第二十六話 ころさせない


たとえその一瞬ですべてを失っても
「私は、迷わない」


 左上から、何かが来る。振り上げられたその手に何を握っている訳ではないのに、さっと全身の毛が逆立ち、危険を知らせてくる。痺れる右腕を押さえながら、しゃがみ斜め後ろに転がり避けた。ばうん!と砂煙が上がる。目を見開いて凝視すれば、さっきまで立っていた場所がかなりくぼんでいた。まるで大きなハンマーにえぐられたように。……もしも一瞬でも避けるのが遅れていたら…全身が砕けていたかも知れない。

(……なん…だっ?)

 信じられない思いに狩られながら、室井は素早く後退した。風にひらひらとなびいている胸元のシャツが鬱陶しくなり、乱暴に引きちぎった。第二ボタンの位置から少し肌が覗いて寒いが、そのうち嫌が応でも暖かくなるだろう。
 さぁっと砂煙が消え、その向こうから片腕がない男が一歩近づいてきた。太陽を背にしたその姿は、どこまでも大きくて、不気味なものを感じさせる。

「………………」

 何故だろう、この男が、この鎖骨にある痣のようなモノを見てから、雰囲気が変わった。殺気を放ってくる。くっ、と息を飲んで、再び腰を低くした。どちらにでも逃げられるように。
 びりびりとまるで静電気が体を走っているような感じから、抜けられない。前に突き出した左手が、震えているのが分かる。情けない、と力を込めようとするのに、出来ない。がたがたと全身が震えてきてしまうのだ。歯が鳴らないの唯一の虚勢だった。ぐっと噛みしめて睨み付ける。

「恐いのか、私が?」
「…………っ」
「そうだろうな、お前は『護符』だ…。せいぜい大切に守られていただろうから。その細い腕で、一体何が出来る?」

 男の足元で舞っていた砂煙が、ふわっと微かに揺れる。移動したのだ、と次の瞬間に認識した時には、後ろからドン!という衝撃が襲ってきた。背中が痛い。拳ではなく、手のひらで強く叩かれたのだ。一瞬息が詰まり、呼吸が出来なくて地面に倒れる。
 砂の混じった空気を吸い込みながら、うっすらと目を開き男を仰ぎ見た。無表情だったその顔だが、瞳に残忍な炎を灯していた。僅かに歪む唇が、それを裏付けている。
 体を起こす前に、ぎりっと頭を捕まれた。そのまま上に引っ張られ、つるされる形になる。男は私の視線を自分の視線にあわせるように、少し腕を下ろした。
 悔しさだけが胸の内を占める。相手が片手だと言うのに、自分のこの無様さは一体なんだろう。

「悔しいか?だがな、私はもっと悔しいのだよ」
「ぐっ!」

 ぎりっとこめかみを強く捕まれる。それでなくても全体重がそこで支えられているというのに、更に負荷が掛けられて、頭が割れそうに痛かった。あと少しでも強く捕まれていたら、悲鳴が喉を突いたに違いない。
 しかしそれはなかった。私が男の喉元を、強く蹴り上げたからだ。
 相手の体が鍛えられていて、生半可な攻撃は逆に自分の体を痛めつける事には気づいていた。しかしどんな人間…動物にも急所というモノはある。鍛えられない筋肉があるのだ。先程男が私の肘の急所を突いて動きを止めたように、私もそれをした。くっと軽く仰け反り、手の力が抜けた隙に逃れた。

 堅めの皮の靴先で、喉仏をついた。どれ程の効果があったのかは分からないが、足が地面についたど同時に重心を落として、腰をひねる。左足で回転を加えながらバランスをとり、かかとを顎めがけて蹴り上げた。
 ここまですべてが上手くいったのも、珍しかった。まず回転しながら体のバランスを取るなどというのは、初めてやったことなのだ。体がひねりによって円を描くとき、人の体の構造としてどうしても不可能な事がある。『軸足を動かさない』こと。それは関節がある人間には、まず無理なのだ。正確な円は決して描けない。それでいて蹴り上げるには、回転によって力を加えながらどこかで力を抜いていかなければならない。
 後ろの回し蹴りが上手くいくなど、武芸に長けていなければ無理だ。自分はかじっただけ、実践など初めてだった。

 だから、すべて感でやった。

 がつん!と鈍い音がする。かかとが綺麗に相手の顎にはいった。手応えにふっと肩の力が抜ける。そのまま流れるように足を下ろす。油断はしない。この程度で相手は倒れない。相手は蹴り上げられた状態で、じっと立っていた。うめき声も、何も発さないで。

