第三十二話 くみきょく・に


あなたの事を想う、ただそれだけで
涙が今、溢れ出してくるよ


 知らないよ、と言えることが、こんなにも開放感が伴うモノだとは。
「あ〜〜〜っ、もう!キリないなぁっ!!」
 キャーッ!と、遠くで悲鳴。重なるように赤子に子供の悲鳴。戸惑いの言葉に、怒鳴り声。合唱のようだった。少なくとも、彼…真下正義には、耳障りなものでしかない。苛々して、仕方ない。
(近くにいた細川さんに、ついつい辺り散らしてしまうというのも仕方ない事だろう、うん。)

「細川さん…なぁんで『簡易人よけ』くらい簡単なの完璧に出来ないんすか?」
「すみません」
「もお〜〜。それでなくとも敵さんが多いってのに…」
「すみません………」

 うなだれる彼にため息をつき、真下はそのまま軽く辺りを見回した。賑やかな中華街。そこから一本西よりに行くと、人通りが途端に無くなる。そこに追い込んで合計三匹の『サーバント』を始末しようと思っていたのだが。気配、音、匂い、姿形。すべてを完璧に隠すのには、『結界』が一番いい。簡単でも呪を唱え、理に従ったものが。けれどあれは『護符』がいなければ出来ない。生憎細川には『護符』がいない。先日の『戦唄』で場所は分かったのだが、こちらの処理に追われて迎えに行けないでいるのだ。

「浮かれるのは分かりますけどね。『護符』が見つかったんですからねぇ、ええ」
「あ。あう……」
「分かりますよ、その感覚は。すんごく嬉しいんですよ。もう、舞い上がっちゃうくらいにね、うん」
「そうなんです!!それで私全然昨夜は眠れなく……すみません」
「いいですよもう、僕が全部やりますからぁ」

 ぱちん♪と乾いた音が響く、と。喧噪が遠ざかった。こちら真下、細川を含めた数名の『リベレイター』と、三匹の『サーバント』を興味半分恐怖心半分で見つめていた複数の視線が消える。

「わあ!これって『結界』ですか!?ええ!?これって一人で出来ちゃうもんなんですか!?ええ!?」
「五月蠅いです…細川さん」
「あ、すみません」

 しかし細川のように騒がずにはいるものの、他のメンバーも驚いたように真下を見てきた。大したことではないんだけれど、実は大したことなのかもしれないと言うのはどんなもんだろうか。
 周りの景色が、一変したのだ。建物も、何もない。あるのは灰色の壁。すっぽりと上から覆い被さるように。半径百メートルほどの半円が、地面のコンクリートだけ残して別空間になっていた。音も、まるでホールの中にるように籠もっている。当然、いるのは真下が選んだ者たちだけなので、ギャラリーはいない。

「誰でも出来るって訳じゃないですけど。やる気になれば出来ますよ。ただ、すんごくこれ不便なだけで」
「不便?」
「僕の得意の風術が、著しく力をそがれるだけです。置き換えれば、力が半減するって事ですね」
「へぇ〜……ってえええ!?」
「だってそうでしょう。『護符』がいれば、いくらでも外から風を呼び込めるけど、いなけりゃここにある空気だけですよ、僕が扱えるのは。って事ですから、細川さん他皆さん、一カ所に集まって必要以上に動かないで下さいね。下手すりゃ死にますから、酸欠で」
「なんで私たちを巻き込んで入れるんですかぁ!!最初から入れないで下さいよ―――!」
「え、やぁ。つい」
「嘘でしょう。絶対嘘でしょう!?嫌がらせだぁぁぁ!!」
「そんな事ないですって、はい集まって。そこ座ってて下さいね♪」

 軽快なテンポでそう言うと、真下は皆を本当に端に寄せた。そうしてくるりと体を反転させると、今の今まで全く存在を無視されていた『サーバント』に向き合う。全部で三匹。ホームレスの老人、中華街の(おそらくファミレスの)店員であろう青年。推定四十の女性。皆が一様に真下に殺気を向きだしにした。シャーっと喉から微かに吐く空気の音は、否応なく恐怖感と不快感を煽る。開かれた口から覗く犬歯が、やがて透明な筋をすっと落とした。
 それを見た真下は、くっと微笑みつつも不快そうな顔をする。とても、汚らわしいモノを見たような、表情。
 と、うなり真下を威嚇する青年がの被っていた青い帽子が、ぱさり、と風に吹かれて落ちた。まるでそれが合図だったように、三匹が突然真下に飛びかかってくる。青年は宙を高く舞い、老人は人とは思えないような格好で地面を這いながら、女性は真っ正面から。

