第二十七話 やさしいえがお
見せたいものが、たくさんあって
「きかせたい言葉もたくさんある」
『王』が言った。我が子たちよ、日々訓練を怠ってはいないな?と。
はい、と居並ぶ子供たちが声を揃えて答える。『俺』も同じだった。『王』はとても凛々しくて、でも美しくて。時折離宮に会いに来てくれる時には、とても優しかった。
でも嫌いだった。
『母』を苦しめて泣かせているのは、この男だと知っていたからだ。
『王』が言った。我が子たちよ、我が力が欲しいか?と。
はい、と居並ぶ子供たちが声を揃えて答える。『俺』は答えなかった。身分が一番低い俺は、末席でじっと正座したままうつむいた。
『王』が言った。我が子たちよ、闇の一族の王になりたいか?と。
はい、と居並ぶ子供たちが声を揃えて答える。『俺』はぎゅっと拳を握って押し黙った。隣にいる兄王子たちは皆笑顔で『王』と向き合っている。兄と言っても、精々一歳違い程度だが。体格もそう変わらない兄たちは、我も我もと元気よく返事をした。
『王』が言った。我が子たちよ、では私を殺して王になるがいい。
はい、と居並ぶ子供たちが声を揃えて答えた。だっと立ち上がって、目の前にいる『王』の元に走り寄っていく。天井から吊された薄いヴェールを凪ぎ払い、皆が手に手に凶器を翳して、『王』の命を狩らんとした。
「やめて!!」
ぴたり、と兄たちの手が止まった。『王』の元に走らなかったのは、『俺』だけだった。皆様々な格好で『俺』を振り返った。『王』が言った。お前は何をしている?と。
『俺』は答えた。何もしていません。兄たちを止めようとしているだけのことです、と。
『王』が言った。お前は『王』にはなりたいくないのか?と。私を殺せば『王』になれるのに、と。
『俺』は答えた。私は『王』になどなりたくはありません。私は『人』になりたいのです。
『王』が言った。力が欲しくはないのか、と。
『俺』は答えた。私は力ではなく心が欲しい。
『王』が言った。では問う、お前は誰の心が欲しいのか、と。
『俺』は答えた。分かりません。でも、『王』にはなりたくない。
『王』が言った。なにゆえか、と。
『俺』は答えた。醜いからです。
と、『王』が笑った。
朗らかに。肩を体を振るわせて笑った。『王』が言った。後継者がいた。これをもって私は『王位』から退く、と。戸惑ったのは兄たちだった。一体誰をさして後継者と言ったのか。
『王』が指を鳴らした。途端に兄たちは黒い影に体を捕らわれ、ずるずると退室させられていく。ある者は泣きだし、ある者は悲鳴を上げた。誰も何も言わずとも知った。これから殺されるのだと。
『俺』は言った。なにゆえ兄たちを…!と。
『王』は答えた。他に用はない。
そうして『俺』は悟った。自分が何をしたのか。
あの時、本当に『王位』から退きたいのであれば、敢えて自分は『王』に刃を向けるべきだったのだと。『王』が試したかったのは、『王位』に対する気構えだったのだ。『権力』と『力』に怯え、時に嫌悪し、必要とあらば捨てられる者でなければ、その資格はないとしていたのだ。
闇の一族を率いる者…それが『王』。一族以外の為に『王』が存在してはならない。
皮肉にも、『俺』がその資格を得てしまった。
『王』が言った。我が子らは皆優れた者たちばかりだった。皆同じように容姿に、学力に、資質に富んでいた。残るは気構え。長年探し続け、ようやっと見つけたわ…と。
『王』は言った。見つかれば他に用はない。王族とはそのようなものだ…民の道具であればいいのよ。
『王』の言葉に間違いはなかった。だが『俺』は反発した。兄を殺さないで欲しい。『王位』などいらないのだから。力などいらないのだから。
遠くから聞こえてくるのは兄たちの悲鳴。次々と…絶え間なく響いてくるのは叫び声。
『王』は言った。お前は誰かの心が欲しいと言った。案ずるな、お前なら誰もが心を預けてくるだろう…と。違う!と『俺』は叫んだ。『俺』が欲しいのはそんな心じゃない。
『王』は問うた。では誰の心が欲しいのだ?
『俺』は答えた。私を本当に必要としてくれる人。
『王』は言った。民はお前を必要としているよ、と。
『俺』は叫んだ。それは違う。
『王』は問うた。何を言う?何が違う?
