第三十九話 あなただけの


炎から飛び散る火花。
水面から浮かび上がる透明のクラウン。


 怒鳴り返した私の声の大きさに驚いたのか、男は大きな目をきょとん、とさせた。けれど相変わらず手は離してくれない。いい加減に嫌になったから、ぶんっと大きく振りかぶって離させた。指の痕がくっきり手首に残っている。あー痛い。慰謝料絶対ぶんどってやる!
「………しのはら…?」
「そーよ聞こえなかったの!?しーのーはーらっ!!篠原夏美っ!!」
「……篠原さん」
「ああ!?」
 急に篠原さん、なんて気色悪い。思い切り睨みつけて聞き返すと、男は呆然とした様子で言った。ここは何処なんだ、と。
「だから、私の家なんだって、さっきから言ってるでしょう!?何度も聞かないと分からないのアンタ!?」
「………君の…いえ……」
「そうよ!ちなみにアンタを看病したのは私。医者を呼んだのも私!感謝されるならまだしも、なんで怒鳴られた上に手首に痕つくぐらい捕まれなきゃなんないの!?いい加減にしてよもう!」
「まあまあ…落ち着け夏美」
「落ちついていられるかぁ―――――!!」
 怒髪天を付く、とはこの事だと思った。
「……相手は病人じゃ。こっちが怒鳴り散らしてなんになる」
 ぐるるるる…と喉の奥で怒りが渦巻いていたけれど、確かに真間爺の言うコトに間違いはなかった。押し殺して座り、男にもベットに腰掛けるように促す。真間爺はリビングからイスを持ってきて、即席の座談会が始まる事になった。
「まずは…そうじゃのぅ……お主の名はなんじゃ?」
 黙秘するかと思いきや、男は呆然とした面もちのまますんなりと言葉をこぼした。
「――――むろい…室井、慎次と言います」
「ほう。では室井くん…よろしければご職業は?」
「―――――――!」
 はっとしたように、室井が顔を上げた。真間爺と互いに探りを入れるような視線の攻防が始まるが、負けたのは室井の方だった。ぐっと唇を噛み、下を向いてしまう。
「……なにも」
「なにも?俗に言うフリーなんとかいうやつか?」
「爺ちゃん…それ言うならフリーライター。で…室井サン、リストラ?」
 嫌みったらしく『サン』付けして呼んでやると、まあ…そんなものだ。と彼は言った。『と言うより…捨ててきたというか…結果的に捨てたというか…』と小さく呟いたのが分かる。
「……私は室井慎次…それ以外の何者でもありません。むしろ、それ以外のものはありません」
「ほう。では本題に行くか。何故しきりにここが何処かと聞くんじゃ?それにさっきから夏美のこと随分と気に掛けておるようじゃが……?」
 真間爺の言葉に、おっと息を飲んだ。端くれとはいえど、私だってれっきとした記者。聞くべき、気づくべきは私だった。心のノートに書き留める準備を整え、私はすっと耳を澄ませて室井という男を見る。……偽名か本名かすら、分からないんだけれど。

