第三十四話 くみきょく・よん


五月蠅いだけだね。
理想主義者の、理論なんて。


 あおしま、と呟いた声だけが、部屋に響いていた。
 何故、と。掠れた言葉だけが。
 開けてくれ、と叫ぶ喉の痛みだけが。
 無情にも過ぎていく時間を知らせてくる。

 一体何は自分は何に絶望しているのか。
 分からないけれど。
 どん、ともう何度叩いたか分からないドアに、拳を打ち付けた。こんな事をしても開かない事は『知って』いる。自分の力では開く事は出来ない。

「あぉ…しま………」

 ずる、と膝をついた。体力がもたない…情けなかった。相手が根負けするまで、粘ろうともおもっていたのだが。すっ、と意識が混濁するのが分かる。”眠れ”と体が言っている。”『覚醒』まで体を休めろ。まだお前は目覚めていない”と。
 イヤだ、と藻掻いた。でも。自分の体が扉の前で崩れていくのを自覚した。冷たい床に、倒れ臥した自分の事を。―――沈んでいく。海に…。思い出す、同じようにして、青島の腕で気を失った後の事を。




 ―――訊け、

 真っ暗な海に沈んでいたような、その感覚を引っ張り上げた声。女性の、凛とした…美しい『唄』。さざ波のように寄せては返すその柔らかさに、そのまま意識は眠る事を望みかけていた。尚も引き留めたのは、その人の言葉。

 ―――とくと、訊け。『人の子』よ。わが愛しき者の末裔よ。目覚め、戦え。

 何故戦うのか、という事を、何一つ語りはしない唄。けれど、その旋律に重なるようにして、別の声が聞こえてきた。二重音声のようだった。二つの声は時に絡まり、離れてを繰り返す。

 ―――耳を澄ませて下さい。そうして、身を委ねて。あなた達に、教えるから。

 途端に流れ込んでくるのは、膨大な量の情報。それらはこちらが躊躇っている間にもするすると体のあちこちに刻まれていくようだった。フロッピィにデータが蓄積されていくように、淡々と。ただ一つ違うのは、感情が伴う事だけだ。
 染み込んでいくようなその数々の言葉たち。『知る』のは、すべてが終わってからだった。自分に埋め込まれたそれらの情報を、自分たちで読み解いている時。

 自分が、『その他』の『護符』とは違うのだという事が分かった。

 ”貴方には枷がある”
 …鎖に、繋がれている。
 ”それは主に繋がっている”
 …己のすべてが、他人に委ねられている。

 自分の意志など、ないのだと知った。
 分かった時には納得がいった。何故『青島』の言葉に逆らえないのか。彼の側が心地よいのか。そうか、すべてはそれの所為だったのか、と。

 ”主の望みは貴方の望み”
 そうなのか、と声に問いたい。
 ”主の喜びが貴方の喜び”
 分からない、そうなのだという自覚がない。
 ”例え言葉にださずとも、主が望めば貴方は従う”
 奴隷ではないか…それは!!

 ”『契約』は双方の『合意』が無ければ成立しない。『護符』になれない。”

 『護符』―――それは守られる者の意、ではない。護る者、という意味なのだ。世界でただ一人、自分の相手を。不可思議な力を貸し、癒し、時には庇う。相手の『能力』によっては、全くそんな力を手に入れることのない者もいる。ただほんのちょっと、カンが鋭くなる程度の人もいるのだ。それでも『護符』は護る…―――心、を。

(では私は何なのだ…―――?)

 乞われてなった訳でもない。
 望んでそうなったのでもない。
 『唄』は残酷だった。私の望んでいた真実を、すべて教えてくれた…。

(『護符』ではない私は何になれるというのだ…?)

 洗いざらい調べた。探した。与えられた情報の中から。
 かしゃん、と音がしたような気がした。すべては意識の中での出来事なのに。私は、一種不思議な感覚の中にいた。いながら、不思議と感じながら同時に自分の置かれている状況を把握していた。寝ているのだ、自分は…そう感じながら、意識は『起きて』いる。
 がしゃん、確認させるように、もう一度音がした。鎖の音だった。それが、体に巻き付いて拘束している。
 がしゃんがしゃん。
 上から格子が落ちてきた。あっと言う間に檻になって、閉じこめられてしまう。

