を置く。室井、お前に本部長になって欲しいんだ』
『………私はここに研修で来たんだぞ?無茶言うな』
『…俺はお前の代わりなんだよ。方面部長が言ってた、お前がいる所だから、いたら代われとな』
『―――しかし…私は……』
『どうした。やらないのか。本庁に戻れる良い機会だ。上の奴らに見せてやればいい。お前を排除したその愚考さを。お前がどれだけ優秀か。――――帰ってこい、早く』
『……一倉…―――?』
『こっちに、早く帰ってこい。お前がいない職場なんざ、張り合いがない』

 そう言うと、室井は眉を寄せた。俺が見慣れた顔だった。そう、こいつはいつだってそんな顔してた。何かに耐えるような、今にも崩れそうな程張りつめた表情。
 それ、やめろよ、と常々言っていた。けれどいざ変わられたとき、俺は戸惑った。いつもと違う室井と接するのが、どうしようもない違和感を抱かせる。眉を寄せた室井の顔に、ほっとした事をあの青島という男は気づいたのだろうか。ふっと、笑われたような気がした…―――。

『行くといい、室井さん』
『しかし…青島……』
『俺は部外者。ね、帰らなきゃいけないから。何か分かったら電話するよ、情報提供、するから』
『ま…っ、待て…―――行くな!』

 さっと走り出した男に、すがりつくように叫んだその声。はっとその場にいる誰もが室井を振り返った。……その声に含まれた、泣きそうな響きに。誰もが。
 振り返らなかったのは、その名を呼ばれた男だけだ。……前に聞いた、『青島俊作』という男だけ。

 室井の表情は分からなかった。背を向けられていたから。見ることの出来たのは青島の顔だけだ。室井を挟み、数秒遅れて振り返った男の、瞳だけ。

『……俺は、何処にも行かないよ?』

 何かに苦しんでいるようだった。にっこり笑っているのに。

『相棒でしょ。もう隠れたりしないから、心配しないで。仕事して、室井さん?』

 じゃ、行ってきます。
 軽く敬礼しながら、コートをなびかせて去っていった。

『……………あお、しま……』

 呆然としたその呟きに、俺は苛立ちにも似た不安に感情をかき乱され、乱暴に名を呼んだ。室井!と。
 びくっ!!と雷に打たれたみたいに全身を一度激しく振るわせた。その反応に、こちらが驚く。室井?ともう一度呼びかけると…

 そこにはもう、自分の知っている『室井慎次』が、いた…――――。

「目撃者の証言は?」
「あと一人です」
「……難航してるな。何かあったのか」
「いえ…どうやら錯乱しているようで…」
「まあ無理もないだろう。目の前で人一人死んだんだ…普通の人間なら失神している」
「女性か?」
「いえ…男性です…菊地貴一四十三歳。無職です」

 …少し目を伏せ、室井は俺を見た。

「一倉、ここを頼む。事情聴取は私がしよう」
「………待て、俺もいく」
「一倉…何いっ……」
「宮内、お前ここしばらくやってろ。何か大きな動きがあったら、知らせるんだ」
「了解しました」
「一倉!」
「……俺が一緒にいちゃ、不満か?ほら、行くぞ」

 上着を放り投げて、さっさと先に部屋を出る。すると後ろから戸惑いがちな室井の声がした。

「どうしたんだ?一倉」
「お前一人じゃなんか不安でな」
「何…?」

 そうしているうちに、取調室に着く。中に入ると、気の強そうな女性が一人目撃者と向かい合って座っていた。所轄の者だと(睨み付けられたら誰でも分かるだろうが)すぐに分かったので、どいてろ、と言うと女性は立ち上がり、ふん!とそっぽを向いた…と。

「室井さん!ちょっと、何処行ってたのよ!?三日間も!?」
「恩田くん…」
「心配してたんだからね。…青島くん捕まえるの、そんなに苦労したの?」
「……―――まあ、な」
「白状させた?なんで逃げたのか」
「ああ……」
「ああじゃ分かんないわよ。どうなの?仲直りしたの?!」
「君!ちょっと…」
「うっさいわね!黙ってて!ね、はっきりしてよ。こちとら室井さんが行方不明になるもんだから、大騒ぎだったんだからね」

 うっさいわねって…全く、と大きなため息をついた。五月蠅いのはどっちだ。と横の室井を伺うと、たじたじの様子で、押し黙っている。

「仲直りは…出来たとは思う」
「思う?何それ」
「………分からないんだ、私にも」
「室井さん………」
「―――分からないんだ」

 きゅっ、と唇を噛む。ぐっと拳を握る。泣きそうな、悲壮な表情。見ていられなかった。この目の前にいる女性が、あの男と同じように室井を変えるのだとしたら、早々に排除したかった。

「室井、早く事情聴取を」
「ああ…」
「室井さ…!」
「所轄は検問だろう。早く出たまえ」
「な…っ。」

 食って掛かってきそうだったが、室井が手を上げるとすっと沈黙した。変わらず悔しそうな顔はしていたが。

「情報は下ろす。済まないが待っていてくれ」
「室井…おま…」
「一倉、黙っていろ。ここの指揮権は、私が持っているんだ」
「………このやろう」

 可愛くない、と言いそうになる。所轄との情報交換を、もっと潤滑に行う…というのが持論だった。スムーズに行く筈がないと分かっていて、この緊急事態にやるのか!?

