第三十六話 きゃんのっと


左手に自由を、愛を右手に称えて歩こう。
誰にも出来ない、そんな事は言わずに。


「逢いたかった…っ!」

 先輩の声は少しかすれてて、もしかして泣いているのかしら…って思った。抱きつかれた相手の方も、なんだかぎょっとした顔をしたのだけれど、すぐに先輩の背中に手を回す。その仕草が、とても大切なものにおそるおそる触れる子供のように見えたのが印象的だった。指先がすごく震えてて、触れて良いのか強く抱きしめてよいものか、とためらっているのがわかる。

「――――…俺、も」

 抱きつかれた相手の瞳からぼろっ、とあふれた涙に、見ていた私はぎょっとしてわたわたと周りを見回してしまう。どうしよう、どうしよう。これが新宿の某所なら問題ないが、ここは若者の街渋谷。まあそんなに最近じゃ珍しくないかもしれないけど、ここまであからさまなのはどうか。近くにいていいものか…離れた方がいいのか…いや、いっそ帰った方がいいのか?
 と、思ったよりも視線が集まらないのに気づいた。
(…あれ?)
 それとも、これは注目に値しないくらいの日常茶飯事な事なのだろうか?ここでは?……まさか、そんな筈はない。
 けれど道行く誰もこちらを見ない。無視していくにも、一度くらいはこちらに視線を向けてもいいものなのに…まるで『ない』みたいにすいすいと抱き合う二人と私の横を通り過ぎ……
(……もしかして、見えてない?)

「……なんで、すぐに来ないんだよ」
「ごめん…、行きたかったんだけど」
「まあ、大体予測はつくし…情報集めたからわかってるけど。連絡ぐらいしてもいいだろうが。明日いくとか…」
「………したでしょ」
「今日の朝だろー!?違うだろうお前、そうじゃなくてだな、俺に対してだな、もっとこう…」
「こう?」
「なんていうか…。味気ないじゃん、ただ『今日の夜に迎えに行く』だけだなんて」
 くすって、泣きながら…―――互いに抱きしめあいながら―――…男の人が言った。
「それ以外、なんて書けばいいんだよ?」
「………そんなに忙しかった訳?真下さんのトコ」
「まあ…。青島さんの許可が下りたから無理矢理抜けさせてもらってる状態。本当なら、後二日後だったんだ。…………あのさ、違うんだ」
「なにが」
「本当に、それ以外書けなかったんだよ」
「は?」

 何それ?と言って先輩がようやく離れる。私としてはどうしていいのかわからなくて、ただ二人の会話を聞いていた。なんて言うか…本当にすごく居心地が悪い。まるで遠距離恋愛でもしてるカップルの会話を盗み聞きしてるみたいで。
 ぐしっと男の人の方が、涙を乱暴に拭う仕草をした。先輩の方はもう涙が止まったようで、ただ相手の言葉の続きを待っている。男の人は、少しうつむいて笑った。まだ、涙が止まらないようで何度も目元をこすっている…。

「なんて書けばいいって?ずっと探してた相手に。本当なら、自分自身で探し出したかった悔しさもあるのに。もっと…もっと早く逢いたかったって思ってて…でも、今逢えてよかった…―――俺、少し最低。違うな…ものすごく最低」
「なんで」
「こんな機会がなかったら、もしかして君のこと俺は探し出せなかったかもしれないって思ったら、すごく感謝したんだ…アイツらに。事態はすごく悪い方向に向かってて、今もどこかで泣いたり殺されてる人がいるかもしれないのに、そんなの全然かまわないって思ってるんだ、俺は」
「……………」
 ぐっと唇を噛んで、男の人は続ける。ぼろぼろと流れる涙はもう拭う事すらされずに、地面に落ちて灰色を少し濃い色に変えていった。先輩は、ただ無表情でその様を見ている。
「それにもしも探し出せても、今みたいに君はすぐにわかってくれたかな?俺たち一族のすべても、情報も、普通なら説いて聞かせるんだ。わかってくれたかな。一緒に生きてくれるって、誓ってくれるかな…?いきなり俺が目の前に現れて?―――そう考えたら、怖くて体がすくんだ。君を見つけだせても、こうやって会話出来る可能性は決して高くなかった。」
「おい……」
「自分が醜いってわかった。嬉しい方が大きいからさ。まさか、」
「…おい、お前なっ」
「まさか…抱きしめてもらえるなんて思いもしな…―――っ」
 ぐいっと顔を無理矢理上げさせて、先輩がすごく困った顔をした。

