第二十九話 とじられたわ


儚いとしてもずっと、願うよ
「貴方に届くように」


 これは何なんだろう。
 人間がまず謎という存在に気づいたのは、一体いつからだろうか。
 探求心。知的好奇心。興味。
 アダムとイヴが楽園から追放されたのは、禁断の実…”知識”を手にした事から始まる。目の前に広がるモノが何かを知らず、手にしているモノが何かを考えず。ただ本能のままに動く。感情で生活する。痛い。恐い。悲しい。苦しい。嬉しい。楽しい。気持ちいい。

 何者にも疑問を持たず、感情だけで動いて生きていける。
 それは理想だと知っていても、分かっていても、人はそれを求めたりする。
 人である限り…(人であることを拒否したものは別だが)思考を持つ限り疑問を持たないで生きるなど不可能だ。今の世の中には多少はいるかもしれない、そういう稀少な種族が。
 でも、それは動いているだけで。
 生きている訳じゃない、と室井は思う。
 人は”知識”を得て幸福になったのだろうか。
 ただ、更に目隠しを増やしただけなのではないだろうか。
 そんなものを取り払って、真実に目を向ければ、本当は何もかもが説明出来てしまうんじゃないか?
 感情で……。

(……感情?)

 ドオン!!
 はっ、と私は体を強張らせた。慌てて地面から視線を上げると、空に浮かぶ二人の男。
 ささっと手で目をこする。ああ…視力は悪くなかった…私は。
 ぶわっと砂が舞い上がった。口と鼻に少し入る。顔をしかめていると、じゃりっと音がした。忌々しい。
 吐き出そうと思ったが、それで口を開けばまた砂が入る。悪循環だ。
 ハンカチを探そうとしたが、どうも自分は雰囲気にそぐわない行動をしているようで違和感が消えない。

(何をやっている?私は?)

 目を腕で庇って、一歩後退した。青島に目を向ければ、非常に晴れ晴れとした顔で笑っている。一方大林という男は、無表情だった…否。
 これ以上ない失望。絶望。脱力。果てない後悔。
 瞳が、雄弁に語っていた。
 何故だ…!と。
 何故?そんな事、私は知らない。
 心のうちで答えて、低く笑った。
 私はお前じゃない。お前は青島じゃない。謎なんて、永遠に説けない。説けたものは謎じゃなくなっているのだ。その時点で。
 メビウスの輪のように。
 子供心に、あれは不思議で仕方なかった。ただ一度捻られ、両端を繋げられたに過ぎない紙。そこに生じる不思議。裏が表になり…表が裏になる。

(落ち着け…室井慎次)

 信じられないものを目にしたとき、こうして言葉をこねくり回すのはいけない遊びだと思う。そうして生じる心の沈静効果の為だと分かっていてもだ。必要なプロセスと分かっていても、逃げているようでイヤだ。
 かぁん!と甲高い音が響いた。私の視力が悪いわけではないだろう…目に見えない何かで、二人は戦っている…剣が何かだろうと思う。青島と、大林の力は拮抗しているように見える。
 かん!と短く音がして、大林の手が弾かれた。それまで無表情だった大林が、にやりと笑う。

「貴方も成長なされて…」
「お前が片手だというハンデを考慮に入れての誉め言葉か…耳に痛いなぁ」
「実力がお上がりになった事に、変わりはありません」
「お前は厳しい先生だったからな…基本練習は欠かさなかったよ。とりあえずっ」

 かん!と再び小さい音。
 そうなのだ、相手は片手なのだ。どうみても不利なのに、大林の力は揺るぎない。
 カァン…!!微かに音が伸びる。反動が強かったのか、青島はくるり、と空中で体を回転させて距離を開いた。無駄のないその動きに、なんだかサーカスを観ているような気になってしまう。
 そうか、わかった。彼らは、まるで遊ぶように戦っているのだ…だから、思考も思わず違う方向にそれる。今”それ”を求められていない、という事が分かるから、学生が先生の言葉を聞き流すように、思考が中心に近づかずに滑っていく。

「青島!」

 我知らずに叫んだ。何故叫んだかは分からない。…分からない?
 ふと、青島がこちらを振り向いた。「なに?」と瞳を見開いて答えてくる。その動作に、私がぎょっと息を飲んだ。隙だらけだ、大林に攻撃されたらどうするんだ!?
 しかしそれは短い杞憂だった。すとん、とそのまま降りてきて、私の側まで寄ってきたのだ。

「もしかして、どっか痛い?あ。苦しいとか?」
「…………そういう問題じゃない」
「なんで?そういう問題だよ?俺、室井さんが中心なんだけど」
「……あぁおしまっ……」
「だから何?」
「―――遊ぶなっ!!」

 口にしてから、はっとした。遊ぶ?……遊ぶ。

「あれ?そう見えたの?」
「そうとしか見えない。君も、大林も、全力で戦ってない。これに、何の意味があるんだ?!」
「……全力だしたら、あいつすぐ死んじゃうよ?」
「え……」
「………いや、殺すつもりだけど…。でもさ、やっぱりそうは行かないからさ。ただの雑魚だったら普通に殺すけど」
「……………」

 青島の口から出た言葉に、絶句した。
 ”殺す”……?

