第三十一話 くみきょく・いち


どうしたら届くのかしら、この世界で
愛しい貴方へ…―――


 堕ちてしまえよ、と口にするのは容易いけれど。
 それでは、救いになどならない。不器用でそして厄介な性分の持ち主である青島には。

(言ってしまえよ)

 『願ってしまえ』よ。その男に。その、人間に。
 側に、いて欲しいと。
 すべてを、許して欲しいと。
 もう反発したところで何も戻りはしない。
 まかり間違って、青島を責め、己の悲運を省みた所で現実は変わったりしない。
 室井が青島の『護符』―――というには憚りがあるが…―――であることは、事実なのだ。かつてなかったものが見えるし、分かるし、そして知っている。

「室井さん…」

 真っ暗な部屋を、青島は名を囁きながら入っていった。ドアは閉めない。室井という男に恐怖を感じさせない為だ。まあ、私は姿を見せては怯えさせてしまうだろうから、廊下で隠れてはいるが。
 答える声はない。『戦唄』ですべてを知った男の言葉は。

 とん、と腕組みをしながら指先を遊ばせる。中の様子を伺いながら、口の中に苦い味が広がるのを止められなかった。室井を連れて帰ってきた青島の行動と言葉に、動揺しなかったと言ったら嘘になる。『結界』を解くと言われた事だって、いつか来るとは分かっていてもこんなに早いとは思わなかった。青島のクローンがいることは情報として届いている。確かにそのクローンなら『点』を容易く破壊し、『結界』を破壊出来るだろう。
 しかし何故こんなに、戦いに急いでいるのだろう?―――自分が青島に劣るとはいえ、充分持ちこたえられるものだった筈だ…―――その上、青島は少ない戦力を、更に減らそうとしていた。自殺行為だ。それともそれに勝る何かをしようとしてたのか?

 この家の地下室から出てきてから、そればかり考えていた。地下に来るように言ったのは、てっきり皆を起こす為なのだと思っていた。(まさか『番人』が『戦唄』を歌うとは予想しなかったが)なのに、『番人』の言葉を信じるのなら、眠らせようとしていたのだ。そう、私が承諾すれば私さえも…その安らかな眠りにつく事を許したのだろう、青島は。

 すっと視線を闇の中に向けた。青島が何か動いた気配はない。横たわっている室井の隣に、じっと床に膝をついて座っている。私も、つられるように静かに息を潜めた。瞼を、閉じる。
 かさっと、布ずれの音がした。起きあがるような、ベットのスプリングが軋む音も。

「あおしま」

 聞いているだけの自分が、何故こんなに胸をかきむしられるような思いに、駆られなければならないのだろう?逃げたい……逃れたい。この場所から、早く。……出来るものなら!
”新城さん?”
 頭の中に、声が。小さく、小さく、か細いそれで。
”行かないでね。もしかしたら、手を借りるからもしれないから”
 なら、その用事の時にだけ呼べばいいだろうに。何故今ともにその言葉を聞かせようとしているのだ?
 こちらの声も言い分も、聞く気はない癖に。形だけは懇願をとっている。

 恐くない筈はない。傷つかない筈はない。拒絶されると言うことに、誰だって慣れはない…殊更、『人間』には。誰より、彼はその存在を愛しいと感じているのに。その種族に。
 相手がただの『人間』ならよかった。記憶を消してさえやればいいことだ。けれどもう彼は正確な意味での『人間』ではない。それに……青島は惹かれているのだ、室井という存在に。
 あの時の悲鳴を聞けば誰だって分かる。だから、余計に苛立たしい。愛しい存在が、どんな経由があったにせよ手に入ったというのに、青島は絶対にそれをよしとはしない。開かれた筈の心の扉は、全く以前以上に堅く閉ざされてしまった。そのまま、抱いてしまえばいいだろうに。

 相手は『玉』なのだ。契約を結んだ相手の側にいること、求められることを生の意義として体現する者なのだ。悲しむ事も、苦しむ事もない。確かに、心は無視されてしまうけれど。
(だって、それは仕方ないだろう?)
 何より、失う事が恐かったのだろう?お前は。―――それとも、永遠に失ったと?
 命は繋げたけれど、心を失ったと?

