第三十八話 とまれ、ときよ


彼らの歌がわたしを殺す
欺かれた愛の落胆で。


(これはどういう状況なのかなー…っと)
 ううぅむ、と唸って夏美はうなだれた。手の内には一人の男…それも酷く衰弱した様子である。
(医者…呼ばないとまずい…かな…)
 とりあえず、救急車は呼べない。何故ならこの男の身元など全く分からないし…それにここにいる経由など更に言えないからだ。
(どうする…べき、かな)
 そうして夏美は、最終的には近所のなじみの医者を呼ぶことに、した。

「ほー…。別嬪さんじゃのー」
「え!?…そう、かな?」
「………お前さんじゃない。こっちの方じゃ」
 ぶっ殺すぞこのクソ爺、と引きつった笑いを浮かべながら夏美はお茶を入れていた。電話をかけて、ものの五分でここに来てくれた…腕はいいがしかし口の悪い医者の為に。
「……で、どうなのよじいさん…そいつ。まさか死んだりしないよね?」
「随分衰弱している様子だがなぁ…なぁに、二・三日すれば元気になるじゃろう。とりあえず注射はしとくがな」
「はーい…。っていうかさ。爺さんとこに息子いたよね?」
「ん?ああ…いる」
「今は結婚して、部屋は空いてるよね?」
「…………ああ…」
「そいつさ、連れてってくれない?」
「……………………」
 真間、という名札をつけた彼は、じとーっと目を半眼にして夏美を振り返った。夏美はおぼんを手にしながら腰を低くして真間に向かう。
「いや…だってさ…私一応女だし、さ」
「………同棲しちょる相手捨てるんか」
「同棲!?してないよ!!」
「ほんじゃなんでここにおる。親しいからなんじゃ…」
「全然!!全く本当にこんな男の事なんか、私知らないからね!!突然倒れ込んで来たんだから!!」
「ほー………」
「な、何よその目…」
「近頃のおなごは随分進んじょる聞くからのう…信用出来ん」
「信じろー!」
 真間の家は、代々医者だった。主に出張する方の医者、だ。現代では全く大病院に叶わない為に、近所の人間にしか開業していないが。夏美などは小さい頃からよく世話になっていた。遊んでいて擦り傷を負えば、必ず母に付き添われてこの男の元に行った。
「……まぁなー…夏美が男を連れ込むようには思えんしなぁ…」
「そうよ、分かるでしょそのくらいっ」
「しかしのう…いきなり見知らぬ男はうちには…あげられんのう。世の中物騒じゃなからな。儂…老人一人であそこに住んでいることも考慮して欲しいのぉ」
「うっ……」
 ほっほっと食えぬ顔で笑いながら、真間は鞄から注射の器具を取り出した。夏美は興味深いのでそろっと鞄をのぞき込む…と同時に、ちらりと今は夏美のベットで横たわる男の顔をみた。
 肌は白く、すらっとしたうなじに、形良い唇。確かに真間爺の言うように綺麗な男だ。ちょっと驚くぐらい。少し血のついたバスローブからのぞく腕は、ぎょっとするぐらいに白かった。真間が手にとり針を刺す瞬間など、少々いけない事をしているような気分になる。ほっそりとした腕、やんわりとした肌に針が入り込む。針が抜けた後にぷつりと浮かぶ血の玉などは、まるで宝石見たいに輝いて見えた。
「………なぁに見惚れとる」
「な!みとれてなんかないよっ!」
「嘘じゃろ…でっかい目ン玉して、みとっちゃじゃろうが」
「ち、違……っ!!」
 違うわよ!と叫ぼうとした時、夏美の声を封じたのは真間ではなかった。彼の手は夏美の視界で器具を片づける動作をしている。しかし…今確かに腕を掴む感触が……。
 はっ!として夏美は左手をみる。真皓く、そして細い指先が褐色の自分の手首を掴んでいた。それも恐ろしく強い力で。
「おや…目覚めたかな…。全くお前が五月蠅くするからじゃ…」
「なっ!私が悪いの!?」
「……………っ……?」
 夏美と真間の声にかき消されて、男の言葉は聞き取れない。ぽかっと真間に頭を殴られた夏美は、ぶすっとしながら口をつぐんだ。
「なんじゃ?」
「………こは……ど…こ?」
「ここは寝室じゃよ…お主が今、手を掴んでおる女のな…」
「…………?」
 うっすらと、開けられた瞼からのぞいたのは漆黒の瞳。それが真間から、ゆっくりとこちらに向けられた。知らず夏美は息を飲んで、じっと男を見つめ返した。体を起こせないのか、首だけを動かしている。
「………あ、なたは……?」
「……夏美……篠原、夏美」
「……なつ、み……」
 復唱するように口ずさむと、男は一度そのまま黙り込んでしまった。手を離してよ、と悪態をつくと、はっと悲しそうな目をして従う。悪いのはあちらの方なのに、そんな顔をされて一瞬とまどった。
「病人をいじめるんじゃない」
「い、いじめてなんかないよ!」
 真間とそんな会話をしていると、男はぐっと息を飲みながら体を起こした。まだ起きない方がいい、という真間の言葉を振り切って、苦しそうな顔をしながら。
「いえ…大丈夫です」
「大丈夫なもんかい!ヘタすりゃ死んでおるぞ!お主何日食べなんだ!!」
「…………分かりませんが…大丈夫です」
 大丈夫、と何度も連呼して、男は立ち上がった。真間は一層怖い顔をして、男をベットに戻そうとする。
「寝ておれ!無茶はいかん!」
「………行かなきゃ、いけないところがあるんです。ここで立ち止まる訳にはいきません」
「行かなきゃいけないところ…?そんな体で?」
 黙って見ていた夏美が問いかけると、男がすっとこちらを向いて口を開いた。うっすらと悲しそうな笑みを浮かべながら。
「ええ、そうなんです」
 ふーん。と呟いて、夏美は男と数秒見つめ合った。脈略はないが、何となく言葉が口をついて出たのである。