「お前…馬っ鹿じゃねぇの?」

 きょとん、と男の人の目が見開かれる。事情が全然わかってない私はただひたすら視線を外しながらヒアリング。時々はちらちらと見るけど。なんていうか…もうこうなって来ると好奇心が止まらない。職業病の所為もあるかもしれないけれど、親しい人…こう言っちゃなんだけれど先輩のラブロマンスを真横で見られるなんて、私は思いもしなかったから。
(う…これって…二人だけの世界って感じだよね)
 全く、篠原夏美という…私の存在が忘れられてる気がするんだ、うん。

「あ〜…わかった。お前ずっとその調子で生きてきたんだろう。かー!最悪。暗いっ!暗いぞお前!!」
「………く、暗いかな」
「後ろ向き!いいじゃん今逢えたんだから!!感謝すればいいだろう、今の現状に?そんなに悪い事か?誰に悪いんだ?人間に?それとも青島さん?」
「ば…っ、!!」
「もしかして青島さんが選んだ、相手の人に?確かにさけられればよかったかもしれない現実のこの状況だけどさ、いつかはした事だろう?ずっと、危うい綱渡りしてたようなもんだろう。むしろいいと思うけど。白黒つけるにはな」
「何言って…!青島さんは…っ!!」
「悪いけど、俺はその青島さんじゃないから苦しみとかわからないし。つい最近そういう情報も知ったばかりだから、過去のヤツに批判なんてしないよ。……なぁ、青島さんは確かに『リベレイター』の長だけど、そうやって全部背負わせたら…だめだろう?」
「え…」
「お前とかさ、そうやって独り気張るとさ、上に立ってるヤツは絶対に後悔するでしょう。たぶんさけさせようといろいろ努力したんだろうし?だからさ、勝手にやれば一番いいんだって…こういう時は」
「勝手に…」
「そう。”貴方の思惑なんて関係なく、私は今を楽しんでる”ってそぶりを。楽しんでる訳ないのはわかってるよ、命かけてこれから戦うんだから。でもさ、その戦いの分のオプションはあったでしょう?」
 俺、俺、と先輩が自分を指さす。
「俺に逢えたし。なに、俺じゃだめ?」
「だ、だめじゃない!」
「じゃいいじゃないか。嬉しいなら嬉しいで。だってさ、お前にそういう事言われると、俺も罪悪感感じなきゃいけないんだよね。確かにそうなんだ、もしもこういう状況に陥らなかったら、こんな気持ちになれるかなんてわからないからさ」
 お互い様、と頭をくしゃくしゃとかき回す。男の人は、そうされるとはにかみながら笑った。

「―――――――…あのぉ、先輩」
「ん?」
「お二人の会話が一段落した所で…その、教えてください、いい加減。こちらの方、どなたなんですか。私一度もお会いした事、ないですよね?」
「あ…ああ〜…」
 とじゃれ合っていた二人は顔を見合わせる。先輩は男の人の首に自分の腕を絡めていたのだけれど、ふと上を見たあとにまた男の人の顔を見た。
「聞くの忘れてた…名前なんて言うの」
「ああ…細川、『細川 純一』。君は?」
「俺?俺は『南 浩輔』」
「なんで互いの名前も知らないんですか―――――――――!?」
 信じられない。どうみたって二人は長い間引き離された恋人同士の雰囲気だったでしょうが!!
 なんでって言われてもなぁ、と先輩は細川さんの方を見る。細川さんも困ったような顔をして私を見た。説明、しにくいですねぇ…と。
「あ、細川。こいつは『篠原夏美』俺の後輩。」
「よろしく」
「はあ…よろしく」
「んで…どっから説明しようかな。な?お前からは?」
「南が決めてよ。俺は彼女と何の面識もないし…別れを告げるのは君でしょう?」
「……え?」

 別れ?