「――――私は、ここにいる筈がないんです」




『――――あの時……殺しておけば、よかったのかな……?』

 絶句した新城に、青島は穏やかに笑って言った。
「あの結界からは、出られやしない。……現に、新城さんだって気が付かなかったでしょう?」
 くつり、と無表情のまま。彼は笑っているつもりなのだろうが。唇が時折歪む程度で、到底笑っているとはいえない。
「あのドアは新城さんが閉めたんだ。もしも侵入者がきて、結界を破っていったんなら、すぐに分かる筈だ。――――それに何より…。あの人には、『俺』が、『そこにいるよう』に命令した。誰かが無理矢理連れていこうとすれば、当然苦しんで抵抗した筈…それなら俺が気づく。どちらにしても分かるんだ、絶対に」
「………どういうことだ」
「―――――結論は一つだよね、あの人が…『自ら望んで』あそこを『抜け出した』んだ」
「馬鹿な……そんなのは」
「無理…だよ。確かにね…。でも不可能じゃない…一つだけなら条件がある。まさか、俺もそんな存在がいるとは思わなかったから…油断してたけど」
「……………」
 『自ら抜け出す?』そんな事が可能だというのか。
 新城は肩と肘のほこりを払いながら、じっと思考した。青島の結論を駆け足で追う。
 『結界』を壊さず。
 『玉』に課せられた『命令』に逆らわせずに。
「……――――『解放者』だ」
「そう。正解」
「まさか……本当に?」
「それしかないでしょう。答えはね…」
 ふっと風がかすめ、青島の赤茶色の髪をなで上げた。漆黒の髪の色は「力」の証明。闇のように何処までも深い色なら、それだけで力のキャパシティを示している。黒かった筈の青島の髪は、いまや脱色したように茶色になっていた。それだけ消耗しているのだ。
「『解放者』は、確かに俺たち『鬼』にとっては脅威の存在だ。何もかも無効にしてしまうんだからね。閉じたはずの鍵を軽く開けるわ、小さくしておいたものを触れるだけで大きくするわ…。昔っからいい事が全然ない。でもね、彼らは決して自らだけでは何も出来ないんだ」
「……………」
「彼らは、誰かに『必要』とされて初めてその力を『発揮』する。――――良くも悪くもね。だから、『解放者』がいた時代は、その取り合いっこで随分大変な争いがあったそうだよ」
「………いつの話だ」
「俺たちが生まれる以前のお話。だからすんごーい昔。伝説みたいな存在」
「……いるかどうかも分からないだろう。真実性に欠けている」
「でも。いるのは確かなんだ…だってその正体は『人間』なんだから」
「…………なんだと?」
 ぎょっとした様子の新城に、青島は形だけ笑った。その様子にわずかに顔をしかめてしまう。もう、これ以上無理している青島を見たくなかった。
「嘘じゃないよ。本当…『解放者』っていうのは、まんま『人間』のことだよ。だから不思議な力も全然ないし、体だって傷つけば元に戻るのはすごく遅いし。空も飛べないし道具がなけりゃ火もおこせない」
「……知らなかった…」
「当たり前だよ。『解放者』の知識は与えられても、その正体までは…これは一族たちだけが教えられる事だからね。知らなくていいんだ…真下だってそういうよ」
 あいつは、それはそれは貴方を大切にしているんだから。
「――――ああ」
「……あ、いい笑顔ー。うん、そういう顔した方がいいよ、新城さんは。怒った顔しないでさ」
「させているのは誰だ」
「あはははー!ごめん俺だわ。すみません」
「……本当に反省しているのか…全く」
 してますしてます、と全く反省の色のない返事を返して、青島はサーバントの体を起こした。おそらくまた近くのベンチかどこかに横たわらせて、救急車を呼ぶに違いない。

「……追わなくてもいいのか、あの男のことを」

 よっこらせ、と小さく呟いた青島の背に、問いかけた。何も言わない彼に、しびれを切らしてもう一度尋ねた…青島、と。
「……いいんだ」
「………いいだって?」
「うん…いいんだ。大丈夫…みんなには迷惑かけないから」
「…何を言って…」
「あの人は大丈夫。奴らの手には、渡っていないよ。――――もしもの為に、式神はつけておいたからね。闇の力に反応するようにしてある。もしもあの人が、結界の外で髪の毛一筋でも傷ついたら…発動するように」
「……………」
「だから大丈夫。まだ、悲劇になるような事態は起こらないし…――――起こらせないよ」
「………じゃない…」
「え?」
 首に青年の腕を抱え込んだまま、青島は振り返った。新城の声が、掠れて聞こえなかったからだ。どうしたの、と尋ねた。うつむいて拳を握り込む優しい同胞に。
「そうじゃない…っ」
「……新城さん?」
「そうじゃないだろう青島。そういう事を聞いてるんじゃない!私が木偶だからといって馬鹿にするな!!」
「新城さん?ちょ、ちょっと待った泣かないでよ!?」
「泣いてない!!」
「嘘ばっか!目尻に涙溜てんじゃない!」
 瞬間、くしゃりっと新城の顔が歪んだ。