「アオシマ、って人のトコにでも行くの?」

 その瞬間の、男の顔の豹変はすさまじかった。いきなり手首を捕まれたのだ。
「――――――っ、い!」
「おい、やめんか!!」
「………れだ?」
「痛いわね、離してよ!」
 はっと男は手を離して、すまないと小さく呟いた。しかし険しい顔は健在で、眉間によった皺は半端ではない。まるで刑事みたいに、難しい顔をして言ってきた。
「君は誰だ!?」
 負けないくらい、怖い顔とでかい声で言い返した。
「篠原夏美よ!さっきから言ってるじゃないよ馬鹿力!!」





 誰が予想し得たのだろうか。
 閉じこめた籠の鳥が、主を残して去っていくことを。

「青島ぁっ!!」
 新城の叫びは、灰色の曇り空に吸い込まれた。すでに遙か頭上に舞い上がった男に追いつこうと、出来る限りの力を使って飛び上がる。しかし彼に本気を出されてしまえば、絶対に追いつけない事も知っているのだが――――だからといって、しないのでは自分がここにいる意味がない。
(あの男を、部屋に閉じこめた意味がない)
 さっと視界の片隅に、黒い羽根が飛び込んできた。カラス…それも酷く爪の鋭い。サーバントの式神が集まり始めている。自分と青島とを、引き離そうとしているのだ。さっと青島を見れば、止まる気配は一向にない。
 ちっと舌打ちをした。既に自分は、側面にそびえ立つビルの壁を使って体を上空へと押し上げている。今更方向転換は出来ない…強行突破だ。さっと左手が翻る。手に持った鞭をふるって、さっと視界を邪魔するすべてを追い払う。さあっと砂になりながらそれらは消え、新城に空の道を譲った。
(間に合え…――――!)
 ぎりっと唇を噛んだ。嫌な予感がしていた…。
「あお…っ!」
 目の前を、緑のコートが横切った。
「青島っ!!」
 バシンっ!と続いた爆破音。慌てて彼の体を受け止めようと飛ぶ。腕を掴む事は出来たが、いかんせん体格の所為で一緒に引きずられる形になってしまう。ずるっ…と掴んだ左腕が手の中で滑った…目を向ければ、血が溢れている。
「新城さん」
 現状に似合わない静かさで名を呼ばれ、空中で懸命に重力に抵抗しながら答えた。
「なんだ」
「俺、大丈夫なんだけど?」
「馬鹿言うなっ!!」
 けれど地上に激突しそうなその瞬間には、彼の腕に抱かれ着地している。こいつっと新城は心底殴りたい気分になった。こちらが守ろうとしているのに、全くさせてくれない。
「無茶したらダメでしょー?俺が真下に怒られるんだからさー」
「無茶してでもお前を止めなかったら、まだやるだろうが!」
「…………………」
「この馬鹿!救える人間なんて限られてるんだ!いい加減にやめろ…っ」
「……………でもさ…」
 何か言い返そうとした彼に、きっと新城はにらみつけた。本当にやめろ、とこれ以上ない怒りを瞳に込めて。

