The person who succeeds "K"

胎動編



+第一話+

『…お前の口づけでも目覚めないなら、お前の手で俺を殺してくれ。突然こんな事を書いたらお前は怒るかな。でもこれは俺の望みだから茶化さずに受け止めて欲しい。
 追っ手を振りきる事が出来ないのは、俺の所為なんだろう?
俺は酷く半端な存在だから、邪魔になってる。切り捨てられないお前を馬鹿だと言いながら、俺はいつも安堵してた。
 いつかお前は自由を手にして、天へ帰る。いつかくるだろうその日に、俺の告白が足枷になるのは嫌だった。天使と人は共には生きられない。でも、お前は俺を愛していると言った。
…本当に?
もしもお前が運命を壊したいのなら、俺の存在を忘れてくれ。人として共にあれるように。生まれ変わった未来で俺とお前が出会うとき俺は、俺じゃない。
俺を忘れて、俺を愛してくれ。過去じゃない、お前の前にいる俺を。
…支離滅裂だな。
 この一つ一つの言葉を見る度、文章を読み上げる度、お前の中にある、俺を消してくれ…必ず。
――――俺達が再び、共に、生きる為に』

 カスマ文学賞受賞作「遺書」より序文。 著者 K



 人口二十万人の都市…夜景は思ったよりも綺麗ね、と彼女は心の隅で思った。いかがわしささえ醸し出す繁華街のネオンも、ここまで上ってしまえば夜景の片隅に輝く一つになってしまう。
空へ空へと高くそびえるビル群。そのビルとビルの間のダストから吐き出される生臭い汚臭。車の吐き出す汚れた煙は、害しか起こさないのに、やはり離れてしまえば、幻想的なものをケイに思い起こさせる。
 街の中心を穿つように通り抜ける国道。走りゆく車のライトが、街の光につられて来た蛍のように見える…違う、虫だ。一直線に流れて、時には連なっている虫の群。

奇妙な安堵感。
決してそれに癒されたくはないのに、確かに存在する生命の営みに安堵する。
まるで促されるようにほぅ、と息を吐く。それは凍える空気の中で白くなり、すぐに拡散して消えてしまう。

 このどこかに、彼女がいる。自分の一番の部下であった彼女が。

 新月の夜の闇に溶けそうな、漆黒の髪。腰まで届くストレートの髪が、ビル風にあおられてくしゃくしゃになった。
 ばさり、と無造作に顔にかかったそれを払いのける。腰近くまでのばされた髪は、日本人形を思わせる艶やかさがあった。大きく二重の瞳。おおよそ病弱という言葉とは無縁の、オーラを放つ若い肢体。光の洪水の中で、やんわりと輝く白い肌。赤いふっくらとした唇。くっきりと弧を描いた眉毛。華奢な体は紺のセーラー服をまとい、悠然と廃墟になったビルの屋上に佇んでいた。

 ケイ…上條 蛍は、ぱたぱたと舞い上がって音を立てる己の服を、不快そうに見下ろす。

「もっとましな服着て来るんだった…」

 寒さは感じない。ただこれでは、動く度に風にあおられて走るのもままならないだろう。それに間違って補導員になんて見つかってしまったら、即補導されるに決まっている。
そういう事態に何度か遭遇したことがあるから、いい加減理解した。この格好の女たちは、夜遅くに歩いたりうろうろしていると不審な目で見られてしまうのだということ。
ましてや、自分を守ってくれる保護者的存在である「彼」が側にいたんだとしても、決してよい展開にはならない。確実に拘束されてしまうだろう。

(そんなの、ごめんだわ)

 迷惑を掛ける人はいない…いないがうっとおしい。社会的後見人もいない、施設にも入っていない…なんて事がばれたら、後々面倒だろう。
 下にスパッツはいてくれば良かった。と唇を尖らせていると、不意に吹き付ける生暖かい風が弱くなった。横に立っている男がいる。

「周防…来るの遅い」

 別段突然現れた男に、怒るでもなく(風よけになってくれていることに感謝するでもなく)ただ、目もくれずに非難だけを言った。…周防と呼ばれた青年も並の容姿ではない。表情を隠すようにのばされた前髪。夕日が更に深みを増した紅の髪。ワインレッドの瞳。シャープな頬。涼しげな目元。形良い唇。そして異形の証…白い翼。