 ひゅっと口笛を吹くように唇を突き出し、真下は僅かに身を後ろに反らした。間髪入れずに、そこに上から攻撃してきた青年の鋭い爪が空を切る。足を引っ張ろうとのばされた老人の皺だった手を、軽くつま先で弾き、正面からの女性の動きを伺う。
 まるでスローモーションのようだった。次に何がくるのか、手にとるように分かる。さっと彼らの攻撃を避けながら、真下は三匹をいかにして、無駄なく退治出来るのかを考えていた。遊ぶような愚かさなど、真下は持ち合わせていない。早々に終わらせたいのだ、自分の今の精神衛生上。全くもって早急に。
 いかにして、三匹を無駄なく排除する事が出来るか。
 それを考えながら、真下は容赦なく続く攻撃を避け続ける。しかし、余裕のあったその表情が、不快なそれに変わっていく。三匹の攻撃が上手くコンビネーションを組み、真下の避ける場所を無くしてきているのだ。
(だぁ〜〜もうっ!!)

「面倒ですねえっ」

 真下がそう言うか否かの瞬間、まるで大きなハンマーに叩きつぶされたように、同時に老人と青年が地面に這い、そして絶命した。あまりにも早いので、細川たちには何が起こったのかまだ理解出来ていない。勝手に二匹が倒れたようにしか見えなかったのだ。
 そうした二匹を見ながら、真下は舌打ちする。なんだ、全部叩いたつもりだったのに、と。
 みれば真下の攻撃を怯えているのか、少し離れた所に高く舞い、着地した。威嚇するように歯をむき出しにして、地面に四つん這いになっている。まるで獣のようだった。

「ちょろちょろと……」
 ひゅっと、真下が手を翳すと風が鳴る。
「動かないで下さいよっ」

 ふぃっと、上から下へ振り下ろす。その不可視の風は直線上に進み、そして女性を真っ二つにした。容赦もなにもあったものではない。酷く苛々する。神経が逆立っている。飛び散った血の匂いさえ、出来るものならこの風で無くしてしまいたい。それはつまり、ここを真空状態にするようなものなのだが。…細川たちが苦しむ、出来ない事なのだが、無性にしたくなった。
(何もかも、新城さんがいない所為だ…―――)
 自分が弱い事など、知っている。
 元々、ここにいる価値などあの人次第なのだ。
(新城さんが、望んだから。僕はここにいる…―――)
 『サーバント』たちが灰となり、また血だけを残して消えていくのを眺めながら、後ろからの細川たちの声を聞いた。

「わ…す…っごい……。真下さんやりますねぇ〜……」
「はぁ。まあこんなもんでしょう」
「………?真下さん?気分でも悪いんですか??何だか…顔色が……」

 のぞき込んでくる細川の存在が鬱陶しい。隠そうとしても隠しきれない、『護符』を見つけだした者の喜びのオーラが、目障りだ。さっと曖昧に笑って顔を逸らした。

 会いたい。

 余りにも唐突で…でも唐突という訳でもない衝動。会いたい。無性に、今。とても、ものすごく。

 抱きしめたい。

 久しぶりだった。そう言えば、『護符』を知らない…否、新城を知らなかった頃は、いつもこんなに心は不安定だったのだ、と。彼を知った時よりも、知らずに過ごしてきた時の方が長かった。あの頃は特に不安定だとも、何も思わなかったのだけれど。
 出会ってしまったから、もう、そうはいられない。
 麻薬みたい、と茶化して言った事があった。ある意味それよりもずっと安全だけれど。同時に危険で、甘美で……。どうしようもないくらい、質が悪い。
(たった、二週間ぐらいだろ…―――)
 それくらい、我慢、出来ないのかと。
 力の弱い者なら、確かに『護符』が離れれば力が使いにくくなったり、弱くなったりする。回復が遅くなったり、気分が悪くなったり。けれど真下クラスになれば、そんなものは殆ど無に近い。よっぽど激しい戦いをしない限り、一人でも充分。

