第三十五話 ゆめみるもの


耳を澄ませてみてよ。
君がくれた唄を口ずさんでいるんだ。


 がしゃん!!と目の前でお茶碗が音を立ててひっくり返った。そこにあった書類と写真と、いくつかのフロッピィが熱い液体を被っておしゃかになったのはもう分かり切ったコトで。

「な、何するんだ君!?」

 あ。分かってない。この人。すごく嫌なヤツ。まあなんでしょうか、二・三度しか逢った事のない、ただの仕事仲間だからでしょーか。それともワタシが未熟なんでしょーか。
 こんな、ココロないたった一言二言なんかで切れしちゃってるのは。

「はあ、すみません。手が滑っちゃって」
「すべっ…!あああ!!どうしてくれんの!書類汚しちゃって」
「はあ、すみません」
「分かってるのか!?ああったくも〜これだから若い子は…!!」

 薄い仕切りの向こうは電話と怒鳴り声の応酬。そりゃそうか、今日が締め切り日だっけかここの雑誌。いっつも人気だよね〜。雑誌の半分以上女の半裸でやんの。
 目の前にはガラスのテーブルから、無事な書類を引っ張り上げてハンカチで一生懸命拭いてるはげた親父部長。私は何も出来ずにただ座ってる。すみません、て言葉を何度も吐きだして頭下げながら。すみません、すみません。

 こいつの所為だ。

 こいつの言葉が、瞬間に私を無気力にした。
 なんだろう、もう、何かが、キレ…た。

 今日は一日遅れたものの、頼まれた取材内容を手渡しにきただけだった。最初はこっぴどく叱られたものだけれど、私が頼まれたのは来月の本のヤツだから、今だって充分間に合う。はあ、すみませんってやっぱり謝って。
 島崎くんだっけ、と言われて名刺(もう逢う度に渡してるんだけど、一応)を頭下げながら差し出した。『私篠原夏美です。篠原。篠原夏美!もう、覚えて下さいよ〜!』なんて笑いながら頭の中はあきれかえってた。あ〜あ、アンタの前任の部長さんは、抱えてるフリーのライターの名前全部把握してたよって。確かに気の弱そうな、優柔不断なおじさんだったけど、一度だって気にさわるような事言う人じゃなかった。アンタはいつだって「あの人は無能だったから、定年前にリストラされたんだ」って自慢げに言う。けど私に言わせれば、アンタのが無能だっての。
 ここの部署の雑誌だって、こんな馬鹿丸出しの路線じゃなかった。すごくあったかい、小さなお店を紹介したりとか、旅行のコラムが載ってるいい雑誌だったのに。

 どうぞって言われて椅子に座って、さっそく頼まれた取材の内容を大体説明した。部長は楊子で歯を綺麗にしながら、うんうん頷く。珍しく静かに聞いてると思った。いつもだったらあ〜あのさ〜というだみ声が入るのに。
 終わった、と顔を上げると、すごくいやらしい顔して笑った。『ねえ、もうこういうの、時代遅れだよね?』って。はあ、そうかもしれませんね。って返した。『あのさ、あの人との約束だったから、君の連載も続けてきたけどさ、いい加減もう止めたいんだよね』はあ。『君なら分かると思うけどさ、ここの雑誌の傾向と合わないのよ、君の取材』はあ。分かってましたよ、段々削られてましたから。『あ、そう?なら問題ないよね、再来月で終了させて?その代わり別の始めようよ。せっかくだからさ。』新しいシリーズですか?『そうそう!ミステリっぽいの!』あの…すみません私ドキュメンタリィ専門なんで…『なあに言ってんの。出来るって〜。それに最近不気味な事件多いじゃない?それで行こうって!ね!!』は?『吸血鬼現る!とかさ、消えた人々は何処に!?とかさ、そんなタイトルつけて…ね?』あの……?

 あの、何言ってるんですか?