 ぐっと男が首をまわして向いたとき、その瞳に込められた殺気に、思わず声を上げた。

「何処でこんな事を覚えた?」
「……警察官学校だ」
「『護符』には必要ない」
「!」

 ぐわっと横から迫ってくる右手を、軽く肘を曲げた左腕で受け止めた…かに見えたが、そのまま数メートル再び飛ばされる。今度はその力で無様に倒れるような事はなかったが、気圧されたのは確かだった。触れた左腕が痺れている。上手く角度で受け止められたからよかったものの、下手したら骨にヒビでは済まない。確実に折られていただろう。

「物騒だぞ。こんな技を身につけて。まあ、他の誰にも触らせずにいるための防御策と思えばよろしいか?」
「なんだと?」
「見れば綺麗な肌をしている。それでたぶらかしたか?」
「………っ!?」
「我が『王』を!」

 大した動きをしたようにも見えなかったのに、あっと言う間にその距離を縮められる。慌てて保とうとする私の肩を掴み、にじりよってきた。ぐいっと右手で顎を捕まれる。その強さに思わず顔を顰めた。後少しでも力を加えられたら、顎が砕けてしまいそうな恐怖に動けなくなってしまう。
 ここでこのまま黙ったら、気持ちで負けてしまう。相手の気を逸らして、素早く逃げて…。

「たぶらかした…?どういう意味だっ」
「何を隠す?それとも否とのたまうか、その口で!」
「っ!!」

 ぐっと顎を掴んでいた手が喉に移動し、締め上げてきた。その余りの強さに、気を失いそうになる。必死に両手で逃れようとしたが、一向にびくともしない。

「どんな声で啼く?なあ、『綺羅の末裔』よ?如何様にしてあの方に抱かれる!?」
「!?」

 聞き間違いかと思ったが、次の言葉で例えようのない衝撃を受けた。自分が首に絞められている苦しみすら、一瞬忘れるほどの。

「足を女のように開いて誘ったんだろう?どれ程の味かは知りたくもないがな。媚びて夜を共にするしか手段はなかろう…『人間』にはな!!」

 その時、自分を襲った怒りの衝動が、どのようにして爆発したのか。覚えていない。

「『王』は慈悲深い方だ…。誰かを強く拒否するなどという真似は出来ん。きっと気まぐれな過ちよ…」

 男の目は、私を見ていながら見ていなかった。何処か遠くを見ていた。私を通して…そう、『王』という存在を見ていた。私にとっては、『青島』という存在を。
 現状がどうなっているのか、全く私は知らなかった。男の言う『王』とは何者なのか。それは『青島』なのか…早急に判断を下すことではない。同一人物なのか、否なのか。何も分からないままなのに、私は既に確信していた。この男の言う『王』とは、おそらく『青島』の事なのだと。

「してどのように?その愛想のない表情で『王』を堕としめた?」

 す…と視線が体をすべる。品定めをするような…不躾で、おぞましい眼差し。

「乱れるのか。『王』の前でのみ?」

 すっと男の手が喉から離れた。苦しみから逃れられるかと思ったのもつかの間…体は宙に浮いたままで、首を絞める力も無くならなかった。私には分からないが、何か不思議な『力』を使っているのだろうという事は推測出来た。
 そうして自由になった右手で、唇に触れてくる。ざらざらとした指が、すっと下唇を滑り口腔内に割り込んでくる。指をかみ切ってやろうとしたが、首を絞められていて不可能だった。なされるがままだ。

「見せてみるがいいさ。『王』を引き留めた妖の美しさをな。納得のいくまで…『王』が捨てられぬのも道理と、知らしめてみせよ!!」

 くっ、私の唇からと漏れたのは笑みだけだった。むっと顔をしかめた男は、指を口から遠ざけた。話して見ろ、という意味だろう。すっと少しばかり喉を締め付ける力も薄らぐ。
 けほ…っと一度咳き込んで、痛みで悲鳴を上げる喉を潤わせようと無理矢理唾を飲み込む。そうして、男に犯された口の中の違和感を打ち消すように、言葉を吐きだした。悠然と佇む男に…おそらく一番効果的な言の葉の数々を。

「……見せろ、とはな……」
「何がおかしい」
「お前では役不足だと言っている」
「!」

 一か八かだった。超能力か何かは分からないが、自分の見えない力で拘束されていたら、攻撃どころか逃げる事すら出来ない。神経を逆撫ですることで、少しでもこの力が抜けたら……。最も、挑発して殺される可能性もあったが、するつもりならすぐにでも出来た筈だ。いくらでもチャンスはあった。

 この男は私を殺せない。

 妙な確信だった。でも何となく分かった。この男は、あまりにも『王』を大事に思うあまり、きっと私を殺せない。『王』が応えるまで。『王』がよしとしないことは、決して出来ない気質だ。
 どのように勘違いしているかは知らないが、男は私を『王』の情事の相手だと考えているのだ。そう思われていると思うだけで虫酸が走るが、考えないわけにはいかない。