「青島……」
「………………」

 室井の声が、震えている。

「私は……何なんだ?」
「……室井、さんだよ。」
「…あおしま…」

 泣きそうな、否、笑いを含んだ室井の言葉。それに、青島も私も同時に悟る。彼は、もうすべてを知ったと。口先だけで誤魔化すことも、何も言わずに黙らせる事も、出来はしない。

「そういう意味じゃない……私は、『人間』なのか?」
「………違うよ」

 かたん、と。椅子を持ち出す音。布が擦れる音。
 ほんの少しの間も、私には痛いように感じた。青島なら、もっとだろう。室井の、視線を受けているのだから。尚更。

「普通なら、少しくらいの特殊な力を持った『人間』なんだ。でも、貴方は、俺と『契約』してしまったから」
 間。
「それにね…。俺は…貴方の意志すら確認せずに『契約』してしまったから」

 何の、音も。響くことを許されないような、空気。止まったように思えてしまう、時。静かな闇の中に、青島の声だけが…落ちていく。無機質な、何の感情も込められていない旋律だけ。

「俺の『奴隷』になっちゃったようなモノなんだ。…そういう人を『玉』って言うんだけど」
「…………ジュエル………」
「そう。何でも、俺の言う通りになっちゃうんだよ、室井サン」
「………………」
「分かったでしょう。俺の側が一番気持ちいいのも、息が楽なのも、そういう風に、俺が貴方の体を変えてしまったからなんだよ。それこそ細胞からね。……その所為でしばらく熱で苦しんだ事、覚えてる?」
「…あぁ」
「ごめんね」

(―――――――!)

 ぐっ、と。組んだ両腕を解き、拳を握った。唇を、噛みしめた。これは、青島の苦しみ。私が勝手に、シンクロしている。同調したからと言って、苦しみが分割される訳ではないんだけれど。
 …止められない。

「前に言ったよね。貴方は何も分かってないって。でも今はもう分かったでしょう?自分がどんなに理不尽な事をされたのか。……巻き込まれているのか」
「でもそれは……私が……勝手に…」
「……なに?」
「勝手に……首を突っ込んだんだ…」
「そう」

 そう。…その響きは、もう言葉を為していない。室井以上に、震えていたから。そして自身のそれに気づいた青島は、殊更声を震わせないように努めていた。何の抑揚もない、低い声で。

「今、違和感は無かった?―――俺が今、貴方にそう言って欲しいと願っていない保証は何処にもないし…出来ない」
「………え?」
「俺が、何を望んでいるか分かるでしょう。無意識に、それをトレースしていない?」
「なに……言って……」
「言ったでしょう。貴方は、俺の言う通りになる『奴隷』になったって。人形、に…なったようなもんなんですよ。室井さんの姿を形どった、俺の欲望の塊」
「―――――!!」

 パシン!その音に、思わず私も眉をひそめてしまう。しかし頬を手酷く叩かれたであろう青島に、動揺の様子はなく、ますます堅い声で言葉を連ねている。さながら叩き伏せるように。

「怒ったって、変わりませんよ」
「青島っ!」
「だって…ほら……キスして?」
「!」

 ん、というくぐもった声に、舌を絡める湿った音。
 きゅ、と耳を塞いだ。聞きたくなかった事もある。戯れているような睦言もだけれども、理由として上げられるのなら、自分を傷つけるような言葉を吐く青島のセリフの方が聞きたくなかったから。