 だから、これは精神的なモノなのだ。

「さ、出ますか」

 口にして、次の瞬間空を仰いだ。何がどう、という訳はない。ただ、『反射的』にそこに誰がいて、何が起こるかを悟ったのだ。ピシリ、と天井の壁がひび割れる音を聞き、その隙間から微かに木漏れ日が差し込むの見た。大きな音のように聞こえたのに、誰一人上を見ない。分かったのは、知ったのは自分だけなのか?

『結界』が、外部からの力で壊される…―――!
 それはまさしく『ありえない』事だった。

 ”出ますか。”
 そう言ったのは真下だったから、誰もが次の瞬間に壁が消えた事に違和感など持たなかった。真下が『結界』を解いたのだと、そう思ったのだ。しかし…――――

「伏せて…―――――!」

 と、悲鳴に近い叫びを上げたのも、他ならぬ真下だった。
 ぐしゃっ!!と、肉と骨がつぶされる音が響く。とっさにしゃがんだ細川と、他一名しか、息をしていなかった。残りの二名は絶命している。

「え…な、なに……?」
「細川さんっ!!」

 戸惑うばかりの細川の体を、押しのけるようにして真下が突き飛ばした。あまりに突然の事で細川はなされるがままだ。回る視界の片隅で、座り込んでいた一名も一瞬で切り刻まれたのを見た。残るは細川と、真下だけ。その真下は、ごろごろと転がりながらどこか一点を睨んでいた。今まで見たことの無いような、憎悪の、目で。

 勢いが止まると、さっと真下が体を起こした。閉じていた目を開けて、細川も素早く体勢を整える。何が起こったのか全く理解出来ないが、転がったままでいるのでは格好が付かないし危険だから。

「真下さんっ!」
「怪我ありませんか」
「ないです、一体何が……」
「敵です」

 そう一言だけ言いきると、もう真下は細川に見向きもしなかった。目の前に立つ、一人の男にしか、もう意識が向けられていない。
 辺りは僅かに砂が舞い上がっていた。死んだ仲間達の灰が、風で舞い上がっているのだ。真下が張った『結界』はとうに崩れ、喧噪も耳に戻ってくる。すぐにまた、遠くなったが。周りがどうであろうと、もう関係なかったから。

 蘇った憎しみで、もう何も分からなくなっていたから。

 男は影しか分からなかった。吹きすさぶ灰が、視界すべてを覆い隠している。そのシルエット。気配。力。そして…―――声

「何を驚いている?正義。まさか忘れた訳ではないだろう?自分の父親を」
「まさか…!」

 自分の声が跳ね上がり、気分が高揚しているのが分かる。全身の血がはっきりと分かる程に脈打ち、筋肉が震えているのが。嬉々とした己の声音に、笑みが漏れた。

「まさか、そんなに僕は親不孝な息子じゃありませんよ。ちゃんと覚えてます。嬉しいだけですよ」
「そうか。私もお前に会えて嬉しいよ」

 ふぅっ、と灰が消えた。顔が露わになる。見つめ合った…何も聞こえなかった。周りに人々…そう、何にも変えて守るべき『人間』がいるのにも関わらず、だ。ただ…血の繋がったこの男の声しか、聞こえない。一人生き残った細川が、自分たちの余波を『人間』たちから逸らしてくれることを祈りながら、ただ自分の心に身を委ねた。

「『何故』『貴方』が『生きている』のかは知りませんが。僕は非常に今幸せです。また逢えて」

 にっこりと笑って言う。父親が、何を考えているか分からないと…気に入らないといったその表情で。

「あの時は随分と派手にやってくれたな、正義。反抗期にも限度というモノがあるだろう。一族を皆殺しにするなんてな…まさか父親である私にまで。正直驚いたぞ。まあ、次期当主としては不足ないが。」