 ―――『玉』とは、こういう事です。

 ふわっ、と白い何かが舞い降りてきた。人のようにも見えたけれど、靄のようなものに包まれていて分からない。ただ、檻の向こうにいるのは、『唄』声の持ち主なのだと…この溢れんばかりの情報を与えた人物なのだと、そういう事だけは分かった。

 ―――悲しいわね。今まで例がなかった訳じゃないけれど…『玉』が…つくられてしまったなんて。

 逃げなさい、と、その女性(ひと)が言った。

 ―――逃げられるから、逃げなさい。完全にその鎖が、外される事はないだろうけれど、不可能な事なんてこの世にはないから。

 言われて、己を束縛する鎖を引っ張った。びくともしない。手のひらに痛みと錆臭さだけしか残さない。

 ―――あの人は、貴方を”負”の感情で縛った訳じゃないから。

 『玉』とは『ファミリー』という吸血鬼たちが愛用した玩具だ。時になぶり、殺し、性欲のはけ口にし…そうして己たちの長く退屈な日々の時間をつぶす為の。だけど『彼』はそうしなかった。もしも自分をそうしたいと望んでいるのなら、とっくにそうした筈だから。

(…知っている。分かっている、)

 声に出そうにも、出来ない。それが分かったのか、相手はふわりと笑ったようだった。暖かな雰囲気が、伝わってきたからだ。

 ―――なら、いい。もしも惑わされそうな時は自分の鎖を思い出して。

(―――…え?)

 矛盾している、と思った。自分を縛り、動かないようにしている鎖から逃げろと言ったのは他でもないその人…その口から…惑わされた時は鎖を思い出せと?

 ―――自分を支配する意識に、心を奪われそうになる時は抗って。見つけだして、自分の心を。きっと出来るわ……だって………。

 ざざっ、とノイズが走り抜ける。がしゃん、と檻がばらばらになって砕け散った。解放されるのか、と喜んだのはつかの間……ずぶり、と体が沈んでいくのが分かる。己の下は、堅い黒の床のようだった。なのに、まるで底なし沼のように足を引きずり込んでいく。逃げようとあがいたが、叶わない。ずるずると腰の辺りまで飲み込まれてしまう。何よりいやだったのは、それが痛みを伴うものでも、苦しみを与えられるものでもなかった所為だ。心地よかったのだ。それはいっそ優しさすら込めてこちらに触れてくる。

(いやだ…っ、なんだ、これは―――!?)

 ―――奇蹟、かもしれない。貴方の心のなせる奇蹟。鎖は貴方を束縛し、同時に貴方を支えてまも…――――

 待て…―――――!
 声も、意識も彼女を求めていた。助けてくれ、と。しかし声は途絶え、白い陰のような人型の靄も消え失せてしまった。
 ぐしゅ、と引っ張られる。かくんっと体が仰け反る。力は凄まじかった。ついには首にまで及んでくる。

(溺れる……―――?!)

 キヅツケタリシナイ。
(!)
 イツモソバニイタイ。

 この床が、…自分を飲み込んで離さないこれが、『玉』である自分の欲望なのだその時はっきり分かった。この床は、彼が望むままにしようとする『意志』なのだ。巨大で、絶対な『意志』。これがある限り、『自分』が『青島』に認識されることは絶対にない。
 悲鳴を上げてしまいそうな恐怖に襲われた。自分が自分でなくなる、その不気味さと喪失感に。

(ア・オ・シ・マ……――――――!)

 ばっと目の前に広がるのは、暗闇と苦しげな『彼』の顔。

『言ったでしょう。貴方は、俺の言う通りになる『奴隷』になったって。人形、に…なったようなもんなんですよ。室井さんの姿を形どった、俺の欲望の塊』

 ソンナコトナイッテイエ。

 言ったら駄目だと思った。これは『彼』の望み。

 ソンナコトナイッテイッテ、オコッテ、ノノシッテ!
 オレヲニクンデ!ナイテ!サケンデ!!ナニカイッテ…ダマラナイデナニカ…!


 バシン!と気づいた時には『彼』の頬を叩いていた。自分の心の声を無視して、『怒った』。
 口に出来ないような頭痛に襲われる。警鐘が鳴り響く…―――!

『怒ったって、変わりませんよ』
(青島っ!)
『だって…ほら……キスして?』
(!)