「―――抗えないデショウ?」
(違う青島……違う)
「…これはね、俺が望んだからなんですよ」

 やめろ、とぎりっと強く耳を掴む。痛みに耳が熱くなったが、構わなかった。
 何故、そんな事を言うんだ。

「俺が望んでしまえすれば、貴方の自由なんてそこにもうない」

 ぎしっ、と軋んだのは負荷の掛かったベットなのか。―――青島の心なのか。

「俺が貴方に何も望まなければいいと思う?」

 くしゃっと、笑う気配。

「ごめんね。許して貰おうとは思ってない。聞き流していいから。……俺が、貴方に何も望まないでいる事なんて不可能なんだよ……」

 笑い続けている……声にならない嗤いは、室井の言葉さえも奪っている。否。それとも言葉を何も発さない事を青島が望んだのか。
 私には、分からない…―――。

「ごめんね……好きだから」

 好きだから。

「何も望まないでいるなんて、出来ないよ…―――」

 あおしま、と。喘ぐような形にならない声を発した室井は、何も言えないようだった。悟ったのかも知れない。もう、何を言ってもすれ違うだけなのだと。

「ごめんなさい………。貴方には、笑っていて欲しかったのに……。戦いに、巻き込んじゃって。俺が、近づかなければよかったのに」

 室井さん、と呟いて。

「絶対に、もう、命の危険にさらしたりさせない。ここにいて。―――俺は、これ以上、貴方を戦いに巻き込まないって決めた。だから…」

 しばらくの間、我慢して。そう言って青島が室井から離れるのが分かった。足音がこちらに近づいてくる。すぐ後に、室井が起きあがって駆けだしてくるのも分かった。廊下に完全に身を寄せると、私に向かって視線を向けずに言い放った。

「――――新城さん」
「ああ」

 パシっ。と乾いた小さな音がして、室井の目の前で扉が閉まった。カチっと鍵も自動的に閉まる。間髪入れずに、ドアを激しく叩く音がした。そして室井の言葉も。

「青島!?おい、青島っ!!」
「そこにいて。大丈夫、誰も入って来れないから。一番、安全だよ」
「おい、ここを開けろ……っ!」
「……静かにして」

 青島がそう言うと、室井は唐突に黙った。青島の言葉に、従わせられたのだろう。そしてきっと、今その事実に驚愕し、言葉を失っているに違いない。

「……ぃ…卑怯だ……っ」
「うん、そうだね」
「あおしまぁ…っ!!」
「………そこにいてね」

 ふわ、と。扉の向こう側にいるだろう相手に微笑んで。そっと近づく。たった一枚、挟んだその相手に。

「愛してるから」

(…お前は――――っ…)

 お前は、そうやって。絡め取るのか、彼を。室井慎次を。そして…自分自身さえも。束縛してしまうのか。
 唇を噛みしめ、拳を握りしめるのを止められない。痛みで神経が悲鳴を上げても、力を緩める事なんて出来なかった。悔しくて、苛立たしくて。
(私は、お前を救えていなかった?)
 本当の意味の救済など出来ていない事は、承知。けれど、少なくともしがらみから解放出来たのではないかと、自惚れた時もあったのに。
(…お前を、あの世界から連れだしたのは間違いだったのか?)
 知ってしまったから、苦しむ事もある。
 何も知らなければ、なかったそれ。
 私が、悔やむのは間違っているだろうか?でも、嘆く事くらいさせてくれ。

「………新城さん」

 くしゃっと、笑う青島が、いた。きりっと、胸に痛みが走る。
 私は、お前にたくさんのものを貰ったのに。
 優しさも思いやりも…赦し、力、心、そして自由。

「なんて顔、してんですか。ねぇ」
「しらん。放っておけ、馬鹿者」
「……ごめ…んぐっ」
「謝るな…!!」

 彼の口を、手で塞いだ。乱暴だったと思い外すと、苦笑する青島がいる。ばつが悪くなって、慌てて手を離しうつむいた。視線など、合わせられる筈もない。背を向け、一刻も早く室井の元から離れようと思った…と、同時に。叫んだ…―――小さく。

「謝るな…っ、私にだけは…!」

(結局、本当に真実人が人を救うなんて事は容易ではないのだと)

「―――うん。分かった」

 はにかんで微笑んで。もう一度… 

「……分かった」

 階段にさしかかった私を追い抜いて、青島が振り返った。何かを、強く心に秘めた瞳で。―――行こう、と。

「戦いは、これからだから」

 届くものだと、思いこんでみてもいいよ。



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Σ遅くなりました!!(><)真皓です!第30話「くみきょく・いち」!
暗い!暗いぞおお〜!!しかしクライマックスだ!!
がんばれ青島〜っ真皓〜!室井さ〜ん!!そして新城さん。というか、このメンバーの中で一番思いやりがあってイイヤツって、他でもなく新城さんですよね…。(遠い目)
それでは「くみきょく・に」であいましょう〜♪
01/4/23 真皓拝

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