『やっぱあれだよね…。クローンの血を使ってサーバントを作っているとはいえさ、元は俺の血じゃない?うまく抜けば人間に戻れないかな?』

 なんて事を言いだして、混ざった人間の血から自分の血のみを引き抜くなんてことを、この男は室井を閉じこめた日からずっと、やっている。
 やっているのは、――――成功率なんてゼロに近いくせに――――何処までも自分の体を犠牲にするような事なのだ。血を引き抜く、にはまず術をかけなければならない。けれどそれにはサーバントを拘束しなければ話が始まらない。しかし拘束するには、ある程度サーバントを弱らせる必要がある。だが術を完成させるには、血を抜かれる側もある程度の体力が必要なのだ…―――――そう、青島ははっきり言えば、無理な事を言ったのだ。体を弱らせずに拘束して、術にかけるなんていうことは絶対に出来ない。その出来ないことを、しかし青島はやってのけていた…成功か否かは別として。

 自分の体をぼろぼろにしながら。

「俺さ…やりたい、んだよ。新城さん」
「ば…っ!」
 馬鹿!と怒鳴りかけた瞬間、彼が笑った。ぐっと息を飲むしか、新城には出来ない。
「ごめんね」
 笑って…ふわり、新城の上を通り過ぎた。逃げたサーバントを追って。
「馬鹿野郎が…っ」
 そう呟いた新城の真横に、どしゃっと青島に拘束されたサーバントが振ってきた。じたばたともがく青年の体を自分の体で押さえつけ、あらん限りの魔力を使って血を引き剥がす。その術が織りなされる瞬間も、新城はぎりぎりと拳を握りしめた。分かってしまうのだ…相手には限りなく優しいそれを織りなすくせに、自分に跳ね返る術の強さには…全く配慮されていない様が。
(そんな緻密な術を構成出来るなら、どうして自分には…)
 分かる。そんな術は不可能だ…両方に反動の少ない術なんて。
(あおしま…――――っ)
 びしっと青島の右腹から、肉が裂け血があふれ出した。青年がもがく…その度に、青島の体から血が溢れる…―――――。
 やめろ、と思う。早く終わってくれ、とも。青年が早く気を失うでも何かすれば、それだけ青島の負担が減る。ぴしり、とまた乾いた音がした。同時に血があふれ出したのも分かる。甘い香りが辺りを包み始めたからだ。……そうやって何分過ぎただろうか、獣じみた声が、唐突に聞こえなくなった。はっとして青島を振り返ると、真っ青な顔色で立っている。
「!!」
 言葉もなく駆けよろうとすると、音もなく青島の手が阻んだ。大丈夫、という事だろう。
(何が…――――!)
 何が大丈夫なんだっ!
 何も出来ないのか?私はどうすればいいんだ?!
 そうやって唇をかみしめていると、青島の指先がふわりと触れてきた。掠れた声で、やんわりと呟く…唇噛んだらダメでしょ、キス出来なくなっちゃう。
 どうしようもないその空気を裂くように、新城の携帯が鳴り響いた。ぴっとボタンを押すと、酷くせっぱ詰まったような女性の声が響いている。あまりの声の大きさに、一瞬耳から離した程だ。
『あ、青島さん…!青島さんに代わって下さい…!!』
「……青島、電話だ」
「ほえ?啓子ちゃんかな…?」
 手渡された青島が、携帯を耳に当てる…――――と。笑んでいた表情をすうっと消した。
「……あおしま?」
「ん?」
「………どうした?」
「――――――どうも…しないよ」
 くすり、と音だけがした。笑えていない…その事実に、彼はきっと気づいていない。どうした…?と再びは聞けなかった。聞けばもっと彼が無理して笑うことが分かり切っていたから。
 渡せ、と言外に目で言い、新城は青島から携帯を返してもらった。まだ会話は続いているらしい、静かに喋るように伝えて会話を促した。
「………なに?」
 無音になった気がした。その部分だけ、まるで消されたかのように…――――あまりに信じられなかったから。

『室井さんが、部屋にいないんです…―――――!』

 あおしま、と声をかけようとした。だが、電話の向こうの声と、無表情に地に伏した元サーバントの姿を見ながら呟く青島の声とが、交錯してそれを阻んだ。
「―――――ば、よかった…?」
「………なに?」
 知らず聞き返していた。青島の言葉もまた、新城にとっては聞きたくないものだったからだ。うん、だからね…と微笑んで、彼がこちらを向いた。

「――――あの時……殺しておけば、よかったのかな……?」

 …だってそうだろう?

時が止まってしまえば、悲劇は永遠に起こらない。



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こんばんわー真皓ですー。尻切れトンボー。青島腹グロー。つーか、自分の気持ちで生かしておいてそりゃねーんじゃねーの、ってな感じで38話…。お疲れさまでしたー。
01/9/28 真皓拝

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