「たった一人で満足するとでも?足りない…お前が満足出来ても私がな」
「………とんだあばずれだな」
「見せてみろと言ったのはお前だ…敬愛する『王』の前で…つ…っ!!」

 びしっ!と頬が鳴った。耳なりがする程強く叩かれた為に、上手く笑えない。

「手を上げてもいいのか?私は仮にも『王』の『護符』だぞ」
「ぐ……っ」

 ぎりっ、と男が強く拳を握りしめて唇を噛んだ。
 ふ…と策略が上手くいった、という笑みと、男を攪乱させる笑みが自分の中で重なる。後少しだ。滅多に感情を動かさないであろう…この男のキーワード。それは『王』

「随分と手酷く殴ってくれたな…この顔は『王』のお気に入りだったのに」

 と囁いて、微笑む。

「この体も……」

 と言葉をすぼめ、眼差しで雄弁に語る。

「大層『王』はお気に召したようだったぞ」

 私は今不利ではない、優位なのだ…と。全身で。不利なのはお前の方なのだよ、と言った。

「数え切れぬ程…しつこく抱かれたものさ。音をあげさせようとしたのは私の方なのに」

 男が押し黙る。息を噛みしめた歯から僅かに吐き出している。一気に無表情になったが、小刻みに揺れる瞳が憤怒を露わにしている。

「結構好き者なのだな?『王』は…――――」
「――――黙れっ!!」

 男が叫びを上げる刹那に、僅かに不可視の力が緩んだ。

(今だ…――――!)

 どん、と重力に引かれて触れた地面にそのまま体を沈める。宙に浮いたままでいたなら、確実に死に至ったであろう男の腕が、空を切る。男が私を再び捕らえようと視線を動かした時には、もう走り出していた。そう…―――『青島』の元に。

「青島っ……青島っ!起きろ!!」

 ぐったりと瞳を閉じて横たわる青島を抱きしめ、何度も叫んだ。しかし反応は全くない。そうしているうちに、男が哄笑を上げて近づいてきた。

「なんと小賢しい……!!」
 ははははは!と肩を振るわせて、空に向かって…。
「無駄な事よと、私は言わなかったか汚らわしい『人の子』。僅かながら『綺羅』の血を引き、今また選ばれた『末裔』とは思えぬ愚かな男よ」
 くっくっ…と笑い、男は静かに言った。

「名を呼んでも無駄だと言ったのが分からないか。『青島』は死ぬのだ…いや、殺すのだよ」
「!」
「そして何よりも素晴らしい『王』を、この手で取り戻すのだ……」

 ざっ、と近づく男に、私は思わず青島を抱きしめたまま後ずさった。そうして、ぐっと息を飲む。

「お前は殺さない。貴様ごときに手をかけ、この身を汚したくないものでね」
「……青島……」
「『王』から手を離せ。命だけは助けてやろう」
「あおしま…」

 ぎゅっと、力いっぱい抱きしめた。そして、すっと体を再び横にする。青島から離れ立ち上がった私に、男はふっと笑みを浮かべた。命乞いをするとでも思ったのだろうか。

(それならば、とんだ勘違いだ…―――)

 横たわった青島の前に立ち、男と対峙する。そうして視線をぴたりとあわせた後に、私は思いきり男の頬をひっぱたいた。驚きで目を見開いている男に、冷然と言い放ってやった。

「侮辱された返礼をしていなかった」

 返す手で反対の頬を。

「お前の言う『王』が誰かは知らないが、今目の前にいる男は『青島』だ…誰がなんと言おうと」

 突き出された男の拳を、さっと左に避けてぴしゃりと弾く。

「相棒を…」

 きつく睨んで。
 目の前の相手に神経を集中させていく。
 だから男が気づいた事に、私は気づかなかった。

「「――――殺させない。」」

 私の背後で、静かに立ち上がった『青島』に。

 
―――誰にも、殺させやしない。



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ぐは〜っ!と第26話。ものすげ〜話になってますな☆
わ〜い…約束は守ったぞ〜(たぶん)これでオッケイもらえると思う。数人に(笑)
室井さんが室井さんじゃないぞ〜。素面だったら言えない台詞てんこ盛りですぞ〜ってか他のサイトじゃみられない室井さんだな。(死)
これがうちのウリです(嘘)
でも他のシリーズでは見られないのは確か(笑)そして戦うヒロイン(爆笑)
青島復活遅いんだよ…という声がどっかから聞こえてきた…。
01/3/26 真皓拝

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