 聞き返した。笑って言い返された。
『何とぼけてんの〜、知ってるよ』
 だから、何をですか。

『君の知り合いの先輩、例の行方不明になったんだって?じゃあデキルじゃないの、君が当事者だよ。心に迫るような記事、書いて頂戴よ〜?ボク楽しみにしてるからさ♪』

 瞬間、机にあるお茶碗をひっくり返した。今の今まで自分が苦労して作った原稿の上に、だ。






 先輩の名前は、『南 浩輔』といった。アタシが大学中退して、上京して記者になるんだって頑張ってた頃、一番お世話になった人だった。なんでもどんなジャンルでもこなす人気ライターさんで、大手の会社に勤めてる。いきがってて生意気だった筈の私のコト、誰より気に掛けてくれて、仕事がないときは回してくれたりした。でも仕事に関してこの人ほどシビアで容赦ない人もいなくて、私はいつも好きなんだか嫌いなんだか対応に困ってる人でもあった。

 別れは唐突だった。なんか嫌な予感はしてた。私は昔っからそういうカンだけは人一倍で、霊感もあるんじゃないかと思いこんだ程。一週間前くらいに、真夜中に電話が掛かってきた。南先輩からだった。「お前に話したいことあるから来い」って。場所も言わずにぶつって切られて正直困惑。仕方ないから布団から這いだして、そこらにある服がばって掴んで家飛び出した。南先輩は時間に五月蠅い。んでして場所は何処かしら。

 この時間先輩が大抵いるのは渋谷だ。渋谷の人通りの多い喫茶店でよく座ってぼ〜っとしてる。そこから行ってみるか、って行ったらもうBINGO。先輩は店の前で立ってた。

「も〜!なんなんですか一体!睡眠不足は乙女の天敵なんですよぉ!」
「よく言う〜。文句言うなよ、まあ確かに真夜中に電話は悪かった。謝るよ」
「は!?」

 ぎょ、っとしたのは言うまでもない。この人、あんまり謝る事はしないのだ。そもそも謝るような暴挙をしでかすことも少ない。何が起こったのかと思った。だって先輩が真夜中に私を起こすってことは、真夜中じゃいけない理由があって、それでいて私にも重要なことだって分かり切ってる。謝られるようなことでもない。それくらいには私はこの人を信頼しているのだ。

「どうしちゃったんですか、南先輩。今日可笑しいですよ。絶対。場所言わないで切っちゃうし」
「あれ?そうだったか?悪い悪い。言ったつもりだった俺。よく来られたな〜偉い偉い」
「は!?はあ?どう、どうしちゃったの本当に!!」

 もちろん、誉めるなんてことも滅多にしない。当たり前だよ、が口癖。
 先輩はくしゃくしゃに笑って、髪の毛をかき回した。困惑した癖だ。

「まあまあ、聞けって、で…お前どうするの?行くの?」
「―――――…は?」
「は?じゃなくて。行くのかって聞いたの」
「行く?行くって何処にですか」
「は?」
「は?ってだからこっちが!!」
「―――…あれ…?お前、聞こえなかったの。昨日の歌」
「うたぁ?」
「そう、綺麗な女の人の……あぁ。そうか、聞こえなかったのか」

 そう呟いた瞬間に、ふっと先輩が笑うのをやめた。そして、泣きそうな顔して着ていたシャツのポケットに手を突っ込んだ。そこには鍵が入ってる…先輩の、大切な仕事机とか家のとか…とにかくたくさんのキィ。それを、にっこり笑って差し出してきた。呆然としている私の手をとって、握り込ませて言った。

「やる」

 驚きで声もでない。なんの冗談なのだ。この人は。酔ってるんじゃないの!?
 あれ…でも酒臭くないし…何。一体なんなの本当に?!

「てっきりお前も選ばれるかと思ってたんだけどな〜。そっか〜、聞こえなかったのか〜」

 あがっと口を開きっぱなしの私が、なんとか持ち直そうとした。先輩どうしたんですか、大切な鍵渡してくるなんて。この中には俺が一生かけて続けたい事件とかの資料が入ってるんだ〜!お前には一人前になったらリークしてやるから手伝え…そう言ってて…。

「やるよ。俺も中途半端で投げ出すのは嫌なんだけどな〜。こればっかりは仕方ないしな〜」

 投げ出す?何を?

(なに?何なのこれは?)
 不意に浮かんできた不安に泣きそうだった。言葉に出来ないこのふわふわと、安定しない感覚は何だろう。真夜中なのに人々の喧噪が耳に入り込む。生ぬるい風が肌を舐めていく。ふいに誰かが私にぶつかって罵ってった。
「あっぶないな〜。ほら、ちゃんと立てよ夏美」
「あ…はい…すみませ……」
「しっかりしろって…任せられないだろ。心配だなあ〜…お前まだまだだもんなぁ。いくらフリーになったっつったって」
 くしゃ、と困ったというジェスチャ。
「でもなあ…俺、行くって決めちゃったからなぁ…」

 どこに…?