「……まあ、そうだけど」
「一番最後に、彼女に会っていこうと決めてたんでしょう?」
「それは正しくないな。俺はてっきりこいつも選ばれると思ってたから。大体さ、自分の近くに誰が『解放者(キィパー)』がいると思う?」
「予兆はなかったの」
「あったかもしれないけど…以前の俺は普通の人間だしさ」
「ああ。……って南、まだ君人間だって。『契約』してないんだから」
「なんだよ、その言い方」
「だって…」
「ちょ、ちょっと待ってください!!二人で話を先に進めないで!ちゃんと説明して!!」
 とっさにそう叫んだ。このままでは何もわからないままで終わってしまう予感がしたから。
 そう言うと、二人は一瞬息をのんで私を見た。細川さんは南先輩を見、先輩を意を決したように一度目を閉じた。深いため息をはいて、一歩私に向かって近づいてくる。とん、と肩に両手が置かれた。先輩の目が、私の顔をのぞき込んでくる。

「夏美、いいか。人間の心にはまず、『闇』と『光』がある」
「は?」
「いいから、聞けよ。大抵は、半分ずつだ。人によってその案配はもちろん違う。『光』の配分ががちょっとばっかし多い人間はイイヤツだったりお人好しだったりする。『闇』が多ければ他人をおとしめたり、殺すという事が好きな奴だったりする。このバランスは、通常天秤のようにいつも揺れ動いているものなんだ」
「……………は、ぁ」
「だけど夏美、それがお前にはない」
「…………?」
「『吸血鬼』なら話は別だが。人間の心はいつだって揺れ動いて、不安定なんだ。『闇』が突然増えたり、『光』が減ったりする。その過剰なエネルギーが『感情』だ」
「先輩……なに、言ってるのか…私、全然…っ」
「夏美は『特別』なんだ。”それ”がない。」
「南、その言い方は違うよ」
 す、と滑り込むように細川さんが言葉を挟んできた。
「彼女は…いたって『普通』だ……本来の『人間』の姿を体現しているにすぎない」
「『普通』だからこその『特別』なんだろ。分かってる」
 視線を細川さんに向け、そうしてもう一度ため息をついて、先輩は言葉を続けた。
「…お前はいつだって、『闇』と『光』が一定のエネルギーを放出している。それを、俺たちは『解放者』と呼んでいるんだ。お前みたいなヤツは滅多にいない。世界に一人か二人…。まさか、日本にいるなんてな…。大抵は悟りを開いた坊主みたいなヤツらにしかなれないんだ」
「きぃぱー……。サッカーの話じゃない、ですよね」
「………夏美、今すぐ理解してくれとは言わないし、理解を求めてる訳じゃない。ただ、これだけ知っていてくれ。お前は『特殊』、なんだ。」

 特殊…、という言葉と同時に、先輩の手に力が籠もる。その力強さに、先輩は冗談なんか言っているんじゃないんだとわかった。言っている内容はよくわからないけれど。

「普通だったら…いや、この言い方はおかしいな…これから起こる事は、お前に害しか及ぼさない。たぶん、誰もがお前の力を利用出来るならしてこようとすると思う。だから不可解な事件には、絶対に関わるな」
「え?ちょ、ちょっとまっ…!」
「わかったか?絶対に、何かが『聞こえ』ても、『応え』るんじゃない。無視しろ。解放を望む声が聞こえても、決して近づくな。ろくな事にはならないからな」
「せ、せんぱ…!」
 言いたい事だけ言って、先輩はすぐに手を離して身を翻した。細川、と背後にいた細川さんに呼びかけて、すっとシャツの襟首部分を引っ張る。

「しろ、早く」
「…………!」
「『契約』を。――――…ずっと、待ってた」
「ここで?体がつらいかもしれないよ…俺の力、弱くはないから」
「いい。……早く」

 そう言われた細川さんは、すっと唇をあらわになった先輩の鎖骨に落とす。私は、言葉もなかった…背を向けた先輩を挟んで、細川さんと目が合う。一瞬、彼がすごく悲しそうな顔をした。ごめん、と唇を動かしたように思えたのは、気のせいだったのだろうか。その後に見た光景の衝撃故に、記憶は曖昧なのだが。