 くんっ、と体が意志を無視して『彼』に触れた。貪るように、自分から舌を絡めては口づける。

 ―――これが『玉』である、という事。

(駄目だ……)
 駄目だ、と思った。このままではいけない。

『愛してるから』

 がしゃん!!と、一際大きな音が耳の奥で鳴り響いたような気がした。体に、これ以上ない程頑丈な枷を付けられたと確信した。青島ぁ!と叫んだ。酷い、酷い、酷い酷い酷い酷い……―――――!!

 閉じこめるなんて…―――――!

(―――そんな言葉で、閉じこめるなんて卑劣だ……っ)

 『彼』を激しい怒りと共に罵った時、すぅっと肌の感覚が戻ってきた。自分はどうやら、扉の前で気を失い……夢を見、そして目を覚ましたのだと気づくのに時間は掛からない。夢を見た事で、まるでたった今『彼』にそうされた時の『想い』を一際強く思い出せた。

「ぐ…っ」

 体に力が入らない。時折青島の助手をやっていた…あの探偵事務所で出会った女性が食事を運んできていたが、一切口にしなかった所為もあるだろう。己を叱咤して、どん!とドアを叩いた。何の反応もない。
 どん!ど、どん!!
 彼女は扉を通り抜けられるのに、自分には出来ない。最初の頃はドアを叩いた自分を心配げに彼女が覗いてきたが、今はそれもなかった。きっとそう言いつけられたのだろう…誰かに。
 どん!どん!!
 手のひらが痛い。熱い。血も滲んでくる。でも私は一向に構いやしなかった。それはすべて、身の内に流れる”血”で回復してしまうからだ。
「青島…っ!青島っ!!」
 出せ!と何度叫んだだろう。
「あおしま……っ、青島ぁっ!!」

 ソバニイサセテ――――――!

 自分が、『人外』になってしまった事に恐ろしさがなかったと言ったら嘘だった。恐かった。『知識』を得た事で確実に『魔法』のようなものが扱えるのだと知った事が。限りなく無限に近い『力』も持っているのだと分かった事が。
 でも…それよりも……。

 彼が側にいない。

 その方が、余程堪えた。『玉』の人格の所為なのかもしれない。青島が密かに望んでいるだけなのかもしれない。どちらかは分からないけれど、焦燥感だけがつのった。

 どん!
―――コノ扉ヲ、誰カ開ケテ…―――!!

 嘘のようだった。規則的に何度も繰り出していた拳が、急に空を切ったのだ。倒れたのか?と最初は思った。また”眠り”に引きずり込まれたのかと。でも違った。扉が開かれたのだ…!
 はっと顔を上げた。皓い光が、暗闇に慣れていた網膜に突き刺さる。涙が溢れてくる生理現象を、止められる筈もなかった。そこには、出られるという開放感と安堵感が織り込まれていたからだ。
 その人はまた靄に包まれているのかと思ったが、違った。逆光だったのだ。目を凝らす……と、相手がとても怒っているのが分かった。声が若い…女性だ。

「ちょっとアンタねぇ!?いい加減五月蠅いの!!ドア叩くの止めてくれる!?」

 腰に手を当てて、怒鳴ってきた。誰だろう、という疑問も脳裏に掠めたが、ふっとまた意識が遠のくのが分かる。いけない…そう思うのに、……また……。

「え…!?あ、ちょ……ど、どうしたの!?ちょっとあなた!!?」
(出られ……た……)
 無理矢理体を前に突き出した。意地でも外に出たかったからだ。そうして…
 どさっ。
 倒れる時の音だけを、脳裏に刻んだ…――――。

”ごめんね”

それが君の口癖、なんだね。


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こんばんわ〜。「花月」34話、ようやくの更新です〜。これから先はおいそれと欲望のままに書き進められないから大変……。いえ、「アギト」に浮気してる所為もちょっちあるけど(汗)
「くみきょく・よん」閉じこめられた室井さん編ですね★意味分かんないよな〜これじゃぁ…トホホ。途中出てきたのは「雪乃さん」デス。(笑)分かりにくでしょうけど。
そして最後に出てきた女性は一体誰でしょう〜??次回の主人公デス。(あくまで次回だが<笑)彼女がお話を大きく変えてくれるキィになってくれるでしょうか〜??自分でも分からない(オイ)
ちょっとスローペースになっちゃってますね、「花月」(汗)頑張ります〜(><)
それではv感想、下さい!!(切実)
反応ないと辛いっす〜……(笑)
01/5/18 真皓拝

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