「ケイ…見つかったか…?」

 静かに返された声は、聞いている者を落ち着かせるような、低いそして穏やかな響きだった。

「もうちょっと…もう少し」

 視界を奪ってゆく七色の光の群。きゅう…と黒曜石の様な光彩が、猫の目の様に細くなる。周りに広がる光が急速に暗くなり、目指すその一点のみをクローズ・アップする。まるで顕微鏡の様に。一点を見ようとすればするほど、辺りが暗くなってゆくのだ。
 ただこれは全て、彼女の意識の中での行動で、実際にそんな機械の様な事はしていない。

「いた…!」

 獲物を見つけた獣の様に、彼女は全身を喜びに踊らせた。背中に下ろされた黒髪が、それに合わせて跳ねている。
「あそこよ…」
 す、と細い人差し指を闇の彼方へと指し示す。そこから見える人は豆よりも小さく、光で更に視界は狭い。そんな中、彼女はぴたりと一点を指す。遙か遠くその一点を。

「…分かった」

 低くそう答えて、周防はふわり、と羽をはばたかせてコンクリートから数センチ浮く。常人では見えるはずのないその場所へ向かうことを、周防は事投げもなく引き受けた。周防にとって、ケイに見えるものが、自分に見えないことはなかったし、今も言われればそこに標的の姿を見ることができる。ただ、この雑多な気配の中から、特殊なパターンのソレを探すことが彼には不可能なのだ。

 標的は、街の中心を通る国道から、一本外れた裏通りを彷徨っている。商店街は国道を挟んで東西に造られており、標的は西側の商店街を歩いていた。
「あの子、もうすぐ暴れそう。追いたててここまで連れてきて」
「了解した」
周防はケイをおいて、空中に身を躍らせて飛んで行った。コンクリートに、空中に、数枚の白い羽が淡く発光している。ケイが唇をすぼませてふぅ、と息を吐くと、羽は銀の粒子になって、溶けるように消えていった。

周防の姿が見えなくなると、行くか、とケイも顔を上げた。屋上の壊れて錆びたフェンスをまたぎ、はき慣れたシューズの踵を指でり弾力を確かめる。軽く、膝に負担が掛からない靴なので、ケイはこれをことのほか気に入っており(男物だったのだが)毎日履いている。
 靴の底がまだ厚い事を確かめて、ケイは少し肩を回した。つま先をとんとんとコンクリートに落とし、アキレス腱を伸ばす。
 と、次の瞬間、ケイは何の気構えもなく前触れもなく、スカートを押さえながら、空中に両足をそろえて身を躍らせた。

羽の生えていた周防ならまだしも、ケイはそんな物を背中に背負ってはいなかった。もちろん万有引力の法則に従い、地球の中心に向かって落ちてゆく。

 加速度を増す空気抵抗を体に受けながら、ケイは一言も叫び声をあげなかった。ごぉっと耳元で迫る音にも眉を動かさず、無言で近づいてくる地面を見つめる。地上から三十センチ上で、ケイの体が一瞬浮く。そしてとん、と足を地につけた。
 体を見回して新品の制服が汚れていないことを確かめると、至極満足そうに微笑み、その場所を後にした。
 辺りは廃墟ビルにふさわしいと言うべきか、腐臭とカビに蹂躙され尽くした姿をしていた。普通の人なら近づきたくはない所だ。すっかり野良の動物たちの楽園になっている。
 フギャー、という猫の声とともに、がしゃん、がしゃんと無造作に積み上げられた箱が落ち、ガラスの砕ける音がした。反響する効果音に、ケイはまた無表情のまま、佇んでいる。
 待っているのだ。周防が来るのを。

(来てほしくない…)

 このまま、周防が彼女を逃がしてしまうといい。ぎゅ、とケイは自分の両腕で体を抱きしめた。寒い、とでもいうように…強く。
 周防が、彼女を逃がしてくれるといい。周防なら分かっているはずだ、自分の気持ちを。今この瞬間でも、私が何を思っているか。
(逃がしてやりたい)
 助けてやりたい…彼女が今苦しんでいるのは、私の所為だ。
(私が、未熟だから)
 後悔と共に、別の感情がわき起こってくる。
(私が、望んだ訳じゃない)
 それも正論だろう。そう、私が選んだ事じゃなかった。彼女が、勝手に自分に付いてきたのだ。
「あの子だけじゃないわ…」
 勝手に。貴女が救世主だと言って。勝手に組織を作って、勝手に戦って死んでいる。誰の為でもなく、ただ己の心を貫き通す為だけに。
(私を、組織のシンボルにした…)
 それもいいだろう…そう思って了解した。彼らは団結する要として私を利用する。