「だ、だめだ…っ!!」
「でしょう?だからね、今頃合いを測ってるトコなんですよ」
「違う…っ!殺人はいかん!!」

 は?と青島が言った。口がOの字になっている。絶句した彼に、私はたたみかけるように言葉を続けた。何がどうなっているかは知らないが、殺しはいけない。思いとどまれ。そんな事をずっと。
 彼は黙って聞いていた。こちらが慌てる位、静かに。

「室井さん」

 はっと肩を振るわせて驚いたのは私だった…―――彼の声に、言葉に、怯えたように反応したのは。すっと青島は一歩下がって、全身の力を抜くようにため息を一つ吐いた。ああ…ごめんなさい。ムロイサン。小さく呟いて、視線を一度落とし、向き合う。

「大林は、人間じゃありません。見れば分かると思うけど」

 逸らさず、そのまま。

「アイツは、貴方の知らない過去の俺を求めてます。そんなもの、もう無いと言っても聞いてくれませんでした。石頭ですから。アイツの存在意義は、常に『王の傍ら』ですから。俺が『王』を否定した時点でもう駄目なんです。なあなあと笑い合って別れるなんて不可能なんです。その上『貴方』という存在すら知ってしまった…―――」

 呵責が無いなんて嘘です。でもそうしなきゃいけないんです。むしろそんな”モノ”、抱いている方が酷いとは思いませんか。憐れみなんて失礼なだけだ…―――。
 紡がれていくセリフに、言葉もない。

「室井さん?殺すって、どういう事だと思います?」

 にこっと微笑まれて問われ、戸惑いながら答えた。

「その命を、とる事だ…」
「心臓が止まったりする事だよね」
「そうだ。そんな事、しちゃいけな…」
「じゃあ。”心”って…どう思います?」
「ココロ……?」
「俺はこう思います。”殺す”っていうのは、その人の”心”や”意志”妨げ、消してしまう事だ。……特に俺達吸血鬼にはその傾向が強い。もともともうとっくに死滅するはずの細胞を生かし続けているのは、結局”想い”によるもの。肉体になんてさほど俺達は執着してない」
「………あおしま……?」
「貴方の望みはなに?」
「え………?」

 会話が、かみ合っていない気がする。いや、気のせいじゃない……。はぐらかされている?

「俺の望みは、決して貴方を喜ばせはしない。そういう類のものだから。でもね、『貴方が狙われる危険の一つは確実に消える』んです」
「……?……」
「放って置いても構いはしませんが。でも俺は我が儘だから。貴方だけが無事ならいいってそれだけで純粋に喜べるほど一途でもないんです」
「……………あお…」
「消せるものなら今消したいんです。―――ああ、違う。すいません。嘘です。ごめんなさい」

 ぺこっと頭を下げる。ふわっと青島の前髪が、揺れた。綺麗にお辞儀をしたまま、青島が言った。

「今までの全部忘れて下さい。俺は、大林を殺したいんです」
「…………!」
「言い訳なんてしてすいませんでした。俺は殺したいんです。憎いんです」
「何…言って……!」
「おぞましいんです。相手なんて関係ない。あの一族のモノたちと同じものが自分に流れていると思うと、壊したくなるんです。」
「……………」
「消したくなるんです。でも貴方は、そうさせたくないんですよね」
「……当たり前だ……っ!!」
「ありがとうございます」

 すっと顔を上げた。ぞっとした。青島を心底恐いと思った。いや…初めて会った時から、畏怖は感じていたが…これはそんな可愛いものじゃなかった。視線を上げた青島の顔に、変化はなかった。いつもの青島と何も変わりなかった。

 …だからこそ恐かった…!