「人形は泣けない!」

 新城が叫んだ瞬間、ぱしん!と手のひらが新城の頬を叩く音が響いた。叩かれた本人が、そうだと知る前に叩いた人間の方が謝ってしまう。こちらが怒こるよりも早く。
「ごめん!痛かった!?」
「…………………」
「痛かったよね!!ごめんなさい!俺の事叩いていいから…あの…その…お願いだから黙らないでよ新城さん…」
「…………なんで叩いた」
「…だって」
「だって?」
「新城さんが…自虐的な事言うから…っ!俺…そういうの許せない」
 バシン!!と青島の言葉が終わったと同時に、新城の手のひらがひらめいた。きっと唇をかみしめている新城を、青島がきょとんとした顔で見つめている。叩かれた左頬を撫でながら。ずる…とサーバントを支えていた手の力が抜けた。
「自分はいいのに他人は許せないか。傲慢にも程があるな」
「……俺のどこか自虐的だった訳?」
「どこもかしこも」
「言うなぁ……で、何よ?聞きたかったのは?」
「――――私は、組織の『長』であるお前に聞いたんじゃない。『青島俊作』に追わなくてもいいのかと聞いたんだ。なぜ答えない」
 しん、と沈黙が降りてきた。えぇ?と泣きそうになりながら、青島が口を開いた。