かつての戦でその名を轟かせた者の後継者として。


……ならば私は周防の為に、彼らの情報力を利用する。彼らの力を、知識を…そして屍を。
時を刻むたびに、余計な拘束が増えていくような気がする。
(私は周防と二人だけで。それだけでよかった)
他に何もいらない。
他に何もないといった方が正しい。
彼によって始まった自分の時間は、彼によって左右されてしかるべきだ。
何がしたいという意識さえ、最近の自分にはなかったのだ。
ただ。
(ただ周防が、私が何か言うと嬉しそうにするから)
自分の足で歩くと、瞳で微笑んでくれるから。
そうしただけの話。
これからも、ずっとこの先も、そうして私たちは進んでいくと分かっている。
それ以上の何かなど求めたくは無いが、未来なんて分からない。
(まるであがくようにいきる)
彼と二人で。


 トュルルルル…と、携帯が鳴った。考えに深くはまっていたケイは、制服のポケットから取り出して、慌ててボタンを押した。
「はい? 上條ですけど…」
『あぁ…ケイですね?私です、斗王(とおう)です。聞こえます?』
 電話の向こうに出たのは、組織…月の参謀斗王だった。
「何?」
 この忙しいときに…とケイは思った。もうすぐ理性を失った彼女を、周防が連れてくるに違いないのだ。彼は私の心を誰よりも知っておきながら、口に出したことは必ず守ってきたから。
 ほんの少しの雑音の向こうで、斗王の声が固くなった気がした。
『…ナンバー1001シーラは、たった今殺人を犯しました。警察が駆け付く前に、彼女を始末してください』
「な、…んですって」
『くれぐれも、お逃がしにならないように。よろしいですね、ケイ様』
 携帯を持つ手が、ぴくん、と震えた。普段は、優しく気を使ってくれる斗王も、戦いの時は容赦がなかった。ケイの心をすでに見通していたに違いない。何を思っていたか、何を望んでいたか。
 理性を…というより、彼女でなくなった彼女を、誰よりも早く諫めることができるのは、ケイしかいなかった。
 圧倒的な力でもって、彼女を殺す。一瞬のためらいも許されず、半端な力でもだめ。
 気を抜けば殺されるのは自分。
 彼女のような者を始末することは、半ばケイの日課になっていた。
(いい気分はしない)
 かつて…一年足らずとはいえ、自分の隣で微笑んでいた者を殺すなど。
 組織のシンボルに、そんな「汚れ役」を任せるなど普通ならしないのだ。また危険なことをさせて、逆に死んでしまっては組織の戦意が失われてしまう。
 だが否応なく、分かってしまう。皆が何を望んでいるのか。
この世界を把握しようとする「組織」に、「お飾り」は必要ないのだ、と。
望まれているのは、圧倒的な聖性と同時の残虐性。裏切り者、規律を乱す者は許さないとばかりの厳粛の激しさを。
「ねぇ、斗王。どうして…」
『…ケイ?』
「ううん、なんでもない。分かった」
(所詮、私は代わりなのに)
「斗王、空…そこから見える?」
『…え?』
 斗王がどこにいるのかなんて、ケイは知っている。おそらくコンーピューターにしがみつきつつ、携帯を手にしていることが。いすから立ち上がらない限り、空は見えないだろう。
『…ちょっと待ってくださいね』
 続けてがたがた、という音がした。ケイもそこから空を見上げた。携帯を耳から離し、きっとにらみつけるように。携帯から微かに音が聞こえた。斗王がケイ?と呼びかけたようだ。それに気づき、ケイは空を見上げたまま携帯を耳に近づけた。
「ねぇ…?斗王、星が見えないわ」
 そうですね、と優しい声が返ってきた。

「…希望(ほし)が、見えないわ」






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高校時代に書いた、投稿作品を手直ししています。
2002/10/31 masiro
 

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