「貴方は何も知らない。でも知ってます。今…ちゃんと分かったよね」

 ふわり、と笑って姿勢を正した。思わず下がった私に、そっと手を差し伸べてくる。

「相棒失格だって」

 その手から、初めて逃れたいと思った。

「大林…。待たせて悪かったよ。こっちにおいで」

 でも、逃れられない…!
 視界の端で、私たちの会話を静かに聞いていたであろう男も、青島の声に誘われるように近づいてきた。大林の事を目で追いながら、私は青島から離れようとしていた。しかし容易く引き寄せられ、両腕で抱きよせられてしまう。離せ…!っと叫ぼうとしたのに、まるで蔦に絡め取られたように言葉が出ない。
 私を黙らせるように…なだめるように。包み込む煙草の香りに、目眩がした。

「どうだ?”術”に掛けられた気分は?」
「最悪です」
「はは…そうだよね…。言ってみろ」

 すっ、と抱きしめていたその左手を大林の喉に掲げる…と、彼の全身がぶるぶると痙攣しはじめた。青島が、彼に何かをしたのは明白だった。

「ぁ……あ…アナ・タは『王』デハ、ぁアリ・マ…セン」
「では誰だ?」
「ぁ…『青』…ぃ『島』・しゅ…『作』」
「…お前の”意志”は今壊したよ。さあ…後はどうされたい?」
「――…っ……くく…――お気に召すままに」

 その時の大林の笑みに、私は怯えたと言って過言ではなかった。彼は確かに今、否定された筈なのに。青島自身に。彼の望む『王』自身に。

「私の意義は無駄ではございませんでした…―――さぁ。…それでこそ我らが……」

 ざしゅっ!と、肉の裂ける音がした。
 差し出された青島の手に、自ら倒れ込んだのかと思った。が、悔しそうに顔を歪めた青島を見て、分かった。彼が殺したのだ。
 紅い何かが、大林の体を、貫いている。視覚で捕らえ、無言でただ佇んでいた。たった今目の前で、命が、一つ…消えようとしているのに。反応が…出来ない。青島の腕は、的確に心臓を貫いているようだった。即死だろう。駆け寄って止血は無駄だから?だから私は動かないのか?それとも青島の腕が私を捕らえて離してくれないから?
 信じられない光景を目にしたとき…ドラマの様に無音だなんて嘘だと思った。何もかもリアルだった。匂いも、青島が私を抱きしめる腕の強さも。大林が倒れる音も…ぐちゅ、という肉の裂ける音も。
 ずる。
 青島が大林の体から腕を引いた……と。ぱしゃっ、と、頬に何かが降ってきた。震える手でそれを拭う。むせ返るような、匂いがした。今まで包まれていた煙草のそれさえかき消して。

 ―――”血”だ。

 今、青島の腕を染めているのも。
 私の頬を、濡らしているのも。
 血、だ……。

 地面に倒れ、さらさらと砂になり消えていく彼は、無言だった。……なのに、僅かに動いた唇から、声が聞こえたような気がしたのは何故なのだろう?錯覚…?私の……?


 ―――アナタハ、カワッテシマワレタトオモウタガ
 ―――ウレシキカナ…ナニヒトツカワラナンダ。
 ―――イマ、ワタシニムケタソノヒトミ…!
 ―――ソノ『無慈悲』サコソ…ホカナラヌワレラガ『王』…!


「室井さん」

 ずる…と崩れ落ちた私の体を、青島が慌てて支えた。いつのまにか、大林の体は完全に消えていた。灰に…塵になってなくなっていた…。温もりだけを残して…。もう、血の後さえない。手に着いていた筈のそれも、跡形もなくなっている。地面にも、少し動いた砂の跡が残っているだけで。もう、何もなくて。
(何が起こった……?)
 否、私は何が出来たのだ?あの状況で。何をした?

「室井さん…っ」

 気遣いう声は青島のもので。
 殺すと言ったのも青島で。
「室井さん…こっち向いて」
 そう言って頬に手を這わせるのは青島で。
 泣きそうな声をしているのも…でも、殺したのは青島で。
(分からない……。)
 ふと目の前が真っ暗になった。声が…遠く…なる。
(気を失う…―――?いや、違う…!)
 青島が……私に、何かをしたのだ。
「いいんです」
 何をお前は私に許すんだ?
(何がいいんだって…!?)
 聞こえない。
 閉じまいとするうっすらとした狭い世界で。微かな声。
 
ニクンデモ

(…何故?)
 訳もなく悔しかった。
 『闇主』が、薄く笑ったような気がした。―――…深い、闇の中で。


 
閉じられた輪。切り離せば謎は解ける?



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……ちゅ〜ことで。少々書き手直し。(気づいた人ブラボーってかそんなの無意味なんだけど<笑)
「面白いんだけどさ〜…なぁんかもうさ〜っ!!」彼女のこの反応に、皆さんが敢えて言わなかった事が現れていると思って考え直したけど分かんない。おそらくここら辺が真皓ゆえなんだろうと思う(笑)…いえ、決して笑い事ではないんですが。
以下日記。(読む必要全くなし)
ここまで読んで下さった方v本当にありがとうございましたvv

P・S 私は大林の呪いに、辛うじて勝った気がするけれど、密かな(?)大林ファンを敵に回したかもしれないと怯えていたりする…。真皓小心者なんで、苛めないで(笑)苛め返すよ(笑)
01/4/4 執筆
01/4/5 改訂 真皓拝

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