「――――俺に、追いかける資格なんてあんの?」

 さっと新城の目が見開かれた。青島は気づくいた…このままこの言葉を続ければ、新城を傷つける事…そして……

「…あの人は、自分で望んで出ていったんだよ…。『解放者』の力を『発動』させるくらい、強く願ってね…――――」

 ――――己自身をも切り刻む事に。



 室井の言葉は、聞いている私にはまるで呪文のように聞こえた。
「私が…―――――私という存在が、今、ここにあるという事が可笑しいんです。だって…そう、そうだ……あいつの、言葉に縛られていた筈なのに…。大体、あの部屋から出られる事が可能か?例え私がどんなに望んだとしても…、あいつが望んでないなら、出来る筈がない…」
 夢?と小さく呟いて、室井は自分の頬をつねる。痛かったのか少し顔を歪めて、そして道に迷ったように私たちの顔を見た。
「……貴方がたは一族には思えない…。かといって…ここに何らかの「力」が作用しているようにも見えない。とすると、やはり残るのは―――篠原さん…貴方しかいない。この現象を証明出来るのは」
 くっと整った眉を器用に片方だけ上げて、室井が私に聞いてきた。心底不思議だと言うように。
「どうやって私をここへ?君は何者なんだ…―――?」
 すっと自然に真間爺も私に視線を流してきた。二人の男に見つめられ、当然私は驚く。こっちこそ落ちそうなくらい目を開いて言った。
「ちょ、ちょちょ…ちょっと待ってよ!私だって知らないわよ!?アンタが勝手に私の部屋に転がり込んで来たんでしょう!?」
「なんだって?」
「人が仕事で疲れて散歩して帰ってきたら、突然ドアが目の前にあったのよ!!ドンドンとアンタがドアを叩き続けてるもんだから、いい加減五月蠅くて。怒ってドア開けたら、アンタが出てきたの!!」
「空間を繋げたのか?」
「知らないわよ。言っておくけど、私は何もしてませんからね!!ドア開けただけよ!!」
「……そんな……馬鹿な…っ」
 ぶつぶつと小さく呟きながら、室井は唇に手をあてて考え込みだした。そんな様子を、真間爺は興味深そうに見、私は胡散臭げに眺めた。どうみてもこの男、頭が可笑しいようにしか思えない。
(”アオシマ”っていう事と…関係ないのかしら?)
 それより以前に、まともな会話が出来るかどうかすら怪しいかもしれない。
「――――――…そうか」
 ふ、と室井が顔を上げた。強い視線が突然突き刺さってきたので視線を戻すと、男がきゅっと唇を軽くかみしめている所だった。すっと立ち上がってローブを整えると、ゆっくりと周りを見渡す。
「………なにが”そうか”なのよ。うら若い乙女の部屋じろじろ見るんじゃないわよ」
「……すまない。確かめたい事があって…見せてもらってもいいか?」
 嫌だ、と言いたかったか真間爺が視線で促してしまう。仕方なく室井を案内した。…と、リビングに行く前に、仕事部屋で立ち止まる。すたすたと許可もなく入ってから、気づいたのか私に頭を下げた。怒る暇もない周到さに舌を巻く。
「…――――篠原、さん」
「夏美でいわよ。篠原さんなんて気色悪い」
 そういうと、室井は苦笑して何もない空間を手のひらで撫でた。ちょうど、彼が出てきたドアがあった部分だ。もうそこには何もないのに、まるであるかのようなジェスチャ。
「……室井くん、君はもしかして神隠しにでもあっていたのか?」
 真間爺の問いに、私ははっとした。そうか、真間爺が何も言わずに黙っていたのは、そういう風に考えていたかららしい。室井が職業を聞いても答えず、ここは何処だと場所をいぶかみ、更に私を気に掛けているのは。真間爺が生きていた時代なら、確かに女性の髪が短いと色々な意味があったような気がする。
「いえ、違いますよ。れっきとした、私は現代人です。証明した方がいいですか」
「いや…いい。そうじゃな…もしも昔の人間ならもっと驚く筈じゃ…」
(あ、そうか…)
 昔からトリップしてきた人間なら、確かにすぐに納得しておとなしくなるのは可笑しい。
「…わかんないじゃない。昔じゃなくても、数年前かもしれないでしょ」
「……それも違います…夏美…さ…―――申し訳ないが、篠原さんでいいですか。私の方が言いにくい」
「いいわよ、じゃあ」
「すみません。―――何故ならカレンダーが、私の記憶と変わりません。それともこの卓上カレンダーは、数年前から置いてるんですか?ずっとこのまま?」
「…違うわよ」
 むすっと言い返すと、また彼は苦笑する。あの…篠原さん、と室井はもう一度私に問いかけた。空間を何度も撫でながら。一体何をしているのだろう?
「―――…何?」
「もしも勘違いなら失礼なんですが…貴女はもしかして…―――『解放者(キィパー)』なんじゃないですか」
「――――――!!」
 ぎょっと自分が驚きで一歩下がった事を自覚した。聞き覚えのある単語を、全く見知らぬ他人が口にしたことで余計に衝撃があったらしい。
(…え?なんでその言葉を知ってるの?!)
 私の驚きの表情を肯定に受け取ったのか、室井がふわりと微笑んだ。その笑みがあまりにも綺麗だったもんだから、一瞬私は息を飲んだくらいだ。
「な、…なんでアンタがそんな事知って…―――!?」
「そうですか…やはり。すみません、篠原さん」
 驚いている私に続いて、今度は真間爺も目を見開く羽目になった。何故なら室井が、何もない空間から…―――撫でていたその場所から―――煌めく、それは見事な日本刀を取り出したからだ…それも抜き身の。
 室井は…かちゃり、とその刀の先を私の首につきつけて、心底悲しそうな声でこう呟いたのだ。

「私は貴女を、脅さなくてはならないようだ…―――」

それはアナタだけの、不思議の呪文。



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Σわー!途中室井さんに刀持たせようとしたら、三回も落ちやがッたよちくしょー!(涙)やっぱりなんだね、室井さんに脅迫なんてさせちゃーならんつー神のお告げかい!?
…失礼いたしました。こんばんわ、真皓デス。何かを忘れているようですが、とりあえず花月は順調に更新しています。このままだとなんとか三部は終わりそうですネー。
……つーことで。


01/9/30 真皓拝

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