「分かった。室井さんを信じる。……じゃ」

 ぱたん、と出ていく。足音が遠ざかるのを耳にしてから、室井は改めて椅子に座る男をみやった。

「…すみませんが…貴方が見たすべて、説明して下さい」
「………恐い……刑事さん…おりゃ〜……」
「大丈夫、もう危険はありませんから。落ち着いて」

 室井の静かな、落ち着いた声。膝の上でせわしなく動いていた手が、やがて止まり、がちがちと震えていた歯も、音をたてなくなった。俺は男…菊地の背後に回り、部屋の隅にあるパイプ椅子に座った。遅れてきた捜査員が、調書を持って反対側にあるデスクに座る。ペンを手にし、準備万端の様子でこちらを見た。

「お名前を確認させて下さい。菊地貴一さん、よろしいですか?」

 男は頷く。ゆるゆると。

「生年月日は19××・9月15日。血液型はB。…――――」

 次々と述べられた事項に、菊地は何も喋らずただ頷いた。段々と落ち着きを取り戻してきたようだった。これなら大丈夫かもしれない、と思い始めたとき、異変が起こった。

「菊地さん………?」
「……………」

 かくん、と突然こうべを落としたのだ。まるで、人形が操り糸を切られたみたいに。はっと室井が顔を強張らせる。菊地が何かを小さく呟いているようだ。立ち上がり、俺は菊地の肩を掴んで顔を上に向かせた。……瞬間、菊地が笑い始めたのだ。けらけれけら……と。調書をとっていた捜査員も、異変に調書から顔を上げてこちらを見ている。

「……おい…?菊地…??」
「……おかしくなっちまったんですかね……」
「さあな……おい!笑うな!!」

 俺の声は聞こえていないようだった。けらけらけら…肩を上下に動かして。ふっと俺が室井に視線を向けると、室井は顔を真っ青にして菊地を見ていた。テーブルに置いた手を、かたかたと小刻みに振るわせている。

「―――室井…?」
「なんて、言った……」

 がたん、と室井が立ち上がる。室井にも、俺の声は届いていないようだった。室井の厳しい眼差しは、ただひたすらに菊地に向けられている。

「今、何て……―――!」
「「ありがとう、と。室井さん」」

 菊地の笑いが唐突に止まると同時に、肩においていた俺の手をぴしゃりと払われた。動作は小さかったのに、その衝撃は大きかった。手首が少し痛むような、そんな力だった。けれど俺が気を取られたのは、そんな事じゃなかった…菊地の声に。
 ハーモニーではなかった。子供の甲高い声と、菊地本人の低い掠れた声がぐしゃぐしゃに混ざり合っている。耳障りなことこの上ない。

「「お久しぶり。…そうでもないかなあ?どう?生まれ変わった気持ちは?」」
「な…に……?」
「「ああ、戸惑わなくても大丈夫。貴方は別に変じゃないんだよ?それはおかしな事なんかじゃない。逆らったりしちゃだめだよ。苦しいだけだから」」
 何を言っているのか、全く掴めないが、室井には何か心当たりでもあるのか口を噤んだ。かっと両目を見ひらいて、拳を振るわせている。
「「よく『青島』の側を離れられたね?苦しかったでしょう?本当に酷い事ばっかりする奴だねえ、アイツは。一緒にいてあげればいいのに」」
 にっと笑う、その禍々しさ。取り調べ室は充分明るい筈なのに、闇に包まれたような気すらする。
「「不安で仕方ないでしょう?……だって貴方もう人間じゃないものねぇ」」
「―――――――!」
「「あれ?聞いてないの?室井サン…―――僕らの救世主サマ」」
 つ、と菊地の指先が、室井の顎のラインをなぞった。嘲るように。それがす…と下に落ち、胸の一点で止まる。ぐっと押され、室井は眉間にしわを寄せてそれを払った。

「「……青島は殺すよ」」

 強張る室井の表情。
 菊地はまたけらけらと笑った。パイプ椅子がぎしぎしと鳴るくらい、体を大きく揺らして。
「「行かなくてもいいの?………いなくなっちゃうよ…?」」
 がたん!と室井が出口のドアに向かう…と、俺は弾かれたように走りより手を掴んだ。離せ!という室井の叫びに、俺も叫び返した。何処に行くつもりだ!?…と。室井は俺の手を振り払って言った。
「―――青島の所だ!!」

 
何を願う…?


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とりあえず楽しかったのはよかった(笑)

01/3/16 真皓拝

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