「――――――…や、めっ!!」

 やめて、と叫びが唇からあふれそうになった。なぜなら、細川さんの唇からのぞいたのは、犬歯というにはおおよそ似つかわしくないほどの…―――鋭い、牙が。
 つぷ、とそれが肌に食い込む瞬間を見てしまった。もうそうなったら、視線を外す事なんて到底無理な話だ。貧血を起こしそうなほど、周りに血の臭いが充満する。私はもう膝が笑っていて、たっているだけでも自分を褒めたい気分だった。
 細川さんの唇から、一筋の赤い線。そして、やけに響いた、嚥下する音…――――。
 血を、飲んでいるように見えた。

(きゅう、けつ……き…?)

 その牙が抜かれた時、先輩の体がぐらりとふらついた。思わず駆け寄ろうとしたのだが、すかさずその体を細川さんの腕が受け止める。抱いていこうか、と言うと、先輩が笑って言い返した。いい、歩ける…―――と。
(なに……?これ……)
 知らず、泣いていた。怖かったからなのだろうか。

「夏美」
 細川さんに支えられながら、先輩が私を振り返った。いつもの笑みを浮かべているけれど、苦しそうで額には汗が浮いている。
「夏美、そんな顔すんなよ。こいつが『人よけ』を外したら、一体どうなるのかって考え…」
「南、しゃべらない方がいい…」
「いいから、言わせろって…。泣くな。元気で、いろよ?」
 笑う、先輩の顔。さっと一瞬霧があたりを包み込んだ…――――と。パッパー!!と車のクラクションの音が、耳を突き刺し、私を我に返す。

「え……?」

 ざわざわと、喧噪が再び私を囲んでいる。確かに見えた筈の霧も、跡形がない。どういう事だろうとあたりを見回す…先輩も、細川さんという人も、いなかった。私の目の前にいた筈なのに。慌てて回りの人に声をかけた。通り過ぎる人たちは別として、窓際に座っていた喫茶店の人たちは見ていた筈だ、私と南先輩の姿を。そして、あの細川という人も。
 しかし誰一人として、私以外の人間が店の前にいたとしか証言してくれなかった。店の全員…店員にまで話を必死で聞き出したにも関わらず。
(誰も…見て、ない…―――?)
 そんな時思い出したのは、さっきの事だった。抱き合う二人の男の姿も、私のことも見えていないかのような通行人の態度。あれは、本当に見えていなかったんじゃないのか?

「何よ…これ」

 くしゃっと髪の毛をかきかげようとすると、カシャン!と金属音が響いた。その音にびくりっと体をふるわせてしまう。おそるおそる見れば、手から落ちた…先輩の鍵だった。
(鍵がある…――――なら、先輩がここにいたって言うのは、現実だった?)
 一体何が起こったのだ。あの起きた時の不安のようなもやもやした感じは、この所為だったのか。
『別れを告げるのは君でしょう?』
 そう言った細川さんという人物。あの、牙。
『不可解な事件には、絶対に関わるな』
 リフレインする、先輩の声、言葉、笑顔。仕草。

「何なのよ……これ!?」

 周りの視線も気にならない位に、私は混乱していた。半泣きになって叫んで、店内でしゃがみこんでしまう。もう、心がかき乱されて仕方なかった。

『泣くな…元気で、な』

――――can't…?


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ってえな訳で南先輩出てきてすぐ退場ーーー!!(笑)の花月36話デス☆う〜ん…ちょっとつっぱしりすぎましたでしょうか?(苦笑)夏美ちゃんは、いきなり南くんと細川さんのディープな会話に巻き込まれてしまう訳ですが、そう…ここがメインだったのよ(笑)あんまり前の話は重要じゃなかったんよ…。相変わらず要点を得ない話しづくりで大変申し訳ないです。(涙)
そうして回想が終わったので、ストーリィは再び現在へ。夏美ちゃんはこの回想しながらまだ編集長に謝ってるんですが(笑)あああ〜!!室井さん出すまでいかなかったよぉぉ!!くそお!!
ってな訳で、次回は必ず室井さんが出てきます。ええ、そうしないとさ…三部がさ…(遠い目)
ではでは。もうすぐ残暑かな…つか、夏コミ終わったね…(遠い目)
01/8/12 真皓拝

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