 尋ねようとした時、どこからか声が聞こえてきた。

「あの……」
「「はい?」」

 てっきり私に向けられたんだと思って、答えて振り返る。先輩も同じ様に左のパン屋さんの方に振り返っていた。お互いにはっとしてお互いを見る。私の場合は単なるえ?っていう感じだったのに、先輩はぎょっとしてた。そんな顔で見なくても。

「あれ〜…ど。どっち…」

 声は少し掠れていた。男の人の声。私は驚いている先輩を放っておいて、その人を見た。ちょっと蒸し暑いかもしれない渋谷で、きっちりスーツ着てる男の人。髪が少し長い。左右に前髪を流して、情けない顔しながら近づいてきた。勧誘だろうか?それにしては覇気も押しの強さも感じない。

(どっち?どっちってどういう意味)

 見つめていると、男の人は更に困惑した様子で私と先輩を見比べた。おろおろしてる。動作が何だか小動物じみてて面白いけど、変な人でもある。

「あれ〜…なんで二人して振り向くんでしょうか…。やっぱり俺才能ないのかな〜…自信無くす…」
「なくせ」
「ひ、酷い!」
「無くせっていうか無いお前。本気で分かんないのか。なあ本気で分かんないのかよ!?」
「………分かります、すいませんでした」
「自分の『護符』も見分けつかないのかよサイテー」
「ああ!そ、そんな言い方しなくても…」

 あははは…なんて乾いた笑いをしながら、その男の人は先輩と同じように髪の毛をかき回した。綺麗にセットされてたのに、途端にくしゃくしゃになる。不意に気づいた。この人の手、さっきから震えてる。
(なんで)
 なんでこの人こんなに緊張してんるの。
 なんでこんなに先輩、嬉しそうにしてるんだろう?

「まあ分からないでもないけど?『人よけ』の結界はってその上で呼びかけた。どう考えたってこれに反応するのは一人だよな」
「そう!そうですよね!!なんで…」
「ああ…こいつ特殊なんだ。今分かった。選ばれない訳」
「選ばれない?あれ、一人なんですか。意外だな」

 一人なんですか、っていう響きにむかっときた。悪かったわね、よく分からないけど私は確かに独り身ですよ!!

「こいつ、バランスが完璧なんだ。だから昨日の歌も聞こえなかった。それ以外だったらなんでも無差別広い上げる癖に。あ〜余計心配になってきた。危ないぞ、こいつは」
「へぇ…そう言われれば。すごいですね〜…」
「何だよ、気づかなかったのか?お前」
「気づきませんよ。だって貴方ばっかり見てたし」
「はあ!?だったらどっちですかとか言うなよな!!俺すごいむかついたんだけど!?」
「す、スミマセン…ちょっとわるふざ…」

 絶句、というのはこういう事かもしれない。
 がばっと先輩がその人に抱きついたのだ。そう…往来で。
(な、な、な…何してんですか先輩――――――!!)
 ココロの中の絶叫はもちろん先輩に届く筈もなく。
 ばっちり抱き合っている。私の目の前で。
(あれ、あれ、先輩日本人だよね…ハーフとかじゃないよね。愛情表現で抱きつくとかあんまりしない人だったしましてやキスとかもしてこないし…)
 焦っている私の前。身長百七十センチ以上の男二人、抱き合うの図。濃い。

「逢いたかった…っ!」

 逢いたかったって。ねえ、ちょっと…。
 これは回想だけど、まだまだ手始めだったんだって。


焦がれてたよ、ずっと。
 


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ぎゃ〜す!!(涙)遅くなりましてすみませんです!!(ぺこぺこ)
「花月」第35話。長すぎて二つに分断状態…嗚呼…長引く…うう…。夏美ちゃん主人公に近しの第三部…張り切っていきまショー。本当にお待たせしました…以前書いたのは五月…今七月終わり。実に二ヶ月近く放ってしまった訳でして…これからは「アギト」と並行でやってきたいです。出来れば、はい。読んで下さってるたくさんの方々の為にも。自分の精神衛生上にも(笑)
室井さんも青島くんも出てきてませんが、脇の脇役は登場しました。はい。次回にもそのまま夏美ちゃんがでばります。一部も二部も吸血鬼サイドからのお話だったんで、今回は人間サイドからもお話を書かねばと。長引くの必須なんですが、ここまできたらそんな事言ってられないし(笑)
次回には室井さん出したいな〜…う〜ん。待っていて下さると嬉しいですvvそれでは☆
01/7/25 真皓拝

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