『俺』は答えた。『王』よ、私は民を憎んでいるのだ、と。
『俺』は言い続けた。我ら一族は醜い。血を好み、争いを好み、誰かを弄ぶ。その最もたる者は『王』。私は自分の中に流れるは、その血なのだと思う事すら厭わしい!と。
『王』は笑った。しかし逃げられぬ。
兄たちの悲鳴。兄たちの悲鳴。兄たちの悲鳴。
殺さないで殺さないで殺さないで殺さないで…!!
もう誰の血も見たくない…!!!
『王』は言った。さあ、私を殺しなさい…と。お前が『王』になれば、兄たちを助けられるだろう?
『俺』は黙った。
『王』は言った。さあ、早くしなければ兄たちは皆死んでしまうよ。今なら何人かの犠牲で助けられる。
『俺』は黙った。
『王』は囁く…。さあ、と。
うつむき、床にへたり込んだ『俺』。
涙が止まらなくなった。捕まったと思った。もう逃げられない。
誰か助けて。
絶望した『俺』に、聞こえた声。
(「――――あおしまあぁッ!!」)
玉座の間に響く声。男の、声。
だれ?
とても懐かしい。
『王』が言った。お前は誰だ…?
「え……?」
自分を見下ろすと、そこにはグリーンのコートを着た『俺』がいた。
体のあちこちを見回す。触る。確かな感触。
『俺』は誰…?
そうして急速に思い出す。この幼き日の出来事を。
俺は結局、『王』になる事を承諾した。そして誰が止める間もなく、兄たちの元に走った。その惨劇。もう、誰も生きてはいなかった。近くにいた側近に問いだたした。何故殺した。私は望んでいなかった!
側近は恭しく『俺』の手をとり、微笑んでこう言った。貴方様のご兄弟、皆様食べられる事を望んでおられます、と。
言葉もなかった。声にならない悲鳴を上げて『父』の元に戻った。あるのは死体。玉座から少し離れた、紅い絨毯の上で。
「どうして思いだしたんだか…ずっと忘れていたのに」
そうして、俺は『父』も兄たちも食べた。泣きながら食べた。力の強い者たちは、死んだ時肉片ではなく美しい紅の玉になる。それを何個も飲み込んだ。何個も何個も飲み込んで、城の頂上で泣いていた。自分も結局同じなのだと。
死んで欲しくなかったのに。
自分の存在がなければいなくならなかったのに。
「誰だ…俺にこんな昔の事を思い出させるのは…?」
しん、とした玉座の間を見回す。豪奢な作りの部屋を。そして、俺の足元で遠い目をした幼い俺自身を。
「ああ…大林か…。『霊寄せ』の力だな…」
びぃん、と響く。自分の声。
これは民の祈りか。大林という、自分の側近の望みか。
再び、この城に戻ってきて欲しいという…?
否…もう戻ってきたりはしない。
ただ泣き、何もしなかった己など。
自分は、あの時怒らなければならなかったのだ。
『王』に、兄たちを殺して望んでいたのだなどとぬけぬけと言ったあの側近に。
一族に。
自分自身に。
(「――――青島ッ!!」)
ぱしんっ!と、天井がひび割れた。
柱が軋み、床が揺れる。
「あ……そうか…室井さんだ……」
くすくすと笑みが漏れた。なんて声だろう。耳が痛くなってしまうよ。
『兄上!』
視線を動かすと、足元にいた『俺』が泣きながら走り出した。どうやら、またあの過去の映像が動き出したようだ。シャッフルされたように、色々なシーンが周りに映し出されていく。
ここは『霊寄せ』の中。その者の心の中の隅々から記憶を取り出し再生し、縛り付ける。時には残酷な過去を。時には至福の時を再現して。
でも無駄だった。『闇主』という名のもたらす過去に、『俺』はもう縛られないのだ。
何故かって?だって『俺』はもうとっくに『闇主』ではないからだ。だからもうこの姿に戻っている。
『青島俊作』の姿に。
「……戻れるかな」
漏れるのは笑みばかり。分かっていたけれど、なんてスゴイ事を軽々とこなすのだろう。室井慎次、という人物は。なんて望む事ばかりを叶えてくれるのだろう、あの人は。
あの叫びで、自分は再現されていた過去から切り離されたのだ。
名を呼ばれなかったら、過去の自分の心にシンクロして、決して逃げられなかっただろう。あの時の心の痛みに捕らわれて。あの日の絶望に絡め取られて。
ごごご…と『世界』が軋み始めた。『霊寄せ』の力が、弱くなっているのだ。それに伴って、城の映像が段々と消えていき、見えるのは灰色の世界。何もない、灰色一色の中。
声だけが聞こえてくる。低く、聞き覚えのある…あの男の声と。
自分を引きずり出してくれた、あの人の声、と。
『お前は殺さない。貴様ごときに手をかけ、この身を汚したくないものでね』