 すっと通った鼻筋。僅かに細いまなじり。薄い唇。立ち振る舞い。口調。何もかも、二人はよく酷似していた。着ているスーツが、全く乱れていないという点でも。

「お陰で我が『ファミリー』は断絶だよ。困ったものだ。財産はあるが、人材がいない。どうしてくれる?」
「どうしましょうかね。僕にはどうにも出来ませんが」
「私が『生きている』事に、疑問は感じないようだな。何を考えている?お前」
「殺し足りない、と。そう思っていたんです…ずっとね。でも殺しつくしてしまったから、一番最初に殺めたのが貴方だったのは、失敗だと後悔してました。一番最後にすれば、楽しめたのに」
「楽しめたのに?」
「ええ」

 目を細めて。

「時に正義。あの”人形”はどうしている?」

 ―――ズギュッウ!!
 コンクリート盛り上がり、その塊は途端に宙に浮いて男に襲い掛かる。素早く横に逃げたが、その時には既に真下が駆け寄っていた。突き出されたこぶしを避けたものの、伴って吹き付けた風から逃れる事は出来なかった。びしっと左頬に一筋、赤い線が走る。
 真下は次の攻撃はせずに、素早くその場を離脱する。三メートルは距離を取らなければ危ない。強く地面を蹴りながら、自分の式を呼んだ…―――風華!、と。
 いらえは疾風によってもたらされた。コンクリートごとスパン!と、男を切り裂いたのだ。捕らえた、と思いきやそれは間違いだった。男は微かに真下を見、笑うと軽く手を押し出す。途端に風は翻し、真下に吹き返してきた。
 はっと息を飲んだ両腕を翳す。シャッと小さな音が聞こえ、翳した手や腕が、所々傷を負った。

「新城さんの事ですか。元気ですよ、とてもね」

 息は全く乱れないまま、真下は父親に言った。男も同様、一瞬のやりとりがまるでなかったかのように、穏やかに話しかけている。

「その様子だと、まだ入れ込んでいるようだな」
「ええ。僕の一生の伴侶ですから」
「『護符』とやらか?」
「そうですよ」
「馬鹿馬鹿しい。それで?お前はアレに傅いているというのか?」
「―――そうですとも。爵位は彼に譲りましたからね」

 ハッ!と。男が笑った。どうしようもなく可笑しいと、笑い続けた。

「使い古された人形が、まだ手放せないようだな、正義」
「………………」
「何度言ったら分かる?あれはもう……」
「言うなっ!!」

 ガキャ!!と真下の叫びと共に、風が悲鳴を上げて四方に四散した。握りしめた拳を見、真下は一瞬歪めた顔をすぐに戻した。そして感情を乱した事を、少し恥ずかしげに笑う。

「まぁいい…説教は後でする。今日はまだ色々と忙しいのでね、失礼するよ」
「このまま逃がすと思いますか。僕が」
「――――…一番最後に殺すのだろう?」

 にっこりと微笑みながら言われ、真下は一瞬息を飲む。そして。促されるように唇を緩めた。そうだ、この男は後にとって置くのだ。殺しても殺しても殺し足りない。そんな存在だからだ。

「―――新城とやらに伝えてくれ。『我が息子の味は、以前の主よりいいかね』と」

 男が言葉が、最後まで紡がれたか否かは定かではなかった。真下が再び攻撃をしたからだ。しかし手応えがない事に気づくと、ばん!と一度拳を振り下ろした。拳は空を切っただけなのに、地面のコンクリートはさながらえぐり取られたようにくぼんでいる。
 うつむく真下は、ふわり、と肩に気配を感じた。風華だ。

『逃げられました…―――』

 違う、逃がしたのだ。でも言わなかった。言えばこの式神は大変に怒り狂うだろうから。何故だ、と。
(楽しみは、最後までとっておくものだよな…―――――)
 殺しても殺し足りない。愛しい存在を貶めたモノたち。苦しめたモノたち。
 でも、唇から零れるのは切実な願いで。

「会いたいなぁ…新城さん……」

この涙を、拭ってくれるかい?


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第32話「くみきょく・に」お届けしました〜。なげえぇ。
ではでは次回「くみきょく・さん」で会いましょう〜。次は誰の視点かな〜。
01/4/24 真皓拝 

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