まずい、と俺は舌打ちした。大林がこうやって静かに相手に殺さないと言った時は、もう死を与える事を決意している時なのだ。しかもやっかいな事に、決して楽には殺さない事を…だ。
『……青島……』
思ったよりもずっと、ずっと近くで室井さんの声が聞こえた。
青島、と。
ぽん、と体が軽くなった。
名を呼ばれるたびに。
するすると意識が上昇して、体が自分の支配下に入ってくるのが分かった。誰も逃れる事が叶わなかった『霊寄せ』から、今俺は解き放たれようとしていた。
残るのは焦りばかり。このままではいけない。
あの日、兄たちの元に走った時のように。
この心を占めるのは恐怖、悲しみ、焦り……そして、怒り。
誰も…誰にも殺させない。
俺の大切な人たち。
ず…と指が動いた。曖昧だった視界が、ゆっくりと戻ってくる。目の前いっぱいに広がる青空…いっそ憎らしくなる位に。何度か瞬きする。耳を済ませる。聞こえる二人の声。
状況を把握する…どうやら、あの広場から離れていないらしい。
「お前の言う『王』が誰かは知らないが、今目の前にいる男は『青島』だ…誰がなんと言おうと」
するり、とその言葉で体が思ったよりもスムーズに動いてくれた。彼が俺の名を呼んでくれたからなのか。それともそのセリフの持つ意味の所為なのか…。
そう、俺はもう『王』じゃない。
あの城から出た時から…否、一族を拒否したときから、もう『王』ではなかった。
『青島』だ。他でもない、『青島俊作』。
だから俺は憎む。一族を憎む。何故なら、『王』ではないから。
音もなく俺は立ち上がった。目の前にいるのは室井さんだった。いつものように毅然と立ち、大林と対峙している。あちこち薄汚れたシャツを見て、痛々しくて顔を顰めた。室井さんを挟んだ向こうにいる大林と、目が合う。滅多に顔を動かさないアイツが、ぎょっと目を見開いた。口を少し開いて。
信じられないのだろう。今ここで俺が立っていることが。
『霊寄せ』の呪縛から逃れ得た事が。
だがこれが事実だ。
俺が『王』…『闇主』ではなく。
他の誰でもなく、『青島俊作』だという事の、証明。
すっと一歩室井さんの背に近づいた。後ろに俺がいる事に気づいた様子はなかった。
俺は大林を見つめて、静かに言う。室井さんは…―――
「相棒を…」
謀らずに言葉が重なった…「「――――殺させない。」」
はっ!と振り返った室井さんに、俺は何も言わなかった。
ただ引き寄せて、顔をのぞき込んだ。酷いありさまだった。頬が腫れている。
「あお……しま……?」
「……顔、殴られたの?」
ただ呆然と俺を見つめる室井さんに微笑んで、すっと抱き寄せた。何が起こったかは大体想像が出来る。無言でそのまま、大林に視線を走らせた。
「『王』………?」
「俺は『王』じゃないと、何度言わせたら分かる」
「………なにゆえ……?」
「『霊寄せ』の呪縛が叶わなかったか?……なあ大林、もうやめるんだ」
「何をでございます」
「『王』なんてもう何処にもいない」
「そのような事は……」
「俺に言わせるのか!?」
俺の叫びに、びくんっと大林が体を振るわせた。一度だってなかった事だ…初めての事に戸惑いも感じているのかもしれない。ぎゅっ、と室井さんを抱き寄せたまま、俺は呟いた。
「俺は、お前たちを捨てたんだよ…!!」
「!」
「お前は俺が即位した時、何を望むかと問いてきたよな…?」
「……………」
「俺は何も言わなかったが、あの時からもう望んでいた」
そっと、微笑んだ。たった一度でも、あの城ではしたことのなかった優しい笑顔で。
「一族の死を…!」
―――王!!
大林の悲鳴が、民の悲鳴が聞こえたような気がした。
たった一度でも、したことのなかった優しい笑顔で。
私は、私の忌まわしい血が滅びる事を願う。
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なんって酷いヤツなんだ…!青島っ(笑)そんなにはっきりと捨てただなんて言わなくても…!!(爆笑)第27話「やさしいえがお」お送りしました〜。
だらだらやっているけど、でも書いてて楽しい。
さ〜て次の話・次の話〜!
そろそろ二部終了〜〜…たぶん。
しかし書き足りね〜っ!青島の過去〜〜っ!!もっと詳しく書きたかった〜!!(絶叫)なんで青島が一族を憎んだか、その理由を…。
あ、ちなみになんで真下が『リベレイター』に来たかって言うと、新城さんが一族嫌いだからです(爆笑)
01/3/27 真皓拝